番外14
番外短編 第14話 届かなかった苦情
――旧世界・ある小同盟の使者
抗議文は、三度書き直した。
一度目は、弱すぎると言われた。
二度目は、喧嘩を売りに行くのかと言われた。
三度目には誰も何も言わなかったので、それを持って出ることにした。
最後に盟主から、くれぐれも穏便に、と念を押された。
その前の日には、こちらが困っていることをはっきり伝えろ、とも言われていた。
両方できる人間を選んでほしかった。
*
俺たちの同盟は小さい。
城は街道の南側に散らばっていて、麦畑と小さな林を挟みながら、細々と土地を増やしていた。
北西の猫が大きくなってきたのは知っている。
うちの若い連中には、入りたがっている者もいた。
別に、それはいい。
大きな同盟には大きな同盟の都合があるだろうし、俺たちは俺たちでやっていけばいいと思っていた。
ただ、道を塞がれるのは困る。
街道の補修。
そう書かれた立て札が、三日前から東の分岐に立っていた。
脇には、迂回路を示す矢印もある。
矢印の先は、丘へ上がる細い道だった。
徒歩なら通れる。
馬も通れる。
荷車は、通れることもある。
昨日、粉屋の荷車が傾いた。
一昨日は、薪を運ぶ車が動けなくなった。
そして今日は、俺の番だった。
「……何が迂回路だ」
片方の車輪が、道の縁に深く沈んでいる。
抗議に行くついでに、帰りは塩と油を買ってくるつもりだった。行きの荷台には、城で余った豆を積んでいた。
それほど重くはない。
少なくとも、平らな道なら何の問題もなかった。
俺は上着を脱いだ。
押した。
動かなかった。
荷を半分降ろした。
押した。
少し沈んだ。
懐の抗議文に、四度目の書き直しを加えたくなった。
*
「動かねえのか」
振り返ると、大柄な男が立っていた。
少し後ろに、もう一人いる。
細身の方が、車輪を覗き込んだ。
「ああ、縁が崩れたのか」
「見れば分かるだろ」
思ったより強い声が出た。
俺はすぐに頭を下げた。
「すまない。手を借りてもいいか」
「そのつもりで止まったんだ」
大柄な男は、気にした様子もなく荷車の後ろへ回った。
もう一人が俺の脇にしゃがむ。
「先に、ここを掘ろう。押すだけだと余計にはまる」
短い棒で、車輪の前の土を崩していく。
大柄な男は近くから平たい石を運んできた。
二人とも、妙に手慣れていた。
「よく、こういうことが?」
俺が聞くと、大柄な男が笑った。
「まあな」
細身の男は、何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ、大柄な方を見た。
*
三人で押すと、荷車は出た。
勢い余って前へ転がり、俺は慌てて止めた。
振り返ると、大柄な男の片足が泥に沈んでいた。
「大丈夫か」
「靴は残った」
十分だと言わんばかりだった。
降ろした豆の袋まで戻してもらい、俺は何度も礼を言った。
「助かった。二人が来なかったら、まだ押してた」
「この先も狭いから、気をつけて」
細身の男が言った。
「どこまで行くんだ?」
「北西の猫の、話ができる人間のところへ」
「玄かな」
大柄な男が答えた。
知っているらしい。
「会えるだろうか」
「いると思うけどな。昼は向こうで食うって言ってたし」
「じゃあ、一緒に行こうか」
細身の男が、ごく自然に言った。
俺はありがたく頷いた。
昼飯を食べてから抗議をするのも、おかしな話ではある。
けれど、腹が減っていた。
*
食堂の長机には、先客が二人いた。
一人は紙を見ている。
もう一人は、椀を片手にそれを覗き込んでいた。
「玄、客」
大柄な男が言った。
紙を見ていた男が顔を上げる。
「俺に?」
「道で会った」
「それだけでは分からん」
俺は慌てて名を名乗り、同盟の名前も告げた。
玄という男は頷いた。
「南の林の向こうか」
「そうです」
「座ってくれ。話は聞く」
隣の男が紙を片づけた。
そのとき、大柄な男が俺の向かいへ腰を下ろした。
「今日、何だ?」
「麦と鶏の煮込み」
「大盛りにできるか」
「お前のは、もう大盛りだ」
玄が言った。
細身の男も、その隣に座る。
俺は二人を見た。
玄を見る。
もう一度、二人を見る。
「……お二人も、こちらの同盟の?」
「そうだけど」
大柄な男が答えた。
「岳。こいつも仲間」
細身の男が、小さく頭を下げた。
俺は懐に手を入れかけ、そのまま膝へ戻した。
*
料理は温かかった。
俺だけ食べないわけにもいかなかった。
岳はよく食べた。
俺の荷車を引き上げたあとだから、その空腹のいくらかには、俺にも責任がある気がした。
隣で紙を片づけていた男は、朔と呼ばれていた。
名前だけは聞いたことがある。
玄も、岳も、朔も。
もう少し早く名乗ってほしかった。
そう思ったが、こちらから聞かなかったのも事実だった。
「それで」
玄が椀を置いた。
「今日は、どういった用件だ」
俺は匙を止めた。
「ああ、その……東の街道のことで」
「補修中の道か」
「はい」
玄は黙って続きを待った。
俺の懐で、三度書き直した紙が折れている。
貴同盟による一方的な通行制限。
近隣同盟への配慮を欠いた措置。
その一方的な同盟の人間に、さっき荷車を押してもらった。
「いや、補修が必要なのは分かるんです」
俺は言った。
「道を直してもらえるのは、こちらも助かりますし」
「うん」
「ただ、少し、迂回路が」
「荷車がはまったの、あそこか」
細身の男が顔を上げた。
俺は頷いた。
机の上が静かになった。
「案内板から丘へ上がる道?」
「そうです」
朔が玄を見た。
玄は俺に向き直った。
「ほかにも何か起きているか」
「……昨日も、一昨日も」
「聞かせてくれ」
俺は岳を見た。
泥が乾いて、靴の縁に白く残っている。
「でも、こちらには助けてもらったばかりで」
玄が首を振った。
「それとこれとは別だ。聞かせてくれ」
*
俺は懐から紙を出した。
折り目を開いた。
一行目を見た。
玄も朔も、こちらを待っていた。
俺は紙を机に伏せた。
「荷車が通れないんです」
口に出すと、それが一番、言いたかったことだった。
「人が歩けるのは分かります。でも、うちから街道へ出る荷は、ほとんど車で運んでる。丘を越える道は細いし、雨のあとだから縁が崩れる」
玄が頷く。
「昨日は粉が一袋、駄目になりました。一昨日は二人掛かりで、薪を半分運び直した。俺も今日、荷を降ろしました」
「通行止めは、あと二日の予定だ」
「その二日で、また誰かが通ります」
「そうだな」
玄はすぐに言った。
その返事で、俺は次の言葉を失った。
もっと説明しなければいけないと思っていた。
困っているのは本当だと、分かってもらわなければいけないと思っていた。
朔が、片づけた紙とは別の紙を取り出した。
「迂回路を確認したのは?」
「徒歩の連絡役だ」
玄が答えた。
「荷車での確認が抜けてるな」
「ああ」
玄は俺へ頭を下げた。
「こちらの手落ちだ。すまなかった」
俺は膝の上で手を握り直した。
言おうと思っていたことは、まだ何行もあった。
けれど、急に、その大部分がいらなくなった。
*
その場ですべて解決したわけではない。
南の低い道なら荷車を通せそうだと俺が言うと、朔は地図を広げた。
途中に小さな橋があった。
岳が指でそこを叩く。
「あれは幅が足りねえ。大きい車は厳しい」
「じゃあ、元の街道を片側だけ通せないか」
細身の男が聞いた。
玄が考えた。
「作業を止めて、資材を寄せる必要がある」
「時間を決めたら?」
俺は顔を上げた。
三人がこちらを見た。
「朝と夕方だけでも。通れる時刻が分かれば、荷をまとめて出せます」
朔が紙に書き留めた。
「どのくらいの台数になる」
今度は、俺が答える番だった。
*
食後、もう一度街道へ行った。
作業していた人たちにも話をして、翌朝から荷車を通す時間を設けることになった。
今日は、俺の帰りに合わせて一度通してくれるという。
玄が俺を見た。
「戻ったら、近くの人にも知らせてもらえるか。こちらからも人を出す」
「分かりました」
「粉を駄目にした人のところも、教えてくれ。事情を確認して、補償の話をしたい」
俺は頷いた。
その横で、岳が迂回路の立て札を引き抜いた。
「これは書き直しだな」
朔が札を受け取る。
裏返し、少し考えてから筆を動かした。
荷車通行不可。
乾くのを待って、俺にも見せた。
「これなら?」
「分かりやすいです」
抗議文より、ずっと短かった。
*
帰りの荷車は、塩と油の分だけ重くなった。
それでも、平らな街道を進むのは楽だった。
城へ戻ると、盟主が待っていた。
「どうだった」
「明日から、朝と夕方に通れます。詳しい時刻はこれに」
渡した紙を読んで、盟主は大きく息をついた。
「よかった。揉めなかったか」
「少しも」
「抗議文は?」
俺は懐から取り出した。
角が折れ、端に泥がついていた。
「読まなかったのか」
「はい」
盟主が眉を寄せた。
「じゃあ、何て言った」
「荷車が通れなくて困ってる、と」
盟主は紙と俺を交互に見た。
俺は上着を脱いだ。
肩と腕が、今になって痛かった。
「あと、粉屋の場所を聞かれました。弁償の話をしに来るそうです」
「そうか」
盟主は、ようやく椅子に座った。
俺も向かいへ腰を下ろす。
「そんな話の分かる相手だったのか」
「ええ」
机に置いた抗議文を、もう一度畳んだ。
「次に何かあったら、早めに言いに来てくれって」
盟主はしばらく考えてから、頷いた。
「次も、お前に頼んでいいか」
「道が通れるなら」
そう答えると、ようやく笑いが出た。




