はじまり
第百五十四話 返事のある世界へ
鐘の音が消えても、しばらく誰も動かなかった。
庭に並べた卓。
食べ終えた椀。
桃の枝に引っかかった、誰かの飾り紐。
片づける時間が、まだ少し残っていた。
正臣が空の鍋を持ち上げた。
奈緒が反対側へ手をかける。
巌が手近な椅子を重ね、佐伯が、持ち主の分からなくなった荷を呼びかけていた。
いつもの宴の終わりに見えた。
ただ、次に皆で集まる場所は、まだ決まっていなかった。
*
新しい配置への移行が始まるという表示が開いた。
各同盟の待機場所で、最後の確認が進む。
俺は名簿を閉じた。
全員の顔を、もう一度見ておきたかった。
玄が手を上げる。
朔は荷の留め具を確かめていた。
葉と杏が、連絡先の控えを交換する。
岳は、こちらへ小さく頷いた。
律は隣にいた。
手を取ると、握り返してくれた。
「向こうで、まず連絡する」
「うん。届かなかったら、もう一度送るね」
俺は頷いた。
すぐそばで、カイが首を回した。
「また、立ったままなのか」
「座ってても同じだと思うけど」
澪が答えた。
レンは、二人より少し離れたところで周囲を見ていた。
一瞬だけ、表情が変わった。
何かを聞き取るような顔。
俺が見ると、気づいて頷いた。
今、尋ねることではないのだと思った。
*
光が広がった。
隣にいる律の手を、最後まで握っていた。
指先の感触が薄くなる。
卓も、木も、人の姿も、白い中へ溶けていった。
目を閉じた。
次に開いた時、俺は自分の城の広間に立っていた。
手には、何もなかった。
*
「お目覚めですか」
周の声がした。
俺は振り返った。
見慣れた机がある。
椅子がある。
持ってくると決めた荷も、壁際に並んでいた。
窓の外だけが違った。
以前あった林はない。
代わりに、遠くまで低い丘が続いている。
俺はすぐに地図を開いた。
自分の城。
周囲には、知らない名の城がある。
北西連盟の印も見える。
だが、近くに全員が集まったわけではなかった。
「兵は?」
「引き継ぎの確認を進めています。今のところ、大きな欠落はありません」
周が答えた。
俺は礼を言い、書簡を開いた。
最初に律へ送る。
『着いた。無事だ。こちらの位置を送る』
返事を待たず、七人へ。
晴、千景、宗吾、巌、真砂へ。
短い文を送りながら、地図へ印をつけていった。
*
返事は、届いた。
玄から、短く。
『こっちもいる。少し遠いな』
朔からは位置と、周囲の資源地について。
葉からは、確認済みの仲間の一覧。
杏から、連絡の遅い城へ重ねて声をかけるという知らせ。
岳からは、近くの道の様子が来た。
そして律。
『無事。食器も割れてない』
俺は、その一文を二度読んだ。
位置を確かめる。
すぐ歩いて会える距離ではない。
だが、地図の上にいた。
声をかければ、返事が来た。
俺はようやく、椅子へ座った。
*
土地の整理も、前回と同じように必要だった。
以前の取得に使った枠は、そのまま空きにはならない。
記録を確認し、不要になった分を放棄して、新しい道を取れるようにする。
砦の恩恵も消えていた。
兵は連れてこられた。
それでも、この場所で維持していくための土地は、改めて必要になる。
真砂から、資源を使い切るなという連絡が入った。
宗吾は、到着した兵を勝手に遠くへ出さないよう伝えていた。
忙しくなる。
それは、分かっていた。
俺は新しい隣人へ、挨拶を書き始めた。
*
近くの城主から、一通返事が来た。
高瀬という名だった。
第一世界出身。
短い挨拶のあとに、奇妙な確認があった。
『あなたは、第三・第四世界側の方ですか』
そうだと答える。
少しして、次の書簡が届いた。
『周囲へ兵を出す前に、北の道を見てください』
俺は地図を開いた。
北にある城から、土地の取得が伸びていた。
速い。
だが、それだけなら驚くほどではなかった。
俺たちも、前回の統合で道の作り方を覚えた。
隣の城へ視線を移す。
そちらも、同じ方向へ土地を伸ばしていた。
その先の城も。
別々の所属だったはずの印が、次々に変わっていく。
*
『同盟合併』
通知が開いた。
一つではなかった。
さらに別の合併が続く。
人数が増える。
同じ色が、北から中央へ広がっていった。
地図を拡大する。
遠くでも、同じことが起きている。
合併先の名は、一つだった。
天統連盟。
俺は、表示を見つめた。
受け入れる条件を話し合い、持ち帰り、修正し、また集まる。
俺たちは、それに随分時間を使った。
事前に決めていたとしても、今、確認することはあるはずだ。
新しい隣人。
移された場所。
仲間との距離。
だが、その同盟は止まらなかった。
増えた城が、すぐに同じ方向へ土地を伸ばし始めた。
*
高瀬へ尋ねた。
『以前から、合併を決めていた同盟ですか』
返事が来るまで、少し間があった。
『少なくとも、私の知る全員が承知していた話ではありません』
その下に、別の文があった。
『今、そちらの北にいる城主を知っています』
『以前は、同じ同盟でした』
俺はその城の名を確かめた。
挨拶を送ったばかりだった。
返事は、まだ来ていない。
高瀬から、もう一通届いた。
『あの人は、仲間を置いて勝手に移る人ではありません』
俺は、地図から目を離した。
入口にレンが立っていた。
その後ろに、澪もいる。
俺の表情を見て、二人は何も聞かずに近づいてきた。
「もう、動いてる」
俺が言うと、レンは地図を見た。
澪が、その横で増え続ける同盟員の数を読んだ。
いつもの軽い返事は、なかった。




