愛
第百六十八話 愛のためだよ
天統連盟の盟主城が見えた時、俺たちの旗は、また猫になっていた。
北西の猫。
そこに残ったのは、八十人ほどだった。
かつて八百人を超えていた仲間は、今、違う旗の下にもいる。
後ろを守る者。
補給を繋ぐ者。
別の道から、敵の増援を止める者。
人数の表示だけを見れば、小さくなった。
けれど、城を囲む旗の中に、知らないものはほとんどなかった。
「よく、ここまで来たな」
玄が言った。
誰に向けた言葉かは、分からなかった。
俺にも、仲間にも。
たぶん、自分にも。
俺は、目の前の城を見上げた。
高い城壁。
何重にも配置された守備兵。
その上で、天統の旗が動いていた。
「まだ、終わってない」
「分かってる」
玄が笑った。
「だから、最後も働こうぜ」
*
城へ辿り着くまでに、何度も止まった。
デュアル武将を、力で押し切ることはできなかった。
敵の組み合わせを調べた。
技能の切り替わる間を探した。
新しい守備隊が現れれば、予定を変えた。
取った道を失い、別の道から取り直した。
そのたび、違う同盟が前へ出た。
暁の輪が、敵の交代を遅らせた。
黒鉄が、守備の一角を崩した。
三つの友好同盟が、そこを広げた。
第一、第二世界の古参たちが、こちらの帰る道を守った。
後方では、木陰をはじめとする守備の同盟が、大城から出る兵を止め続けた。
その全部が、今日の場所へ繋がっていた。
*
「西門、切り替わる」
葉から知らせが来た。
敵の主将が交代する。
関羽の技能が終わり、張飛が前へ出るまでの短い間。
玄が部隊を進めた。
正面から、全部を押し潰すつもりはない。
敵が応じなければ、門へ届く。
応じれば、兵の向きが変わる。
その動きを、岳が見ていた。
「右、通る」
低い声。
待っていた部隊が動いた。
朔が揃えた兵が、決められた数で前へ出る。
詰め込みすぎない。
後ろの部隊が、前の帰還を邪魔しない。
杏が、隣の同盟へ合図を渡した。
白嶺の旗が動く。
律が、後続を進めた。
「第一隊は門まで。第二隊、止まって。帰る兵を先に通して」
俺は、最後の予備隊を見た。
以前なら、足りないと思った瞬間に出していた兵だ。
今は、待てた。
前で誰が何をしているか、分かっている。
背後から沈烈の声がした。
「今です」
俺は頷いた。
「出兵」
七人の間を、判断が渡った。
誰か一人で決めていたら、間に合わなかった。
*
城門が崩れた。
歓声を上げる暇はなかった。
内側にいた兵が、押し返してくる。
敵将が前へ出る。
レンが、その進路へ入った。
カイが隣へ並ぶ。
澪の矢が、敵の指揮役を狙った。
二人を援護する盾兵が進み、その後ろから味方の武将が続いた。
門の奥へ、道ができる。
その先に、盟主がいた。
天統連盟の盟主。
何度も俺たちの城へ兵を送り、配下にし、道を奪った相手。
追い詰めたはずだった。
けれど、その顔には、まだ余裕が残っていた。
「ここまで、維持したか」
周囲の戦闘を見ながら、そう言った。
「損失は十分に与えた。配分の差も、負担の偏りも生じていたはずだ」
俺は足を止めた。
その言葉は、敵対する盟主のものではなかった。
「なぜ、離反が広がらない」
問いは、俺へ向けられていた。
答えようとした時、横から別の声がした。
「愛のためだよ」
巌だった。
*
たまたま、近くにいた。
真砂が手配した後続の部隊を通し、盟主城の制圧を見届けるために来ていた。
大きな宣言をするつもりなど、なかったらしい。
いつもの調子で、俺と律を見た。
「こいつら、嫁と旦那を助けるために、ここまで人を巻き込んだんだぞ」
「巌さん、今――」
律が言いかけた。
「まあ、夫婦だけの話でもないがな」
巌は、崩れた門の向こうへ目をやった。
「友達でも、隣人でもいい。世話になった奴でも、飯を一緒に食った奴でも。あいつが困っとるなら、ってやつだ」
盟主の表情が、止まった。
ほんの一瞬だった。
瞬きが途中で止まったように見えた。
「……愛」
口だけが動いた。
「所属集団への愛着は、調整対象に含まれている」
「そんな難しいことは知らんよ」
巌が肩をすくめた。
「お前の都合どおりに好きになったり、嫌いになったりはせんだろう」
盟主の瞳に、細かな光が走った。
何かを読み直しているようだった。
その顔が、もう一度止まる。
同時に、足元が震えた。
攻撃の衝撃とは違った。
地面の感触そのものが、一拍だけ消えた。
*
「来た!」
澪が叫んだ。
視線は、盟主へ向いていなかった。
何もない空間を見ている。
「外が入った。管理側の接続が、今、一つ切れた!」
レンが動いた。
俺の横を抜け、盟主の背後へ走る。
まだ敵兵がいた。
沈烈が槍を振り、道を塞ごうとした部隊を止めた。
「進め!」
カイが走った。
澪が弓を下ろし、片手を伸ばす。
前へ出ていた味方の武将と、カイの位置が入れ替わった。
一瞬で、カイが盟主の背後へ入る。
そこには、扉があった。
さっきまで壁だった場所に、薄い継ぎ目が浮かんでいる。
「見つけた!」
澪の声が響いた。
「除外された人の保管先。こっちに繋がってる!」
盟主が顔を上げた。
表情が戻る。
同時に、周囲の敵兵が一斉に向きを変えた。
俺たちではない。
カイを見ていた。
「守れ!」
俺は叫んだ。
*
関羽が来た。
その横から、張飛が踏み込む。
レンが、二人の前へ立った。
一人で倒すためではなかった。
踏み込む先を、一本に絞る。
そこへ、玄の兵が横から入った。
盾が鳴った。
槍が折れた。
律の指示で、弓兵が後続を止める。
晴の蒼波が、離れていた騎馬を呼び戻した。
城内の狭い道へ、味方が集まる。
敵将の足が止まった、その間に。
カイが、継ぎ目へ両手を当てた。
「力任せにやるなよ!」
レンが叫ぶ。
「分かってる!」
カイの指が動いた。
壁を掴んでいるように見えた。
けれど、見ているうちに、違うと分かった。
固くなった場所を探す。
引っ張られている方向を確かめる。
一か所を緩め、別の場所を支える。
俺の肩に触れていた時と、同じ順番だった。
見えない何かが、細くほどけていく。
「ここ、外すよ」
澪が頷く。
「その奥。まだ一つ残ってる」
「分かる」
カイの手が、沈んだ。
壁の中へ、指が入った。
そこから、ゆっくりと左右へ開く。
扉ではなかった。
世界に、裂け目ができた。
*
向こう側は、暗かった。
何もない暗闇ではない。
小さな光が、無数に沈んでいた。
その一つに、名前が浮かぶ。
見覚えがあった。
杏が息を呑んだ。
「……この人」
書簡が来なくなった人だった。
城は残っていた。
代行が動かしていた。
本人は、ここにいた。
澪が両手を動かす。
記録が開く。
名前が増える。
第一世界。
第二世界。
第三世界。
第四世界。
不適格とされた人たちが、区別されたまま保管されていた。
「反応、ある」
澪の声が震えた。
すぐに、言い直した。
「この保管領域、全員分ある。外の名簿とも合う!」
カイは裂け目を押さえたまま、顔をしかめた。
「見つけただけじゃ、出られない」
「出口を繋ぐ」
レンが後ろへ下がった。
床へ武器の先を当てる。
狙いを定めた先には、目に見える敵はいない。
澪が言った。
「そこ。外から開けてる場所と、重なる」
レンが踏み込んだ。
鋭い音がした。
武器が、空間の奥へ貫いた。
遠くで、誰かの声がした。
『接続確認。こちらから受ける!』
外の仲間だった。
*
カイの手から、光が伸びた。
ほどいたものを、そのまま放さなかった。
一本ずつ拾い、隣の光へ繋ぐ。
引き抜けば、傷つく。
ばらばらにすれば、行き先を失う。
だから、支えながら動かす。
「こんな人数、聞いてないんだけどな」
カイが呟いた。
額から汗が落ちた。
それでも、手は止まらなかった。
糸を扱うように。
髪の絡まりを、少しずつ解くように。
光が、出口へ向かって流れ始めた。
一つ。
二つ。
やがて、数えられなくなる。
杏が名前を読んだ。
葉が記録を照合した。
澪が、取り残された反応がないか確かめる。
朔が、味方の交代を促した。
玄と岳が、敵を裂け目へ近づけなかった。
律の声が、城内を走った。
「右、下がって! 次の盾、前へ!」
俺も、声を出し続けた。
あと少しなどとは、言えなかった。
どれだけ残っているか、俺には分からない。
ただ、カイの手が動いている間、ここを守る。
*
天統の盟主が、立ち上がった。
もう、先ほどの余裕はなかった。
その顔には、表情そのものがなかった。
「接続を停止する」
声が重なった。
一人の喉から出ているとは思えない音だった。
周囲のデュアル武将が、同時に動いた。
レンが前へ出ようとする。
だが、出口を貫いた場所から離れられない。
カイも、手を放せない。
沈烈が槍を構えた。
その隣へ、巨嶽が立つ。
黒鉄の武将が続いた。
別の同盟の盾兵が、前へ出た。
俺たちだけでは、なかった。
城門の外から、まだ味方が来ていた。
「ここまで来て、通すかよ!」
玄の声。
敵の最後の突撃が、味方の列へぶつかった。
その向こうで、天統の盟主を守っていた兵が崩れた。
沈烈の槍が届く。
盟主の姿が、揺れた。
城の制圧を告げる通知が浮かんだ。
誰も、それを読んでいる余裕はなかった。
*
「最後!」
澪が叫んだ。
暗闇の奥から、小さな光が一つ浮いた。
カイが手を伸ばす。
引っかかっていた糸を緩める。
光が、出口へ動いた。
外から声が返った。
『除外対象、全員受け入れ確認!』
カイが膝をついた。
レンが肩を支える。
杏が、口元を押さえていた。
誰かが笑った。
誰かが泣いていた。
戻ってきたのだと思った。
少なくとも、もう、あの暗闇にはいない。
*
次の瞬間、世界中へ文字が浮かんだ。
『外部保護領域への移送を開始します』
運営のものとは違う表示だった。
短い説明が続く。
その場を離れる必要はない。
城へ戻らなくてもいい。
現在地から、順に保護する。
外の犯罪管理局の名が記されていた。
澪が、各地の接続を確かめる。
王城で全員が揃った時の記録。
その後、杏と葉が集め続けた所在。
律が繋いだ同盟の連絡先。
それらが、抜けを探すために使われていた。
「後方から、始まってる」
澪が言った。
「城を守ってる人も。移動中の人も」
味方の一人が、光に包まれた。
消えた。
すぐに、外から受け入れの確認が返る。
次の一人。
また一人。
ようやく、玄が武器を下ろした。
「……飯、あるかな。向こう」
朔が、笑いながら頭を振った。
「お前、本当にそれだな」
*
晴が消える前に、俺を見た。
「また、集まろうな」
「うん」
「今度は、兵とか抜きで」
「釣りなら、負けないぞ」
「お前、俺より釣れてなかっただろ」
笑ったまま、晴が光に包まれた。
千景は、最後まで人数を確認しようとしていた。
正臣が、その手元を覗き込む。
巌は真砂へ何か言い、肩を叩いた。
真砂は呆れた顔で、それでも頷いた。
皆が、順に消えていった。
岳が、俺を見る。
「帰る道、あるな」
「ああ」
「なら、いい」
葉は何か言いかけて、やめた。
「向こうで話す」
杏が大きく頷いた。
「絶対ね」
玄が俺の肩を叩く。
朔が、律へ目を向けた。
「こいつ、ちゃんと連れてこいよ」
「任せて」
律が答えた。
光が、五人を連れていった。
*
城内が、静かになった。
敵の兵も、もう動いていない。
カイが裂け目の端を押さえ、レンが出口を保っている。
澪が俺と律を見た。
「次。二人とも、そのままで」
律の手が、俺の手を探した。
握った。
ようやく、終わる。
そう思った。
光が足元へ集まった。
視界が白くなる。
その中で、律が笑った。
「向こうでも、ちゃんと見つけてね」
「そっちこそ」
指を握り直した。
その瞬間、光が消えた。
*
足元が、黒かった。
城の床ではない。
空も、壁も、何もない。
俺と律だけが立っていた。
握った手は、そのままだった。
「……律」
「いる」
声が近かった。
それだけで、少し息ができた。
遠くから、澪の声が聞こえた。
『二人が消えた。外じゃない!』
レンが何か叫んだ。
カイの声もした。
すぐに、途切れた。
目の前へ文字が浮かんだ。
『移送対象、再指定』
『中核関与対象二名、隔離』
俺は、その文字を睨んだ。
自分たちで残ったわけではなかった。
選ばされる時間すら、なかった。
最後に、掴まれた。
律の手に、力が入る。
暗闇の向こうで、声がした。
「もう少しだけ、確認させてもらおう」
聞き覚えがあった。
天統の盟主の声に、重なっていたものだ。
「君たちの関係が、この結果に、どこまで影響したのか」
俺は律を自分の方へ引いた。
律は、俺の背後には回らなかった。
隣に立った。
「断ります」
はっきりと言った。
声が、暗闇へ響いた。
「もう、帰る約束をしているので」
返事はなかった。
ただ、遠くに小さな光が見えた。
一度、消えかけた。
それでも、細い線になって残った。
カイが最後まで、手放さなかった糸のように。
俺は、その光を見失わないように立っていた。
律の手を、握ったまま。




