北東との争い
第五十八話 降伏の相手
半分を越えた、と圭が言った。
俺は顔を上げた。
「何が?」
「開戦時に確認していた、天衡側の城です。今回吸収した同盟の分も含めて、こちらの配下になった城が半数を越えました」
机の地図を見る。
天衡の領地は、まだ広い。
けれど、その中には、持ち主がこちらの配下になった土地が混じっていた。
道をつないでいた城。
援軍を送り出していた城。
前線の補充を支えていた城。
それぞれを取った結果、敵の部隊は、最初のようには動けなくなっていた。
巌たちの前進は止まっていない。
俺たちも、二つの方面で次の城を囲んでいる。
「……連絡は?」
律に聞いた。
律は首を横に振った。
「鷲尾からは、まだ何も」
*
前の戦争なら、ここまで来る前に話が来た。
兵を失った。
道を失った。
これ以上続けても、取り返せる見込みが薄い。
そんなところで、誰かが停戦の仲介を頼んでいた。
今回は、何もなかった。
掲示板では、天衡の同盟員がまだ強い言葉を使っていた。
『勝ったつもりでいればいい』
『あとで分かる』
読んでも、役に立つことは書いていない。
俺は閉じた。
「ただの強がりかな」
玄が言った。
「そうならいいけど」
地図へ目を戻す。
敵の抵抗が弱くなっていた。
それは、確かだった。
ただ、弱くなり方がおかしかった。
*
落とした城のうち、直近の二つには、主力が残っていなかった。
最初は、間に合わなかったのだと思った。
こちらが道を切り、援軍を遅らせたから。
けれど、三つ目も同じだった。
逃げた先を追うと、部隊は鷲尾の城へ集まっていない。
もっと東へ動いていた。
「まだ戦える部隊を、下げてる」
湊からの報告だった。
「こちらと当たる前に進路を変えました。追うと、知らない道へ入ります」
「追わなくていい。見えていた場所と時刻を送って」
俺は冬馬の図を横へ置いた。
記録のある道は、ここまで。
その先は、地図に表示された道だけだった。
広さも、足元も分からない。
凌駕なら追いつけるかもしれない。
そう考えてから、やめた。
追いついた先で、誰が待っているか分からなかった。
*
佐伯が、敵の所属一覧を確認し直していた。
新しく吸収された君主は多い。
名前を一度覚えただけでは、追い切れない。
そこへ早苗が、気になる書簡を持ってきた。
配下になったばかりの君主からだった。
『こちらには、持ちこたえるようにしか言われていませんでした』
敵の内情を全部知っている人ではない。
加入したばかりで、細かな話は知らされていなかったという。
ただ、もう一文あった。
『本隊は残すから、という話でした』
俺は、その部分を読み直した。
城を残す。
兵を残す。
違う話だった。
「勝つつもりで、守ってるんじゃないのか」
口に出すと、律が顔を上げた。
「何かを待ってる?」
俺は頷いた。
何かは、まだ分からなかった。
*
理由が分かったのは、次の出兵を確定する直前だった。
佐伯の表示に通知が付いた。
そのまま、手が止まる。
「盟主」
呼ばれて、俺は顔を上げた。
佐伯は地図ではなく、天衡の同盟情報を開いていた。
名前。
盟主、鷲尾。
その下に、昨日までなかった欄がある。
従属先。
蒼穹。
俺はしばらく、その二文字を見ていた。
*
北東の有力同盟。
人数では、天冠に次ぐ規模。
城の割り振りを話した会議にも、代表が出ていた。
俺たちは、直接の友好関係を結んではいない。
けれど、戦ってもいなかった。
「いつ?」
「成立は、今です」
佐伯が答えた。
律が、すぐに別の画面を開く。
天衡側に残る城を確認している。
一つ。
次の一つ。
再配下化の保護期間が表示されていた。
三日間。
俺は、椅子の背から体を起こした。
巌たちの城に付いているものと、同じだった。
*
「攻城部隊を止めて」
俺は言った。
葉が顔を上げる。
「全部ですか」
「まだ到着していない分。守備と接触している部隊は、勝手に背中を向けないで。現地の判断で離して」
杏へ連絡する。
湊へ知らせる。
巌にも、同じ情報を送る。
城を取るために組んでいた順番が、そのままでは使えなくなっていた。
守備を減らすことはできる。
土地を取ることもできる。
だが、保護期間中の城は、こちらの配下にできない。
耐久を削るために兵を送り続けても、目的を果たせない。
玄が、短く息を吐いた。
「同じこと、されたな」
「うん」
否定する言葉はなかった。
俺たちが使える仕組みは、相手も使える。
*
巌から返事が来た。
『こちらも確認した。破岳を止める』
その次は、少し遅れた。
『なるほど。俺たちが厄介だったわけだ』
俺は、笑えなかった。
巌たちの保護は、すでに一日以上減っている。
向こうは、今始まったばかりだ。
こちらが守備を戻さなければならない時間に、向こうはまだ城を気にせず動ける。
そのために、主力を残した。
そのために、最後まで降伏を申し込まなかった。
いや。
降伏する気がなかったのではない。
相手を、俺たちにしなかったのだ。
*
蒼穹から、書簡が届いた。
佐伯と律にも見せてから開く。
『天衡を当同盟の配下として受け入れました。以後、天衡に対する攻撃は、当方の配下に対する攻撃として対応します』
その下に、要求が続いていた。
攻撃の停止。
占領地の返還協議。
天衡から配下にした君主の解放。
俺は最後まで読んで、冒頭へ戻った。
「こちらが取った城まで、戻せという話か」
佐伯が頷いた。
「少なくとも、交渉の条件として出しています」
「天衡が先に攻めたことは?」
「書かれていません」
律は、開戦時の記録を取り出した。
上位会議の最中に、巌の城へ攻撃が来た時刻。
こちらが応戦した時刻。
天衡が蒼穹の配下になった時刻。
順番は、はっきりしていた。
*
俺は返事を書いた。
天衡からの攻撃に対し、防衛と反撃を行っている。
新たな配下関係の成立をもって、こちらが一方的な侵攻者になったとは考えていない。
停戦を求めるなら、天衡の出兵停止と、蒼穹の部隊の位置を明らかにしてほしい。
返還については、そのあとに協議する。
律が読み、佐伯が言葉を整えた。
送信する。
返事を待つ間、俺は蒼穹の領地を表示した。
北東に広がる大きな色。
遠い。
ずっと、そう思っていた。
天衡の土地を重ねる。
その考えが、使えなくなった。
*
主となった蒼穹は、天衡の残存君主の領地を、進出の足場として使える。
兵が、その場へ現れるわけではない。
北東から行軍する時間は要る。
けれど、道を一つずつ取ってくる必要はなくなった。
しかも、すでに東へ寄せていた部隊があるなら。
俺は湊の報告を開いた。
敵の主力が下がった方角。
天衡が残した城。
そのさらに東にある、蒼穹の領地。
「前から話がついていたんだろうな」
俺が言うと、佐伯は頷いた。
「少なくとも、今思いついて成立させた話ではなさそうです」
天衡は兵と土地を残す。
蒼穹は北西へ届く足場を得る。
俺たちが半分以上を取ったあとでも、残りには十分な値段が付いた。
*
最初に蒼穹の旗を見たのは、湊班だった。
こちらが確保した城へ続く道で、別の部隊と接触した。
名前を確認する。
天衡ではない。
蒼穹。
湊は、まず距離を取った。
相手は進んだ。
こちらの土地へ攻撃が入った。
『迎撃します』
短い報告だった。
俺は返した。
『了承。深追いはしないで。帰る道を先に残して』
外交の返事は、まだ来ていなかった。
戦闘の報告が先に届いた。
*
北東から来た部隊は、天衡の残兵とは違った。
兵が揃っている。
連続した出兵で削られていない。
先頭が止まると、後ろも止まった。
誘われるままに細い道へ入ってはこなかった。
湊が、一度押し返した。
相手は追わずに引いた。
その直後、別の道に騎兵が見えた。
俺は真木をそちらへ回した。
地図を見る範囲が、一気に広くなった。
「ここから先の記録は?」
冬馬に聞く。
「道の大まかな形だけです。歩いて確かめたのは、手前まで」
「じゃあ、その手前で受ける」
今まで勝っていた場所から、勢いのまま進むわけにはいかなかった。
俺は攻撃の印を二つ消した。
代わりに、集まる場所を書いた。
*
東稜会へは、律から先に知らせた。
北東の同盟というだけで、同じ側にしてはいけない。
これまで助け合ってきた相手だ。
こちらからの報告に、返事は早かった。
『蒼穹の参戦は、こちらでも確認中です。当会は今回の攻撃に参加していません』
そのあとに、湊たちが使った北東の拠点周辺で、兵を動かす場合は連絡してほしいと続いた。
「巻き込まれるのを心配してるな」
俺が言うと、律は頷いた。
「うん。こちらの味方だから、蒼穹と戦ってくれるはず、とは考えないでおこう」
「分かってる」
俺たちにとって、遠くの足場だった場所。
東稜会にとっては、普段から人と物が通る近所だった。
使うなら、また話す必要がある。
*
巌との連絡をつないだ。
向こうは、部隊を戻しながら、別の敵を押さえているところだった。
「半分以上取ったのに、敵が増えました」
俺が言うと、巌は低く笑った。
「残り半分を、買う奴がいたんだな」
「はい」
「で、どうする」
俺は地図へ目を落とした。
取った城。
疲れた兵。
帰還中の部隊。
補充を待つ前足。
守備を任せた自分の城。
全部をもう一度、組み直さなければならなかった。
「前足は、守備を戻し始めてください。保護が切れる直前まで攻め続ける予定は取り消します」
「分かった」
「こちらが取った城は、守れる場所から兵を入れます。前へ出す部隊は、蒼穹の進路を確かめる分に絞ります」
「せっかく取ったところを、捨てることもあるか」
「あると思います」
言ってから、少し息を吸った。
「でも、全部を守ろうとして、巌さんの城まで空にするのはやめます」
巌は、すぐに答えなかった。
それから、静かに言った。
「任せた」
*
夜になって、ようやく蒼穹から返事が来た。
要求は変わっていなかった。
天衡への攻撃を停止し、取得した城の扱いについて譲歩しなければ、部隊を引くつもりはない。
すでに、こちらの土地では戦闘が起きている。
俺は佐伯へ、交戦の記録をまとめてもらった。
白瀬にも送る。
瀬名にも、事実だけを知らせる。
味方を増やす相談は必要だった。
だが、その返事が来るまで、兵は待ってくれない。
全体の連絡欄を開いた。
『蒼穹の部隊による攻撃を確認しました。天衡に加え、蒼穹とも交戦に入ります』
書いてから、続ける。
『北東の同盟すべてが敵になったわけではありません。所属の確認をお願いします』
送信した。
*
カイが、机の端へ食事を置いた。
俺は礼を言って、地図を少し縮めた。
広くすると、蒼穹の領地が見える。
もっと広くすると、北西の端に猫の絵が見えた。
その間に、取った城と、まだ敵が持つ城が並んでいた。
「終わりそうだった?」
カイが聞いた。
「そう思ってた」
「違ったか」
「うん」
カイは俺の紙を見た。
夕方までに書いた矢印へ、何本も線を引いてある。
「これ、全部直すの?」
「直す」
「じゃあ、先に食べよう」
俺は匙を取った。
温かかった。
半分以上取った。
それは、間違いなく俺たちが進めた結果だった。
けれど、その先で戦う相手は、昨日までの相手だけではなくなった。
食べ終えてから、俺は新しい紙を出した。
一番上に、蒼穹と書いた。
その下へ、今日初めて見た部隊の記録を並べ始めた。




