↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
195/200

番外 外国美人きたらライバルにはならない

番外編 外交官を返してください


 その仕事の依頼書には、最初から俺の名前が書かれていた。


「先方からのご指名だ」


 上司はそう言って、二人分の資料を机に置いた。


 ヨーロッパから来日する、若い男女。


 それぞれ別の家の出身で、家族に同行して来るらしい。資料には訪問先や家の説明が並んでいたけれど、俺は写真を見たところで手を止めた。


「あれ」


「知っているか」


「……たぶん、一緒に遊んだことがあります」


 上司が、妙な顔をした。


「たぶん?」


「小さい頃なので。こっちの人、木から下りられなくなったことがあって」


「その話は、本人がするまで出さない方がいいな」


 俺はうなずいた。


 もう一枚を見る。


 こちらにも見覚えがあった。


「この人は、その下で受け止めようとしていた人です」


「君は?」


「梯子を借りに行きました」


 上司はしばらく俺を見てから、二人の資料をこちらへ押した。


「先方が君を希望する理由は、少し分かった」


     ◇


「ユウ!」


 挨拶を最後まで言う前に、両手を握られた。


 エレオノーラ。


 昔はエラと呼んでいた。


 記憶の中では膝に絆創膏を貼っていた女の子が、今は背筋を伸ばした女性になっている。


 ただ、笑う直前に少し目を細める癖は、変わっていなかった。


「覚えている?」

「もちろん。久しぶり、エラ」


「よかった。彼女は飛行機の中で、君に忘れられていたらどうしようと三回言っていた」


 隣の青年が、穏やかな顔で余計なことを言った。


「二回よ、レオン」


「最後の一回は着陸してからだったね」


 レオンも、俺の手を握った。


 昔よりずっと大きな手だった。


「また会えて嬉しいよ」

「俺も」


 二人とも、俺がしばらく普通の生活に戻れなかったことを知っていた。


 でも、その場では詳しく聞かなかった。


 エラが俺の顔を少し長く見て、それから手を離した。


「今日は、梯子を探しに行かなくていいから」


 俺は笑った。


「それなら助かる」


     ◇


 担当するのは、滞在中の案内と交流行事の補佐。


 もちろん、俺一人に任されるわけではない。先輩職員や通訳、先方の随行者と一緒に動く。


 それでも二人は、何かあると俺を呼んだ。


「ユウ、この言葉はどういう意味?」

「ユウなら、どちらを見る?」

「さっきの店、帰りに寄れるかな」


 日本語の案内板。


 昼食の献立。


 商店街で見つけた、小さな陶器の猫。


 二人ともよく質問した。


 俺が答えると、そこからまた話が広がった。


 予定を終える頃には、喉が少し痛くなっていた。


 そして三日目の夕食後、レオンが尋ねた。


「君たちの世界を再現したゲームがあるんだって?」


 俺は湯飲みを置いた。


「うん。今は、ちゃんと遊んで帰ってこられる」


 二人は一瞬だけ黙った。


 それからエラが、確かめるように聞いた。


「あなたも、遊んでいるの?」


「仲間がいるから」


「私も会ってみたい」


 すぐに返ってきた言葉だった。


 レオンもうなずいた。


「話だけでは、想像が追いつかないんだ。君が暮らしていた場所も、君の友達も」


 俺は二人を見た。


 名所を案内してほしいと言ったときより、少し真剣な顔をしていた。


「……じゃあ、接続できるか確認しようか」


     ◇


 二人は、思っていた以上に夢中になった。


 エラは城下町から出なかった。


 仕立屋に入り、染物屋へ行き、茶屋でお茶を頼んだあと、最初の仕立屋へ戻った。


「ユウ。さっきの青と、こっちの青は違うの」


「うん」


「どちらがいいと思う?」


「エラなら、明るい方かな」


「では、レオンのは暗い方ね」


「どうして僕の服まで決まるんだい」


 そう言いながら、レオンは素直に試着していた。


 そのレオンは、城へ戻ると動かなくなった。


 内政の画面を開き、資源の収支を眺めている。


「この畑を先に上げれば、兵を増やす前に余裕ができるね」


「そうだね」


「でも倉庫が足りないな。ユウ、この建設時間は短縮できる?」


 できる、と答えたのがよくなかった。


 説明が、終わらなくなった。


 昼は現実の案内。


 夜はゲームの案内。


 その合間に報告書を書き、翌日の予定を確認する。


 気がつくと、いつもの宴会場には三日ほど顔を出していなかった。


     ◇


『今日、来る?』


 晴から書簡が来たのは、レオンに武将の配置を説明しているときだった。


『ごめん。今日は少し難しそう』


 返事はすぐに届いた。


『そっか! お仕事頑張って!』


 明るい文章だった。


 その少し後に、もう一通。


『料理は残らないからね!』


 俺は画面を見て、少し笑った。


 その翌日には、岳から来た。


『明日、空くか』


『まだ分からない。どうしたの?』


『別に』


 別に、と言う人は、だいたい何かある。


 聞き直そうとしたところで、エラに呼ばれた。


「ユウ! 馬に乗ったまま、お店には入れないの?」


「入れないよ。まず下りよう」


 そのやり取りをしているうちに、岳への返事を忘れた。


 夜になって思い出し、謝ると、


『忙しいならいい』


 と来た。


 よくなかった。


     ◇


 五日目、宴会場では俺のいない集まりが開かれていたらしい。


 あとで杏から聞いた。


「悠、最近付き合い悪くない?」


 最初に言ったのは、晴だったという。


「仕事だろ」


 岳が答えた。


「分かってるけど」


 晴は、箸で皿の端をつついた。


「ちょっとぐらい、顔出せないのかな」


「案内する相手がいるんだから、勝手には抜けられないでしょう」


 葉が言うと、晴は小さくうなずいた。


 うなずいてから、もう一度だけ言った。


「……分かってるけど」


 玄は話を聞きながら、いつも俺が座る場所に置かれた湯飲みを見た。


「呼んだのか」


「呼んだよ」


「なら待つしかない」


「玄だって、昨日書簡送ってたじゃん」


「確認だ」


「何の?」


「近況の」


 杏はそこで笑ってしまったらしい。


 朔は笑わず、料理を取り分けていた。


 一人分、多かった。


 律だけは、最初からあまり口を開かなかったという。


 晴が隣へ寄って聞いた。


「律は、寂しくないの?」


「仕事だもの」


「それ、みんな言う」


 律は湯飲みに視線を落とした。


「……寂しくないとは、言ってないでしょう」


 その一言で、卓が静かになったらしい。


     ◇


 俺が気づいたのは、六日目だった。


 律との書簡を読み返していて、返事の内容がずっと同じだと分かった。


『お疲れさま。ちゃんと食べた?』


『食べたよ。今日は遅くなりそう』


『分かった。無理しないで』


 その前の日も、似たようなやり取りだった。


 さらに前には、律からの、


『次、いつ会えそう?』


 という一文があった。


 俺はそれに、


『予定が分かったら連絡する』


 と答えていた。


 連絡していなかった。


「……まずい」


「どうしたの?」


 エラが顔を上げた。


 城下町の茶屋だった。


 向かいでは、レオンが建設終了までの時間を確認している。


「恋人に、会う予定を返してなかった」


 エラは瞬きをした。


 それから、ゆっくりとレオンを見た。


 レオンも画面を閉じた。


「ユウ」


「うん」


「僕たちの案内は、何時までが仕事なんだい?」


 答えに詰まった。


 今日の正式な日程は、とっくに終わっていた。


 二人が楽しんでいるから。


 まだ分からないことが多いから。


 そう思って、俺が残っていた。


 エラが両手を膝に置いた。


「私たち、明日も会えるわよね」


「うん」


「では、今日はその人に会いに行って」


 レオンが静かに付け足した。


「君が何でも答えてくれるから、僕たちも甘えていた」


「いや、俺がちゃんと——」


「そうね」


 エラは、そこだけは譲らなかった。


「そこは、ちゃんとした方がいいわ」


     ◇


 宴会場の扉を開けると、晴が真っ先にこちらを見た。


「あ」


 その声で、何人かが振り向く。


 俺は入口で少し立ち止まった。


「……久しぶり」


「ほんとだよ」


 晴はそう言って、すぐに自分の隣の椅子を引いた。


「座って。食べるものある」


 怒っているのか、喜んでいるのか。


 たぶん、両方だった。


 岳は俺を見るなり、


「生きてたか」


 と言った。


「毎日返事はしてたよね」


「途中で切れた」


「それは、ごめん」


 玄が湯飲みを寄せてくれた。


 葉は何も言わずに料理の皿を動かし、朔は一度だけ俺を見て、また箸を取った。


 いつも通りに見えた。


 でも、俺が座ると、少しずつ話し声が増えた。


 そのことが、胸に残った。


 律は、俺の向かいにいた。


「お疲れさま」


「うん」


 俺は彼女を見た。


「予定、返してなかった。ごめん」


「ええ。待ってた」


 穏やかな声だった。


 言い訳をすると、余計に寂しくさせる気がした。


「明後日の午後は空く。会える?」


 律はすぐには答えなかった。


 俺を見たまま、少しだけ首を傾げる。


「案内は?」


「午前で交代する。もう確認した」


「ゲームは?」


「夜まで入らない」


 律はようやく、うなずいた。


「じゃあ、会う」


 そこで晴が、横から口を挟んだ。


「私たちは?」


 俺は晴を見た。


 晴は真顔だった。


「律との約束はそれでいいよ。私たちは?」


 岳がうなずいた。


「そこは別だな」


「……明日の夜、来る」


「何時?」


「八時ぐらい」


「ぐらい?」


「八時に」


 晴は満足そうに椅子へ座り直した。


     ◇


 翌晩は、エラとレオンも連れていった。


 二人を紹介すると、晴はすぐに席を用意した。


 エラは律を見ると、きちんと姿勢を正した。


「初めまして。エレオノーラです。ユウには、とてもお世話になっています」


「律です。こちらこそ」


 二人は微笑んで、挨拶を交わした。


 そしてエラが言った。


「昨日は、ようやくお返しできてよかったです」


 俺はお茶を飲み損ねた。


 律が、ちらりとこちらを見る。


「ええ。少し長めに貸し出していたので」


「律」


「何?」


 何でもなかった。


 隣では、レオンが岳に内政の相談を始めていた。


 俺が説明しようとすると、岳に手で止められた。


「こっちは俺が聞く」


 エラの衣装の話には、杏と葉が加わった。


 晴は二人を次の催しに誘っていた。


 ずっと俺に向けられていた質問が、卓のあちこちへ分かれていく。


 少し手持ち無沙汰になっていると、隣に律が座った。


「よかったわね」


「うん」


「あなたが全部、相手をしなくても大丈夫そう」


 俺は、楽しそうに話す二人を見た。


「最初から、みんなに紹介すればよかった」


「そうね」


 律の膝が、軽く俺の膝に触れた。


 そのまま、離れなかった。


「明後日」


 彼女が小さく言った。


「うん」


「仕事の話は聞くけど、途中で案内には戻さないから」


「戻らないよ」


「書簡が来ても?」


「緊急じゃなければ、あとで返す」


 律は俺の顔を見て、それから少し笑った。


「なら、いいわ」


 卓の向こうで、晴が手を振っていた。


「悠! 明日も来るよね?」


 答える前に、隣から律の声がした。


「明後日の午後は、私が先約だからね」


 晴は一瞬きょとんとして、それから大きくうなずいた。


「分かってる! じゃあ、その前の日!」


 俺の予定が、次々と埋まっていく。


 誰もが少し拗ねていて、誰もがもう、俺の席を空けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。