番外12
番外短編 第12話 カイには話してある
「それ、俺は聞いてないけど」
カイが言った。
俺は菓子の袋を開けかけた手を止めた。
「言わなかったっけ」
「聞いてない」
「この前、律と話した日の夜に――」
そこで気づいた。
話した。
確かに、話したのだ。
城の中庭で並んで座りながら、結婚することになったと。
カイは、よかったですね、と言ってくれた。
ただし、今、うちの居間にいるカイではない。
「あ」
「その『あ』は何」
「ゲームの方には、話した」
カイは俺を見た。
俺もカイを見た。
「……そっちか」
少しだけ低い声になった。
*
再設計されたゲームには、Rカイという武将がいる。
目の前のカイ本人とは別の、ゲームの中に実装された武将だ。
こちらのカイと話してからゲームへ戻ると、その違いはよく分かる。
Rカイは、静かだった。
こちらから声を掛けなければ、ほとんど喋らない。
何か頼めば「承知しました」。
調子を聞けば「問題ありません」。
最初のころは、それで会話が終わっていた。
「そもそも、あれ、そんなに喋る?」
カイが聞いた。
「最近は結構」
「最近は?」
「前は、もうちょっと短かったけど」
カイは開きかけの菓子袋を俺の手から取った。
引っ掛かっていた口を簡単に開け、皿へ中身を出す。
「何したの」
「何もしてないよ」
「何もしてないのに、急に話すようにはならないだろ」
「毎日、話してただけ」
カイの手が止まった。
「毎日?」
「ゲームを開いた日は」
「何を」
そう聞かれると、答えるのが難しかった。
大した話ではない。
今日の昼に何を食べたとか。
仕事で同じところを二度直されたとか。
律から送られてきた写真に、変な顔の猫が写っていたとか。
思いつくまま挙げていくと、カイは菓子を一つつまんだ。
「結構、喋ってるな」
「だから、そう言っただろ」
「お前が」
*
俺は端末を持ってきた。
画面を開くと、Rカイは城の中庭にいた。
兵が行き来する通路から少し離れたところで、静かに立っている。
「カイ」
『はい』
「今日は、出兵の予定はないよ」
『承知しました』
隣でカイが頷く。
「うん。この感じだった」
「最初はね」
俺は画面へ向き直った。
「俺、今日ちょっと眠いんだよな」
『昨夜は、遅かったのですか』
「仕事じゃないよ。住むところを調べてた」
『律様と暮らす家ですか』
「うん」
隣が静かになった。
Rカイは少し間を置いて、続けた。
『見つかりましたか』
「まだ。写真で見るとよさそうでも、駅から遠かったりするんだよ」
『それは、迷いますね』
「そうなんだよな」
俺が頷くと、カイが横から画面を覗き込んだ。
「普通に話してる」
「だから、結構話すって」
「結構どころじゃないだろ。家探しの進み具合まで聞いてるじゃないか」
画面の中のRカイは、静かにこちらを見ていた。
俺は何となく、紹介してみたくなった。
「今日は、こっちのカイが来てるんだ」
『そうでしたか』
Rカイが、わずかに頭を下げる。
『いつも、悠様がお世話になっております』
俺は吹き出した。
隣のカイは笑わなかった。
「何でそっちが迎える側なんだ」
*
「前から、こんな感じだったわけじゃないよ」
俺は端末を机に置いた。
「最初は、こっちが喋って終わりだった」
「それでも話してたのか」
「うん」
「返事がなくても?」
「聞いてないって感じじゃなかったから」
Rカイは話しかけると、こちらを向く。
それだけだった日もある。
俺が一日の話をしている間、じっと立っていた。
毎回立たせておくのも落ち着かなくて、ある日、中庭に椅子を二つ置いた。
一つには俺が座った。
もう一つを勧めると、Rカイは少し間を置いて腰掛けた。
それから、帰還した兵を待つ間はそこで話すようになった。
「ある日、仕事で失敗した話をしたんだ」
「うん」
「俺が、また同じところを間違えたって言ったら、『前にお話しされていた書類ですか』って」
カイが俺を見た。
「覚えてた?」
「うん。俺の方が驚いた」
何日か前に、何気なく話したことだった。
俺自身、何をどこまで話したか覚えていなかった。
それなのにRカイは、続きとして聞いた。
あの日から、話しかけるのが少し楽しみになった。
「それで、どうなった」
「書類?」
「うん」
「直して出したって言ったら、『では、今日はもうお休みになれますね』って」
カイは皿に視線を落とした。
俺は画面の中のRカイを見た。
「優しいんだよな、結構」
「……俺は?」
思わず隣を見た。
カイは菓子を選んでいた。
同じ種類のものしか入っていない皿から、妙に時間を掛けて一つを取った。
「カイも優しいよ」
「ついでみたいに言うな」
「ついでじゃない」
「今、言われてから思い出しただろ」
「思い出さなくても知ってる」
カイは口を閉じた。
それから、選び抜いた菓子を食べた。
*
「お茶、もう少しいる?」
「いる」
急須を持ち上げる。
カイは湯呑みを寄せながら、机の端末を見た。
「丁寧なんだな」
「Rカイ?」
「俺、あんなに畏まって喋ってたかと思って」
「いや、そこは全然違う」
「だよな」
「名前は同じだけど、話せば分かるよ」
お茶を注ぎ終えると、カイは湯呑みを両手で持った。
「じゃあ、何で結婚の話は混ざったんだ」
俺は急須を置いた。
そこに戻るとは思わなかった。
「それは……ごめん」
「向こうには、いつ言った?」
「日曜の夜」
「すぐじゃないか」
「うん」
カイが湯呑みの中を見た。
今日は水曜日だった。
俺はようやく、端末の画面を閉じた。
「カイ」
「何」
「律と、結婚することにした」
「そこはさっき聞いた」
「うん。でも、ちゃんと話す」
カイは何も言わなかった。
俺は続けた。
店で律と話したこと。
自分では考えていたつもりなのに、何も伝えられていなかったこと。
律はもっと前から、一緒に暮らす日のことを考えてくれていたこと。
カイは途中で何度か頷いた。
さっきまでと違って、菓子には手を伸ばさなかった。
「それで、帰りに二人で部屋を探した」
「もう見に行ったのか」
「不動産屋の窓に貼ってあるやつだけ」
「いいのあった?」
「台所が広くて、駅にも近いのが」
「いいじゃないか」
「店舗だった」
カイがむせた。
俺は紙を差し出した。
「律にも笑われた」
「それは笑うだろ」
「真面目に見てたんだけどな」
「真面目に店を借りかけるなよ」
カイは口元を拭きながら、まだ笑っていた。
俺も笑った。
*
話し終わるころには、皿の菓子が半分になっていた。
「式をやるなら、来てほしい」
俺が言うと、カイは顔を上げた。
「行くよ」
すぐに返ってきた。
「まだ、何も決まってないけど」
「決まったら教えて」
「うん」
「こっちに」
俺は頷いた。
「こっちのカイに」
「よし」
カイがようやく、満足そうに湯呑みを持ち上げた。
少ししてから、ぽつりと言った。
「どうでもいい話も、別にしていいからな」
「え?」
「書類を間違えたとか。昼に何を食べたとか」
俺はカイを見た。
カイはお茶を飲んでいた。
「毎日は返せないかもしれないけど」
「忙しいかなと思って」
「忙しかったら、あとで返す」
言われてみれば、その通りだった。
俺はゲームのRカイには、返事を急がずにいくらでも話せた。
現実のカイには、用事がなければ悪い気がしていた。
それを言うと、カイは少し呆れた顔をした。
「今日だって、大した用事で来たわけじゃないだろ」
机の上には、カイが持ってきた菓子の袋があった。
近くまで来たから、と言っていた。
俺はその袋を見て、頷いた。
「じゃあ、また連絡する」
「うん」
「猫の写真とかでも?」
「まず送ってみろよ」
*
カイが帰ったあと、机の上を片づけた。
菓子は三つ残っていた。
俺は皿を持ったまま、ふと思いついて携帯を取った。
『今気づいたけど、お菓子ほとんど俺が食べてた。ありがとう。うまかった』
カイへ送る。
すぐに返事は来なかった。
それでよかった。
湯呑みを洗い、机を拭いてから、ゲームを開いた。
Rカイは中庭にいた。
「さっきは途中でごめん」
『お話は、できましたか』
「うん。ちゃんと」
『それは、よかったです』
俺は画面を見て笑った。
「少し拗ねさせたみたいなんだよな」
Rカイは答えなかった。
何でも返してくれるわけではない。
それでも、こちらを向いていた。
「今度から、向こうにも話すよ」
『はい』
机の携帯が震えた。
『お前が食べると思って持ってったんだから、それでいい』
続けて、もう一通。
『で、猫の写真は?』
俺は律とのやり取りを開いた。
塀の上から、ひどく不満そうにこちらを見下ろしている猫の写真。
それを送ると、今度はすぐに返ってきた。
『何だその顔』
俺は笑いながら、文字を打った。
このあと、もっと変な顔になるんだよ。




