番外13
番外短編 第13話 最後の一軒
――旧世界・北西の猫
玄の城へ届け物を持っていったら、門が閉まっていた。
まだ夜というほどの時刻ではない。
西の空には夕焼けが残っているし、門の内側からは槌の音がする。
声を掛けると、上から岳が顔を出した。
「おう。今、開かねえぞ」
「攻められた?」
「修理」
その隣に、玄の顔が出た。
「蝶番を直している。裏へ回ってくれ」
言われたとおり城壁に沿って歩くと、小さな通用門があった。
玄が内側から開けてくれる。
「悪いな」
「いや。これ、葉から」
受け取った帳面を、玄はその場で開いた。
俺は言い添えた。
「あと、今日はそれを見るだけにしてくれって」
「どういう意味だ」
「追加で何か調べ始めると、帰りが遅くなるから」
玄は顔を上げた。
「俺は自分の城にいるが」
「葉が遅くなる」
「ああ」
納得した顔で、帳面を閉じた。
葉の予防は、どうやら間に合った。
*
帰ろうとすると、岳に呼び止められた。
「せっかくだ。下から支えてくれ」
門の修理だった。
板を少し持ち上げている間に、歪んだ金具を直すらしい。
俺は届け物だけのつもりだったが、袖をまくった。
「どこを持てばいい?」
「そこ。せーので上げるぞ」
重かった。
持ち上がったのかどうかも分からない。
「上がってる?」
「上がってる。もう少し」
「もう少しって、どのくらい」
「少し」
岳の言う少しは、信用できない。
腕が震え始めたころ、玄が金具を打ち込んだ。
最後に短い金属音がして、岳が言った。
「よし、下ろすぞ」
手を離した瞬間、指がうまく開かなかった。
玄が門を押す。
重い戸が、ゆっくりと動いた。
「直ったな」
俺は両手を振りながら、ほっとした。
玄は門を閉めた。
もう一度、押した。
動かなかった。
岳が黙って槌を取り直した。
*
結局、城を出たころには暗くなっていた。
岳と玄は、試すために門を閉めるかどうかで相談していた。
俺は通用門から出た。
途中の分かれ道には、律が立っていた。
「遅かったね」
「待ってた?」
「葉から、玄に帳面を渡したらそのまま捕まるかもしれないって聞いて」
「当たってた」
俺が手のひらを見せると、律は眉を寄せた。
「何したの」
「門を持った」
「帳面を渡しに行ったんだよね?」
「最初は」
律が少し笑って、歩き出した。
並んで道を下る。
夜風が汗の残った首元を冷やした。
畑の向こうに、ぽつぽつと明かりが見える。
初めてここへ来たころ、日が暮れると、この道はもっと暗かった。
あの小さな明かりが誰のものなのか、俺はまだ知らなかった。
「お腹空いた?」
律に聞かれて、急に空いていることを思い出した。
「かなり」
「じゃあ、あそこ寄ろう」
道の先に、湯気が上がっていた。
*
その店に名前があるのか、俺は知らなかった。
昼間は畑へ行く人が立ち寄り、夕方には荷を運び終えた人が座っている。
板を渡しただけの長椅子が二つ。
低い屋根の下で、おばさんが大きな鍋を火に掛けていた。
「あら、今日は遅いね」
「まだ食べられますか」
「二人?」
「はい」
「それならあるよ」
腰を下ろすと、向かいに先客がいた。
朔だった。
湯気の立つ椀を前に、何かの紙を眺めている。
「こんなところで何してるんだ」
俺が聞くと、朔は椀を少し持ち上げた。
「夕飯」
「それは分かる」
「じゃあ、何を聞いたんだ」
律が隣で笑った。
朔は紙を畳み、懐へしまう。
「玄のところか」
「うん。門の修理を手伝ってた」
「あれ、まだやってるのか」
「知ってた?」
「昼に通った。岳が、一度外せばすぐだと言っていた」
俺は何も言わなかった。
朔は小さく頷いた。
「そういうことだ」
*
出てきたのは、根菜と肉を煮込んだ汁だった。
丸いパンが一つ添えられている。
椀を持とうとすると、右手の指が少し痛んだ。
律が気づいた。
「無理して持たなくても」
「大丈夫」
そう言って持ち上げかけ、俺は椀を戻した。
律が無言で匙を寄せてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
煮込まれた芋は、匙を当てるだけで崩れた。
一口食べると、空腹が急にはっきりした。
しばらく黙って食べた。
向かいの朔も、余計なことを言わなかった。
おばさんが鍋をかき混ぜる音と、火の中で薪がはぜる音がした。
「あ、いた」
声に顔を上げると、葉がいた。
少し後ろに、カイもいる。
「玄のところにはいないし、自分の城にも帰ってないし」
葉が俺を見る。
「門の修理だって聞いて、何となくこうなる気はしたけど」
「探してくれたのか」
「帳面を返しに来られたら困るから、こっちから様子を見に行った」
その後ろで、カイが俺の肩に手を置いた。
「で、帰りに拾ってもらった」
「カイも探してた?」
「飯」
分かりやすかった。
おばさんが二人を見た。
「食べる?」
カイはすぐに頷いた。
葉は俺たちの椀を見てから、小さく手を上げた。
「私も、お願いします」
「パンは、あと一つだよ」
「半分でいい」
カイが答えた。
葉がそちらを見る。
「いいの?」
「汁、多めにしてもらうから」
おばさんが笑って、大きめの椀を取り出した。
*
玄と岳が現れたのは、俺が汁を飲み終えたころだった。
二人とも、妙に疲れていた。
「直った?」
俺が聞くと、玄が頷いた。
「今度は開く」
「閉まる?」
朔が聞いた。
「閉まる」
「閉めてから、また開けたか」
玄は少し黙った。
岳が代わりに答えた。
「三回やった」
「なら、大丈夫だな」
朔は安心したように水を飲んだ。
おばさんが鍋の中を覗く。
「もう、底の方だけだけどね」
「食えりゃ十分」
岳が言った。
「じゃあ、座って。詰めてあげて」
俺たちは椅子の上を少しずつ動いた。
七人座るには、狭かった。
岳が腰を下ろすと、板が低く鳴った。
全員が一度、下を見た。
「大丈夫だ」
岳が言う。
朔が椀を持ち上げた。
「念のため」
俺も真似をした。
*
七人揃っていたが、会議にはならなかった。
玄は帳面を持っていた。
朔も何かの紙を持っていた。
葉なら、今日の荷車の数を正確に言えただろう。
それでも、誰も広げなかった。
岳が門の金具のひどさを説明し、玄が、途中で力任せに引いたせいもあると言った。
カイは半分のパンで椀の底を拭っていた。
律はおばさんに、使っている香草の名前を聞いていた。
俺は痛む指を開いたり閉じたりしながら、話を聞いていた。
ふと、玄が俺の手を見た。
「悪かったな。届け物だけだったのに」
「明日、筆が持てなかったら代わってくれ」
「何を書く」
「まだ決めてない」
「決まってから言え」
律が横から口を挟んだ。
「自分で書かせた方がいいよ。長くなるから」
「それは困るな」
玄が真面目に言ったので、俺以外が笑った。
*
店を出る前に、おばさんが小さな壺を持ってきた。
「帰り、そこの木の札を裏返しておいてくれる?」
店先の柱に、札が掛かっていた。
表には、食事、とだけ書いてある。
裏は何も書かれていなかった。
俺が裏返すと、おばさんは壺の中の水を火に掛けた。
「いつも、こんな時間まで?」
「今日はあんたたちがいたからね」
「すみません」
「いいよ。鍋も空になったし」
おばさんは七つの椀を見て笑った。
「次は、もう少し早くおいで」
岳が振り返った。
「明日はパン、多めにある?」
「来るなら焼くよ」
「じゃあ、来る」
玄が呆れたように言った。
「お前は明日の予定を今決めるのか」
「飯の予定だぞ」
岳にとっては、十分な理由らしかった。
*
少し歩いたところで、背後の明かりが消えた。
振り返ると、店は夜に溶け込んでいた。
道が急に暗くなった気がした。
俺が立ち止まったので、律も振り返った。
「どうしたの?」
「いや。あそこ、最後まで開いてるんだなと思って」
「そうだね」
前から、カイの声が飛んできた。
「置いてくぞ」
「今行く」
分かれ道で、玄と岳が右へ行った。
葉と朔は、その先で別れた。
律が自分の城へ向かう道に入るとき、明日、と手を上げた。
俺も手を上げた。
最後に、カイと二人になった。
「明日も行く?」
カイが聞いた。
「あの店?」
「岳がパンを増やしたんだろ。行かなかったら、あいつが全部食うぞ」
「それはありそうだな」
少し歩いて、俺は言った。
「明日は早めに行こう」
「門には近づくなよ」
「そうする」
前方に、俺の城の明かりが見えた。
帰ったら水を飲んで、手を洗って、今日はもう寝よう。
明日の夕飯だけは、決まっていた。




