いきます
第百六十四話 それぞれの戦争
最初に届いた報告は、予定より早かった。
『橋を抜きました』
俺は書簡を読み、時刻を確かめた。
もう一度、読んだ。
「……まだ、攻撃を始める時刻だよな?」
杏が頷いた。
「私も、そう思って聞き直した」
「それで?」
「抜いたから、次へ行くって」
地図の上で、敵の補給路に置かれていた印が一つ消えた。
代わりに立ったのは、暁の輪の旗だった。
*
――暁の輪、東側渡河点。
「止まるな! 取った土地を眺める時間は後だ!」
盟主の迅が叫んだ。
渡河点の守備を崩した騎馬が、左右へ分かれる。
後続が橋を渡り、そのまま先頭を追い越した。
先に戦った部隊は横へ退く。
代わりに、まだ技能を使っていない武将が前へ出た。
速い。
行軍速度だけの話ではなかった。
戦い終えてから、次へ向くまでが速い。
誰が土地を取るか。
誰が通過するか。
どこで交代するか。
すべて、出発前に決まっていた。
敵の援軍が着く頃には、先頭はもう次の分岐へ向かっている。
残された守備部隊を、後続が受け止めた。
「盟主、右から敵影!」
「数は!」
「こちらより多い!」
「なら、そこと競争してどうする! 左へ!」
騎馬の列が、地形に沿って曲がった。
敵を倒すために止まらない。
敵が守りたい場所へ、敵より早く着く。
そのために、速度に補正のある武将を集め、装備を揃え、交代の練習を繰り返してきた。
迅が笑った。
「スピードこそ、我が同盟の華だ!」
次の書簡には、目的地が二つ増えていた。
*
天統連盟の兵が、東へ動き始めた。
北西に置かれていた部隊の一部が帰還し、別の城から出直す。
その動きを、俺たちは近くから見ていた。
配下のまま確保した丘。
荷車を休ませていた土地。
そこへ置いた武将が、今は見張りをしている。
ただ、こちらからはまだ攻撃できない。
「来た」
岳が言った。
遠くに、白嶺の旗が見えた。
その後ろに、見覚えのある槍兵。
律が来たのではなかった。
彼女が調整した、解放のための部隊だった。
先頭の武将が、事前に決めた場所で止まる。
岳が手を上げ、こちらの兵を退かせた。
晴の城へ通じる道が開く。
敵の守備部隊が気づいた時には、もう遅かった。
朱音が矢を射るのを、俺は止めた。
まだ、こちらから手を出せる相手ではない。
拳を握ったまま、見ていた。
白嶺の盾兵が敵を受け止める。
その脇を、攻城の部隊が抜けた。
*
解放の条件は、葉が調べてくれていた。
配下の城へ、ただ援軍を入れればいいわけではない。
親同盟の外にいる勢力が、対象の盟主城を攻略し、支配を置き換える必要がある。
その後で、独立を認める。
相手が約束を破れば、新しい支配先が増えるだけだった。
だから、任せる相手を選んだ。
白嶺は、事前の取り決めを文書にした。
攻略後に土地を要求しない。
物資も、武将も求めない。
解放の手続きが可能になり次第、実行する。
晴は、その文書を読み終えて言った。
「城って、こんなに何回も落ちるもんなんだな」
誰も笑えなかった。
晴だけが笑った。
「じゃあ、今度は出迎える準備しよう」
*
城門へ、最後の一撃が入った。
通知が浮かぶ。
北西の番犬の支配関係が、書き換わった。
杏が白嶺の連絡役と確認を交わす。
待つ時間が、異様に長く感じた。
敵の増援は、まだ来ている。
東へ動いた全部隊が戻れないわけではない。
この間に手順を誤れば、城を取り返される。
「手続き、入りました」
杏の声。
次の瞬間、晴が顔を上げた。
「外れた」
天統連盟の配下を示す表示が、消えていた。
晴は迷わなかった。
今度は、自分の配下にいる俺たちを解放する。
事前に用意していた確認を、一つずつ通す。
俺の前にも、通知が現れた。
独立。
長く見ていた文字が、ようやく消えた。
「宗吾」
呼ぶと、彼はもう頷いていた。
「全隊、予定通り。土地は取ってあります」
岳が地図を押さえた。
敵の道の脇。
補給路を見下ろす丘。
配下の間に、少しずつ作った足場。
そこへ、部隊を集めていた。
俺は息を吸った。
「出兵!」
*
――黒鉄同盟、西側前線。
天統連盟の守備隊が、妙な敵を見ていた。
兵が、少ない。
少なくとも、前に出てくる兵の数は多くなかった。
代わりに、武将がいた。
槍を持つ者。
大剣を担ぐ者。
双剣を抜く者。
騎乗したまま、黙って前を見る者。
一人で部隊を崩せるような武将が、列を作っていた。
「本当に、やるんですか」
側近が聞いた。
盟主の鉄心は、頷いた。
「ずっと、やりたかった」
「でしょうね」
兵を増やす。
部隊を強化する。
それが戦争の基本だ。
ただ、黒鉄はそこへ、少し違う執念を持ち込んだ。
単独で強い武将を、兵みたいに集めたら強いのではないか。
誰かの冗談から始まった。
冗談のまま、終わらなかった。
登用札を集めた。
トレードで探した。
他の武将を売り、装備を回し、同盟全体で突破役を揃えた。
弱点もある。
面を広く守るには向かない。
武将を消耗すれば、次が続かない。
王城の呂布のような相手なら、最悪だった。
だから、葉の調査を待った。
相手の守備の組み合わせを確かめた。
ここなら通す。
その一点へ、全部を寄せた。
「中央、開けるぞ」
鉄心が手を振った。
武将が走った。
最初の一人が盾を弾く。
二人目が、その隙間へ入る。
三人目の技能が、後ろの指揮役へ届く。
一人を止めたところへ、次の一人が来る。
敵が横から包もうとした時には、突破した武将の間を、後続の兵が埋めていた。
「抜けた!」
「止まるな! 抜いた穴を塞がせるな!」
敵の防衛線に、深い裂け目が入った。
*
――南部、三同盟共同戦線。
槍の穂先が、地面すれすれまで下がった。
長槍会の部隊は、追わなかった。
敵の騎馬が退いても、列を崩さない。
隊列の後ろから、射程へ入った弓兵が前へ出る。
遠矢衆。
放たれた矢が、敵の後続へ降り注いだ。
天統の部隊が、弓兵を狙って進路を変える。
その動きに合わせ、今度は左右の斜面から騎馬が出た。
奔馬会。
三つの同盟は、統合前から友好関係にあった。
何でも揃える余裕がない。
なら、分けよう。
槍を作る同盟。
弓を作る同盟。
騎馬を作る同盟。
生産だけなら、危うい偏りだった。
一つが来られなければ、弱点がそのまま露出する。
だから、三つは普段から互いの出兵時刻を合わせ、土地を貸し、同じ場所で訓練を続けていた。
「弓、下がる!」
「槍、三列前へ!」
「騎馬は追撃じゃない、右を閉じろ!」
指揮官は、同じ同盟の技能が全員へ届くとは思っていない。
それぞれの部隊が、自分たちの強化を使う。
合わせるのは、動く瞬間だった。
弓に迫った敵を槍が受ける。
足の止まった敵へ、騎馬が横から入る。
騎馬を追おうと向きを変えれば、再び矢が来る。
止める。
削る。
崩す。
三つの旗が、順に前へ出た。
昔から一緒に戦ってきた者たちの連撃が、南の戦線を押し曲げた。
*
――中央北寄り、旧第一・第二世界混成部隊。
「派手な方へ、目が行くな」
古い鎧を着た盟主が言った。
第一世界出身の鳴瀬。
隣には、第二世界で何度も彼と争った久我がいた。
「お前は昔から、そういう時に倉庫を狙った」
「お前は帰り道に伏せてた」
「今日は同じ側でよかったな」
「まだ信用はしてない」
二人は笑わなかった。
けれど、地図の上では迷いがなかった。
派手な攻撃へ、天統の兵が向かっている。
どの城が兵を出したか。
帰還まで、どれくらいかかるか。
残っている部隊は、何を守るか。
彼らは、そういう戦争を長く続けてきた。
無人に見える城へ、すぐには踏み込まない。
わざと残された道は、一度疑う。
逃げた部隊を追う前に、その出発元を確かめる。
先頭の小部隊が、敵の視界へ入った。
守備が動く。
そこで退く。
追ってきた敵へは触れず、別の道から本隊が通った。
狙ったのは、進軍中の部隊ではない。
次の補充を送り出すために、荷と兵を集めていた中継点だった。
「今だ」
短い命令で、部隊が動く。
突破した後も、倉庫の前で止まらない。
北西へ向かう道を押さえ、別働隊を通す。
戦果を奪い合う暇があれば、次の相手へ場所を渡す。
長く戦ってきた者たちが、長く敵だった者と組んだ。
天統の背後で、補給の流れが切れた。
*
報告が、次々に届いた。
橋を取った。
分岐を押さえた。
敵の主力を引きつけた。
突破したが、消耗が大きい。交代を頼む。
全部が成功したわけではない。
引き返した部隊もある。
予定した土地を取れず、別の道を選んだ同盟もあった。
それでも、攻撃は一か所で終わらなかった。
東へ応じれば、西が動く。
南へ兵を戻せば、中央の道が切れる。
その間に、北西が自由を取り戻した。
律が決めたのは、全員が同じ瞬間に突撃することではなかった。
最初の戦いで敵が動く。
その動きを葉が拾う。
次の同盟が、空いた場所へ手を伸ばす。
準備のできた部隊から、役目を持って参戦する。
五月雨のように。
ただし、落ちる場所は選んでいた。
*
「前に出すぎるな!」
俺が叫ぶと、玄が振り返った。
「今日は言われると思った!」
「なら、戻れ!」
「そこまでは出てねえ!」
声が届く距離だった。
それが、妙に嬉しかった。
俺たちは、丘から敵の側面へ出た。
こちらを配下の同盟として置いていた道の、すぐ脇だ。
敵は正面を変えようとした。
そこへ、白嶺の部隊が来る。
間に挟まれた敵が、退き始めた。
追いたい。
その気持ちが、喉まで上がった。
だが、岳が手を上げた。
「次が来る!」
味方だった。
灰色の旗を掲げた、別の同盟の部隊。
俺たちより兵が揃っている。
武将も、まだ疲れていない。
先頭の指揮役が、声を張った。
「北西連盟! 道を空けてくれ!」
一瞬、意味が分からなかった。
今まで、道を空けるのは退く時だった。
敵に押され、守れなくなった時だった。
目の前の武将は、もう一度叫んだ。
「ここからは、こちらが受け持つ!」
岳が、すぐに部隊を寄せた。
盾兵が道の端へ動く。
その間を、新しい兵が通っていく。
整った足音。
まっすぐ前を向いた槍。
荷を満載した補給の車。
俺は、その列を見ていた。
何も言えなかった。
*
「盟主」
沈烈に呼ばれた。
「帰還の指示を」
「ああ」
返事をしたのに、声が続かなかった。
まだ、やれる。
少し休めば、もう一回出せる。
そう考える癖が、抜けない。
後ろから、杏が書簡を差し出した。
律からだった。
『交代の部隊が着いたら、下がってください』
次の行に、少し強い筆跡。
『今回は、頼みではなく予定です』
俺は笑った。
笑ったら、ようやく息が通った。
「全隊、帰還」
宗吾が復唱する。
玄が武器を下ろした。
岳が、戻る道を指す。
俺たちの横を、次の同盟が走っていった。
その向こうにも、旗があった。
さらに向こうにも。
*
戻った城には、正臣がいた。
食事を用意していた。
俺たちを見るなり、人数を数え始める。
途中で口元が緩み、すぐに引き締め直した。
「先に座ってください。報告は、食べながらでいいです」
玄が素直に座った。
誰も文句を言わなかった。
そこへ、晴が走ってきた。
「見た?」
「何を」
「旗。外の道、違う同盟の旗だらけ」
「見た」
「すごかったな」
「ああ」
晴が城壁の方を見た。
俺も、つられて見た。
まだ壊れた場所は多い。
取られた城も、土地も、全部が戻ったわけではない。
戦争も終わっていない。
ただ、北西へ向かっていた敵の部隊が、今は別々の方向へ走っていた。
追われ続けた地図の上で、初めて敵の方が忙しくなっていた。
杏が、新しい報告を開く。
「暁の輪から」
「今度は?」
「二つ先の分岐まで行ったから、誰か引き継いでほしいって」
玄が顔を上げた。
「速すぎるだろ、あいつら」
卓の周りで、笑いが起きた。
今度は、無理に作った笑いではなかった。




