まきかえし
第三十六話 聞かなくなったこと
湊からの報告に、五人分の名前が並ばなくなった。
合流したばかりの頃は、何をするにも湊が取りまとめていた。
土地を一つ取る。
建設の順番を聞く。
出兵できる時間を知らせる。
五人のうち、誰の話であっても、最初に湊の書簡が来ていた。
それが少しずつ変わった。
『西の林、明日の昼に取る予定です。真木さんの道と重ならないでしょうか』
差出人は、冬馬。
沢道から来た五人の一人だった。
地図を確かめようとすると、先に真木が返していた。
『そこなら大丈夫。帰りに、その南の道を見てもらえる?』
『見るだけならできます』
『それで十分』
俺は、開きかけた返信欄を閉じた。
次の書き込みは、紬からだった。
『倉庫、間に合いました。昨日教えてもらって助かりました』
朔が返すより早く、玄が書いた。
『俺は間に合わなかった』
『昨日、同じ話を聞いてませんでした?』
『聞いてた』
紬の返事に、俺は笑った。
この前まで、何を聞くにも「初歩的な質問ですみません」と付けていた人だった。
*
五人全員と顔を合わせたのは、その二日後だった。
西へ続く道の確認を兼ねて、俺と葉が湊の城を訪ねた。
カイも一緒だった。
城は、俺のところより小さい。
門を入るとすぐ倉庫が見えて、その隣では施設の増築が進んでいた。木材を運ぶ領民の間を抜けると、湊が広間の前で手を上げた。
「遠いところ、ありがとうございます」
「道、思ったより歩きやすかったよ」
「冬馬が、ぬかるむところを避けてつないでくれたので」
湊の後ろで、冬馬が軽く頭を下げる。
背の高い男だった。書簡では細かく話すのに、会ってみると口数は少ない。
広間には、残りの三人もいた。
紬は、俺たちを見ると立ち上がった。
その隣で椅子を引いたのが早苗。
窓際で何かを書いていた男が、圭だった。
名前と顔が、ようやく全部つながった。
「これ、余っている椅子を集めたので、高さが違うんです」
早苗が言った。
「うちもそうです」
「よかった。いや、よくはないんですけど」
俺が笑うと、早苗も笑った。
カイは一脚を軽く押し、がたつく足の下へ折った紙を挟んだ。
「ここなら平気」
「ありがとうございます」
「俺、これ座る」
そう言って、一番先に腰を下ろした。
*
話してみると、五人はそれぞれ違った。
冬馬は、地図に細かく印を付けていた。
土地のレベルだけではなく、橋の幅や、荷車がすれ違える場所まで書いてある。
「兵を出すときにも使えそうですね」
葉が言うと、冬馬は首をかしげた。
「普段、歩くときに困ったところです」
戦争のために作った記録ではなかった。
圭は、施設の数字を見るのが好きらしい。
ただ、朔と違って、完成時刻より生産量を気にしていた。
「この並びにすると見やすいんです」
自分で書いた表を見せてくれる。
増える量が大きい順に並んでいた。
葉がしばらく眺めてから、自分の記録にも使いたいと言った。
圭は、そこで初めてよく笑った。
紬は、質問をまとめた紙を持ってきていた。
土地の取得上限。
武将を内政から外したときの生産量。
負傷した武将に、畑仕事を頼んでいいか。
一つ答えると、すぐ次を聞くのではなく、自分の城ならどうなるか確かめていた。
早苗は、話が長くなると茶を入れ直した。
「私、数字はまだ苦手なので」
そう言いながら、圭が置き忘れた紙を本人の前へ戻す。
「でも、誰が何に困っているかは、だいたい覚えています」
「俺、よく聞いてます」
湊が言った。
「誰に?」
「早苗さんに。誰の話をまだ聞いてないか」
俺は、葉を見た。
葉もこちらを見ていた。
「分かります」
俺が言うと、湊は少し肩の力を抜いた。
*
昼には、道の話が済んだ。
次の共同出兵に参加できる者も決まった。
冬馬は土地をつなぎ、圭は少し遅い時間なら部隊を出せる。
紬と早苗は、今回は城に残ることになった。
「すみません。まだ、長く表示を見ていると疲れてしまって」
紬が言った。
「途中で休めば大丈夫です。返事が必要なものも、すぐじゃなくていいので」
俺が答えると、紬はうなずいた。
「ここへ来た頃よりは、ずっと平気になったんですけど」
「最初は、大変でした?」
「部屋から出るのが嫌でした。誰も知らないし、外に出たら、本当に帰れなくなる気がして」
箸を持っていた手が止まった。
紬は茶を飲み、少し笑った。
「変ですよね。部屋にいたって、帰れるわけじゃないのに」
「いや」
俺は首を振った。
「俺も、寝たら戻るかもしれないと思ってた」
「思いますよね」
それだけで、紬の声が少し明るくなった。
湊が、料理の皿をこちらへ寄せた。
「最初に書簡を返してくれたのが、紬さんだったんです」
「返事だけなら、できたので」
「それで、こっちも安心して」
そこから、五人が出会った頃の話になった。
冬馬が最初の書簡に座標しか書かなかったこと。
圭は湊の募集を、何かの勧誘だと思って無視したこと。
早苗が二人の間へ入って、ようやく返事が続くようになったこと。
俺は笑いながら聞いた。
帰る頃には、五人をまとめて「沢道の人たち」と考えることが、少し減っていた。
*
帰り道、カイはしばらく黙っていた。
日が傾き始めていたが、城へ戻るには十分な時間がある。
葉とは途中の分かれ道で別れた。
護衛の兵が少し前を歩き、俺とカイはその後ろを進んだ。
「紬、最初は外に出なかったんだな」
カイが言った。
「そう言ってたな」
「今は出られるんだ」
「仲間ができたからじゃないか」
「うん」
カイは道の先を見た。
「でも、お前もそうだったんだな」
「寝たら帰れるってやつ?」
「そう」
「言ってなかったっけ」
「帰りたいとは言ってた」
俺は足元の小石を避けた。
そんな話を、いつしただろう。
城へ来てすぐの頃だ。
朝、見慣れない天井を見て、まだここにいると思った。
周に帰り方を聞いた。
何度か聞いたはずだった。
「最近、言わないから」
カイが続けた。
「帰らなくてよくなったのかと思ってた」
俺は顔を上げた。
「そんなことはないよ」
「じゃあ、帰りたい?」
「そりゃ、帰れるなら」
答えてから、その言い方が気になった。
帰れるなら。
最初から無理だと決めているような言葉だった。
*
「でも、分からないだろ。帰る方法なんて」
俺は言った。
「分からなくても、嫌だって言うやつはいそうだけど」
「紬みたいに?」
「ずっと部屋から出ないやつも。誰かに怒鳴るやつも」
カイは、特別難しい話をしている様子ではなかった。
「勝手に連れてこられたんだろ?」
「……そうだな」
「それなのに、みんな城を大きくしてる」
俺は返事をしなかった。
「お前、前に言ってたじゃん。いろんな人がいるって。話が通じないやつもいるし、人が困ることをわざとするやつもいるって」
「いるよ」
「じゃあ、そういうやつは?」
「南嶺は、そうだっただろ」
口に出してから、少し違う気がした。
南嶺は土地を欲しがった。
城を取ろうとした。
ほかの同盟へ圧力を掛けて、自分たちの領土を広げようとした。
悪意はあったと思う。
けれど、城を育て、兵を集め、この世界で強くなることには、ひどく熱心だった。
「南嶺も、ちゃんと城を作ってたな」
カイが言った。
俺はうなずいた。
「もっと、全部嫌だってやつがいてもいいと思う。自分の城なんか知らないって」
「俺たちが会ってないだけかもしれない」
「それは、そう」
すぐに返ってきた。
カイは、答えを知っていて聞いているわけではなかった。
「でも、お前は?」
「俺?」
「最初、嫌だったんだろ」
前を歩く兵との距離が、少し開いた。
俺は歩く速さを戻した。
帰りたかった。
それは覚えている。
覚えているのに、最近、帰り方を考えた記憶が見つからなかった。
*
城へ戻ると、建設が一つ終わっていた。
周の報告を聞き、次の施設を選ぶ。
必要な資源を確かめて、決定を押した。
その直後、指を止めた。
あまりにも、いつも通りだった。
「どうかなさいましたか」
周に聞かれた。
「……最初に、帰り方を聞きましたよね」
「はい」
「今なら、分かることはありますか」
「お帰りになる方法について、私がお伝えできる情報はございません」
以前と同じ答えだった。
俺は、もう一つ聞いた。
「ここに来た君主は、皆、城を育てるんですか」
「行動は、それぞれの君主様がお決めになります」
「何もしない人も?」
「私には、ほかの城の状況は分かりません」
周は静かに立っていた。
それ以上、何かを隠しているのか。
本当に知らないのか。
見ていても分からなかった。
俺は礼を言って、部屋へ戻った。
カイが後から来る。
「変なこと聞いた?」
「いや」
椅子に座り、机の端を指でなぞった。
「俺が、聞かなくなってた」
*
古い記録を出した。
資源の数字が少なく、施設の名前も数えるほどしかない。
文字が今より大きかった。
一つ建てるたび、何が変わったか書いてある。
その前の紙を探す。
地図の大きさ。
君主の人数。
ここが第三世界と呼ばれていること。
余白の隅に、短い言葉があった。
『帰る方法』
その下は、空いていた。
俺は紙を持ったまま、しばらく動けなかった。
「書いてたんだな」
カイが言った。
「うん」
「何も分からなかった?」
「そうみたいだ」
自分の字なのに、他人の記録を読んでいるようだった。
何も分からなかったから、次にできることへ進んだ。
木が足りない。
兵が足りない。
土地が欲しい。
誰かの返事を待つ。
そうしているうちに、帰る方法を調べることが、予定から消えた。
忙しかったからだと言えば、説明はつく。
ただ、ガチャを回そうかと迷う時間はあった。
暇だと思った日もあった。
そのときさえ、ここを出るために何かしようとは思わなかった。
「忘れてたわけじゃないんだ」
俺は言った。
カイは黙って聞いていた。
「前のことも覚えてる。帰ったら、って考えれば、思い浮かぶものもある」
「うん」
「でも、考えてなかった」
言葉にすると、それが一番近かった。
*
玄に書簡を送った。
『変なことを聞くけど、最近、元の世界へ帰る方法を考えたことある?』
送る前に何度か読み直した。
こんな質問をするのに、なぜ気を使っているのかも分からなかった。
返事は夕食の後に来た。
『最近はないな。何か分かった?』
『何も。ただ、考えなくなってたのが気になった』
少し間が空いた。
『言われてみれば、俺もだ』
続いて、もう一通。
『帰りたくないわけじゃないんだけどな』
俺は、同じだと返した。
律にも、カイと話したことを伝えた。
返事は玄より遅かった。
『部屋に閉じこもっている人とは、私たちは知り合いにくいと思う』
その通りだった。
募集を出す人。
書簡を返す人。
土地を取り、同盟を作る人。
俺たちが接しているのは、最初から動いている人たちだ。
『だから、皆が受け入れているとは、まだ言えない。でも、自分が帰り方を探さなくなっているのは、私もそう』
俺は椅子へ深く座り直した。
誰もが同じだった、と決めるのは早い。
自分たちの気持ちが変えられている、と言い切る根拠もない。
慣れたのかもしれない。
目の前の暮らしを続けるために、考えないようになったのかもしれない。
それでも、自分一人の話ではなかった。
『まず、覚えていることを別々に書いてみない? 話を合わせてしまう前に』
律から提案が来た。
『ここへ来る直前と、最初の数日。誰かに聞いたことではなく、自分が経験したことだけ』
俺は了承した。
新しい紙を用意した。
*
カイは、机の向こうで椅子に座っていた。
俺が何行か書いて止まると、顔を上げる。
「何か分かった?」
「まだ。玄も律も、最近は考えてなかったって」
「そっか」
「でも、会ってない人のことまでは分からない」
「うん」
しばらく、筆の音だけがした。
窓の外では、荷車が通っていた。
明日には、冬馬が西の道を確認する。
圭からは、生産量の表を送り直すと連絡が来ている。
紬の質問には、まだ一つ答えていない。
ここで知り合った人たちは、もう俺の暮らしの中にいた。
「俺、ここの生活が嫌なわけじゃないんだよ」
思わず言った。
「知ってる」
カイは答えた。
「今日も、楽しそうだった」
「うん」
「だから、帰りたくなくなったのかと思った」
俺は筆を置いた。
カイの顔を見る。
「お前と飯食ったり、皆と何かやったりするのは、楽しい」
「うん」
「それと、勝手にここへ連れてこられてよかったっていうのは、別だと思う」
カイは少し考えてから、うなずいた。
「じゃあ、帰り方も探せばいいじゃん」
簡単に言った。
けれど、今の俺には、その言い方がありがたかった。
「そうだな」
明日の予定を手前へ引いた。
建設と出兵の確認の下に、一行書く。
ここへ来た経緯について、記録を持ち寄る。
カイが立ち上がった。
「今日はもう寝る?」
俺は、書きかけの紙を見た。
以前なら、もう少しだけと答えていたと思う。
「あと、この一行を書いたら」
最初の日の記憶へ戻る。
見知らぬ天井。
周の声。
自分の城だと言われたとき、何と答えたか。
俺は目を閉じ、思い出せるところから書き始めた。




