トレード
第四十八話 順位にない強さ
――白瀬
猫の絵を見て、最初に笑ったのは私だった。
北西の端。
領地の色を見やすくして、地図を引く。
二つの耳と、長いひげが現れる。
よくできていた。
隣にいた同僚は、しばらく黙って見てから言った。
「戦争が終わったばかりなのに、暇なんでしょうか」
「暇な時間を作れたのでしょう」
私は答えて、律と佐伯から届いた書簡を開いた。
完成の案内。
同盟名の変更。
既存の約束は継続すること。
問い合わせ先には、二人の名前が並んでいた。
北西の猫。
少し前まで、北西中央同盟と呼んでいた相手だった。
「名前まで変えるとは思いませんでした」
「私もです」
巌の顔を思い浮かべた。
笑って了承する姿は、簡単に想像できる。
ただ、あの男一人が面白がっただけで、二百人の同盟名が変わったわけではないだろう。
私は書簡を脇へ置き、天衡との戦争に関する記録を手前へ引いた。
今日、見直すのはこちらだった。
*
天冠は、第三世界で一位の同盟だ。
人数も、砦保持数も、今のところ一番上にいる。
それは事実だった。
だが、順位表は、出兵を命じて何人が動くかまでは教えてくれない。
兵を何日維持できるか。
指示を受けた者が、いつ到着するか。
負けた後、何人がもう一度部隊を出せるか。
そうしたことを知るには、別の記録が要る。
私たちが各地の戦争を調べるのも、そのためだった。
北西中央同盟については、以前から見ていた。
巌は人を集める。
自分で前へ出る。
負担を引き受けた者を、後で放っておかない。
付き合いやすい相手ではあった。
同時に、放置すれば大きくなる相手でもあった。
だから、天衡を残した。
北西がまとまることを認めながら、東へ自由に伸びきることは避けたかった。
その判断を、今すぐ間違いだったとは思っていない。
ただ、当時の評価には、足りないところがあった。
*
「やはり、砦でしょうか」
同僚が言った。
手元には、西端が合流する前の順位表がある。
人数二十位。
砦保持数十位。
「これだけの補正が加わったのは、大きいですね」
「大きいです。ただ、それだけなら計算できました」
砦を持つ同盟が合流すれば、資源の生産が増える。
施設を進めやすくなり、兵も増える。
天衡も、それを嫌って開戦した。
見落としは、別のところにあった。
私は、北西で確認された部隊の出撃記録を並べた。
西端が加わる前。
加わった後。
北西中央同盟の兵が、突然強い武将に変わったわけではない。
兵種も、ほぼ同じだ。
それでも、前線で休む部隊と、戦う部隊が分かれ始めている。
「この辺りから、無理に継続している部隊が減っています」
同僚が紙を指した。
私はうなずいた。
「西端が守り方を変えたところへ、巌が交代する兵を入れた」
小さな同盟では、守る場所が分かっていても、そこへ置く兵が足りなくなる。
大きな同盟では、兵を出せても、一か所へ集めすぎたり、到着がずれたりする。
二つが一緒になった。
戦闘報告の数字が変わるより先に、部隊の使い方が変わっていた。
*
別の紙を開いた。
湊という君主が率いた、北東の騎馬部隊についてだった。
名前を聞いたとき、私は西端の古参だと思った。
違った。
五人の小さな同盟をまとめて、後から入った者だという。
同僚も、その経歴を見た。
「最初の七人には、入っていないんですね」
「ええ」
私たちは、あの七人へ目を向けすぎていたのかもしれない。
実際、目立つ。
砦を取る。
戦闘をまとめる。
内政を整え、外へ話を通す。
得意な者が揃っている。
それだけなら、七人がいる間だけ強い同盟だと評価できた。
だが、天衡の後方を崩したのは、その七人ではなかった。
湊の班だった。
「こちらの記録では、無理な追撃が少ない」
私は言った。
「勝った後に止まり、別の場所へ移っている。騎馬の速さだけでは説明できません」
「教わったのでしょうね」
「教わって、自分で判断できるところまで来ている」
その違いは大きかった。
優秀な指揮官を一人抱えることと、指揮を任せられる者を増やすことは、同じではない。
七人の働きを見ていたら、いつの間にか、その周りにも同じことをする者が増えていた。
*
同僚が、窓の外を見た。
訓練場では、こちらの部隊が整列している。
兵は多い。
装備も揃っている。
私は、その様子を見てから紙へ目を戻した。
「武将の質なら、うちの方が上でしょう」
同僚が言った。
「確認できた範囲では」
私は答えた。
SSRの所有数を、完全に知る方法はない。
戦いに出た者は分かる。
城へ残した者までは分からない。
それでも、天冠が持つ戦闘向けの武将と兵力は、大きな強みだった。
それを低く見る必要はない。
「では、正面から戦えば」
「どこで?」
私が聞くと、同僚は止まった。
「北西であれば、相当嫌ですね」
私は、西端の周辺で起きた戦いの記録を出した。
相手の方が多い兵を持っていても、損害が偏る。
一度なら、技能や相性で説明できる。
何度も続くと、それだけでは足りない。
地形を使っているらしいことは、敗れた側の話から分かった。
ただ、どこを見て、どう指示を出しているかまでは知らない。
彼らは、その部分を詳しく話さない。
「こちらが同じ兵数を揃えても、向こうは同じ場所で受けないでしょう」
「外へ引き出せば?」
「そこは、まだ分かりません」
私は、記録の空いている場所を指した。
北西の城の周辺では強い。
北東の作戦には、地元の東稜会が付いていた。
知らない土地へ大軍を送り、長く維持する力については、まだ十分な材料がなかった。
だから、無敵と書くつもりはなかった。
ただ、弱いと確認できた場所も、見つかっていなかった。
*
昼過ぎ、南西中央同盟の瀬名と会った。
別件の境界協議があり、数日前から滞在していた。
食事をしながら北西の話を出すと、瀬名は少し笑った。
「猫、見ましたか」
「見ました。そちらは盃を作るとか」
「場所の相談中です。描くより、そちらの方が時間を使っています」
「律殿に?」
「今は佐伯殿にも」
私は、顔を上げた。
瀬名は茶を飲んだ。
「以前からの相手には律殿が返し、新しい取り決めは佐伯殿とも共有する形になったようです。どちらへ送っても、同じ話になります」
私は、朝の書簡を思い出した。
二人の署名。
自然な変更に見えた。
だが、合流した同盟では、そこが難しい。
以前からの担当と、新しく入った優秀な担当。
外の相手が後者を選び始めれば、内側で摩擦が生まれる。
北西でも、何もなかったとは思えない。
それでも、今は同じ返事が来る。
「うまく折り合ったようですね」
私が言うと、瀬名はうなずいた。
「少なくとも、こちらが間に入って、どちらが正しいか聞く必要はありませんでした」
外から見れば、小さなことだった。
実際に交渉する側には、その小ささがありがたい。
*
「南西としては、あの同盟をどう見ていますか」
私は聞いた。
瀬名は、すぐには答えなかった。
少し考えてから、言った。
「約束をする相手として、付き合いやすいですね」
「軍事的には?」
「攻めたくはありません」
「勝てないからですか」
「勝てる戦いでも、始める理由がありません」
瀬名は、杯を置いた。
「境界の話ができる。こちらの都合も聞く。無理なら、無理だと返す。攻めて得るものと、失う関係が釣り合わない」
私は黙って聞いた。
「それに、こちらが攻めたら、東稜会はどう思うでしょう。南東で絵の相談をしている相手は?」
軍事同盟の約束があるとは限らない。
援軍が来るとも限らない。
それでも、攻める側が説明しなければならない相手は増える。
天衡との戦争では、その説明を怠った側へ、別々の日に敵が増えた。
北西の猫は、今も友好関係を増やしている。
砦を渡す話ではなく、猫の目をどこへ置くかという相談で。
*
部屋へ戻り、私は猫の図を開いた。
同僚が不思議そうにこちらを見た。
「何かありましたか」
「これを、もう少し調べたい」
「絵をですか」
「作った人たちを」
案内に添えられた説明を読む。
いくつかの班に分けた。
旧来の所属が違う者同士を混ぜた。
移動時間を確かめ、取得する順番を決めた。
参加できなくなった者の担当を、別の者が引き受けた。
間違って取った土地は、報告して直した。
私は、最後まで読んで紙を置いた。
「合流後の訓練ですね」
同僚が言った。
「結果としては」
「最初から、そのために?」
「学ぶためとは書いてあります。ただ、皆が軍事訓練のつもりで参加したかは分かりません」
そこが気になった。
命じられて列を作るだけなら、こちらでもできる。
彼らは、完成した地図を知り合いに見せていた。
自分がどこを取ったかを話す。
一緒の班だった相手へ、また書簡を送る。
次に何かを頼むとき、初めての相手ではなくなる。
遊びで空けた時間に、二百人が互いを知っていく。
巌が大きな方針を出したとき、実際に動く者同士の距離が、少しずつ縮まっていた。
*
「ただ、戦争がなければ、こちらも育ちます」
同僚が言った。
それも正しかった。
平穏な時間が、北西だけに与えられるわけではない。
私は、生産施設についての記録を開いた。
正確な資源収入は分からない。
分かるのは、交易相手が見た城の変化や、建設の進み方。
以前は軍備の薄かった君主が、どのくらいの間隔で新しい部隊を出すようになったか。
断片的な話を、日付で並べる。
「こちらが十人の主力を強くしている間に、向こうは三十人が部隊を持てるようになっているかもしれません」
「内政を先にする、という話ですか」
「全員が同じ順番ではないでしょう。守る者も、砦へ出る者も必要です」
北西の記録では、そこが分かれていた。
少ない人数で砦を取り、残りは育つ。
育った者が、次の出兵を引き受ける。
最初に強かった者だけが、ずっと戦い続けていない。
だから、戦争が終わった後も伸びる。
平穏になってから、弱かった城の底が上がる。
私はペンを持った。
天衡を残せば、北西は東へ動きにくくなる。
それは、今も変わらない。
ただ、動かない間に何をするかを、軽く見ていた。
*
夕方、評価をまとめた。
人数は天冠より少ない。
確認された最高等級の武将数も、こちらに分がある。
遠隔地への長期遠征は、判断材料が足りない。
そう書いた後、次の行へ進んだ。
領内の防衛。
部隊の交代。
損耗からの回復。
現地で判断できる君主の増加。
合流後の意思疎通。
友好同盟との関係。
書いている途中で、同僚が尋ねた。
「結局、どのくらい上へ置きますか」
私は順位表を見た。
一位、天冠。
そこは変わっていなかった。
「総合的には、最上位と並べます」
「うちと?」
「ええ」
同僚は黙った。
私は続けた。
「北西へ攻め込んで、土地を取り、反撃を受け、さらに占領を維持する。そこまで含めるなら、現状で最も難しい相手かもしれません」
「実質、最強だと?」
その言葉を、私は少し考えた。
勝ったことのない相手まで含めて、一番だと言うことはできない。
けれど、誰が最も強いかと聞かれたとき、一位の同盟名だけを返すことも、もうできなかった。
「その可能性を、無視できない同盟になりました」
私は答えた。
「少なくとも、北西で彼らと戦うなら、私は天冠が上だとは言いません」
*
報告の最後に、対応の方針を書いた。
友好を維持する。
取り決めを守る。
内政と共同作業について、交換できる情報を探る。
挑発して反応を確かめるようなことはしない。
戦えば弱点が見えるかもしれない。
ただ、そのために払うものが大きすぎる。
猫を見ているだけで、まだ学べることがあった。
報告を閉じたところで、佐伯から返事が届いた。
朝、こちらから送った祝いへの礼だった。
最後に、一文が付いている。
『次の制作案を考えている者もおります。そちらで試される際は、分かったことを教えていただければ幸いです』
私は、少し笑った。
こちらでは、脅威の評価に半日を使っていた。
向こうでは、次に何を描くか話している。
それを余裕と呼ぶだけでは、足りない気がした。
同僚へ書簡を見せる。
「何か、作ってみますか」
「天冠で?」
「ええ。まずは、小さなもので」
同僚は、地図を開いた。
空いている土地を探し、途中で止まる。
「隣の班の取得予定を、確認しないといけませんね」
「そうですね」
「それと、誰が何枚持てるかも」
私はうなずいた。
北西の猫が、最初にどんな相談をしたのか。
少しだけ、見え始めていた。




