はい目覚めましたー!
第一話 目覚め
目を覚ましたとき、最初に思ったのは、天井が高いということだった。
太い木の梁が、頭上を横切っている。見たことのない天井だ。梁の端には蜘蛛の巣があって、小さな虫の影が引っかかっていた。
しばらく、それを眺めていた。
寝起きの頭が、状況に追いつかない。
背中の下は硬かった。体を動かすと、ぎし、と木の軋む音がした。布団にしては薄い掛け物をめくると、知らない服を着ていた。
薄茶色の上着。紐で留めるらしい、ゆったりしたズボン。
「……どこだ、ここ」
声に出した途端、急に落ち着かなくなった。
上体を起こす。
部屋には、寝ていた木の寝台と、小さな机が一つ。机の上には水差しと器が置いてある。壁際には背もたれのない椅子。窓は開いていて、白い布が風に揺れていた。
携帯はない。
枕元を探し、掛け物を持ち上げ、服のポケットらしいところに手を入れる。何も入っていなかった。
そもそも、昨日は何をしていた。
思い出そうとすると、妙なところで考えが止まった。
携帯が何かは分かる。自分がこんな服で寝る人間ではなかったことも分かる。
それなのに、ここへ来る直前のことが、うまく繋がらない。
足を床に下ろした。
ひやりとした感触が足裏に伝わる。
寝台の下には靴が揃えてあった。革らしい素材で、持つと見た目より重い。履いてみると、腹立たしいほどぴったりだった。
窓へ向かった。
外を見て、足が止まった。
屋根が低い。
すぐ下に土の広場があって、その向こうに木造の家が並んでいる。家と家の間を、籠を抱えた女の人が歩いていた。少し離れた場所では、男が薪を割っている。
車も、電柱も、舗装された道路も見えない。
さらに向こうには、壁があった。
石を積み上げた、背の高い壁。その一部に木の門が設けられている。
門の外には、緑が広がっていた。
「撮影……?」
口にしてみたが、誰も答えない。
風に混じって、土と、薪を燃やすような匂いがした。
薪を割っていた男が、腰を伸ばす。その近くを走っていた子供が叱られて、急に歩き始めた。
妙に細かいところまで、普通だった。
誰かに見せるために動いているようには見えない。
そのとき、扉が叩かれた。
肩が跳ねた。
「お目覚めでしょうか」
男の声だった。
返事をするまで、少し時間がかかった。
「……はい」
「失礼いたします」
扉が開く。
入ってきたのは、灰色がかった長衣を着た男だった。四十代くらいだろうか。髪を後ろでまとめ、腕には薄い帳面を抱えている。
男は俺を見ると、その場で頭を下げた。
「おはようございます。周と申します。城内の政務と、君主様の補佐を務めます」
「君主?」
男が顔を上げる。
「はい」
「誰が?」
「あなた様が」
俺は、後ろを見た。
当然、誰もいなかった。
「……何の話ですか」
周と名乗った男は、驚かなかった。
むしろ、そう聞かれることを知っていたように、静かに頷いた。
「順を追って、ご説明いたします。お立ちになったままではお疲れでしょう。どうぞ、お掛けください」
言われたとおりに寝台へ戻りかけて、途中で止まる。
「その前に、ここはどこですか」
「第3世界、その北西部にある城です」
「第3世界っていうのは、国の名前?」
「いえ。この世界の区分です」
「日本は?」
周は少し間を置いた。
「その国は、この世界にはございません」
冗談だと思いたかった。
けれど、周の顔には、人をからかうときの気配がなかった。
俺は寝台の端に座った。
喉が渇いていた。
机の水差しを見ると、周が気づいて器に注いでくれた。両手で受け取り、一口飲む。少し冷たい。ただの水だった。
「帰れますか」
聞くと、周はすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、胃の辺りが重くなる。
「元の世界へ戻る方法について、私は存じません」
「知らないだけ?」
「はい。ないと断言できる立場でもございません」
気休めを言われるよりは、ましだった。
ましだったが、それで落ち着けるわけでもない。
器を持つ指に力が入った。
周は何も言わずに待っていた。
窓の外で、また薪を割る音がした。
*
「まず、お確かめいただきたいものがございます」
しばらくして、周が言った。
俺は顔を上げた。
「目の前に、城の状態を表示するつもりで意識を向けていただけますか」
「表示?」
「はい。『城情報』とお考えください」
何を言っているのか分からない。
それでも、ほかにすることもなく、言われた言葉を頭に浮かべた。
城情報。
視界の中央に、半透明の板が現れた。
「うわっ」
思わず体を引く。
水が器の縁からこぼれ、ズボンに染みた。
冷たい。
それが余計に、目の前の異常を現実のものにした。
薄い光を帯びた板の上に、文字が並んでいる。
【城情報】
所属世界:第3世界
所属同盟:なし
本城:レベル1
その下に、木材、石材、鉄、食糧と項目が続いていた。それぞれの横に数字があり、さらに小さな文字で生産量が表示されている。
右上には見慣れた形の印があった。
閉じるためのものに見える。
指を伸ばすと、触れる前に板が消えた。
「……今の、見えました?」
「君主様がご覧になる表示を、私が直接見ることはできません」
「でも、何が出るかは知ってる」
「補佐に必要な範囲は心得ております」
もう一度、城情報、と考える。
同じ表示が開いた。
今度は驚かずに見られた。
顔を横へ動かしても、文字は読みやすい位置に留まっている。窓を見ようと意識を外すと少し薄れ、文字に注意を戻すとはっきりした。
便利だった。
便利だと思ったことが、少し怖かった。
「ゲームみたいだな」
呟いてから、周を見る。
周はその言葉には答えず、表示を見ているらしい俺の顔を見守っていた。
「俺は、何をすればいいんですか」
「この城を治めていただきます」
「そんなこと、やったことないですよ」
「必要なことは、私からご説明いたします」
「何もしなかったら?」
周の視線が、窓の方へ向いた。
「今ある備蓄で、しばらくは暮らせます。しかし、食糧は日々必要です。家屋や城壁の修繕にも、資材を使います」
そこで一度、言葉を切った。
「誰も方針を決めなければ、いずれ困る者が出ます」
窓の下にいた女の人が、今度は空の籠を持って戻っていく。
その姿が、先ほどとは違って見えた。
俺が何をするかで、あの人の暮らしが変わるのか。
「……まず、城を見てもいいですか」
数字だけを見ていても、何も決められる気がしなかった。
周は頷いた。
「ご案内いたします」
*
部屋の外は、狭い廊下だった。
階段を下りると、机と椅子を置いた広間がある。壁には地図らしいものが掛かっていたが、周はまず外を見ましょうと言った。
正面の扉を抜ける。
日差しに目を細めた。
振り返って初めて、自分がいた建物の全体が分かった。
城と聞いて想像したような、大きな天守や宮殿ではない。石造りの下階に、木の上階を載せた、少し立派な館だった。
「これが本城?」
「はい。現在は、こちらで政務を行います」
現在は、という言い方が引っかかった。
表示にあったレベルという文字を思い出す。
これも大きくできるのだろうか。
訊こうとしたところで、近くを通った老人が頭を下げた。
「おはようございます」
俺も慌てて頭を下げる。
「お、おはようございます」
老人は少し目を丸くしてから、笑って歩いていった。
「皆さん、俺のことを知ってるんですか」
「新しい君主様をお迎えすることは、伝えてございます」
「いつから?」
「こちらの準備が整ってからです」
尋ねたいことは、答えを聞くたびに増えていった。
けれど、全部を一度に聞いても、頭に入る気がしなかった。
まずは歩いた。
井戸の周りでは、二人の女性が水を汲んでいた。一人が桶を持ち上げようとしていたので、近くへ寄って手を貸す。
思ったより重い。
「どこへ?」
「あ、そこの戸口までで……」
運んで置くと、女性は何度も礼を言った。
手のひらに、桶の取っ手の跡が残った。
表示の中にいる人間ではない。
少なくとも、俺にはそうとしか思えなかった。
倉庫は、広場の端にあった。
中は少しひんやりしている。片側に袋が積まれ、反対側には木材が長さを揃えて置かれていた。
帳面を持った男が、周に会釈する。
「こちらが、現在の備蓄です」
木材の端に触れてみた。
ざらついている。皮の残ったところに指を引っかけそうになり、手を引いた。
城情報を開く。
そこにある木材の数字と、目の前の積まれた木を見比べた。
「この数字が、これですか」
「建設などに使用できる備蓄として、こちらの資材が計上されています」
「使ったら、ここから減る」
「はい」
食糧の袋へ目を移す。
「食糧がなくなったら?」
「食事に困ります」
当たり前の答えだった。
当たり前すぎて、しばらく黙った。
数字がゼロになるだけでは済まないらしい。
倉庫を出る頃には、さっきまでより慎重に、城情報を見るようになっていた。
*
城内には、まだ空いている土地が多かった。
草を刈っただけの場所に、杭と縄で四角い区画が作られている。
「ここには、施設を建設できます」
「家でも?」
「条件を満たせば。まずは、生産施設を整えることをお勧めいたします」
周に教わり、建設の一覧を開いた。
伐採所。石切り場。製鉄所。農地。
名前を意識すると、必要な資源と、完成までの時間が出てくる。
試しに伐採所を選ぶと、別の表示が重なった。
【この施設を建設しますか】
その下に、決定と取消。
慌てて取消を選ぶ。
「これ、決定したら、もう始まるんですか」
「はい。必要な資材が割り当てられ、建設に着手します」
「なるほど……」
分かったように言ったが、まだ押す勇気はなかった。
もう一度、四つの施設を見る。
「どれが正解なんですか」
周は一覧ではなく、俺を見た。
「どのように城を整えるかによります」
「初心者向けの、お勧めとか」
「木材は多くの建設に使います。ただし、木材だけでは建てられないものもございます。食糧も継続して必要です」
全部必要、ということらしい。
城情報へ戻り、備蓄と生産量を見直した。
正直なところ、数字の大小がまだ分からない。今ある量が多いのか、少ないのか。何日分なのか。
周に一つずつ聞いた。
今の食糧は、すぐ尽きるわけではないこと。
この建設をしても、修繕に使う分まで全て失うわけではないこと。
次の施設を建てるには、また資源が必要になること。
説明を聞いているうちに、日差しが暑くなってきた。
「じゃあ、最初は伐採所にします」
ようやく言うと、周が頷いた。
「理由を伺っても?」
「これから建物を増やすなら、木が要ると思うので」
口にすると、ひどく単純な理由だった。
それでも周は笑わなかった。
「承知いたしました」
俺はもう一度、伐採所を選んだ。
必要な資源を確認する。
さっき倉庫で見た木材と、石の山を思い浮かべた。
それから、決定を押した。
表示が切り替わる。
【伐採所 建設中】
残り時間の数字が、一つ減った。
何かが光って、建物が現れるのかと思った。
そんなことは起きなかった。
代わりに、近くで待機していた男が周へ声を掛けた。
「取り掛かってよろしいですか」
「お願いいたします」
男が仲間を呼ぶ。
二人が倉庫へ向かい、別の一人が縄の位置を確かめ始めた。
「あ、人が造るんだ」
「もちろんです」
周が答える。
俺は表示の残り時間と、杭を打ち直している男を交互に見た。
数字が減る向こうで、人が働いている。
そのことを忘れないようにしようと思った。
*
本城へ戻る途中、腹が鳴った。
自分でも驚くほど、はっきりした音だった。
周が足を止める。
「お食事がまだでしたね」
「……そういえば」
「厨房へ参りましょう」
こんな状況でも腹は減るらしい。
情けないような、安心したような気持ちになって、周の後ろを歩いた。
厨房は本城の脇にあった。
火の近くに立っていた女性が、俺を見るなり、周を睨んだ。
「先にお食事でしょう」
「申し訳ありません。ご案内を優先してしまいました」
「説明は逃げませんよ」
周が素直に頭を下げた。
少しだけ、笑いそうになった。
長い机の端に座ると、煮込みの入った器と、パンが出てきた。
「お口に合えばいいんですけど」
「ありがとうございます」
木の匙で、一口食べる。
豆と、柔らかくなった野菜。
温かかった。
もう一口食べて、ようやく大きく息を吐いた。
どこに来たのか、本当のところはまだ分からない。
元の世界へ帰れるのかも分からない。
君主なんて呼ばれても、できることなど何も思いつかなかった。
それでも、倉庫の場所は覚えた。
水を汲む井戸も、厨房も分かった。
外では、俺が決めた建物を造り始めている。
「周さん」
「周で結構です」
「じゃあ、周」
呼び直すと、周は頷いた。
「あとで、もう一度教えてください。食糧が、どれくらい必要なのか」
「かしこまりました」
「それと、城の外のことも」
「地図をご覧いただきながら、ご説明いたしましょう」
俺はパンをちぎった。
まず、食べよう。
その後で、もう少し話を聞こう。
視界の端には、建設の残り時間が小さく表示されていた。
それを眺めながら、匙を口へ運ぶ。
外で、木槌を打つ音がした。
俺の城で最初に始めた仕事が、少しずつ進んでいた。




