北西の猫誕生
第四十七話 北西の猫
最初の祝電は、南西から届いた。
『完成、おめでとうございます。地図を引いて拝見しました。こちらの者にも好評です』
瀬名からだった。
その下に、一文だけ付いていた。
『目を埋めずに残す方が、難しそうですね』
俺は笑って、律へ見せた。
「そこを見るんだな」
「途中の話も送ったから」
「片目になったやつ?」
「うん。直せたところまで」
律は、完成した猫の座標を、付き合いのある同盟へ案内していた。
北東の東稜会。
南西中央同盟。
停戦会議で顔を合わせた相手にも、何通か送ったという。
『北西の端に、領地を使って猫の絵を作りました。お時間のあるときに、地図を引いて見てみてください』
兵を出して来てほしいという招待ではない。
自分の城にいながら見られる。
それが、よかったのかもしれない。
返事は、思っていたより多かった。
*
東稜会からは、祝いの言葉と一緒に質問が届いた。
『この大きさなら、何人ほどで作れますか』
南東の同盟からは、別の質問だった。
『文字も描けるでしょうか』
圭へ見せると、少し考えてから紙を出した。
「描けます。ただ、字によっては大きくなります」
升目を塗り始める。
しばらくして、途中で手が止まった。
「画数の少ないものからにした方がよさそうです」
玄が横からのぞいた。
「肉は?」
「今、それを描いてます」
「分かってるな」
俺は二人を置いて、律の机へ戻った。
こちらにも、また新しい書簡が来ていた。
『やってみたいのですが、まとまった土地を取ろうとすると、隣の同盟へ進出したように見えそうです。そちらでは、どのように話を通しましたか』
律は地図を開いた。
書簡に添えられた候補地には、近くに別の同盟の城があった。
絵を描くには、確かに広い。
ただ、完成した輪郭で、城の片側を囲む形になる。
「これ、絵だと言われても、落ち着かないだろうな」
俺が言うと、律はうなずいた。
「描き終えた後も、土地は残るからね」
猫の絵を作る話が、土地の相談になっていた。
*
律は、こちらでやったことを説明した。
最初に、完成図と取得する範囲を見せたこと。
周辺の取得予定と重ならないか聞いたこと。
どのくらいの部隊が、いつ通るか知らせたこと。
その上で、相手の候補地については、こちらだけでは判断できないと返した。
『城の近くを囲む形になるので、場所を変える案も用意して、隣の方へ相談してみてください』
返事は翌日に来た。
『北側へずらすことになりました。助かりました』
律は、それを読んで小さく笑った。
その日の夕方には、別の同盟から相談が来た。
さらに翌日には、最初に相談した同盟の隣からも来た。
『律殿に相談済みと聞きましたが、こちらの土地の扱いも了承されているのでしょうか』
律の顔から、笑みが消えた。
「了承してないよね」
俺が聞くと、律はうなずいた。
「進め方を話しただけ」
すぐに、双方へ返事を書いた。
描くことを、こちらが許可したわけではない。
土地について決めるのは、その場所を使う者同士だ。
相手から謝罪が届き、話は収まった。
ただ、俺は机の上の書簡を見た。
数日前は、猫を見て笑ったという返事ばかりだった。
今は、誰がどこまで話をつけたかを確認していた。
*
それだけではなかった。
猫の相談をした相手から、砦の取得について聞かれた。
砦の話を返した相手が、今度は国境沿いの出兵予定を送ってきた。
『今後のご連絡も、律殿宛てでよろしいでしょうか』
律は、その書簡を俺へ見せた。
「窓口が、こっちへ寄りすぎてる」
俺はうなずいた。
北西中央同盟には、合流前から外交を担当していた者がいる。
名は佐伯。
巌と最初に会ったときも、隣で話を記録していた男だった。
停戦後の返還や、中央側との境界の整理は、今も佐伯が見ている。
俺たちも、それは分かっていた。
けれど、昔からの相手には律が返す。
西側の話も律が返す。
猫の案内にも律の名が付いている。
そうしているうちに、相手から見れば、律へ送れば北西の返事が来る形になっていた。
「佐伯さんに、話そう」
俺が言うと、律はもう一通、紙を出した。
「今朝、向こうから来てる」
短い文章だった。
『新しい取り決めが増えているようでしたら、決定済みの分だけでもお知らせください』
俺は読み終えて、律を見た。
「……少し、怒ってる?」
「たぶん」
*
佐伯は、こちらの城へ来てくれた。
席に着くと、持ってきた書簡を三通並べた。
「南東から二通。中央寄りから一通です」
俺は、その差出人を見た。
どれも、最近律へ猫の相談をしてきた相手だった。
「私が予定を確認したら、律さんへ既に伝えてあると言われました」
律が頭を下げた。
「共有が遅れました。土地の取得について、こちらが了承したものはありません」
「それは、返事を見れば分かりました」
佐伯は、落ち着いた声で答えた。
けれど、紙の端を揃える手が、少し丁寧すぎる気がした。
「ただ、私だけ、後から知ることが増えています」
「すみません」
俺も頭を下げた。
「副盟主として、分担を決めておくべきでした」
佐伯は俺を見た。
しばらくして、少し息を吐いた。
「仕事を取られた、と言いたいわけではありません」
そこで一度止まる。
「……まったく思っていないかと言えば、少しは思っていますが」
律が顔を上げた。
佐伯は、困ったように笑った。
「こちらは、返還された土地が一マス足りないとか、期限を過ぎても兵が残っているとか、そういう手紙ばかりで」
机の上の三通を見る。
「楽しそうな話は、皆、律さんのところへ行くんですね」
*
俺は、すぐに返事ができなかった。
律も、少し黙っていた。
それから、佐伯の方へ体を向けた。
「猫の案内、一緒に出せばよかったです」
「いえ、それを今から変えろという話では」
「でも、佐伯さんが後ろの話を片づけてくれていたから、こちらはあれを作れたんですよね」
佐伯の手が止まった。
俺も、そこでうなずいた。
停戦後も、誰かは天衡の残した土地を確認していた。
返還先が食い違えば、記録を読み直していた。
その間に、俺たちは北西の端で猫を作った。
「俺も、完成した地図を見せただけでした」
俺は言った。
「それで、仕事の話は別々のままにしてた」
佐伯は少し目を伏せた。
「猫は、見ました」
「どうでした?」
聞くと、佐伯は口元を緩めた。
「右のひげが好きです」
俺は思わず笑った。
「玄が喜びます」
「そうですか。では、それは伝えておいてください」
律も笑った。
ようやく、机の前の空気が少し変わった。
*
そこから、仕事の分け方を話した。
律のところへ来た書簡を、全部佐伯へ回す。
それでは、窓口が一つ増えるだけだった。
佐伯のところへ全部集めても、今度は律が同じことになる。
まず、返事を待っている話を一枚にまとめた。
誰から来たか。
何についてか。
どちらが返すか。
相手へ何を約束したか。
律と佐伯が、それぞれの記録を並べる。
重なっている相手が、何人もいた。
「土地や出兵の話へ移ったら、途中でも知らせましょう」
佐伯が言った。
「決まってからでは、間に合わないことがあります」
律がうなずいた。
「相談の受け付けと、了承を返すことも分けて書きます。私に話したから通った、と思われないように」
俺は、双方の紙を見た。
猫の描き方なら、その場で返せる。
近隣の土地を借りる話なら、当事者へ戻す。
北西全体の約束になるなら、俺と巌も入る。
相手に、最初から全部を覚えてもらう必要はない。
こちらが受け取り、適切な相手へつなぎ、誰が返事をするかを知らせればいい。
「佐伯さんにも、絵の相談をお願いしていいですか」
律が聞いた。
佐伯は少し考えた。
「描く方は、圭さんに聞くと思います」
「私もそうです」
「では、できます」
今度は、三人とも笑った。
*
数日後、連名の案内を出した。
猫の完成図。
取得する土地を、先に升目で決めたこと。
絵の中で取らずに残す土地もあること。
まとまった出兵になるので、近隣へ先に知らせたこと。
最後に、書簡の宛先を二人分載せた。
律と佐伯。
既にやり取りしている相手は、そのままの窓口でよい。
必要な話は、こちらで共有する。
難しい文章にはしなかった。
佐伯が最後まで読み、一文を加えた。
『完成したら、ぜひ座標を教えてください』
律がうなずいた。
「それ、いいですね」
佐伯は筆を置いた。
「見る方にも参加したいので」
*
最初に返ってきたのは、東稜会だった。
魚を描くという。
図を見ると、胴が長く、尾が少し大きい。
圭が、これならできそうだと言った。
次は、南西中央同盟からだった。
『こちらでも、小さな盃を作ってみる話になっています』
瀬名の書簡だった。
巌がそれを読み、声を上げて笑った。
「いいな。猫の前に置きたくなる」
「別の地域です」
「分かってる。見比べるんだ」
その頃には、祝いの返事にも、同じ呼び方が増えていた。
北西の猫。
正式には、北西中央同盟が作った猫だ。
けれど、書簡では短くそう呼ばれていた。
『北西の猫のように、こちらでも作れればと思っています』
『北西の猫を、盟内で拝見しました』
玄が、その呼び方を気に入った。
『もう、うちの名前もそれでよくないか』
連絡欄へ書いた。
最初は、冗談だと思った。
*
返事が、妙に多かった。
『覚えやすい』
『中央より、今の感じには合ってるかも』
『二百人の猫ですか』
『盟主が鼻を取ったので、ちょうどいいのでは』
巌が、俺を見た。
「どうだ」
「どう、って」
「名前だ」
俺は表示を読み直した。
北西中央同盟。
巌たちが、ここまで育ててきた名前だった。
「いいんですか。ずっと使ってきたんでしょう」
「ああ」
巌はうなずいた。
「中央にいた連中だけなら、そのままでよかった。今は端も川沿いも入ってる」
律が、一覧を眺めていた。
北西開拓会から来た者。
北沢会から来た者。
河原連盟から来た者。
西端から来た者。
名前の話へ、別々の地域から返事が付いていた。
「猫なら、皆で作ったね」
律が言った。
巌は笑った。
「俺も一マス取った」
「鼻ですね」
「大事なところだ」
そのやり取りを聞きながら、俺は最初に西端という名前を付けた日を思い出した。
北西の端にいるから。
そのくらいの理由だった。
今度も、地図を見れば分かるものだった。
*
名前を変える前に、皆の意見を聞いた。
軽すぎるという声もあった。
外から、ふざけた同盟だと思われないかという心配もあった。
巌は、それを読んで言った。
「名前で強く見せなくてもいいだろう」
佐伯は、別のことを気にした。
「変更するなら、停戦の相手にも通知します。別の同盟になったわけではなく、約束はすべて継続すると」
「頼む」
「順位表の名前も変わるので、そちらも案内に入れます」
俺はうなずいた。
名前を変えれば、外へ送る手紙も変わる。
佐伯が文案を作り、律が昔からの友好先へ添える言葉を考えた。
今度は、どちらか一人だけが知っている話にはならなかった。
何日かかけて意見を集め、反対の理由も確認した。
最後は、新しい名前を使ってみようという返事が多数になった。
巌が決定した。
*
同盟名が変わったとき、特別な光は出なかった。
表示の一行が、切り替わっただけだった。
北西の猫。
所属人数、二百。
盟主、巌。
副盟主の欄に、俺の名前がある。
俺は、しばらくその画面を見ていた。
玄から、すぐに書簡が来た。
『本当に猫になった』
葉からは、記録の表紙を直したという連絡。
朔は、古い同盟名で保存した表も当面残すと書いていた。
湊からは、西側の皆に知らせたと返事が来た。
最後に、カイが俺の横へ来た。
「変わった?」
「うん」
表示を見せる。
カイは読んで、うなずいた。
「分かりやすいな」
「それだけ?」
「地図にいるし」
俺は笑った。
名前を決めるのに、皆で何日も話した。
カイには、それで十分らしかった。
*
翌日、瀬名から新しい祝電が届いた。
『北西の猫、ご改称おめでとうございます。今後とも、よろしくお願いいたします』
今回は、宛先に律と佐伯、二人の名前があった。
佐伯が書簡を読んでから、こちらへ回した。
「返事は、私から出します」
律がうなずく。
「盃の進み具合も聞いてください」
「聞きます」
巌が、横から口を出した。
「完成したら、酒を持って挨拶に行くか」
「まず、地図で見てください」
佐伯が答えた。
巌は大きく笑った。
俺は窓の外へ目を向けた。
庭では、カイが長椅子の位置を変えていた。
今日は、中央側から来た者たちと、西端の何人かで昼を食べる予定だった。
地図の猫を作った班だという。
同じ地域へ戻っても、連絡は続いていた。
「こっち、もう一個いるぞ」
カイが呼んだ。
俺が立とうとすると、巌が先に席を離れた。
「俺が持つ」
「二人で運んでくださいよ」
「分かってる」
佐伯が、手紙を書きながら小さく笑った。
律の机にあった書簡は、以前より少し減っていた。
その隣の机には、魚と盃の図が並んでいた。




