番外9
番外編 第9話 母は全部持っている
玄が、同じ報告を三回読んだ。
一回目は、いつもの顔だった。
二回目で、地図へ目を移した。
三回目で、俺を見た。
「お前の母親、何人いるんだ」
「一人だよ」
「じゃあ、これがおかしい」
差し出された報告には、すみれの名前が並んでいた。
東の砦。
中央の渡河地点。
西の丘。
そのすべてで、大規模な部隊が確認されている。
時刻を見る。
確かに、おかしかった。
「これ、同じ日の報告?」
「だから三回読んだ」
玄は椅子へ座り直した。
「しかも、見た奴が全員、兵が多いと言ってる」
「母さん、結構集めてたから」
「武将の話じゃない。兵の話だ」
俺は報告へ目を落とした。
その下には、同行する武将の名前も書かれていた。
こちらも多かった。
*
その少し前、交流を兼ねた模擬戦の話が持ち上がっていた。
実際の領地を奪い合うのではなく、区切った演習場の拠点を取り合う。
時間内に、どれだけ押さえられるか。
戦闘で失った兵は演習の外へ持ち越さないため、普段は温存する部隊も出せる。
晴は乗り気だった。
母も乗り気だった。
玄は、相手同盟が参加すると聞いて、さらに乗り気になった。
「一度、ちゃんと見たい」
そう言っていた。
見た結果、今、報告を三回読んでいる。
*
母の同盟には、よく口にする言葉があった。
『神速こそ同盟の華』
全員が、ただ速い部隊を持っているという意味ではなかった。
先に進む者がいる。
道をつなぐ者がいる。
援軍を集める者がいる。
動いた部隊を戻し、次の場所へ送り直す。
その切り替えを、同盟全体で合わせる。
一人の早さでは届かない場所へ、皆で先回りする。
以前、母からその話を聞いたとき、俺は素直に感心した。
「結構難しいよ、それ」
「そうみたいね。時刻を間違えると、後ろの人も困るから」
母はそう言い、紙に予定を書き込んでいた。
その数日後、質問が来た。
『蒼波って、戻す方も速いのよね?』
俺は答えた。
蒼波の系統には、騎兵の即時帰還や召喚など、部隊を移し直すうえで強力な能力がある。
普通の行軍だけではできない動きができる。
ただし、それだけで何でも済むわけではない。
能力には使える条件があり、次に使うまで待たなければならないものもある。
戻した兵が消耗していれば、そのまま次へ出しても弱い。
母は最後まで聞いた。
そして言った。
「じゃあ、一人じゃ足りないのね」
俺は頷いた。
そこで、確認すべきだった。
母の言う一人が、何を数えているのか。
*
演習が始まって最初の接触は、東の砦だった。
こちらの先遣隊が着いたとき、すでに母の騎兵がいた。
到着が早い。
しかも、少人数の先取りではなかった。
正面から押すには、こちらも兵を揃える必要があった。
玄が報告を見て、中央へ指を移した。
「なら、こっちを先に取る。東は引きつけておけ」
その指示が出た直後、東から続報が来た。
『すみれ隊、帰還』
俺は玄を見た。
玄も、こちらを見た。
「蒼波か」
「たぶん」
「だったら次は――」
中央から報告が来た。
『敵増援。すみれ隊を確認』
晴が地図を覗き込んだ。
「もう?」
玄は、まだ落ち着いていた。
「そこまではできる。問題は、その後だ」
中央へ出していた部隊を少し下げる。
母が一度能力を使ったなら、次の切り替えには隙がある。
そこで西を押す。
西の丘を取れば、中央へ進む相手の側面を押さえられる。
玄は時刻を確かめた。
「今だ」
西からの報告は、短かった。
『大部隊あり』
続けて、もう一通。
『すみれ』
*
「同じ部隊なのか?」
玄が聞いた。
確認させる。
返事が来る。
違った。
東にいた武将と、中央に現れた武将は違う。
西にいた武将も違う。
だが、どれも蒼波に近い役割を担える、移動能力の強い武将だった。
俺は、実家で見せられた一覧を思い出した。
あのとき、最初の二列しかまともに見ていない。
それ以上見ると、何か聞かなければならなくなる気がしたからだ。
見ておけばよかった。
「何体持ってるんだ」
玄が言った。
「知らない」
「聞け」
「演習中に敵へ戦力聞いて、答えてくれると思う?」
玄は少し考えた。
「お前の母親なら、嬉しそうに答えるかもしれない」
否定しきれなかった。
*
それでも、移動用の武将だけなら対処のしようがあった。
速く着いても、兵が少なければ押せる。
一か所へ集中させれば、ほかが薄くなる。
消耗させれば、次の部隊は弱くなる。
玄も、そう考えていた。
ところが、中央で交戦した部隊から、別の報告が来た。
『後続も多い』
さらに、
『交代部隊も満数に近い』
玄が黙った。
晴は、何か面白くなってきたときの顔をしていた。
「すみれさん、いっぱい育てたんだね」
「そういう話で済む数じゃない」
玄が言う。
律が届いた報告を順番に並べた。
「消耗した兵を、そのまま回しているわけじゃないね」
「全部、別に用意してるのか」
俺が言うと、律は頷いた。
「少なくとも、今見えている範囲では」
玄が地図の横へ、母の部隊を示す駒を置いた。
一つ。
二つ。
三つ。
少し迷って、四つ目も置く。
「一人の名前で、同盟みたいに動くなよ」
俺には、返す言葉がなかった。
*
母の側でも、景浦が似たような顔をしていたらしい。
演習後に聞いた話だ。
最初の打ち合わせでは、東へ先遣を出し、中央へ援軍を集め、西には別の参加者が回る予定だった。
母は、それを真面目に聞いていた。
最後に手を上げた。
「東、私が行きます」
景浦が頷く。
「お願いします。帰還後は、中央の援軍へ」
「中央も、先に用意してあります」
「ありがとうございます。では西は――」
「西も行けます」
景浦は顔を上げた。
「すみれさん、順番に動かすので、全部担当しなくても」
「別の部隊です」
母は一覧を見せた。
景浦が黙った。
隣から別の仲間が覗き込む。
その人も黙った。
「ここが戻ったら、次はこちらを使います。さっき確認したら、この組み合わせなら間に合いました」
母は、予定表へ線を引いた。
能力の使い回しではなかった。
一度使った武将を無理に早く再使用するのではなく、次の武将が待っていた。
さらに、その次も。
蒼波をはじめとする帰還・召喚系統の武将を複数揃え、別々の部隊と組み合わせてある。
条件を満たす場所には、先に受け入れる側も置いていた。
「神速こそ同盟の華、でしょう?」
母が言った。
景浦はしばらく一覧を見た後、答えた。
「はい。そうなんですが」
隣の仲間が小声で言った。
「一人で咲かせるとは思わなかった」
*
演習の中盤、玄は狙いを変えた。
母の部隊が動くのを追いかけるから、後手に回る。
戻す場所か、次に出てくる場所を押さえる。
そのために、相手の後方拠点へ偵察を入れた。
戻ってきた報告を読んだ玄が、今度は俺へ渡さなかった。
机に置いた。
「何?」
「読め」
俺は読んだ。
兵がいた。
当然だ。
その指揮を執る武将の名前が並んでいた。
俺はそこで止まった。
もう一度、上から見た。
最高位。
最高位。
その次も、最高位。
「……前線、だよね?」
「後方だ」
「じゃあ、予備?」
「予備と、内政の配置だそうだ」
俺は顔を上げた。
玄が、疲れたように言った。
「内政も全部、最高位らしい」
*
母の考え方は、本人に言わせれば単純だった。
大きな部隊を動かしたい。
そのためには兵がいる。
兵を増やすには、資源がいる。
食べさせる分もいる。
早く揃えるには、育成や補充を助ける能力もほしい。
だから、そこにもよい武将を置いた。
よい能力なら、強くした方がいい。
重ねられるなら、重ねた。
主力を揃えた後の余りで内政を回す、という順序ではなかった。
畑にも、倉庫にも、兵を揃えるところにも、最初から強い武将がいた。
俺がそれを知ったのは、演習が終わってからだった。
「もったいなくない?」
実家の食卓で聞くと、母は不思議そうにした。
「何が?」
「その武将、内政に置いたままなんでしょ」
「内政の人だもの」
「でも、最高位だよ」
「よく働いてくれるから助かるわ」
母はお茶を飲んだ。
「兵を連れていく人だけ立派でも、兵がいなかったら困るでしょう」
正しかった。
正しかったが、それを全部、最高位で揃えられる人は少ない。
*
演習の終盤、俺は母の予備部隊を直接見た。
偵察の報告に誇張があるのではないかと思ったのだ。
なかった。
後方の道に、部隊が並んでいた。
先頭には、一人いるだけで人が集まるような武将がいる。
その後ろにもいる。
さらに後ろにもいる。
一人の主役を支える取り巻きではなかった。
それぞれが、独立した大部隊を率いていた。
槍の列が道の向こうまで続く。
騎兵の待機場所は、少し離れた広場まで使っていた。
交代して戻ってきた部隊の横を、別の満ち足りた兵の列が進んでいく。
カイが隣へ来た。
「主」
「何」
「母上は、武将を何だと思っておられるのですか」
「俺も、それを聞こうと思ってた」
そのとき、母から演習内の書簡が来た。
『そこにいるの、悠?』
見つかっていた。
『そう』
『よく見えるでしょう。きれいに並んだの』
俺は目の前の軍勢を見た。
きれいではあった。
怖いくらいに。
『母さん、これ、どういう編成?』
返事はすぐだった。
『強い武将を、兵隊みたいに並べたら強いんじゃないかと思って』
俺は、カイへ見せた。
カイは読み終え、しばらく黙った。
「……兵隊が、それぞれ兵隊を連れておりますな」
「そうなんだよ」
*
最後の拠点へ向けて、こちらも兵を集めた。
晴が号令を出し、玄が時刻を合わせた。
朔が別の道を押さえる。
今度は、こちらも遅れなかった。
最初の一隊を止めた。
次の一隊にも耐えた。
玄が短く言った。
「ここまでは取れる」
その直後、相手の後方から、新しい部隊が現れた。
別の武将だった。
兵も多かった。
玄は報告を受け取ったまま、動かなかった。
晴が横から覗く。
「まだいたんだ」
俺は母の一覧を思い出した。
下へ、まだ続いていた。
*
演習は、母たちの同盟が勝った。
こちらも拠点は取った。
玄が読んだ移動先を押さえ、一度は母の切り替えを遅らせることもできた。
ただ、その後に出てきた別部隊の処理が終わる前に、時間が来た。
終了の知らせが出ると、晴は笑っていた。
「すごかったね!」
玄は椅子に座り、額を押さえていた。
「速い部隊を止めたら、後ろから多い部隊が来る」
朔が頷いた。
「後ろを狙ったら、そこにも強いのがいる」
律は記録をまとめながら言った。
「動かしている人は、一人なんだけどね」
それが一番、納得しにくかった。
*
交流会では、母の周りに人が集まった。
玄もいた。
さっきまで不機嫌だったくせに、もう一覧を見せてもらっている。
「ここも重ねたんですか」
「ええ。こっちが上がると、準備が早くなるから」
「こっちの能力まで?」
「余らせておくよりいいかと思って」
玄が振り返り、俺を見た。
何も言わなかった。
言いたいことは分かった。
俺に言われても困る。
景浦が隣へ来た。
「助かるんですけどね」
俺は頷いた。
「でしょうね」
「ただ、皆で分担する予定だったところを、一人でできてしまうので」
「同盟の仕事がなくなる?」
「いえ。その分、別の場所へ行けます」
景浦は少し遠い目をした。
「結果として、同盟全体が忙しくなりました」
それは、申し訳なかった。
*
帰り際、俺は母へ聞いた。
「今日、面白かった?」
「面白かったわよ」
母は即答した。
「玄さん、途中で戻る場所を押さえたでしょう。あれは困った。次の人を出す順番、間違えるところだったもの」
「間違えなかったんだ」
「一か所、間違えたわよ。誰にも言わなかったけど」
母は楽しそうに笑った。
俺は、その顔を見て少しだけ安心した。
ただ強い武将を眺めているだけではなかった。
覚えて、試して、忙しく手を動かしていたのだ。
「でも、少し買い足そうかしら」
安心した直後に、母が言った。
俺は顔を上げた。
「何を」
「今日、途中で待ってもらった場所があったから。もう一組あれば、あそこも――」
「母さん」
「何?」
「今ので十分、同盟一個分くらいあったよ」
母は少し考えた。
それから、あっさり答えた。
「じゃあ、二個分になれば、もっと皆が楽になるんじゃない?」
隣で聞いていた景浦が、静かに目を閉じた。




