いわお
第四十一話 大きな声の男
城門の前で、男が荷車を押していた。
片方の車輪が道の端へ落ちている。
後ろから来た車が止まり、そのさらに後ろで馬が首を振っていた。
「もう一度だ。そっち、持ち上げろ」
よく通る声だった。
男が肩を入れる。
ほかの者が車輪へ手を掛ける。
荷車が大きく揺れて、道へ戻った。
「よし。通せ」
男は手を離し、袖で額を拭った。
俺たちに気づくと、こちらへ歩いてくる。
背が高い。
肩も広い。
上着は土で汚れていたが、気にしている様子はなかった。
「西端か」
「はい」
「よく来た。俺が巌だ」
北西中央同盟の盟主。
今日、会う予定の相手だった。
俺が名乗り終える前に、巌は手を差し出した。
握ると、強く振られる。
「道はどうだった」
「最後の坂が、少し」
「狭いだろ。ここの城主にも言ったんだ。荷車が増えたなら、先にあそこを広げた方がいいってな」
巌は、今戻したばかりの荷車を振り返った。
「城を大きくするのは楽しいが、入口だけ前のままじゃ、皆つかえる」
俺は、少し笑った。
それは、最近ずっと考えていたことだった。
*
会談へ来たのは、俺と律。
護衛として、カイが同行していた。
巌も、連れてきた者は二人だけだった。
事前に決めた人数通りだった。
会場を貸してくれた城主が、広間へ案内する。
巌は自分が先頭を歩きかけて、途中で止まった。
「こっちで合ってるか?」
「反対です」
「そうか。俺の城じゃなかったな」
大きく笑って、道を譲った。
律が、俺の隣で小さく息を吐く。
緊張が少し緩んだのが、自分でも分かった。
広間へ入ると、食事が用意されていた。
「話の前に食おう。朝早かっただろ」
巌が言った。
俺は律を見る。
律が軽くうなずいた。
席へ座ると、カイは壁際へ立とうとした。
巌が気づいて、空いた椅子を指した。
「そっちも座れ。食う分はある」
カイが俺を見る。
「いいよ」
俺が言うと、すぐに座った。
巌は、それを見て笑った。
「返事が早いな」
「腹減ってたから」
「それはいい。飯を前にして遠慮するやつは、何を出したらいいか分からん」
皿が回ってくる。
俺は、思っていた会談の始まりとは違うなと思いながら、温かい汁を飲んだ。
*
巌は、こちらのことをよく知っていた。
七人で最初の砦を取ったこと。
白嶺城を持っていること。
南嶺との戦争。
久我たちに襲われ、その後、北東まで反撃したこと。
ただ、知らないところは、知らないまま聞いてきた。
「七人で取ったのは、本当か」
「最初の砦は」
「どうやってそろえた」
「出られる時間を聞いて、到着から逆に出兵を決めました」
「それで七人とも動いたのか」
「はい」
巌は隣の男を見た。
「聞いたか」
「聞いております」
「うちは最初、予定の半分しか来なかった」
「前日に時刻を変更なさったので」
「それもあった」
巌は悪びれずに笑った。
けれど、次に俺を見る目は真面目だった。
「七人に、七人分の仕事をさせたんだな」
「何も起きなかったので、準備しすぎたかと思いました」
「何も起きないように準備したんだろ。いいじゃないか」
俺は、返事に困った。
そこまで真っすぐ言われることは、あまりなかった。
巌は料理を取り、話を続けた。
「俺は、来ないやつがいても足りるだけ呼んだ。砦は取れたが、待たせたやつが多かった」
「人数が多いと、それも難しそうですね」
「難しい。だから、お前に会いたかった」
そこで初めて、食事の先にある話が見えた気がした。
*
皿を下げてもらい、地図を広げた。
巌が出した地図は、俺たちのものより、ずっと東まで印があった。
北西中央同盟の城。
砦。
近隣の同盟。
まだ話の途中だという場所には、小さな丸が付いている。
「北西をまとめたい」
巌は言った。
前置きはなかった。
「城も兵も育った。中央では、次へ進める土地が減っている。小さい同盟同士で道を塞ぎ合っても、誰も得をしない」
太い指が、いくつかの城の間を通る。
「こっちは食糧が余ってる。こっちは兵を置けるが、食わせるだけで手いっぱいだ。間の二つが喧嘩しているせいで、行き来の話まで止まってる」
俺は、その場所を見た。
巌は城の名前を挙げ、事情を説明した。
知らない土地だった。
けれど、話自体には覚えがあった。
玄と、最初に取り合った石材の土地。
湊たちが五人で時間を合わせられず、砦へ行けなかったこと。
規模は違っても、困ることは似ている。
「まとめれば、動かせる」
巌が言った。
「兵が少ない城へ無理はさせん。出せる城が出す。その間に、ほかは育てる。砦の補正も広く使える」
俺は律と目を合わせた。
西端でも、今やっていることだった。
「そのために、西へ?」
「ああ。来たいと言うところは迎えた。道も作った。この先は、お前たちの土地が近い」
巌は地図から手を離した。
「西端も入れ。五十人、そのままでいい」
*
部屋が静かになった。
分かっていた話のはずだった。
それでも、面と向かって言われると、重かった。
「俺たちの同盟を、そちらへ合流させるということですか」
「そうだ」
「名前だけの友好ではなく?」
「それなら今でも話せる。俺が欲しいのは、一緒に動ける仲間だ」
巌は、こちらを見ていた。
試すような笑いはない。
断れないように言葉を飾ることもなかった。
「西側はお前に任せたい。城の育て方も、出兵のまとめ方も、今のものを使えばいい。うちのやり方に、何もかも合わせろとは言わん」
律が口を開いた。
「出兵を決める権限は、どちらにありますか」
「普段の土地や砦は、担当する者だ。大きな戦いは俺が決める」
「こちらが参加できないと判断した場合は?」
「理由を聞く」
「理由を伝えても、必要だと判断されたら?」
「出してもらう」
巌は、即答した。
「そこで全員の気が変わるたびに待っていたら、先に出した仲間が死ぬ」
俺は、机の下で手を握った。
その言葉も、分かってしまった。
*
「参加すると決めた後で、勝手にやめるつもりはありません」
俺は言った。
「ただ、参加するかどうかまで、全部預けることはできません」
「五十人、一人ずつ聞くのか」
「必要なら」
「急に攻められたら?」
「近くで動ける者を集めます。実際に、そうしてきました」
「よく守ったと聞いてる」
巌はうなずいた。
「だが、次も近くの仲間だけで足りるか」
俺は答えなかった。
あの夜、カイが門を守っていた。
玄が来た。
真木が来た。
暁山が着くまで、ひどく長く感じた。
「俺が先に兵を集めるのは、集めなかったせいで間に合わなかったことがあるからだ」
巌の声が少し低くなった。
隣に座る男も、黙っていた。
「来られる者だけ来い。それで集まるなら、俺もそう言う。だが、それでは足りない日がある」
俺は、地図を見た。
この人は、兵数だけで話しているわけではなかった。
待っている城を、見たことがあるのだと思った。
「だから、先に約束しておきたい。いざというときは動く。その代わり、そいつが困ったら、俺が皆を動かす」
巌は、机へ片手を置いた。
「負担が増えることもある。それ込みで、守る」
*
俺は水を飲んだ。
冷たくなっていた。
巌の話を、乱暴だと切り捨てることはできなかった。
湊たちの五人を迎えた。
小枝会も迎えた。
人数が増え、資源の補正を共有し、動ける者が仕事を受け持った。
俺たちだって、まとまることで強くなった。
「合流が悪いとは思っていません」
俺は言った。
「西端にも、別の同盟から来た仲間がいます」
「だったら、分かるだろ」
「来た人が、自分で決めたからです」
巌は少し顎を上げた。
「今、その相談をしてる」
「はい。ただ、俺だけで五十人分を決めることはできない」
「持ち帰ればいい。今ここで決めろとは言っていない」
俺はうなずいた。
その言い方は、ありがたかった。
けれど、まだ聞いていないことがあった。
「皆で相談して、入らないと決めたら?」
巌は俺から目を外さなかった。
「そのときは、別の同盟として話す」
「西への進出は止めますか」
「止めない」
返事は、今までで一番はっきりしていた。
*
巌が、西側の地図を広げた。
北西開拓会の先にある道。
北沢会の東側。
俺たちが、遠すぎるとして後回しにした砦。
「誰のものでもない土地へは進む。先に取っている土地は、話して通れるか聞く。譲ってもらいたい場所もある」
律が尋ねた。
「譲らないという返事なら?」
「別の道があれば、そちらを使う」
「なければ?」
巌は、一拍置いた。
「どこまで必要か、こちらで決める」
俺は地図から顔を上げた。
「それで、攻めることもあるんですね」
「ある」
隣の男が何か言いかけた。
巌は片手で制した。
「ここを曖昧にしても、後で揉めるだけだ」
広間の外から、荷車の音が聞こえた。
朝、巌が押していたものかは分からない。
俺はその音が通り過ぎるのを待って、口を開いた。
「その道の先に、俺たちの仲間の城があります」
「見れば分かる」
「俺たちは、そこに住んでます」
巌の眉が、少し動いた。
「俺の仲間も住んでる。東側で、もう広げる場所がない城にな」
言葉が止まった。
俺たちの城の周りには、まだ余裕がある。
それを、誰にも使わせずに済むのか。
同じ世界で、同じように城を育てる相手が増え続けたら。
考えなかったわけではない。
ただ、これほど大きな相手から、自分の目の前へ置かれたことはなかった。
*
「取得予定を、先に出し合えませんか」
律が言った。
「こちらも、使わない場所まで押さえるつもりはありません。城の間の道と資源地を確認して、進める場所を探すことはできます」
「それはやろう」
巌はすぐに答えた。
俺は少し息をついた。
けれど、巌の指は地図の上に残っていた。
「ただ、北西の先を、毎回その相談だけで決めるつもりはない。いずれ、もっと大きな相手が来る」
「どこからですか」
「分からん。北東か、世界の中央か。来ないかもしれん」
巌は肩をすくめた。
「来てから隣へ挨拶していたら、遅いだろう」
俺は答えなかった。
「西端が強いのは分かった。だから、その強さを北西で使ってほしい。お前の城の近くにいる者だけじゃなく、もっと広くな」
俺の中で、何かが引っ掛かった。
褒められている。
期待もされている。
それでも、うなずけなかった。
「誰を守るかまで、そちらに決めてもらうつもりはありません」
自分でも、声が硬くなったのが分かった。
巌も、笑わなかった。
「任せるなら、任せる。任せないなら、自分で背負うことになるぞ」
「そのつもりです」
「今は五十人だ。百人になってもか」
俺は、机の上の地図を見た。
最初は、玄一人への返事にも迷った。
今でも迷う。
人数が増えれば、すべてを聞けなくなる日が来るのかもしれない。
「分からないところはあります」
俺は言った。
「でも、今いる仲間に聞かずに、先に諦めたくない」
巌はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり息を吐いた。
「……頑固だな、お前」
「そちらも」
言ってから、しまったと思った。
巌は声を上げて笑った。
「そうだな」
*
その日、合流の約束はしなかった。
友好同盟も結ばなかった。
互いの取得予定を交換すること。
既に相談中の土地へ部隊を向ける前に、連絡を入れること。
外交の窓口を決めること。
そこまでは合意した。
巌は、自分の側の担当へ確認させた後、俺を見た。
「返事は待つ」
「持ち帰ります」
「断るなら、断るでいい。だが、俺は進むぞ」
「その先が、こちらの城なら止めます」
口にすると、部屋がまた静かになった。
巌が立ち上がる。
俺も立った。
最初と同じように、手が差し出された。
「だから、会ってよかった」
握り返した。
力は強かった。
けれど、ねじ伏せるような握り方ではなかった。
「俺もです」
それは、本当だった。
*
帰り道、しばらく三人とも黙っていた。
会場の城が見えなくなったところで、カイが言った。
「嫌なやつじゃなかったな」
「うん」
「飯もよかった」
「それも、うん」
律が横で笑った。
俺も少し笑ってから、前を見た。
「嫌なやつなら、楽だったかもしれない」
久我の書簡は、読み返せば嘘だった。
南嶺からの要求は、断る理由がはっきりしていた。
巌は、何をしたいのかを話した。
こちらへ頼みたいことも、負わせるものも言った。
俺たちが断れば、どこでぶつかるかまで。
「言っていること、分かるんだよな」
俺は続けた。
「まとめた方が動けるのも、先に決めないと間に合わないことがあるのも」
律がうなずいた。
「私も、条件は悪いだけじゃないと思った」
「だよな」
「だから、皆にもそのまま話そう。怖い相手だった、で済ませないで」
俺はうなずいた。
カイが足元の石を避けた。
「でも、入るのは嫌なんだろ」
「今の条件なら」
「じゃあ、それも言えばいい」
いつも通りの声だった。
俺は少し考えてから、答えた。
「うん。ちゃんと言う」
*
城へ戻ると、玄たちが待っていた。
巌がどんな男だったかと聞かれ、俺は最初に、門の前で荷車を押していた話をした。
玄が少し笑う。
それから、食事中の話。
北西をまとめたいという考え。
合流の条件。
出兵の決定権。
断っても、西へ進むという言葉。
一つずつ伝えるうちに、誰も笑わなくなった。
最後まで聞いて、岳が尋ねた。
「お前は、どう思った」
俺は皆を見た。
「一緒に酒を飲むなら、楽しそうな人だった」
玄が、そうかと言った。
「でも、西端を任せたいとは思わなかった」
葉が手元へ目を落とし、律が記録を机の中央へ置いた。
これから、皆の話を聞く。
俺一人の答えで終わらせるつもりはなかった。
窓の外では、修復した東門を荷車が通っていた。
俺は、その先の道を思い浮かべた。
巌も今頃、自分の仲間のところへ戻っているはずだった。
あの大きな声で、俺たちのことを話しているのかもしれない。
どんなふうに話すかは、少し想像できた。
頑固なやつだった。
たぶん、そこだけは、同じ感想だった。




