番外18
番外第十八話 朔の計算に入らないもの
その土地を交換してもらえれば、荷車の往復が楽になる。
朔は、三枚の紙に条件をまとめていた。
一枚目には、今の道と新しく通したい道。
二枚目には、交換先として用意した土地の収穫量。
三枚目には、畑を移す際にこちらが負担できる作業。
相手の城からも、交換先のほうが近い。
手間は掛けるが、損はさせない。
何度か数字を確かめてから、朔はその城を訪ねた。
*
「いいお話だと思います」
向かいに座った男は、紙を丁寧に読んでいた。
指で道をたどり、二枚目に目を移す。収穫量を見たときには、少し眉が上がった。
朔は茶を飲みながら待った。
急かす必要はない。
条件を理解してもらえれば、話はまとまるはずだった。
「移す時期も、収穫が済んでからで構いません」
朔が補足すると、男は頷いた。
「そこまで考えていただいて、ありがとうございます」
そう言ってから、三枚の紙を揃えた。
「ただ、あそこは残したいんです」
朔は湯飲みを置いた。
「交換先に、何か問題がありますか」
「いえ。こちらのほうが良い土地でしょうね」
「場所が気に入らないのであれば、ほかにも候補はあります」
「そういうことでもなくて」
男は申し訳なさそうに笑った。
その顔を見て、朔は少し困った。
条件を引き上げたい相手なら、まだ話しやすい。足りないものを聞き、出せるものを考えればいい。
だが、この男には、何かを要求する様子がなかった。
「今の畑に、特別な設備が?」
「何も。石が多くて、耕しにくいくらいです」
「では、一度見せてもらってもいいですか」
男は頷いた。
「少し歩きますが」
「構いません」
三枚の紙を仕舞う。
現地でなければ分からない事情があるのだろうと、朔は考えた。
*
畑は、説明されたとおりの場所だった。
土の色は薄く、畝の端には取り除いた石が積まれている。片側に緩い傾斜があり、大雨のあとは土が流れそうだった。
道を通すなら、その傾斜に沿うのがいい。
ほとんど手を入れずに、荷車を通せる。
朔は地面を見ながら歩き、畑の隅で足を止めた。
大きな平たい石があった。
腰を掛けるにはちょうどよいが、畑には邪魔だろう。
男が袖で石の上を払った。
「どうぞ」
「あなたは?」
「こっちへ」
少し離れたところに、もう一つ石があった。
男はそこへ座った。
二人の間には、話すにはやや広い距離があった。
「最初は、ここで会っていたんです」
男が言った。
「このあたりの三人で」
朔は黙って続きを待った。
「城へ呼ぶのは、まだ怖くて。どれくらい兵を持っているかも、どういう人かも分からなかったので」
「ここなら、見通しが利く」
「ええ。何かあったら逃げられると思って」
男は苦笑した。
「相手も、同じことを考えていたそうです」
朔は二つの石の距離を見直した。
遠いようで、理由のある間隔だった。
「最初は、天気の話ばかりしました。次に畑の話。その次に、ようやく物の貸し借りを」
「同盟には?」
「なりませんでした。話はしたんですが、何となく、そのままで」
男は足元の小石を拾い、畑の端へ投げた。
「一人が塩を持ってきてくれて、もう一人が鍋を貸してくれて。ここで何度か食事もしました」
「今、その二人は?」
「一人は遠くへ移りました。もう一人は、大きな同盟に」
声に、強い寂しさはなかった。
ただ、少し懐かしそうだった。
「会う約束があるんですか」
「いえ」
男は首を横に振った。
「便りは、たまに来ます。元気にはしているみたいです」
それなら、城へ招けばいい。
そう言いかけて、朔は口を閉じた。
男は自分の城を持っている。そんなことは、言われなくても分かっているはずだった。
「笑われるかもしれませんが」
男が、畑へ目を向けた。
「ここがなくなると、来なくなる気がして」
風が通った。
畝の間に伸びた草が、小さく揺れた。
「向こうは、そんなふうには思っていないかもしれません。でも、もし通りかかって、畑が残っていたら」
男は言葉を探した。
「まだいるんだな、と思ってもらえるでしょう」
朔は膝の上で手を組んだ。
新しい道を通す位置には、男が座っている石も重なる。
どけるのは、難しくない。
何人かで手を掛ければ、一日も要らないだろう。
「土地の交換は、断って構いません」
朔が言うと、男は顔を上げた。
「ですが、ご迷惑を」
「まだ相談の段階です。決まっていないものを断るのは、迷惑ではありません」
男は、ほっとしたように息を吐いた。
それからまた、申し訳なさそうな顔になった。
「すみません」
「謝られると、こちらが無理を言ったようになる」
「ああ……そうですね」
男が笑った。
朔は立ち上がり、畑の外側へ目を向けた。
「周りを、少し歩いても?」
「はい」
「今度は、道の相談です」
*
戻った朔は、地図を書き直した。
畑を避けると、道は少し膨らむ。
斜面を削り、雨水を逃がす溝を掘る必要がある。狭いところは荷車が行き違えないので、待避する場所も一つ。
最初の案より、手間も資材も増えた。
「交換は駄目だったか」
玄が地図を覗き込んだ。
「断られた」
「条件を上げろとは?」
「言われていない」
玄は頷き、それ以上は聞かなかった。
葉は必要な木材の欄に目を落とした。
「これなら、倉庫の修理が済んでからね」
「急ぐなら、別の道を探す」
朔が答えると、向かいにいた盟主が首を傾げた。
「そんなに急いでたっけ?」
「いや」
「じゃあ、その順番でいいんじゃないか」
話は、それでほとんど終わった。
朔は少し拍子抜けした。
余計な費用が掛かる理由を、もっと細かく説明するつもりでいた。場合によっては、もう一度あの男に相談する必要があるかもしれないとも思っていた。
葉が紙を重ねながら聞いた。
「残したい理由があったの?」
「あった」
「そう」
葉は費用の横に、小さく予定を書き込んだ。
朔は、用意していた説明を口にしなかった。
*
道が完成した日、朔は試しの荷車に付き添った。
空荷では意味がないので、倉庫へ運ぶ麦を積んだ。
車輪は溝へ落ちず、曲がり角も通れる。待避所では、向こうから来た荷車と問題なく行き違えた。
畑の脇まで来ると、あの男が手を振っていた。
「少し、止まれますか」
朔は御者に声を掛け、荷車を寄せた。
石の隣に、低い木の台が置かれていた。
「荷を直すときに使えればと思って」
男は台を押した。
脚は地面に据えられ、簡単には動かないようになっている。
「ここを通る方が増えるでしょう。地面に置きたくないものもあるかと」
朔は台の表面を手で撫でた。
粗いところには、布が引っ掛からない程度にやすりが掛けてあった。
「助かります」
「そのくらいしかできませんが」
男は言い、畑のほうを振り返った。
「あと、今日ならお茶があります」
朔は空を見た。
まだ日は高い。
帰って確認したいことはあったが、少し休む時間まで惜しむほどではなかった。
御者にも声を掛け、石に腰を下ろす。
男が城から持ってきたという茶は、少し渋かった。
三人で飲みながら、通りやすさや、雨の日に気をつける場所を話した。
ふと見ると、石の脇に木の匙が置かれていた。
「誰か来たんですか」
男は嬉しそうに頷いた。
「昨日、一人。道ができたと聞いたそうで」
「そうですか」
「遠回りさせてしまいました、と話したら、ひどく笑われました」
男は茶の入った器を両手で持った。
「お前は昔から、言うのが遅いって」
朔も、少し笑った。
*
城へ戻ってから、朔は道の記録を仕上げた。
所要時間。
道幅。
雨天時の注意。
荷車が待避できる場所。
最後に、地図の端へ小さな印を加える。
葉がそれを見つけた。
「ここは?」
「休憩できる。荷を置く台もある」
「前から?」
「今日、使わせてもらった」
葉は頷いて、自分の地図にも印を写した。
朔は最初に作った三枚の紙を取り出した。
交換すれば増える収穫。
減らせる移動時間。
こちらが負担できる作業。
どの数字も、間違ってはいなかった。
けれど、もう使わない。
紙を裏返し、次の仕事に使えるよう重ねておく。
そのうち一枚の隅に、畑で聞いたばかりの言葉を書いた。
『塩を切らしている』
次にあの道を通るとき、忘れずに持っていこうと思った。




