説明しよう!
第二話 地図の端の一人
食事を終えて広間へ戻ると、机の上に帳面が三冊並んでいた。
周が一冊を開く。
細かな文字と数字が、行ごとにきれいに揃っていた。
「こちらが食糧の出入りです」
椅子に座り、覗き込む。
麦、豆、干し肉。塩まで書いてある。
城情報では一つにまとまっていたものが、帳面の中では別々に扱われていた。
「表示だと、食糧って数字一つだったけど」
「備蓄の全体を把握するには便利です。ただ、厨房では豆も塩も同じようには使えませんので」
それはそうだ。
さっき食べた煮込みが、全部塩になったら困る。
「じゃあ、数字が足りていれば安心ってわけでもない?」
「極端な偏りは避ける必要がございます。細かな在庫の確認は私どもで行いますので、まずは全体の増減をご覧ください」
周は、覚えることを少し減らしてくれた。
ありがたかった。
この帳面を三冊とも任せると言われたら、食べたばかりなのに胃が痛くなりそうだった。
城情報を開く。
食糧の横には備蓄量と生産量がある。周に教わって項目を詳しく見ると、消費の内訳も出てきた。
「こっちが作ってる量で、こっちが食べてる量」
「はい」
「差し引きすると、今は増えてるんだな」
「現在は。ただし、人が増えれば消費も増えます。兵を募る際にも確認が必要です」
俺はもう一度、数字を見比べた。
倉庫にあった袋を思い出す。
今すぐ食べるものがなくなるわけではない。それが分かっただけでも、だいぶ気が楽になった。
「最初に農地を選ばなくても、大丈夫だった?」
「今日の時点では問題ございません」
今日の時点では。
その言い方が少し気になったが、周は続けた。
「伐採所が完成した後、何を建てるか。その際に、またご確認いただければ」
「一回決めたら終わりじゃないんだな」
「人は明日も食事をいたしますので」
厨房の女性の顔を思い出した。
明日もあそこで飯を食べる。
なら、明日も材料が要る。
分かってしまえば当たり前のことなのに、画面の数字になると、急に遠い話に見えるのが不思議だった。
帳面から顔を上げると、壁に掛けてある地図が目に入った。
「次は、あれを見てもいい?」
周は帳面を閉じた。
「もちろんです」
*
壁の地図には、城を中心に道と川が描かれていた。
西側に林。南側には緩やかな起伏があり、東へ伸びる道の途中に、小さな橋の印がある。
地図の端は白かった。
「まだ調べてないところ?」
「その地図は、城の周辺を記したものです。広域をご覧になるには、表示をお使いください」
周に言われるまま、地図、と意識する。
目の前に、四角く区切られた土地が現れた。
中央に城の印がある。
その周りには、林や平地や岩場を示す絵が並んでいた。
窓の外の景色を、ずっと高い場所から眺めたようだった。
「拡大と縮小は?」
「見たい範囲を意識していただければ」
もう少し広く。
そう考えると、城の印が小さくなった。
東側に、別の城が現れる。
南にも一つ。
「ここにも人がいる?」
「はい。別の君主が治める城です」
胸の辺りが、少し動いた。
「俺と同じ?」
「この世界へ迎えられた君主、という意味では」
もっと広く、と考えた。
城が増えた。
川が細くなり、林だった場所が緑の塊になる。さっきまで大きく見えていた自分の城が、たくさんある印の一つに変わった。
まだ広がる。
思わず、椅子の背に体を預けた。
「……待って。どこまであるんだ、これ」
「この世界は、縦と横、それぞれ千二百の区画で構成されています」
地図の上と横に数字が並んでいた。
千二百。
それが縦にも横にもある。
「百四十四万マス?」
計算してから、周を見る。
「はい」
さっき、伐採所を一つ建てる場所で悩んでいた。
その外に、百四十四万もの区画があると言われても、うまく想像できなかった。
さらに表示を引く。
世界の輪郭が四角く収まったとき、自分の城がどこにあるか分からなくなった。
「あれ。うちは?」
「本城へ意識を向けてください」
小さな光が点滅した。
左上。
ずいぶん左上だった。
「……端だな」
「北西部です」
「北西部っていうか、ほとんど隅じゃない?」
世界の中央まで、途方もなく遠く見えた。
地図の真ん中には城の印が集まり、そのいくつかは同じ色で囲まれている。北西にも色の付いた場所はあるが、白いままの城が目立った。
「色が同じなのは?」
「同じ同盟に所属している城です」
その言葉は、聞いたことがある。
ゲームでも、歴史の授業でも。
「仲間ってこと?」
「協力関係を結んでいる君主たちです。ただ、どこまで助け合うかは、同盟ごとの方針によります」
地図の一角へ目を向けると、名前が表示された。
さらに詳しく見ようとして、止めた。
まだ、自分の城のことさえ十分に分かっていない。
急に知らない集団の名前まで覚えられる気がしなかった。
「俺も、どこかに入らないといけない?」
「必須ではございません」
「入らずにやってる人もいるんだ」
「はい。ご自身で同盟を作られる方もいらっしゃいます」
俺は自分の城へ表示を戻した。
所属同盟、なし。
朝は気にならなかった文字が、少し違って見えた。
*
地図を閉じると、広間が妙に狭く感じられた。
木の机。
壁の地図。
窓から入る風。
世界はさっきまでと同じなのに、急に遠くまで続いてしまった。
「ほかの君主とは、話せるんですか」
周が頷く。
「書簡を送ることができます。相手を指定するほか、募集欄をご覧いただく方法もございます」
「募集?」
「同盟員の募集や、協力者を探すための告知です」
表示の隅に、小さな項目があった。
地図ばかり見ていて気づかなかった。
募集。
意識を向けると、文字の並んだ一覧が開く。
〈北部で活動予定。毎日、書簡を確認できる方を募集〉
〈近隣の君主同士で協力しませんか。まずは情報交換から〉
〈加入希望者は所在地と本城レベルを記載してください〉
何となく、見慣れた感じがした。
内容は知らない世界のことなのに、書き方が妙に現実的だった。
下へ送る。
〈来たばかりです。何から建てればいいのか分かりません。同じくらいの人、話しませんか〉
指が止まった。
もう一度、読む。
来たばかり。
何から建てればいいのか分からない。
「……いるんだ」
口から、勝手に出た。
周がこちらを見る。
「君主様?」
「俺と同じこと言ってる」
自分でも、少しおかしくなった。
さっきまで、何百もの城の印を見ていた。
ほかにも人がいると説明され、理解したつもりでいた。
でも、その一文を見るまで、本当には分かっていなかったのかもしれない。
あの城のどこかで、俺と同じように、建設の決定を押せずにいるやつがいる。
別の募集を開いた。
〈同盟を探しています。戦い方も分かりません。説明してくれるところ希望です〉
その次。
〈元の世界へ戻る方法について、情報をお持ちの方は書簡をください〉
笑いかけていた口元が止まった。
短い文章だった。
いつ書かれたものなのか、横に時刻がある。返事が来たのかどうかは分からない。
しばらく、その文字を見ていた。
「これ、返事があったかまでは見えないんですね」
「個人宛ての書簡は、当人にしか確認できません」
「そっか」
募集を閉じず、少しだけ視線を外した。
戻りたいと思っているのも、俺だけではない。
そのことに安心する自分と、その人も方法を知らないのだと落ち込む自分がいた。
周は、何も急かさなかった。
*
最初に目が止まった募集へ戻った。
〈来たばかりです。何から建てればいいのか分かりません。同じくらいの人、話しませんか〉
書簡を送る、という項目がある。
選ぶと、何も書かれていない枠が開いた。
文字を入力する道具は見当たらない。
「これ、どうやって書くんですか」
「文章を思い浮かべていただければ。送る前に、内容を確認できます」
こんにちは。
その言葉が枠の中に現れた。
少しだけ感動した。
次を考える。
俺も今日ここに来ました。
文字になった。
そこで止まる。
何を聞けばいい。
どこから来たんですか。
元の世界で何をしていたんですか。
帰り方を知っていますか。
聞きたいことはたくさんあったが、初めて送る文章としては、どれも重く思えた。
結局、こう書いた。
〈こんにちは。俺も今日ここに来ました。北西の方です。とりあえず伐採所を建て始めたところですが、まだ何も分かっていません。よければ情報交換してください〉
読み直す。
何も分かっていない人間と情報交換をして、向こうに得があるだろうか。
消そうか迷った。
でも、募集した相手も分からないと書いている。
なら、それでいいのかもしれない。
「周」
「はい」
「これ、送っても問題ない?」
言ってから、周には表示が見えないことを思い出し、文章を読み上げた。
周は聞き終えてから頷いた。
「差し支えないかと。ただ、今後も、備蓄の詳しい量や守備の状況をお伝えになる際は慎重に」
「……悪い人もいるってこと?」
「相手を、まだ存じませんので」
その言い方は納得できた。
いい人だと決まったわけでも、悪い人だと決まったわけでもない。
まだ知らないだけだ。
俺は文章をもう一度読み、送信を選んだ。
【書簡を送信しました】
それだけだった。
すぐに返事が来るわけではない。
分かっていても、しばらく枠を見つめてしまった。
「相手も、食事中かもしれませんね」
周が言う。
「……そうだな」
さっき自分が飯を食べていた間にも、世界のどこかでは誰かが書簡を送っていたのだろう。
表示を閉じた。
外から、何人かが声を合わせるのが聞こえた。
窓へ寄ると、建設現場で木材を運んでいる。
「見てきます」
「私も参ります」
*
伐採所は、まだ骨組みの途中だった。
朝には縄しかなかった場所に、柱が立っている。
図面らしい板を手にした男が、建設を眺めていた。俺たちに気づくと、軽く頭を下げる。
「順調です。予定どおりに終わるかと」
「何か足りないものは?」
「今のところは」
男はそう言ってから、俺の足元を見た。
「ただ、そちらは釘が落ちているかもしれません。少し外側をお通りください」
「あ、すみません」
慌てて足を引く。
後ろで周が、静かに道を空けてくれた。
見に来たところで、できることは特になかった。
むしろ邪魔をしそうだったので、少し離れた石に座った。
木材を持ち上げるときの声。
道具を置く音。
男同士の、短いやり取り。
その向こうで、井戸の桶が滑車を鳴らす。
聞いているうちに、朝からずっと強張っていた首が、少し楽になってきた。
ここで何年も暮らすのだろうか。
それとも、明日には帰れるのだろうか。
分からないことばかりだった。
それでも、今朝と同じではなかった。
食事をした。
城を歩いた。
仕事を一つ、決めた。
そして、知らない誰かに手紙を送った。
視界の端に、小さな印が現れた。
【書簡を受信しました】
立ち上がりかけた。
周がこちらを見る。
「返事、来た」
声が少し大きかった。
近くの作業員まで振り向いたので、座り直してから書簡を開く。
〈こちらも今日です。南の方にいます。自分は農地にしました。腹が減ると困ると思って。伐採所と迷ったので、完成したらどんな感じか教えてください〉
読み終える。
もう一度読む。
それから、声を出して笑った。
「何と?」
「向こうは農地だって。腹が減ると困るから」
周が、わずかに口元を緩めた。
「大切なご判断です」
「うん」
南の方。
地図で見たら遠いのだろう。
気軽に会いに行ける距離ではないかもしれない。
でも、その遠い場所で、今日、同じように目を覚ました人がいる。
俺は返信の枠を開いた。
〈分かりました。こっちはまだ柱を立ててるところです。普通に人が造ってて驚きました〉
少し迷って、もう一文足す。
〈そっちの農地も、完成したら教えてください〉
送る。
今度は、返事を待ちながら表示を見続けなくてもよかった。
顔を上げる。
作業員の一人が、柱の上から仲間を呼んでいた。
空は青かった。
俺の城は、その広い世界の、北西の端にあった。
端であることは変わらない。
ただ、世界に一人きりではなかった。
*
夕方、本城の広間へ戻ると、周が小さな箱を机に置いた。
古びた木箱だった。
蓋を開けると、中に一枚の札が収まっている。
「こちらも、本日中にご案内しておこうかと」
札には、細かな模様と文字が刻まれていた。
「これは?」
「武将の登用に用います」
「武将……」
そういえば、表示の中にそんな項目があった。
建設と地図だけで、まだ手を付けていなかったものだ。
「兵を指揮する人?」
「それも役割の一つです。城内の仕事を任せることもできます。得意とする分野は、人によって異なります」
俺は札を手に取った。
薄いのに、意外と重みがあった。
「誰が来るか、選べるんですか」
周は首を横に振った。
「この札では、登用を行うまで分かりません」
札と、周の顔を見比べる。
その仕組みには、覚えがあった。
「……ガチャってこと?」
周は、少し考えてから答えた。
「どなたと縁が結ばれるかは、そのときに」
ずいぶん丁寧な言い方だった。
視界の中で、登用の項目が淡く光っていた。




