不穏
第五十五話 城の値段
凌駕が来てから、朝に厩へ寄るようになった。
初めのうちは、俺が近づくたびに馬が耳を動かすので、それだけで少し緊張した。
今は、世話をしている者の邪魔にならない場所が分かる。
凌駕は、兵たちが馬具を確かめる様子を見ていた。
「今日は、走らないのか?」
「昨日、遅れた者がおります。先に支度を揃えます」
強い武将が来たら、すぐに速い部隊ができる。
少しだけ、そんな気でいた。
けれど、凌駕は毎日、似たような確認をしていた。
乗る前の支度。
列を保つこと。
止まること。
帰ってから馬を休ませること。
湊も真木も、それを見て頷いていた。
俺だけが、早く走るところを見たがっていたらしい。
「少しずつだな」
隣のカイに言うと、いつもの調子で返ってきた。
「お前も、馬に慣れてきたじゃん」
*
高位の武将は、以前ほど珍しくなくなっていた。
もちろん、誰もがSSRを持ったわけではない。
それでも、北西の猫の出兵相談には、前より多くの名前が並ぶようになった。
守備を任せられる者。
弓兵を率いる者。
資源の生産を支える者。
誰か一人がいなければ予定が立たない、ということが減っていた。
同じ変化は、ほかの同盟にも起きていた。
全体公開の掲示板を開けば、新しく登用した武将の話がある。
『やっと来ました』
『おめでとうございます』
『どこで引きましたか』
最初は、そんなやり取りが多かった。
少しずつ、その下に別の言葉が混じり始めた。
『これで、隣にも黙ってもらえそうです』
俺は、その投稿で手を止めた。
*
投稿したのは、小さな同盟の盟主だった。
SSRの武将名と、攻撃に関する技能が載っている。
その下に、近隣の土地についての不満が長く書かれていた。
返信した相手にも、覚えがある。
以前、登用地点を探す掲示板で見た名前だった。
『武将を引いただけで、土地が増えると思っているんですか』
『試してみますか』
『どうぞ』
そこから先は、読むのが嫌になる言葉が続いた。
どちらにも、同盟員が加わっている。
止めようとする人もいた。
けれど、止める言葉にまで返事が付き、話はさらに長くなっていた。
「知ってる人?」
カイが聞いた。
「直接は知らない」
「じゃあ、閉じれば?」
俺は閉じた。
翌日、その二つの同盟は交戦状態になった。
*
律から届く報告も変わった。
以前は、境目の土地を一つ取った、返してほしいと言っている、という相談が多かった。
今は、城への攻撃が含まれる。
攻撃側も、防御側も、高位武将を持っていた。
一度ぶつかって終わらない。
兵を補い、別の武将を出す。
仲間が加わる。
守るための援軍が、次の日には反撃の部隊になる。
「掲示板で喧嘩したから、戦争になったのか?」
俺が聞くと、律は少し考えた。
「前から揉めていたところも多いよ。ただ、前は勝てる気がしなくて、止まっていたのかもしれない」
机に、二通の書簡が置かれた。
違う場所の、違う争いだった。
片方は十数人。
もう片方も、三十人には届かない。
それでも、双方が複数の部隊を動かしていた。
「強い武将が来たから、引けなくなった?」
「自分だけ強くなったと思うと、そうなるのかも」
律は掲示板の記録を指した。
『今までとは違うぞ』
同じ言葉を、相手も書いていた。
*
玄の掲示板にも、知らない相手から書き込みがあった。
『北西の猫は、登用地点を抱えていていいですね』
その下に、もう一つ。
『先に揃えた分で勝っているだけでは』
俺が見つけたときには、玄はまだ返事をしていなかった。
書簡を送ると、少しして返ってきた。
『鉄の話をしていたのに、何でそうなるんだろうな』
俺は笑ってしまった。
確かに、その話題の題は、軽く作り直した試作品についてだった。
『返す?』
聞くと、玄は少し間を置いた。
『何て返しても、武将の話になりそうだから、やめておく』
代わりに、同盟内の掲示板へ続きを載せていた。
葉が、前より鉄を使っていないことを褒めている。
巌が、今度持ってこいと書いている。
俺はそちらへ返信した。
ただ、公開されている方の書き込みは、しばらく頭に残った。
*
大きな通知が出たのは、その三日後だった。
【第三世界・次段階の拠点が解放されました】
地図を開く。
表示されるまでに、いつもより少し時間が掛かった。
北西の南寄りに、新しい城の印があった。
拡大する。
昨日まで、そこには何もなかった。
周囲を調べた記録もある。
冬馬たちが道を確かめたときには、低い丘と草地だった場所だ。
「これ……前から見えてなかっただけか?」
俺が聞くと、周は通知を確認した。
「今回は、新たな拠点の出現と記されております」
俺は窓の外を見た。
ここから見える距離ではない。
けれど、誰かが歩いていたかもしれない土地に、城が現れた。
地図の印だけを見ていると、そのことがうまく飲み込めなかった。
*
北西だけではなかった。
北東。
南西。
南東。
中央へ向かう道の近くにも、新しい城が現れていた。
高位拠点、環城。
俺たちに最も近いものは、玲山城という名前だった。
守備兵の表示を開く。
多い。
武将の編成も、今までの砦とは違っていた。
続いて、耐久を見る。
俺は思わず、桁を数え直した。
「破岳が来たから、ちょうどいい」
そう言いかけて、やめた。
破岳が来ても、一人でどうにかなる数字ではなかった。
巌から、すぐに招集の書簡が届いた。
*
机の中央に、玲山城の情報を出した。
杏が守備と耐久を見ている。
湊は道を見ていた。
朔と葉は、報酬欄から目を離さなかった。
「これ、一人分ですか」
葉が聞いた。
取得時の報酬。
同盟員一人ずつへ与えられるポイントと、登用札。
その下には、保有している間の資源生産補正がある。
俺は白嶺城の情報と並べた。
白嶺を取ったときも、大きいと思った。
今度は、その感覚が合わなかった。
取得時のポイントだけで、現在の二百人に行き渡れば、同盟全体ではかなりの量になる。
しかも、一度きりの報酬だけではない。
持っている間、毎日の生産が増える。
「守り切れれば、兵を戻すのも早くなりますね」
朔が言った。
「失った分を埋めたあとも、増え続けます」
誰も、すぐには次を言わなかった。
地図を見る。
玲山城の向こう側には、石垣会の領地があった。
*
佐伯は、すでに先方へ連絡していた。
まだ、どちらの同盟も攻撃はしていない。
けれど、城へ近づくための土地は限られている。
「こちらに近いから、こちらが取る」
巌はそう言ってから、首を振った。
「で済めば、向こうも同じことを言うな」
「はい」
佐伯が頷く。
「先方も、すぐに攻略できるとは思っていないようです。ただ、全部こちらへ任せるとも言っていません」
俺は、その気持ちが分かった。
六十三人。
この報酬があれば、変わる。
今は攻略できなくても、これからできるようになるかもしれない。
その可能性まで、近くの大同盟へ渡せと言われたら、簡単には頷けない。
「共同で取って、報酬を分けられないか?」
俺が聞くと、葉が説明の下を示した。
城の保有者は、一つの同盟。
取得報酬も、保有中の補正も、その同盟へ付く。
資源の一部を別に渡す相談はできる。
けれど、同じ効果を二つの同盟が受けることはできなかった。
「また、合併の話になるのか」
口に出すと、巌は黙って地図を見た。
*
その日の夕方、東雲と赤城連盟の間で衝突が起きたと連絡が来た。
境界の協議は、まだ終わっていなかった。
そこへ、新しい城が出た。
両方が、城へ向かう土地を取り始めたらしい。
最初に攻撃された土地が、どちらのものだったか。
佐伯は、まだ確定していないと言った。
掲示板には、もう答えが二つあった。
どちらも、自分たちが先に譲ったと書いていた。
天冠の動きも速かった。
中央付近の城について、近隣同盟へ協議を呼び掛ける一方で、部隊を集めている。
蒼穹も、北東の新しい城へ進路を伸ばした。
昨日まで、見るだけだった地図の場所に、次々と行軍の報告が重なっていった。
*
瀬名から届いた書簡は、いつもより長かった。
南西の新しい城について、情報を交換したい。
その挨拶のあとに、率直な一文があった。
『同盟内で、南西の外へ出るべきだという意見が出ています』
俺は読み直した。
南西中央同盟。
南西からは出ない。
それを言葉だけでなく、実際の撤退で示した相手だった。
律も、隣で静かに読んでいた。
『現在の方針を変更したわけではありません。ただ、境界の外にある一城を他勢力へ渡すことで、今後どれほど差が付くのかという話は避けられません』
書簡には、新しい城の位置が添えられていた。
南西から、少し外。
遠征と呼ぶには短いと思う者もいるだろう。
それでも、外へ出ることには違いなかった。
『私から、これまでと同じ説明を断言できる段階ではなくなったため、先にお伝えします』
俺は、返事を考えた。
約束が違う。
そう言うのは簡単だった。
でも瀬名は、変更を決めたと知らせてきたのではない。
迷っていることを、こちらへ隠さず伝えてくれた。
「うちも、玲山城をどうするか決まってない」
俺が言うと、律は頷いた。
「そう返そう。今、分かっているところまで」
*
次の説明は、翌朝に出た。
城の取得報酬を、何度も読み返している最中だった。
【次期同盟順位の集計基準を公開します】
俺は姿勢を正した。
【次期の主要順位は、指定城の同時保有数によって決定されます】
【対象は、地図上で指定城として表示される拠点です】
【君主の居城、通常砦、および対象指定のない拠点は、この保有数には含まれません】
【累計取得数ではなく、集計時点の保有数を参照します】
俺は白嶺城の表示を開いた。
今回の対象を示す印は、付いていなかった。
玲山城には付いている。
これまでの人数順位と砦順位は、別の一覧として残るらしい。
けれど、次の報酬と結び付く順位は、城の数で決まる。
同数の場合の扱いや集計日程には、続報予定と書かれていた。
「全部、一度には教えてくれないんだな」
俺が呟くと、カイが画面を見た。
「また増えた?」
「うん」
「今度は、城を持てって?」
俺は答えず、説明の最初へ戻った。
*
巌は、朝から会議の席にいた。
珍しく、誰よりも早かった。
「これで、取って帰るだけじゃ済まなくなった」
俺が座ると、巌はそう言った。
集計時点で持っている必要がある。
落としても、奪い返されれば数に入らない。
遠くの城を取れば、遠くを守り続けることになる。
破岳が耐久を削る。
凌駕が騎兵を率いる。
そのあとに、兵糧を運ぶ人が要る。
交代する人が要る。
元の城に残る人も要る。
葉の紙には、報酬の計算とは別に、空欄が増えていた。
まだ分からない費用だった。
「取らないという判断も、できます」
朔が言った。
「ただ、その場合は、取った相手が得る分を見ておく必要があります」
昨日までなら、欲張らずに城を育てようと言えた。
今日からは、待っている間に、近くの同盟の生産が大きく変わるかもしれない。
巌は両手を机へ置いた。
「玲山は、取りたい」
はっきりした声だった。
「だが、石垣会を踏んで取りに行くと決めたわけじゃない。まず話をする。攻略の準備も、並べて進める」
俺は頷いた。
その二つを一緒に進める難しさは、もう少しだけ知っていた。
*
昼過ぎ、紬の掲示板を見に行った。
新しい敷物ができていた。
今度は、端に小さな猫の顔が縫ってある。
『前よりまっすぐになりました』
返信は、まだ少なかった。
同盟の連絡欄は、玲山城の話で埋まっている。
全体公開の掲示板では、城への接近をやめろという投稿に、やめる理由がないという返事が付いていた。
俺はそちらを閉じた。
紬の投稿へ戻る。
『今度、実物を見せてください』
送ってから、机の隅にある敷物へ椀を置いた。
カイが外へ行く支度をしていた。
「どこへ?」
「冬馬と道を見てくる。城ができた方」
「気をつけて」
「うん」
戸口で、カイが振り向いた。
「帰ったら、茶ある?」
「淹れてもらう」
「じゃあ、行ってくる」
いつもの調子で出ていった。
俺は少しだけ、その背中を見送った。
それから、石垣会へ送る書簡を開いた。
新しい城について、一度話したい。
まず、その一文を書いた。




