ふおんふぉん
第四十話 知っている道の先
真木の騎馬兵へ、待つように伝えた。
敵は下がっていた。
追えば、間に合う距離だった。
けれど、その先の道は、右へ緩く曲がっている。
地図の線だけなら、ほとんど分からない。
現地を歩くと、曲がった先が手前から見えない場所だった。
『追撃、止めるんですか』
真木から返事が来た。
『曲がり角まで。先へは出ないで』
俺は送ってから、隣に置いた紙を見た。
冬馬の図。
カイが書いた、短い言葉。
『向こう、立てる』
最初に読んだときは、意味が分からなかった。
聞くと、曲がった先には道の幅が広がる場所があり、こちらから見えない位置で兵を並べられるという話だった。
そこへ、冬馬の観測が届いた。
『槍兵がいます。下がった部隊の後ろです』
俺は息を吐いた。
追いかけていたら、騎馬兵から突っ込んでいた。
『確認した。真木、そのまま待機。朱里の部隊を前へ出す』
紙の上へ、小さく時刻を書き足した。
*
北の小さな同盟、岩戸衆との戦いだった。
先に手を出されたのは、紬の土地だった。
沢沿いの資源地を二つ取られ、返還を求めると、昔から自分たちが使う予定だったという返事が来た。
取得前の相談はなかった。
律が話している間にも、三つ目へ部隊が向かった。
紬から届いた書簡は短かった。
『ここまで下がれば、止まりますか』
俺は、その文章をしばらく見た。
前に、岳の城が攻撃されたときと似た気持ちになった。
ただ、今回は、何から手をつければいいかが分かっていた。
相手の出兵元を調べる。
取られた土地と、次に来る場所を確かめる。
こちらが使う道を見直す。
そして、守る場所を決める。
『そこは下がらなくていい。部隊を送る』
紬へ返した。
現地には、カイと冬馬が何度も歩いた道があった。
*
相手は、こちらより多い兵を出していた。
前に来た武将の等級も高かった。
最初の接触では、こちらの部隊を押し返している。
だから、そのまま進めば勝てると思ったのかもしれない。
俺たちは、沢の手前まで下がった。
橋そのものは狭くない。
ただ、渡った先の道が斜めに坂へ上がり、荷車の通った深い溝が片側へ寄っていた。
歩兵は通れる。
部隊の先頭と後ろが、同じ速さでは曲がれなかった。
カイから報告が来た。
『前、上がった。後ろはまだ橋』
俺は玄へ送った。
『今、前だけ受けて。橋へは出ない』
玄の守備部隊が、坂の上から少し下りた。
敵の先頭と接触する。
橋を渡っている後続は、すぐには横へ広がれない。
その間に、朱里の弓兵を移した。
正面からでは、味方の背中が邪魔になる。
道の左にある低い盛り上がりなら、橋の出口が見えた。
カイたちが、荷車の往来を確かめた日に見つけた場所だった。
『弓、位置についた』
『後続へ。玄の前には落とさない』
矢が飛んだ。
敵の列が止まった。
押してくる兵が減ったところへ、蒼玄の部隊を当てた。
前へ出すぎない。
橋へ追い込もうとしない。
相手が下がれば、こちらも決めた位置まで戻す。
指示は短くした。
細かな場所は、出兵前に各部隊へ伝えてあった。
戦闘が始まってから、一から地形を説明する必要はなかった。
*
敵が退き、真木が追おうとしたのは、その後だった。
曲がり角の先に槍兵。
こちらの追撃を受けるために、残していた部隊だった。
俺は朱里の到着を待った。
その間、敵も動いた。
槍兵が少し前へ出る。
冬馬の報告に、カイが付け足した。
『まだ来ない。こっちを待ってる』
真木から、苛立ったような返事が来た。
『見えてるのに、行けないのは嫌ですね』
『槍が下がったら頼む』
朱里の部隊が射程へ入る。
矢を受けた敵は、そのまま立ち続けることができなかった。
前へ出るか、下がるか。
槍兵が後ろへ動いた。
ただ、先に退いた部隊が、まだ道に残っていた。
二つの部隊が重なり、動きが鈍くなる。
『今なら、脇が空いてる』
カイから届いた。
俺は真木へ合図した。
騎馬兵が動いた。
正面の槍へではなく、列を直しきれていない側へ回る。
地図の上では、短い移動だった。
実際には、そこだけ草が薄く、馬が横へ出られる場所だった。
敵が向きを変える前に、真木の部隊が当たった。
兵数が大きく減った。
残った部隊は、さらに後ろへ下がった。
『追いますか』
今度は、真木から先に確認が来た。
俺は紙を見た。
この先の道は、途中までしか記録がない。
『そこまで。土地を戻す方へ回って』
『了解』
勝ったまま、止めることができた。
*
二日後、岩戸衆は土地の返還に応じた。
その間に、別の道からも二度来た。
一度は雨上がりの林沿い。
もう一度は、紬の城へ近い道だった。
どちらも、こちらが先に守る場所を選べた。
敵の方が兵は多かった。
武将だけを並べても、俺たちが大きく上回っていたわけではない。
それでも、戦闘報告に残った損害には差が付いた。
戻ってきた玄が、記録を見ながら言った。
「こんなに違うのか」
「こっちが、場所を知ってたから」
「知ってるだけで、こうなるか?」
俺は、すぐには答えられなかった。
知っていただけではない。
使う部隊を決めていた。
交代する位置も、引き返す目印も伝えていた。
相手が動いたとき、誰へ何を頼めばいいかを、前より早く決められた。
玄が椅子へ座る。
「俺、自分の前だけ見てればよかった」
「全部見ろって言っても、無理だろ」
「前は、お前が全部見ようとしてた」
そうだったと思う。
俺が地図を見ている間にも、現地では坂を上り、列が詰まり、兵が疲れていた。
今は、そこにいる者から話が来る。
俺は、それを別の部隊の動きにつなげられるようになっていた。
*
その後も、小さな衝突はあった。
西端の道を切って、資源地を取ろうとする者。
友好同盟の留守を狙って、境界を越えてくる者。
話が済む前に、先に兵を動かす者。
律が交渉し、必要なら俺たちが出た。
戦う場所は、少しずつ記録へ加わった。
カイが歩き、冬馬が図を直す。
岳や真木が、実際に部隊を通したときの違いを教える。
使えなかった指示も残した。
雨が止んでも乾かない道。
弓兵を置くには足場が悪かった斜面。
こちらが一度使ったため、次は相手に避けられた場所。
同じ形で待っていれば、何度でも勝てるわけではなかった。
それでも、近隣で戦う限り、西端はほとんど負けなくなった。
敵が一度引き、部隊を増やして戻ってきても、同じ場所では受けなかった。
数を増やした分だけ、通りにくくなる道もあった。
先に取られた土地を、より少ない損害で取り戻す。
その繰り返しで、話し合いの返事も変わっていった。
こちらが部隊を出す前に、律の書簡へ返事が来るようになった。
*
「戦闘のやり方を教えてほしいそうだよ」
ある日、律が言った。
相手は北西開拓会だった。
葛城からの書簡には、共同訓練ができないかと書かれている。
俺は了承しかけて、場所を確認した。
向こうの東側だった。
俺たちが行ったことのない場所だった。
「同じようにできるかは、分からない」
「そう返していい?」
「うん。先に見に行きたい」
律はうなずいた。
俺は、自分たちの図を広げた。
城の周辺には、細かい線がある。
沢沿いにも、北の道にも、書き込みが増えていた。
けれど、北西全体から見れば、一部分だった。
さらに東へずらすと、手元には普通の地図しか残らない。
地形の表示。
城の位置。
土地のレベル。
以前の俺が、すべてだと思っていた情報だった。
カイが、隣から見た。
「そこ、知らない」
「俺も」
「行ってみないと、分からないな」
俺はうなずいた。
どこでも勝てるようになったわけではなかった。
俺たちが強いのは、何度も歩いて、何度も話した場所だった。
*
砦の予定表が、薄くなってきた。
以前は、次にどれを取るかで迷った。
今は、取れるものを探す方に時間が掛かる。
近くの砦には、ほとんど旗が立っていた。
西端の旗。
北沢会の旗。
北西開拓会の旗。
ほかの、話をしたことのある同盟の旗。
遠くに空いた砦はあったが、道をつなぐために他人の土地を横切る必要があった。
単純に兵を送ればいい距離でもない。
杏が、候補の一つを指した。
「これ、行き帰りで二日以上使う」
「取った後の守りもいるな」
岳が言う。
朔は、その横で収支を見ていた。
「持てれば増えます。ただ、道を作る間の負担は大きいです」
皆、砦を取ること自体には慣れていた。
問題は、そこへ行くまでと、取った後になっていた。
玄が地図を広げる。
「これより近いのは、もう誰かのものか」
返事をする者はいなかった。
地図が答えていた。
*
北西開拓会から、予定変更の知らせが来た。
東側で考えていた共同訓練を、いったん延期したいという。
理由は、すぐに届いた。
『北西中央同盟の部隊が、こちらの東へ進んでいます』
俺は地図を開いた。
北西中央同盟。
名前は知っていた。
俺たちが端で城を育てている間、北西の中央部で、多くの君主と砦をまとめていた同盟だった。
南西中央同盟とは、別の相手だ。
こちらとは、まだ直接の取り決めがなかった。
前に確認したときより、土地の色が西へ伸びていた。
細い一本の道ではない。
何本かの道が、間を埋めながら近づいている。
途中にあった小さな同盟の城も、所属が変わっていた。
律が、葛城へ事情を聞いた。
その日のうちには、詳しい返事が来なかった。
*
翌朝、北沢会からも知らせが来た。
東寄りの砦に、北西中央同盟の旗が立ったという。
その砦は、俺たちも一度、候補に入れた場所だった。
距離があるため、後回しにした。
もう、選べない。
冬馬が、北から戻ってきた。
「西へ向かう荷車を見ました」
「部隊も?」
「護衛はいました。数までは確認できませんでしたが、荷は多かったです」
一度だけ通る遠征か。
しばらく留まるための移動か。
その違いは大きかった。
俺は時刻と場所を聞き、地図へ印を付けた。
カイが、その少し西を指す。
「ここまでは、歩いた」
「その先は?」
「まだ」
図の線が、そこで終わっていた。
*
夕方、葛城から返事が届いた。
『中央側では、未取得の砦がほとんど残っていないそうです』
俺は続きを読んだ。
『西方の開発を進めるとの説明でした。周辺の小同盟には、合流の話も出ています』
律へ見せる。
律は、一度読んでから地図を見た。
「こちらが考えていたことを、もっと大きな規模で始めたんだね」
砦が欲しい。
資源の補正を増やしたい。
新しい土地へ進みたい。
俺たちも、同じことを考えていた。
ただ、こちらが少人数で次の砦へ行く道を探していた間に、向こうは同盟ごと動かしていた。
「開拓会は、どうするんだろう」
「今、話していると思う」
「友好の話は?」
「まだ、そこまで聞けていない」
分からないことが多かった。
だからといって、敵だと決めることもできなかった。
俺は、こちらから挨拶を送る準備を律へ頼んだ。
西端の土地と、今の取得予定を伝える。
その上で、どこまで進むつもりなのかを聞く。
律は紙を手前へ引いた。
「返事が来るまでに、こちらの予定もそろえておこう」
「分かった」
*
三日後、北西中央同盟の土地が、俺たちの東側の見回り道から見える場所まで来た。
そこは、まだ誰の城にも接していなかった。
ただ、もう遠い同盟の話ではなかった。
見回りから戻ったカイが、冬馬と一緒に机へ紙を置いた。
道の幅。
荷車の跡。
新しく切り開かれた林。
「人が増えてた」
カイが言った。
「こっちを見てた?」
「普通に通ってた。俺たちだけ見てる感じじゃなかった」
俺はうなずいた。
紙を受け取り、今までの図へつないだ。
何度も戦った沢の道がある。
紬の城がある。
その先に、まだ細かなことを知らない土地が続いている。
そして、そこへ別の同盟の道が伸びていた。
夜、律から連絡が来た。
北西中央同盟から返答があったという。
『西端盟主殿。一度、今後の北西についてお話しする機会をいただきたい』
俺は、最後まで読んだ。
指定された場所は、両同盟の間にある城だった。
会ったことのない君主の城。
歩いたことのない道の先だった。
カイが、俺の顔を見た。
「行くのか?」
「まず、誰が来るのか聞く」
俺は返信欄を開いた。
勝てる場所を増やしている間に、話をしなければならない相手も、近くまで来ていた。




