もう一歩
第百六十七話 想定にない者たち
天統連盟の旗は、まだ多かった。
地図から消えたわけではない。
ただ、繋がっていた道が切れ、外側へ伸びていた土地が、少しずつ孤立していた。
中継地を失った敵は、兵をまとめ直した。
守り切れない場所からは退いた。
こちらが解放した城から、新しい書簡が届く。
今まで返せなかった人。
誰へ連絡すればいいか分からなかった人。
敵の配下として扱われるのが怖くて、黙っていた人。
その返事が、次の道を教えてくれた。
直哉の城を取り戻せたのは、三つの中継地を押さえてから四日後だった。
『戻れました』
届いた書簡は短かった。
その後に、少し間を空けて書かれていた。
『次は、こちらから物資を出します』
俺は返事を書いた。
まず自分の城を整えてほしい。
必要な物があれば、知らせてほしい。
そう書いてから、最後に付け足した。
『落ち着いたら、お願いします』
頼る相手が、また一人増えた。
*
――天統連盟、盟主城。
卓の上で、旗が取り除かれた。
一つ。
さらに二つ。
報告役は、そのたびに短く状況を述べた。
補給路喪失。
配下同盟解放。
守備部隊後退。
盟主は、椅子に座ったまま聞いていた。
眉一つ、動かさなかった。
「攻撃参加同盟数は」
問いに、報告役が答える。
前日より、増えていた。
「兵力を提供していない協力同盟も含めると、さらに増加します」
「離脱は」
「発生しています。ただし、守備や輸送への役割変更が多く、協力関係そのものの解消は限定的です」
盟主が、初めて指を動かした。
卓を、一度叩く。
「なぜだ」
声に怒りはなかった。
純粋な疑問のようだった。
「奪還した土地の配分で、争いは」
「一部で発生。現地の調整役が対応しています」
「戦力を出さない同盟への不満は」
「あります」
「では、なぜ分裂しない」
報告役は答えなかった。
盟主の前に、別の文字が浮かんだ。
周囲の者には、読めない表示だった。
『統合後協同行動、想定継続時間を超過』
『損失増加に対する離反率、予測値を下回る』
盟主は、その文字を眺めた。
追い詰められた者の顔ではなかった。
「人は争う」
静かに、言った。
「恐怖があれば、自分を守る。損失が増えれば、責任を他者へ求める。優位になれば、得られる利益を多く取ろうとする」
どれも、起きていた。
それなのに、連盟は壊れなかった。
揉めるたびに、誰かが間へ入る。
出せなくなった兵の代わりに、別の役割を探す。
助けた相手が、次の場所へ物資を送る。
争いの芽はある。
だが、戦争になる前に、何度も手が入っていた。
「これほど多くの同盟が、自発的に戦争へ参加し、そのまま協力を続けた例はない」
盟主の口から、住人のものではない言葉が出た。
「これまでのシミュレーションには、なかった」
目の前の表示が切り替わる。
『追加戦力投入、承認』
盟主は、消された旗の跡へ目を戻した。
「では、次の条件で確認する」
*
知らせは、前線にも、後方にも届いた。
『新規武将群、実装』
最初、それを見て喜んだ者もいた。
こんな時に、と笑った者もいる。
登用札を残していた人は、何が追加されたのか確かめた。
俺も、表示を開いた。
『デュアル武将』
指が止まった。
二人の武将が、一組として力を発揮する。
主となる側を切り替え、技能を繋ぐ。
それぞれを単独で運用する場合とは、異なる効果が生まれる。
説明を読み進めるほど、隣にいる二人を見たくなった。
カイとレン。
二人とも、黙っていた。
その向こうで、澪が表示を見つめている。
普段なら、先に何か言いそうな三人だった。
「これ……」
俺が口を開いた時、前線から書簡が届いた。
新しい武将が出た。
登用の報告ではなかった。
敵の部隊に、現れたのだ。
*
最初に確認されたのは、関羽と張飛だった。
王城の内門で戦った姿に似ていた。
だが、今度は守将ではない。
天統連盟の部隊を率い、こちらへ向かってきた。
一体ではなかった。
隣の戦線にも。
その向こうにも。
異なる君主の部隊に、同じ名を持つUR武将が並んだ。
関羽。
張飛。
趙雲。
馬超。
さらに後方で、弓を構えた黄忠が確認された。
俺は報告を読み終え、紙を置いた。
「……多すぎるだろ」
希少なはずだった。
何度も札を引いて、ようやく一人。
出れば同盟で話題になり、誰に何を持たせるか、皆で考えた。
その武将が、敵の各部隊にいる。
しかも、装備まで揃っていた。
「同じ時間に、これだけ出したのか」
玄の声が低くなった。
誰も、運がよかったのだとは言わなかった。
*
中央で、最初の衝突が起きた。
張飛が、前へ出た。
守備の盾兵が受ける。
重い一撃で、列が歪む。
そこへ弓を合わせようとした瞬間、敵の技能表示が切り替わった。
主将、変更。
関羽が踏み込んだ。
張飛の攻撃で崩れた場所へ、別の技能が重なる。
受け直す時間がなかった。
盾兵の後ろまで、刃が届いた。
「交代! 前列を下げろ!」
指揮役が叫ぶ。
だが、敵はそこで止まらなかった。
張飛へ戻る。
次の衝撃。
単に二人の武将が交互に攻撃しているのではない。
片方が作った崩れを、もう片方が引き継ぐ。
守り直す前に、次が来る。
前線の一部が、押し破られた。
*
東では、趙雲と馬超の組が現れた。
暁の輪の騎馬が、距離を取る。
そこへ趙雲が踏み込み、味方の列を割った。
追うための動きが、次の瞬間には馬超の突撃へ繋がる。
速かった。
こちらが得意にしてきた速さを、技能だけで越えてくる。
迅が、声を張った。
「正面で走り比べるな! 分かれろ!」
隊列が二つに分かれる。
敵は片方を追った。
追われなかった側が、横へ回る。
それで倒せたわけではない。
ただ、全員がまとめて突き崩されることは避けられた。
迅は帰還地点まで下がり、馬から降りた。
拳で膝を叩いた。
「速けりゃ何でもいいってもんじゃねえぞ」
言ってから、息を吐いた。
「……こっちも、それを見せるしかないか」
*
報告が重なった。
退却。
前進停止。
奪還した土地の一部を再喪失。
ようやく動き始めた地図が、逆に押される。
俺たちのところへも、関羽と張飛の部隊が来た。
カイが立ち上がる。
レンも続いた。
格上を相手にする力は、二人にもある。
けれど、出てきたURは一組ではない。
ここで勝てても、隣には届かない。
「先に、兵の形を変える」
俺が言うと、沈烈が頷いた。
「一列で受ければ、その後ろまで崩されます。列を離しましょう」
「間を抜かれないか」
「抜けた先で止めます。最初の衝撃を、全員で受けないためです」
岳が地形を指した。
狭い道の先に、少し開けた場所がある。
その奥で、道が曲がる。
敵の勢いを一度受け、全部を繋げさせない。
俺たちは、そこで待った。
*
張飛の一撃で、前列が下がった。
下げられた。
そこは変わらない。
続いて、関羽が出る。
だが、その先には、次の盾兵が密着していなかった。
敵が進む。
進んだ分だけ、後ろの兵との間が伸びる。
「今!」
朱音の弓兵が、敵将そのものではなく、その後ろへ矢を入れた。
兵の前進が鈍る。
玄の部隊が、横から盾を寄せる。
沈烈が、下がってきた前列を組み直す。
派手な一撃はなかった。
こちらの技能は、使い慣れたものだった。
防御。
指揮。
兵種への補正。
重ねて育てたSSRの技能が、広い範囲の兵へ届く。
弥平の育てたR武将も、その列にいた。
一人の武将の強さでは、敵が上だった。
それでも、部隊全体の動きまで、向こうが上とは限らない。
関羽が振り返る。
そこへ、カイとレンが入った。
二人だけで倒すためではない。
敵将の足を止め、味方が立て直す時間を作るために。
*
「向こう、切り替わる時に前へ出る」
澪が言った。
弓を構えたまま、敵の動きを見ている。
「必ず?」
「今のところは。決まった技能を、決まった順で使ってる」
葉へ送る。
同じ組と戦っている場所から、別の記録が届く。
まったく同じとは限らない。
だが、傾向はあった。
圧倒的な能力を、決められた連携で使っている。
その連携を崩された後、立て直すまでに間がある。
律が各地へ伝えた。
正面から技能を受け続けないこと。
主将が切り替わる前後を記録すること。
武将だけを追わず、随伴する兵との距離を見ること。
黒鉄は、一点へ突っ込むのをやめた。
突破役の一部を、味方の列へ戻した。
三同盟は、槍の列を薄く重ね、弓の狙いを敵の後続へ変えた。
暁の輪は、速さを突撃ではなく交代に使った。
鳴瀬と久我は、新しい武将が出た場所へ深入りせず、その補給と移動の道を叩いた。
知っている戦い方を、そのまま押しつけなかった。
新しい相手を見て、使い方を変えた。
*
二日後、前線は止まった。
こちらが止められた場所もある。
こちらが止めた場所もある。
敵の新しい武将は強かった。
まともに受ければ、今でも大きく崩される。
けれど、全部を押し潰されることはなかった。
桃園大連盟は、交代を続けた。
後ろでは、非戦派だった人たちが城を守っている。
朔と真砂が、失った兵を補う準備を回している。
葉が、各地の戦い方を集める。
律が、それを次の部隊へ渡す。
積み上げてきた技能。
失敗して覚えた退き方。
別の同盟へ役割を渡す手順。
実装されたばかりの強さに対し、俺たちは、それまで生きてきた時間で踏みとどまった。
*
その夜、カイに呼ばれた。
部屋にはレンと澪もいた。
扉を閉めると、澪が机へ紙を広げた。
地図ではなかった。
人の名前と、識別用の記録。
王城で見た資料に近いものだった。
「外から、連絡が来た」
レンが言った。
俺は椅子に座らなかった。
「救出か」
「準備は進んでる。ただ、まだ全員を動かせる状態じゃない」
「今回の実装は?」
「向こうが、未完成だった枠まで動かした」
レンは自分とカイを指した。
「俺たちが入る時に使った枠だ」
デュアル武将。
やはり、無関係ではなかった。
澪が続ける。
「敵の技能を調べながら、こっちの接続に使える部分も確認してる。前より見えるようになったところがある」
「なら、このまま戦えば」
「勝てば、全員が外へ出られるわけじゃない」
レンの声は静かだった。
「天統の盟主城を落としても、意識を保管している場所の鍵は残る。ここにいる人だけじゃない。入れ替えられた人たちも連れ出すなら、そっちまで繋がないといけない」
俺は、紙に並ぶ名前を見た。
返事が来なくなった人。
城はあるのに、本人がいなくなった人。
まだ、戻ってきていない人たちだった。
*
「肩、貸して」
カイが言った。
「今?」
「今。ずっと上がってる」
座らされ、背後へ回られる。
指が肩へ触れた。
痛い場所を、いきなり押されるのではない。
周りから、少しずつ動かされる。
呼吸が、いつの間にか深くなる。
「強く引っ張れば取れる、ってものばかりじゃないんだよ」
カイが言った。
「絡んでるところを、順番に緩める。支えてるところまで外したら、駄目だから」
ただの施術の話には聞こえなかった。
「それを、人の意識でも?」
「一人で全部できるとは言わない」
カイの手が、一度止まった。
「澪が見つける。レンが通す。俺は、出ていく時に変なところへ引っかからないようにする」
「簡単に言うな」
レンが言った。
「簡単じゃないから、今から準備してるんだろ」
カイが返す。
澪は紙へ印を加えていた。
「外の人が入る瞬間に、使える場所を空けたい。その時、こっちが全部押さえ込まれていたら、動けない」
俺は頷いた。
戦場と、外への道。
どちらか一つでは、足りない。
「俺たちは、ここを持たせる」
「持たせるために全部使い切るなよ」
レンが言った。
「最後は、動いてもらう」
*
部屋を出る前に、振り返った。
「全員、なんだよな」
澪が顔を上げた。
「探せる人は、全員探す」
レンが続けた。
「敵の側に置かれていた人も、意識を外された人も」
カイは、いつもの調子で言った。
「帰ってきた後の予約、すごいことになるな」
俺は少し笑った。
笑ってから、頷いた。
「じゃあ、帰ったら頼む」
「今より、ちゃんと寝るならね」
廊下へ出ると、前線からの報告が待っていた。
敵の攻撃を止めた。
交代は予定通り。
明日の補給も届く。
俺はその書簡を持って、皆のいる部屋へ戻った。
まだ、勝ててはいない。
けれど、敵が新しい力を並べても、俺たちはここにいる。
その時間の中で、三人が帰り道を作り始めていた。




