↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
171/200

蛇足

蛇足編 盟主、見習いになる


 帰ってきた人たちは、少しずつ日常へ戻っていった。


 もちろん、全員が同じ速さではない。


 退院した人もいれば、まだ病院で過ごしている人もいる。


 前の仕事へ戻る人。


 しばらく休む人。


 何をしたかったのか、改めて考え始めた人。


 七人の連絡先にも、城や兵とは違う言葉が増えた。


『電車、思ったより疲れる』


 玄から届いた。


『座れなかった?』


 杏が聞く。


『降りる駅を間違えて歩いた』


 朔の返事は早かった。


『移動経路を確認しろ』


 岳が続いた。


『帰り道も』


 俺は画面を見て笑った。


 現実へ戻っても、役割が変わらないところはある。


     *


 晴は、近所の子どもと釣りをしていた。


 送られてきた写真では、小さな魚を持って、本人だけが大物を釣ったような顔をしている。


 千景は仕事へ戻り、早速、誰が作ったのか分からない引き継ぎ資料に困っているらしい。


『向こうで同盟を分けた時の方が、まだ記録がありました』


 という連絡に、俺は返す言葉がなかった。


 正臣は奈緒と、料理教室を探していた。


 今度は主催する側ではなく、習う側だという。


 巌は、真砂の新しい仕事の相談に付き合っていた。


『また何か始める気だ』


 そう書いてきた本人も、ずいぶん楽しそうだった。


 俺は、その頃まだ、家の中で迷っていた。


 比喩ではない。


 実家が、思っていたより広かった。


     *


「こっちは、普段使ってないから」


 母に言われて、俺は廊下の先を見た。


 扉がある。


 その向こうにも廊下がある。


「使ってない場所、多くない?」


「そう?」


「そう、じゃなくて」


 病院にいた頃から、少し変だとは思っていた。


 手続きが早い。


 必要な物が、頼む前に揃う。


 見舞いへ来る人が、母にやたら丁寧に挨拶する。


 退院の日には、迎えの車に運転手がいた。


 俺は、前の生活の記憶を少しずつ取り戻していた。


 その途中で、自分の実家が相当に裕福だったことも思い出した。


 父は会社を経営している。


 一つではない。


 祖父の代から続いている事業もあるらしい。


 らしい、というのは、以前から俺が細かく把握していなかったためだった。


「俺、向こうで資源の箱一つに、あんなに悩んでたのに」


 呟くと、母が首を傾げた。


「何の話?」


「いや……」


 目の前の花瓶が、妙に気になった。


 値段は、聞かないことにした。


     *


 父と落ち着いて話したのは、その夜だった。


 食卓は広いのに、使っているのは端の方だけだった。


「しばらくは、何もしなくていい」


 父は言った。


「必要なことを済ませて、体を戻してから考えればいい」


「うん」


「会社に入れとも言わない。別のことをしたいなら、それもいい」


 責められると思っていたわけではない。


 ただ、何かを決めなければならない気がしていた。


 助けてもらった。


 帰ってこられた。


 なら、早く元へ戻らなければ、と。


 父は俺の返事を待たず、汁椀を持った。


「今は、帰ってきたんだから。それで十分だ」


 俺は箸を置いた。


 母は何も言わず、取り分けた皿をこちらへ寄せた。


 その夜は、いつもより少し多く食べられた。


     *


 犯罪対策室から連絡が来たのは、それからしばらく経ってからだった。


 事件後、国内での支援や各方面との調整を担当してくれていた窓口だ。


 話したいことがあるという。


 また、あの世界での聞き取りかと思った。


 行ってみると、別の資料を渡された。


「国際調整の仕事に、関心はありますか」


 俺は資料から顔を上げた。


「国際調整?」


「今回の事件は、日本だけでは対応できませんでした。被害者の保護、各国の捜査機関との連絡、技術の取り扱い。今も、調整が続いています」


 そこまでは分かる。


 分かるが、なぜ俺に聞くのかは分からない。


「あなたに、研修へ参加していただけないかという話が出ています」


「俺、専門の勉強をしてきたわけじゃないですよ」


「ですから、研修からです」


 担当者は、穏やかに答えた。


「いきなり国を代表して交渉していただくわけではありません」


 それは、心から安心した。


     *


 紹介されたのは、外交の実務を学ぶための研修枠だった。


 国際法。


 語学。


 各国の制度。


 議事録の作り方。


 説明を聞くほど、知らないことが増えていった。


 あの世界で人と話せたからといって、すぐにできる仕事ではない。


 先方も、そのつもりはなかった。


 面談と課題があり、何度も話をした。


 書いた文章には、細かな修正が入った。


 自分では同じ意味だと思っていた言葉が、相手の国や立場によって違って受け取られることを教わった。


「その場で、善意で約束してはいけないこともあります」


 説明を受けて、俺は少し黙った。


「心当たりがありますか」


「かなり」


 面談相手が、初めて笑った。


「では、そこから学んでいきましょう」


     *


 数か月後、俺は見習いになった。


 正式な肩書きは、もう少し長い。


 俺自身は、日本の外交官になるための見習い、と説明していた。


 七人へ伝えると、しばらく返事が来なかった。


 最初に返してきたのは、玄だった。


『城が国になったのか』


『そんな簡単な話じゃない』


 すぐに否定した。


 朔が続いた。


『勝手に物資を融通するなよ』


 葉。


『分からないことは確認して』


 岳。


『帰れなくなる約束はするな』


 杏。


『ご飯は食べてね』


 誰も、仕事内容を詳しく知らないはずだった。


 それなのに、注意されることには、全部心当たりがあった。


 律からは、個別に連絡が来た。


『おめでとう。今度、ちゃんとお祝いしよう』


 俺は、その一文を何度も読んだ。


     *


 実家の話が知られたのは、その少し後だった。


 自分から隠していたつもりはない。


 ただ、話す機会がなかった。


 退院後の集まりをどこで開くか相談していた時、母が庭を使えばいいと言った。


 人数を伝えた。


 大丈夫だと言われた。


 皆に写真を送った。


 返事が止まった。


 玄から通話が来た。


「お前んち、砦?」


「家だよ」


「何人守備置ける?」


「置かない」


「じゃあ、あの門は何だ」


「門だよ」


 会話にならなかった。


 真砂からは、珍しく即座に連絡が来た。


『少し、お仕事のお話を』


 その直後、巌から届いた。


『止めといた』


 ありがたかった。


     *


 律は、笑うだけだった。


「聞いてた?」


「前に、お母さんから少し」


「言ってくれればよかったのに」


「自分の家でしょう」


 それは、そうだった。


 電話の向こうで、律が少し考える。


「でも、意外だった」


「何が?」


「向こうで、安い武将を探して、すごく悩んでたから」


「あれは、あっちの生活だし」


「うん。そういうところ、いいと思う」


 不意に言われて、黙った。


 律は、こちらが黙ったのを察したらしい。


「今、照れた?」


「照れてない」


「そう」


 声が、笑っていた。


     *


 デートの日は、晴れた。


 俺も律も、以前よりずっと歩けるようになっていた。


 それでも、予定は詰めなかった。


 昼を食べる。


 近くを少し歩く。


 疲れたら、店へ入る。


 それだけだった。


 待ち合わせ場所へ着くと、律はもういた。


 淡い色の服を着て、片手に小さな鞄を持っている。


 俺を見つけて、手を上げた。


 その姿を見て、足が少し速くなった。


「待った?」


「今、来たところ」


「本当に?」


「本当。今日は、確認しなくていいの」


 そう言って笑った。


 俺も笑った。


     *


 入ったのは、小さな洋食店だった。


 席へ案内され、向かい合って座る。


 律がメニューを開いた。


「何にする?」


「迷ってる」


「すぐ決めそうなのに」


「仕事で一日中、知らないことを確認してるから、昼くらい簡単に決めたいんだけど」


「それで迷ってるんだ」


 俺は頷いた。


 律が、メニューの端を指す。


「じゃあ、違うものを頼んで、少し分ける?」


「それがいい」


 注文を済ませた。


 同盟の食料を分配するのとは違う。


 どちらを頼んでも、誰も困らない。


 そんな小さな相談が、妙に楽しかった。


     *


「仕事、どう?」


 律が聞いた。


「知らないことばかり」


「うん」


「会議に出ても、分かったつもりで聞いてた言葉が、後で違う意味だと分かったりする」


「大変そう」


「大変。でも、聞ける人がいるから」


 先輩がいた。


 資料があった。


 分からないまま決める前に、確認する時間があった。


 全部を自分で引き受けなくていい。


 そのことを、毎日覚え直していた。


「この前、何も決めてない会議なのに、すごく疲れた」


 俺が言うと、律は頷いた。


「次に何を話せるか、決まったんじゃない?」


 俺は顔を上げた。


「……そうかもしれない」


「だったら、進んでるよ」


 いつか外交官だった彼女は、簡単そうに言った。


 俺が資料を読み返して、ようやく分かりかけていたことだった。


「律も来ればいいのに」


 つい口から出た。


 律が、ゆっくり俺を見る。


「今日は、勧誘されに来たんじゃないんだけど」


「すみません」


「よろしく」


 ちょうど料理が運ばれてきた。


 助かったと思った。


     *


 食後、川沿いを歩いた。


 少し先に橋がある。


 遊歩道の脇には、ベンチが並んでいた。


 律の歩幅へ合わせる。


 合わせているつもりでいると、律も俺に合わせていた。


 それに気づいて、二人で笑った。


「普通に歩こう」


「うん」


 しばらくして、律の手が近づいた。


 俺から握った。


 もう、確かめるために強く握る必要はなかった。


 離れたら消えるわけではない。


 それでも、繋いでいたかった。


「悠」


「何?」


「仕事を始めるって聞いた時、少し心配だった」


 俺は、隣を見た。


「また、いなくなるまで頑張るのかなって」


 言い返せなかった。


 律は、俺の手を軽く揺らした。


「でも、今日、ちゃんと休み取ってきたから」


「取った」


「連絡も、さっきから見てない」


「急ぎのものは、今日は先輩が見てくれる」


「そっか」


 律は前を向いた。


「じゃあ、安心」


 俺は、繋いだ手を見た。


 信じてもらうには、帰ってくることも必要なのだと思った。


     *


 ベンチに座って、飲み物を買った。


 近くで子どもが鳩を追っている。


 すぐに母親らしい人に呼び戻されていた。


 川面が光っていた。


「実家、すごかったね」


 律が不意に言った。


「急にその話?」


「この前、お母さんに庭を案内してもらったから」


「庭だけで、結構歩くだろ」


「うん。いい運動になった」


 俺は額を押さえた。


 律が笑う。


「お母さん、優しかった」


「何か言われた?」


「悠がちゃんと食べてるか、聞かれた」


「……皆、それを聞くな」


「心当たりがあるでしょう」


「ある」


 律は少し間を置いて、続けた。


「それから、また来てねって」


 俺は彼女を見た。


「来る?」


「悠が、呼んでくれるなら」


「呼ぶよ」


 すぐに答えた。


 律が、満足そうに頷いた。


     *


 夕方になる前に、帰ることにした。


 まだ歩けそうだった。


 もう一軒、寄ることもできたと思う。


 でも、疲れ切る前に帰る。


 今日は、その予定だった。


 駅へ向かう途中で、端末が鳴った。


 七人の連絡先だった。


『庭の集まり、肉を持っていく』


 玄。


『先に人数を決めよう』


 朔。


『座る場所も確認したい』


 葉。


『雨ならどうする』


 岳。


『悠のお母さんに、私からも挨拶したい』


 杏。


 律が俺の画面を覗いた。


「また会議してる」


「庭で昼を食べるだけなんだけどな」


「皆、ちゃんと楽しみたいんだよ」


 その言い方がよくて、俺は頷いた。


 返事を書く。


『家で確認する。食事の後は、何も予定を入れなくていいと思う』


 送ると、玄からすぐに返ってきた。


『何もしないの、賛成』


 律が笑った。


     *


 改札の前で立ち止まった。


 今日は、それぞれの家へ帰る。


 同じ城へ帰っていた頃とは、少し違う。


「楽しかった」


 律が言った。


「俺も」


「次は、私が店を決めるね」


「お願いします」


「外交官の見習いさんは、日程だけ調整してください」


「それ、今の仕事で一番難しいやつかもしれない」


「じゃあ、いい練習になる」


 律は笑った。


 俺も笑って、手を放した。


 彼女が改札を抜ける。


 一度振り返る。


 手を上げた。


 俺も、上げ返した。


 姿が見えなくなってから、自分の帰る方へ向き直った。


 端末が鳴った。


『帰ったら、連絡するね』


 律だった。


 俺は立ち止まって返した。


『俺も。次の店、楽しみにしてる』


 予定表を開く。


 研修。


 仕事。


 通院。


 皆が家へ来る日。


 その先に、まだ空いている休日があった。


 俺はそこへ、小さく印をつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。