外交戦略
第二十九話 待たせる側へ
夜が明けると、岳の城の耐久は少し戻っていた。
その代わり、補充に使える食料は減っていた。
南嶺の部隊は、まだ周辺にいる。
近づいてきたと思えば、止まる。
別の部隊が動く。
こちらが守備を替える頃に、また接近の知らせが入った。
大きな戦闘は、まだ起きていなかった。
けれど、誰も休めなかった。
玄から、守備に入れている部隊を一度戻したいと連絡が来た。葉も、負傷した兵を補充したいという。
代わりを入れる。
戻す。
補充する。
その予定だけで、朝の紙が埋まった。
『このままだと、工事へ回す分は減ります』
朔から届いた数字を見て、俺は頷いた。
城を守れている。
昨日は、それだけでよかった。
でも、南嶺は攻撃する時刻を選べる。
俺たちは、来るかもしれない部隊を待ち続けている。
相手が動かなくても、こちらの予定は止まっていた。
*
律から連絡が来た。
『南嶺について、近隣にも聞いています。今回が初めてではなさそうです』
俺は画面を引き寄せた。
こちらが問い合わせた進路の話には返事をせず、宣戦と一緒に部隊を進めてきた。
そんなやり方を、俺たちにだけ始めたのだろうか。
昨夜、律も同じことを気にしていた。
ただ、嫌われているはずだと決めつけて回ることはしなかった。
送ったのは、受け取った書簡と、攻撃された土地の位置だった。
『このような進出について、過去に行き違いがなかったか確認したいです』
返事は、少しずつ来ていた。
河原連盟では、相談中の土地を先に取られたという。
別の君主からは、取得予定を一方的に告げられ、返答する前に部隊が来たという話があった。
全部が同じ事情ではない。
相手側の言い分を聞いていないものもある。
律はそれを分けて送ってきた。
『南嶺を助けたいという返事は、今のところありません。ただ、戦いたくないという人は多いです』
俺は地図を開いた。
南嶺の領地の先には、西端以外の土地もある。
白嶺城へ近づくための道。
岳の城を回り込むための道。
まだ、誰のものでもない場所が残っていた。
*
『参戦は求めず、予定している土地を先に取ってもらえませんか』
俺が送ると、律から位置を求める返事が来た。
地図に印を付ける。
南嶺が次に伸ばしそうな場所のうち、友好同盟の領地に近いところだった。
『こちらへ土地を渡してほしいわけではありません。その同盟の領地として持ってもらう。南嶺が取る前に』
送ってから、続けた。
『もちろん、危険は伝えてください』
そこを曖昧にしたくなかった。
今まで無人だった土地を取れば、南嶺に狙われるかもしれない。
友好という名前だけで、安全になるわけではない。
律は少しして返した。
『相談します。こちらも、その場所へ進まないことを示した方が、話しやすいです』
俺は岳と玄に予定を確かめた。
西端に必要な道と、ほかへ任せられる場所を分ける。
ただ助けてほしいと頼むだけではなかった。
近隣の同盟にとっても、南嶺に先へ進まれると困る場所がある。
その土地を、こちらも取り合わない。
律はその条件を持って、書簡を送り始めた。
*
北西開拓会からの返事は、早かった。
兵を西端の戦闘へ出すことは、今は約束できない。
ただ、境界付近で予定していた土地の取得は進める。
河原連盟も、川沿いの一部を先に押さえると答えた。
どちらも、南嶺の土地を攻撃するわけではない。
まだ空いている土地を、自分たちの領地につなげるだけだった。
それでも、地図は変わった。
南嶺が取ろうとすれば、次は別の同盟の領地へ手を出すことになる。
「通れなくなるんですか」
俺は周へ聞いた。
「部隊の移動と、領地の取得は別です。土地を押さえるだけで、敵の行軍が全て止まるわけではございません」
俺は頷いた。
完全に閉じ込められるわけではない。
けれど、自由に道を伸ばせる場所は減る。
律からも連絡が来た。
『相手が攻撃を避ける保証はありません。ただ、進むたびに敵を増やすか考えることにはなります』
俺は地図の印を直した。
昨日まで、味方の援軍だけを探していた。
戦わなくても、動いてもらえる相手がいた。
*
それだけで、岳の城から敵がいなくなるわけではなかった。
俺は同盟の連絡欄を開いた。
『守備は維持します。その上で、外にいる南嶺の部隊を減らしたいです』
玄からすぐ返事が来た。
『出ます。どれを狙いますか』
俺は敵の位置を見た。
昨日、城を攻めた部隊の一部は分かっている。
武将の名前。
兵種。
戦闘に出た技能。
ただ、今そこにいる部隊が同じとは限らなかった。
守備の画面に見える情報だけでは、足りないところがある。
人数だけ見て突っ込めば、得意な相手ではないかもしれない。
俺は戦闘報告を並べた。
そのとき、朔が書いた。
『兵を付けずに一度当てて、報告を取れませんか』
俺の手が止まった。
少しして、真木が続いた。
『単独で出すやつですね。前にやっていたゲームだと、空爆って呼んでました』
空爆。
俺は思わず、広間の天井を見た。
ここに飛行機があるわけではない。
真木が説明を足した。
『武将だけで短く接触して、相手の編成を確認するやり方です。兵を連れないので、探るたびに大勢を補充しなくて済みます』
*
俺は周に確かめた。
武将だけでも出兵はできる。
戦闘に入れば、実際に交戦した相手の情報が報告に残る。
ただし、負けないわけではない。
帰還できても傷は負う。
同じ武将を、休ませず何度も出せるわけでもなかった。
「強い部隊へ一人で入れるのは、危ないですよね」
「はい。相手との力量差によります」
蒼玄の情報を開いた。
今は岳の城に入っている。
単独で戦う力はある。
それでも、敵の主力を一人で倒せるとは思わなかった。
玄が、南嶺の外側にいる一部隊を示した。
『ここなら、城を攻めてきた主力から離れています。まず、これを確かめませんか』
味方の援軍が近くにいる場所だった。
俺は蒼玄へ、短く接触して戻る指示を出した。
勝つためではなく、相手を確かめるための出兵。
決定を押す手は、土地を取るときより重かった。
*
最初の報告は、敗北だった。
俺はすぐ武将の状態を開いた。
蒼玄は退却している。
負傷の表示があった。
俺は戻す先を確認し、それから報告へ目を戻した。
相手の指揮官。
弓兵を中心にした編成。
交戦した時点での兵数。
発動した技能。
全部が分かるわけではなかった。
相手が使わなかった技能まで、表示されるわけではない。
それでも、地図の上の一つの印が、具体的な部隊になった。
葉が記録へ写した。
律が確認した時刻を付けた。
玄が、昨夜の戦闘報告と同じ武将だと気づいた。
『兵が減ったままです。まだ補充していないかもしれません』
断定はできない。
ただ、攻め続けている相手も、無傷ではなかった。
蒼玄は戻った後、休養に入れた。
同じ場所へ、もう一度送ることはしなかった。
*
別の場所は、ほかの君主が確認した。
単独で動ける武将を持つ者が、近い相手へ短く接触する。
帰還した武将の状態を先に確かめ、それから報告をまとめた。
兵を大量に失う探り方ではなかった。
けれど、負担が零でもない。
使える武将と、休ませる武将が分かれていった。
俺は紙に敵の部隊を並べた。
一つは、兵が多い。
一つは、守備向きの技能がある。
一つは、昨日から何度も動いている。
もう一つは、弓兵が中心で、近くの主力から少し離れていた。
真木がそこへ印を付けた。
『この部隊なら、こちらを使えませんか』
部隊の情報が送られてくる。
騎兵だった。
数を見て、俺は画面へ顔を近づけた。
『こんなにいたんですか』
『少しずつ増やしてました。砦を壊す方には向いてなかったので、最近は土地を取るのに使ってました』
俺は真木の城を開いた。
岳の城の東側。
昨夜、援軍の交代に備えて、部隊を前へ寄せてもらっていた場所だった。
近い。
そして、速かった。
*
玄も真木の情報を見ていた。
『いけそうです。ただ、隣の主力が動いたら戻したい』
律が敵の位置を確認する。
主力の一つは岳の城の南側にいる。
狙う弓の部隊は、少し離れた土地へ移っていた。
俺は守備の残りを確かめた。
葉と朱里の部隊が城にいる。
次の援軍も近い。
ここから一部隊を動かしても、城が空くわけではない。
それでも、攻撃の決定を押すまで少し迷った。
出れば、今度はこちらが相手へ向かう。
守っているだけでは済まなくなる。
俺は岳から届いた、城の修復に使う資源の数字を見た。
待っている間にも、こちらは減っている。
『真木さん、その部隊をお願いします。玄は援護できる位置まで。深追いはしません。目標の部隊を崩したら戻してください』
送る。
真木から、了解と返ってきた。
地図の上で、部隊が動き始めた。
*
速かった。
いつもの歩兵の行軍を見慣れていたせいで、俺は一度、地図の縮尺を確かめた。
変わっていない。
真木の騎兵が、味方の領地を抜けていく。
南嶺の別の部隊にも、動きがあった。
律が知らせる。
『主力が西へ動きました。今の位置なら、目標への援護には間に合わない見込みです』
俺は返事をせず、地図を見た。
最初の砦で、到着する時刻を揃えた。
今は、相手の援護が届く前に入る。
同じ行軍時間の数字が、別の意味を持っていた。
戦闘の表示が出る。
俺は真木の報告を待った。
地図の上の印だけでは、何が起きているか見えない。
しばらくして、知らせが届いた。
【勝利】
南嶺の部隊が退く。
真木から、追わずに戻すと連絡が来た。
俺はようやく、息を吐いた。
*
報告を開いた。
こちらにも損失はあった。
ただ、相手の部隊は大きく兵を減らしていた。
昨日から岳の城の周りを動いていた戦力が、一つ崩れた。
『弓兵の前へ出られたので、押し切れました』
真木が書いた。
続いて、戻ってくるまでの時間を送ってくる。
俺は礼を返し、朔へ補充の確認を頼んだ。
玄からも書き込みがあった。
『相手、残りを寄せています』
地図を見る。
離れていた南嶺の部隊が、互いに近づき始めていた。
今度は、簡単に一つだけ狙えない。
その代わり、広い場所を同時に押さえる動きではなくなった。
律が、河原連盟から届いた地図を送ってきた。
予定していた空き地の取得が終わったらしい。
南嶺が回り込もうとしていた先に、別の同盟の色が付いていた。
敵の部隊が、その手前で止まっている。
何を相談しているのかは、分からなかった。
ただ、止まったのはこちらではなかった。
*
昼過ぎ、もう一つの部隊を退かせた。
今度は玄と朱里の部隊を使った。
先に取った報告を確かめ、相手が移動していないか見直す。
味方の到着を合わせ、退く場所も決める。
真木の騎兵は、補充と休養に回した。
速いからといって、続けて全部を任せることはしなかった。
敵の情報を書いた紙に、確認した時刻が増えた。
古くなったものには線を引く。
兵数が変われば書き直す。
同じ武将でも、前に見た状態のままとは限らない。
それでも、分からないまま待っていた朝とは違っていた。
南嶺の部隊が一つ動くたびに、こちらにも選べる手があった。
岳から連絡が来た。
『城の修復、進められています』
俺はその一文を読んで、椅子の背へ体を預けた。
修復する時間ができた。
今日、外へ出た意味は、それだった。
*
夕方、律から南嶺の返事が転送されてきた。
友好同盟が進めた土地取得について、説明を求める内容だった。
俺は少し目を細めた。
昨日は、こちらの問いに返事をせず、城を攻めてきた。
今日は、周囲の土地が変わったことを気にしている。
『返事は、どうしますか』
律が聞いた。
俺は考えた。
怒った言葉なら、いくつも出てくる。
岳が奥へ逃げたことも、減った城の耐久も、忘れてはいなかった。
けれど、今ほしいのは、それを文章にして送りつけることではない。
『各同盟の領地取得については、当事者へ確認してもらってください。こちらは、岳の城への攻撃と周辺からの撤退について、回答を求めたいです』
送ると、律から了承が来た。
書簡のやり取りも、戦いの外にはなかった。
部隊が動く場所を変える。
相手に、次を考えさせる。
そのために使えるものだった。
*
真木の騎兵が戻ったと、報告が来た。
俺は同盟の連絡欄へ、今日の結果をまとめた。
敵の部隊を二つ退かせた。
岳の城は維持している。
友好同盟の土地取得で、南嶺が進める場所にも変化があった。
ただ、敵がいなくなったわけではない。
明日も見張りと援軍は必要だった。
最後に、真木へ書いた。
『あの騎兵、助かりました』
少しして返事が来る。
『貯めておいてよかったです。食料がきついときは、増やしすぎたかと思ってました』
俺は笑った。
朔が、維持費の計算なら後で一緒に見ると書いた。
その下に、岳からも礼が届いた。
地図を閉じる前に、南嶺の部隊をもう一度見た。
朝より、まとまっている。
こちらへ来る道の途中で、まだ動かないものもあった。
明日は、相手もやり方を変えるかもしれない。
俺は敵の情報を書いた紙を、机のいちばん上へ置いた。
その隣には、味方の帰還と補充の予定がある。
どちらか一方だけでは、次を決められなかった。




