番外10
番外編 第10話 両親が公式に手を出した
父が、食後の茶を飲みながら聞いた。
「律さんとは、最近どうなんだ」
俺は菓子を取ろうとしていた手を止めた。
「どうって?」
「仲良くしているか」
「してるよ」
「そうか」
父は頷いた。
母も頷いた。
二人とも、その先を待っていた。
俺は菓子を取った。
食べた。
飲み込んだ。
まだ待っていた。
「……何?」
母が父を見た。
父が母を見た。
そのやり取りで、既に何か相談していたのだと分かった。
「次の話は、出ていないのか」
父が言った。
「次?」
「結婚」
菓子が喉に引っかかった。
*
「付き合ってるんだから、急がなくてもいいだろ」
水を飲んでから、俺は言った。
母はすぐ頷いた。
「もちろん。急がせるつもりはないわよ」
その隣で、父も頷いた。
「本人たちで決めることだ」
「なら、いいじゃないか」
「ただな」
よくない流れだった。
父は茶器を置いた。
「この前、律さんに来年の話を聞いたら、お前の予定も確かめないと、と言っていた」
「うん」
「お前に聞いたら、律の予定もあるから、と言った」
「それはそうだろ」
「どっちかが、先に聞けばいいんじゃないか」
俺は黙った。
母が静かに笑った。
味方がいなかった。
「話はしてるよ」
「何の?」
「仕事とか。今度どこへ行くかとか」
「それも大事ね」
母はそう言った。
言い方が、妙に優しかった。
*
同じ頃、運営では、新しい宣伝映像の企画が進んでいた。
ゲームは、すでに大きなタイトルになっていた。
今度の更新では、新しく始める人に向けた導入も作り直す。
ただ機能を説明するだけではなく、この世界で何が起きてきたのかを、短い映像で伝えたい。
城。
戦場。
同盟。
そこに集まる人々。
技術の更新に合わせて、最初に目にする映像にも力を入れることになった。
父がその話を聞いたのは、サーバー増強の進捗を確認していた席だったらしい。
「宣伝の方も、新しくするんですか」
「はい。過去の出来事をもとに、いくつかの場面を再構成する予定です」
「なるほど」
父は資料を見た。
そこには、北西の戦いも含まれていた。
俺たちが脱出するまでに経験した、いくつもの出来事。
それらを映像へ利用すること自体は、以前に確認を受けていた。
顔や現実の情報をそのまま出さず、過去の姿を演出の中で使う。
俺も律も、その範囲で了承していた。
了承していたのだ。
両親が途中から制作費を足すことまでは、聞いていなかった。
*
「人が、誰かのために動くところがいいですね」
父は言ったらしい。
母も、その場にいた。
「そうなんです。ただ強い武将を集めるだけじゃなくて」
制作担当者が頷く。
「皆さんが共感できるような物語を、導入に据えたいと考えています」
母が資料を指した。
「最初の、奥様を守ろうとした方の話は入るんですよね?」
「はい。大同盟が生まれた背景として」
「その後に、反対の立場の話を重ねたらどうかしら」
「反対、といいますと」
「夫を守ろうとして、人を集めた女性」
制作担当者は、資料を見直した。
父が静かに言った。
「史実をそのまま読み上げる必要はないでしょう。伝承として、少し先の未来まで想像させるような」
担当者が顔を上げた。
「夫婦を軸にした、二つの物語ですね」
母は微笑んだ。
父も微笑んだ。
このとき、二人の間では、ほとんど言葉は要らなかったらしい。
*
最初の試写には、俺も呼ばれた。
律もいた。
晴と玄も来た。
両親は、一番後ろに並んで座っていた。
その時点で、少しおかしいと思うべきだった。
「父さんたちも見るんだ」
「支援したからな」
「サーバーでしょ」
「映像も、少し」
俺は父を見た。
「少し?」
母が、俺の背中を軽く押した。
「始まるわよ。座って」
律が隣の席へ腰を下ろした。
俺も座る。
照明が落ちた。
*
最初に聞こえたのは、風だった。
黒い画面の奥で、旗が一度だけ鳴った。
遠くに城壁が見える。
夜明け前の平原。
兵たちは、まだ動かない。
城門の前に、一人の男が立っていた。
背後には、窓辺に灯る小さな明かり。
そこに、女の影があった。
低い声が流れた。
『かつて、妻を守るために、大同盟を築いた者がいた』
旗が上がった。
一つだった城の明かりが、地平の先まで増えていく。
別々の道を進む軍勢。
開く門。
差し出される手。
書簡に押される印。
ばらばらだった旗が、同じ風を受けた。
玄が、小さく息を吐いた。
「金かかってるな」
俺も、そこまでは素直に見入っていた。
*
画面が暗くなった。
今度は、雨の音だった。
机の上へ広げられた地図に、水滴が落ちる。
女が立っていた。
顔は、まだ見えない。
濡れた袖。
握られた書簡。
地図の向こうに、一つだけ孤立した城がある。
声が続いた。
『そして、夫を守るために、大連盟を結んだ者がいた』
俺は、隣を見た。
律は前を向いていた。
ただ、さっきまで膝の上に揃えていた指が、止まっていた。
映像の女が顔を上げる。
律に似ていた。
似ているどころではなかった。
あの世界で、何度も見た横顔だった。
少しだけ年を重ねたようにも見える。
衣装も違う。
だが、書簡を持つ指の形まで、妙に見覚えがあった。
「……律?」
「見てる」
短い返事だった。
*
映像の女が、書簡を机へ置いた。
『彼のところへ、道を』
声は律本人ではなかった。
だが、落ち着いた言い方が、やけに似ていた。
その言葉を合図に、世界が動いた。
城門が開く。
谷を騎兵が抜ける。
川面に、無数の旗が映る。
別々の同盟章をつけた使者たちが、同じ地図を囲む。
一人が頷く。
次の一人も頷く。
違う旗を掲げたままの軍勢が、同じ方角へ進んでいく。
その先で、一人の男が振り返った。
俺だった。
正確には、俺をもとにした映像上の人物だった。
今より少し立派な鎧を着て、疲れた顔をしている。
そして、左手に指輪があった。
俺は後ろを向いた。
暗がりで、父が画面を見ていた。
母も見ていた。
二人とも、実に真面目な顔だった。
「父さん」
父が唇の前へ指を立てた。
「上映中だ」
*
音楽が、一気に大きくなった。
そこからは、ゲーム全体を紹介する映像だった。
晴が平原を駆ける。
玄が地図を押さえ、部隊へ指示を飛ばす。
朔の部隊が敵の進路を断つ。
葉の帳面へ数字が書き込まれ、岳たちの運ぶ荷が城へ届く。
街では店が開く。
畑では穂が揺れる。
酒場で人が笑い、城壁の上で二人が肩を並べる。
蒼波の騎兵が光の向こうへ消えたかと思うと、別の戦場へ現れる。
カイが敵陣を前に、楽しそうに口の端を上げた。
画面が次々に切り替わる。
戦う者。
作る者。
待つ者。
帰ってくる者。
その最後に、俺をもとにした男と、律をもとにした女が再会した。
台詞はなかった。
女が歩み寄る。
男の胸元へ、軽く拳を当てる。
怒っているようにも、安心しているようにも見えた。
男が、その手を取った。
律が隣で、静かに息を吐いた。
俺は画面を見たまま、動けなかった。
『あなたは、この世界で、誰と生きる。』
大きな文字が現れた。
ゲームのタイトル。
短い余韻。
そして、見慣れた開始画面へつながった。
中央に、一つだけ表示が浮かぶ。
【ゲームスタート】
*
明かりがついた。
最初に拍手したのは、晴だった。
「すごい!」
制作担当者たちが、ほっとした顔をした。
玄も頷いていた。
「導入としては、かなりいいな」
「いいんだけど」
俺は立ち上がった。
「途中に、知らない結婚があった」
母が微笑んだ。
「映像上の人物でしょう?」
「顔が俺たちだったよ」
「少し違ったわよ。悠、あんな立派な鎧は持っていないでしょう」
「鎧の話じゃない」
制作担当者が、慌てて説明を始めた。
「過去の出来事をもとにした前半と、未来の可能性を描いた後半という構成でして。実在の人物の婚姻関係を告知する意図はなく――」
「分かります。分かるんですけど」
俺は両親を見た。
この二人に、その意図がないとは思えなかった。
父が言った。
「率直に聞こう。嫌だったか」
俺は言葉を止めた。
映像は、よかった。
腹立たしいことに、よかった。
律を思わせる女の呼びかけで、違う旗を持つ人々が集まるところは、胸に来た。
最後に再会したときは、少し息が詰まった。
だからといって、父の思惑どおりに頷くのも違う。
「嫌とかじゃなくて、先に聞いてほしかった」
父は頷いた。
「それは、そうだな」
母も、少しだけ表情を改めた。
「そこは、ごめんなさい」
*
律が、椅子から立った。
俺はそちらを見た。
怒っているかと思った。
恥ずかしそうではあった。
でも、目は逸らしていなかった。
「映像は、とてもよかったです」
制作担当者へ、そう言った。
それから、両親の方を向く。
「ただ、私たちの話は、私たちでします」
母が背筋を伸ばした。
「ええ」
「ご心配をかけているなら、すみません。でも、そこは待っていただけますか」
父も、今度は冗談を挟まなかった。
「分かりました」
律は頷いた。
その横で、俺は少し肩の力を抜いた。
助かった、と思った直後だった。
律が俺を見た。
「だから、悠」
「うん」
「ちゃんと、話そうね」
俺は頷いた。
「……うん」
後ろで、母が父の袖をつかんだのが見えた。
二人とも何も言わなかった。
言わなかったが、勝った顔だった。
*
映像の公開前には、俺たちにも改めて確認が来た。
物語の後半は、この世界で生まれ得る未来を描いた創作であること。
俺たち本人の結婚を発表するものではないこと。
その説明を整えたうえで、人物の表現も含め、最終的に俺と律が了承した。
母は、その確認には口を出さなかった。
父も出さなかった。
制作費は、既に十分出ていたらしい。
俺は金額を聞かなかった。
聞いても、映像の長さと予算の関係が分からなくなるだけだと思った。
*
更新当日、新しい導入映像が流れた。
評判はよかった。
大同盟が生まれるところがいいという人。
連盟の旗が一斉に進むところで鳥肌が立ったという人。
戦争以外の暮らしも見えて、始めたくなったという人。
そして、当然、俺たちを知る連中からも連絡が来た。
玄からは、一行。
『先に言えよ』
俺は返した。
『違う』
朔からは、
『あの連盟、指揮系統どうなってる?』
そこなのかと思った。
晴からは、
『お祝い、いつする?』
俺は同じ説明を三回書いた。
カイは、俺の左手を見ていた。
「何?」
「まだ、ありませんな」
「映像だから」
「承知しております」
絶対に、面白がっていた。
*
その夜、律と二人で、新しい開始画面を見た。
映像は一度見れば飛ばせる。
それでも律は、最後まで見ていた。
俺も隣で見た。
映像の中の二人が、また再会する。
音楽が静かになり、タイトルが出た。
【ゲームスタート】
律が言った。
「すごく、お金がかかってるね」
「うん」
「ご両親、仲いいね」
「悪ノリするときほどね」
律が笑った。
俺も笑った。
少しして、律がこちらへ顔を向けた。
「日曜、時間ある?」
「ある」
「ゲーム、休んでもいい?」
「いいよ」
律は頷いた。
俺は開始画面へ手を伸ばしかけて、止めた。
「日曜、どこで話す?」
「静かなところがいい」
「分かった。探しておく」
そのとき、母から連絡が来た。
『新しい映像、見た?』
俺は少し考えてから返した。
『見た。日曜は律と出かけるから、二人とも呼ばないで』
返事は、すぐだった。
『承知しました』
続けて、父からも来た。
『店が必要なら』
俺は途中で返した。
『自分で予約する』
隣で律が笑った。
画面では、まだ【ゲームスタート】の文字が光っていた。
俺はその日は押さずに、律と店を探し始めた。




