安堵
第三十話 もう先はない
河原連盟の土地が攻撃されたのは、翌朝だった。
川沿いの一角。
南嶺が回り込もうとしていた先を、先日、河原連盟が取得した場所だった。
律から位置が送られてくる。
地図を開くと、既に色が変わっていた。
『北西開拓会の領地も、一か所攻撃されています』
続いて届いた知らせに、俺は顔を上げた。
相手は、止まらなかった。
西端以外の土地なら、手を出す前に考えるかもしれない。
そう期待していた部分があった。
けれど、南嶺は別の同盟の名前が付いた土地へも、部隊を入れた。
「巻き込んだな……」
口にしてから、俺は葛城への書簡を開いた。
損害を確認したい。
必要なら、こちらも動く。
そこまで書いたとき、向こうから先に返事が来た。
『確認しています。こちらで対応します』
短い文章だった。
俺は、その続きを待った。
*
北西開拓会が出した指示は、奪われた土地を取り戻すことだけだった。
南嶺の城へ向かうわけではない。
西端の戦闘へ、そのまま加わるわけでもない。
元の持ち主へ戻したら、そこで止まる。
河原連盟も、同じ方針だった。
俺は少し戸惑った。
攻撃されたのだから、もっと大きく動くのかと思っていた。
律が、葛城からの書簡を見せてくれた。
『取得済みの領地を侵されたため、原状回復を行います。返還された後、再度攻撃された場合も同様に対応します』
「取り返すだけ?」
「まずは、そうすると」
律は地図へ目を落とした。
「向こうの人たちも、南嶺のために予定を全部変えたいわけではないのでしょう」
俺は南嶺の部隊を見た。
取った土地の先へ進もうとすれば、後ろを取り返される。
そこで守れば、その分だけ部隊が止まる。
西端へ向ける兵も、全部は使えなくなる。
友好同盟は、南嶺を倒すと言っているわけではなかった。
ただ、自分たちの場所から退くつもりもなかった。
*
昼前、河原連盟が土地を取り戻した。
少し遅れて、北西開拓会の領地も元の色へ戻る。
南嶺の部隊が、そこで一度止まった。
俺は岳の城へ入っている援軍を確認した。
城の耐久は、前日より戻っている。
負傷した兵の入れ替えも進んでいた。
真木の騎兵は休養を終え、次に出せる状態になっている。
相手が周りへ手を広げる間に、こちらにも時間ができた。
『今は、城の守備を優先します。南嶺が動いたら、その部隊を確認してください』
同盟へ送る。
昨日取った戦闘報告は、そのまま使わなかった。
補充しているかもしれない。
別の武将へ替えているかもしれない。
古い数字を信じて出すことはできない。
短い接触で情報を確かめる部隊と、実際に迎え撃つ部隊を分けた。
こちらが全力で追いかけないと分かると、南嶺もまた道を探し始めた。
川沿いへ。
丘の北へ。
その先には、友好同盟の土地があった。
*
南嶺から、律へ書簡が届いた。
『西端の指示による妨害を、ただちに中止されたい』
俺は読み終え、しばらく黙っていた。
城を攻められた側へ、そんな文章を送れるのかと思った。
律は表情を変えなかった。
「どう返しますか」
「攻撃をやめてほしいのは、こっちだよ」
「そう書きます。ただ、私たちが全部の同盟へ命令しているという部分は、訂正します」
律は返事を書き始めた。
近隣の同盟へ、土地取得を相談したのは事実。
それぞれが、自分たちの予定として取得したことも事実。
その領地へ攻撃したのは南嶺だった。
律はそこを順番に書いた。
俺は隣で読んだ。
怒っているという言葉は、一つもなかった。
けれど、相手が書いた通りの話にはさせなかった。
最後に、岳の城の周辺から退くよう、改めて求めた。
送信する。
律は少し息を吐いてから、別の書簡を開いた。
「こちらにも、返しておきます」
宛先は、南嶺の近くにある別の同盟だった。
*
律は大勢へ同じ文章を送っていたわけではなかった。
境界の話をした相手。
取引の相談で名前を知った相手。
以前、南嶺と土地を巡って揉めたと答えた相手。
それぞれに、確認できたことだけを伝えていた。
宣戦の書簡。
岳の城が攻撃された位置。
友好同盟の土地へ攻撃が広がったこと。
その土地は、元の持ち主が取り戻したこと。
読んだ相手がどう動くかは、こちらには決められない。
ただ、南嶺から別の説明が届いたときに、比べるものは残る。
「これで、止まりますかね」
俺が聞くと、律は首を傾けた。
「それだけでは、止まらないと思います」
「じゃあ」
「助けてくれる相手を探すときに、説明が必要になります」
律は地図を見た。
「どこでも、南嶺の都合だけでは動けなくなる。それだけでも、今は助かります」
俺は頷いた。
大きな勝ちを狙っているわけではない。
相手が気持ちよく進めないようにする。
そのくらいのことを、一つずつ重ねていた。
*
午後、鷹野から面会の打診が来た。
こちらの城へ来るわけではない。
互いの代表だけで、話せる場所を決めたいという。
俺は一瞬、停戦の話かと思った。
律が先に、何を話すつもりか尋ねた。
返事には、周辺同盟による妨害と、白嶺城の取得方針について、とあった。
岳の城への攻撃をやめるとは書かれていない。
律は、まず書簡で条件を確認したいと返した。
今、城から離れて会いに行く理由はなかった。
しばらくして、別の名前から書簡が届いた。
南嶺で交渉を担当しているという君主だった。
『これ以上、周辺を巻き込む必要はないはずです』
俺は画面を見た。
律は、その一文を何度も読まなかった。
静かに返事を書いた。
『北へ進めば北西開拓会の領地です。川側は河原連盟が返還を求めています。西端の城を攻撃し続けても、こちらは退きません』
そこまで書き、少し手を止める。
俺を見る。
「この条件は、変えませんね」
「変えない」
律は頷いた。
最後に、一文を加えた。
『もう、この先へ進む道はありません。引き返す話なら、聞けます』
強い言葉だった。
脅すような飾りはなかった。
地図の上で起きていることを、低い声で説明されたように感じた。
*
すぐに返事は来なかった。
代わりに、南嶺が河原連盟の土地を再び攻撃したという知らせが来た。
俺は椅子の背へ体を預けた。
「まだやるのか」
律も、少しだけ眉を寄せた。
河原連盟は、また取り戻すと答えていた。
城へ攻め込む指示は出さない。
取り返す範囲も変えない。
南嶺が守備を厚くした場所は、無理にその場で奪い返さず、部隊の移動を見て対応するという。
淡々としていた。
こちらも、同じように動いた。
相手が岳の城から離れれば修復を進める。
部隊を分ければ、情報を確かめて狙えるところだけを叩く。
まとまれば、守備を保って待つ。
白嶺城へは、まだ出さない。
焦れているのが自分たちだけではないと分かると、待つ時間にも意味があった。
*
その夜、律が言った。
「ひとまず、このままでいいと思います」
俺は地図から顔を上げた。
「相手、退いてないけど」
「岳さんの城は戻せています。南嶺は、予定通りに進めていません」
律は新しい戦闘報告を閉じた。
「嫌がらせになっていれば、今はそれでも」
俺は少し笑った。
律らしくない言葉に聞こえたが、今の仕事を短く言えば、そうだった。
相手を一度で倒す力はない。
こちらにも、兵と資源の限りがある。
それなら、何かを始めるたびに予定が狂う状態を作る。
南嶺が、割に合わないと思って退いてくれればよかった。
そのときは、二人ともそのくらいに考えていた。
*
翌朝、葛城から書簡が届いた。
『南西中央同盟が、南嶺への対応を決めたようです』
俺は名前を読み直した。
南西中央同盟。
律が近隣の関係をまとめたときに、見たことはあった。
南西の中央寄りに大きな領地を持ち、いくつもの砦や城を押さえている同盟だった。
西端とは、直接の関係がない。
俺は律へ知らせた。
返事はすぐ来た。
『こちらにも連絡が入りました。確認します』
少しして、文面が送られてきた。
周辺の領地争いを拡大し、調整の要求にも応じない南嶺について、盟主鷹野の城を含む拠点の制圧に着手する。
近隣の同盟には、進軍の予定と、部隊を近づけないでほしい場所を通知する。
長い説明の中に、短い言葉があった。
粛清。
俺はそこへ目を止めた。
「……そんな話まで、してた?」
律に聞いた。
「していません」
返事ははっきりしていた。
「攻めてくれと頼んだ相手ではありません」
*
地図を広くした。
南西中央同盟の領地から、南嶺へ近づく道が見えた。
今日、初めて全部つないだわけではなかった。
既に近くまで領地を持つ君主がいる。
砦にも、部隊が集まっていた。
葛城へ、事情を知っているか尋ねた。
返事には、南嶺は以前から周辺の調整で注意を受けていた、とあった。
今回、河原連盟と北西開拓会の土地にまで手を出したことで、放置できないという話になったらしい。
ただ、それだけとも限らなかった。
律が地図の一角を指した。
「ここを押さえると、南西中央同盟の領地が、こちら側へかなり伸びます」
南嶺の城が並ぶ地域だった。
砦もある。
俺は粛清と書かれた文章を見た。
秩序を守る。
問題を起こした相手を罰する。
そういう説明だった。
その結果、土地と拠点を得るのは、動いた同盟だった。
俺は何も言わず、地図を見ていた。
*
南嶺の部隊が、岳の城の前から動いた。
最初は、一部が戻るだけだった。
その後、別の部隊にも帰還の動きが出た。
律が報告する。
『後方へ戻しています。こちらへ向かう動きではありません』
玄からも、追うかという確認が来た。
俺は少し迷った。
今なら、昨日より相手が薄い。
取られた土地を取り戻せるかもしれない。
その先まで行けるのではないか。
そう考えてから、岳の城を見た。
耐久は、まだ全部戻っていない。
援軍にも負傷した兵がいる。
『元の領地の回復までにします。南嶺の城へは進みません』
俺は送った。
こちらが今、中央の部隊と同じ場所へ走る必要はなかった。
友好同盟にも、西端の行動範囲を伝える。
律は南西中央同盟へ、こちらが回復させたい領地の位置を知らせた。
協力するという約束ではない。
同じ場所で鉢合わせないための連絡だった。
*
最初の城が落ちたという知らせは、その日の夕方に来た。
南嶺の外側にあった城だった。
俺は地図を開いた。
城の表示が変わっている。
そこから先の南嶺領へ、南西中央同盟の部隊が進み始めた。
自分たちの領地だけを、一本ずつ伸ばしている形ではなかった。
「落とした城の土地を、使ってるんですね」
周へ聞く。
「はい。攻め落とした側は、その城が持つ領地を足場にできます」
俺は城の周囲を見た。
守備を抜かれ、耐久を削られた城。
その一つが落ちたことで、先へ進める場所が増えていた。
岳の城が落ちていたら。
そこまで考えて、俺は手を止めた。
あの日、守れたのは岳の建物だけではなかった。
その向こうへ続く、仲間の土地もだった。
*
南嶺からの書簡が増えた。
最初は、周辺同盟への攻撃を停止するという通知。
次に、領地の返還について話したいという申し出。
鷹野本人からも、律へ届いた。
『南西中央同盟の進軍について、そちらから停止を求められないか』
俺はその文章を読んだ。
岳の城へ攻めてきた相手が、今度は止めてほしいと言っている。
胸の奥に、冷たい満足のようなものが生まれた。
すぐに消えはしなかった。
でも、俺たちに中央の部隊を止める力があるわけではない。
律は返事を書く前に、俺を見た。
「こちらが動かしたと思っているのかもしれません」
「止められると思わせない方がいい」
「はい」
返事は短かった。
西端は南西中央同盟の指揮下ではなく、進軍を指示した立場でもない。
停止の交渉は、当事者間で行ってほしい。
こちらへの攻撃停止と領地返還については、引き続き確認する。
律はその内容を送り、画面を閉じた。
*
夜、岳から連絡が来た。
『南側の土地、戻せました。城の周りに敵はいません』
俺は長く息を吐いた。
何度か読み返してから、礼を返す。
守備の援軍を全部一度に帰すことはしない。
交代しながら減らし、城の修復と補充を終わらせる。
朔と葉が、その予定を組み始めた。
真木の騎兵も戻す。
玄からは、残しておく部隊の報告が来た。
少しずつ、こちらの予定を自分たちで決められるようになっていた。
それは、確かに嬉しかった。
俺は窓の外を見た。
城の灯りが並んでいる。
その静けさを、岳の城でも取り戻せたのだと思った。
*
机へ戻ると、律が地図を開いていた。
南嶺の色が、先ほどより小さくなっている。
まだ終わってはいない。
けれど、こちらへ攻めてきたときとは、流れが逆になっていた。
「嫌がらせくらいのつもりだったんだけどな」
俺が言うと、律は頷いた。
「私もです」
珍しく、返事の後に言葉が続かなかった。
俺たちは、相手の足を止めようとしていた。
その間に、もっと大きな同盟が、相手の城へ入っていった。
西端を助けるために動いたのか。
以前から南嶺を問題にしていたのか。
進む理由ができたので、使ったのか。
今ある書簡だけでは、全部は分からなかった。
律が新しく届いた進軍予定を開く。
南西中央同盟の次の行き先が記されていた。
俺は、白嶺城の印へ目を向けた。
まだ、どの同盟の名前も付いていない。
その南側にあった南嶺の城は、今、別の同盟の足場になっていた。




