おわり
第百四十四話 帰ってから、開けよう
董卓を倒しても、兵は消えなかった。
趙雲の騎馬は、まだ走っていた。
関羽は列を保ち、張飛は正面を押してくる。
呂布の前には、傷んだ盾が並んでいた。
ただ、もう戻らない。
その知らせが、部隊を伝わっていった。
宗吾は、声を張り上げなかった。
必要な相手へ、短く命じた。
「残りを確認。攻撃を集中する場所を一つずつ決める」
倒さないように抑えていた槍が、前へ出た。
残していた矢が放たれる。
新しく登用された武将が、疲れた兵へ指示を出した。
休ませていた隊も、動ける者から戻った。
派手な逆転ではなかった。
削った分が、ようやくそのまま残る。
それを確かめながら、俺たちは戦いを終わらせていった。
*
趙雲が倒れた。
少し待った。
白馬は戻らなかった。
関羽の門前で、最後の守備が崩れた。
兵を下げ、水を渡す。
張飛の部隊を倒した知らせが来た時、晴はその場へ座り込んだ。
巨嶽が戻ってくる。
晴は手を上げようとして、途中で下ろした。
「おかえり」
それだけ言った。
巨嶽が、彼女の前で膝をついた。
最後に残った呂布は、槍と盾の間で倒れた。
朱音は弓を持ったまま、しばらく動かなかった。
誰かが肩へ触れると、ようやく顔を上げた。
「もう、射たなくていい?」
「ああ」
宗吾が答えた。
「終わりだ」
*
各地からも、返事が届き始めた。
『大城の兵を撃破。再出現なし』
『こちらも止まりました』
『守り切った。負傷者の受け入れを続ける』
すべてが無事だったわけではない。
土地を失った城がある。
倉庫を明け渡し、隣へ避難した者もいる。
救援が間に合わず、城を落とされたという報告もあった。
俺は、その名を飛ばさず読んだ。
勝ったという一言で、消せるものではなかった。
巌は、声をほとんど失っていた。
それでも紙へ指を置き、次に連絡する相手を示した。
真砂が受け取る。
食糧を戻す場所。
人を迎えに行く道。
失った分を、どこから補うか。
戦いの終わりを伝える書簡と、暮らしを戻すための書簡が、同じ卓から出ていった。
*
律が来たのは、王城の守備が完全に止まってからだった。
俺は広場で、帰還する部隊の確認をしていた。
顔を上げると、彼女が立っていた。
袖が汚れている。
髪も、いつもより乱れていた。
「そっちは」
聞きかけた俺へ、律が頷いた。
「引き継いできた」
それから、俺の手元を見た。
「それ、いったん置いて」
俺は紙を置いた。
律が近づく。
腕が、背中へ回った。
俺も抱きしめた。
何を言おうとしていたのか、分からなくなった。
彼女の肩へ額を寄せる。
「返事、助かった」
ようやく言うと、律が頷いた。
「そっちからも、来たよ」
今度は、倒していい。
あの短い書簡のことだと分かった。
「来るまで、怖かった」
「ああ」
俺は、それ以上答えられなかった。
しばらく、そのままでいた。
*
王城の中央に、正式な攻略完了の表示が開いた。
参加した同盟の名が並ぶ。
城主ごとの記録が続く。
少しだけ戦った者にも、報酬の知らせが届いた。
外で待っていた城主が、表示を見て泣き出したという。
自分の城が攻撃され、戻れないままここにいた人だった。
報酬より先に、近隣から無事の知らせが来た。
そのあとで、自分の参加記録を見たのだという。
晴は話を聞き、何度も頷いていた。
彼女の前には、空になった札の箱があった。
「全部、使っちゃったね」
俺が言うと、晴は箱の中を見た。
「うん」
少しだけ、残念そうだった。
その顔が見られることに、安心した。
「でも、いっぱい来たよ」
広場を見渡す。
新しい武将が、古い仲間と一緒に兵をまとめている。
誰がどの札から出たのか、記録を確かめなければ分からないほどだった。
晴は箱の蓋を閉めた。
「名前、ちゃんと覚えないと」
*
カイとレンは、壁際で眠っていた。
座ったまま、肩が触れている。
澪がその前にしゃがみ、レンの膝から落ちかけた槍を横へ置いた。
俺が近づくと、顔だけこちらへ向けた。
「起こす?」
「いや。休ませてくれ」
「そう」
澪は立ち上がりかけて、やめた。
そのまま二人の隣へ腰を下ろした。
「話は、あとで聞いていいか」
俺が言うと、彼女は少し考えた。
「答えられることなら」
断ったわけではなかった。
何でも知っているという顔でもなかった。
俺は頷いた。
今は、それでよかった。
周へ三人の手当てを頼み、俺は広場へ戻った。
*
世界管理記録への扉は、今度こそ開いていた。
董卓のいた広間の、その奥。
書架と、閲覧のための机が見える。
城主状態に関する照会も、利用可能になっていた。
晴は入口へ立ち、しばらく中を見た。
俺たちがここまで来た理由の一つだった。
すぐにでも調べたい。
だが、晴は振り返った。
「皆が帰れるって分かってから、読もう」
俺は頷いた。
瀬名たちとも確認した。
記録を独占しない。
各同盟の代表を揃えて読み、分かったことを持ち帰る。
今日、この状態で急いで開き、誰かが一人で受け止めることはしない。
葉が、閲覧に必要な手順を記録した。
その紙を、丁寧に畳んだ。
*
帰還の列が、王城の門を出た。
来た時より、遅かった。
空の荷車に、歩けない武将を乗せた。
兵が足りなくなった隊の荷は、別の同盟が引き受けた。
途中で分かれる相手へ、次に連絡する時刻を伝える。
何度も、互いの人数を数えた。
俺は最後に一度だけ、城を振り返った。
大きかった。
今朝も大きいと思った。
今は、その中にどれだけの場所があり、どこで誰が踏みとどまったかを知っていた。
倒した守将の名より先に、盾を替えて前へ戻った武将や、荷車を押して走った人の顔が浮かんだ。
*
自分の城へ戻ると、門の灯りがついていた。
残っていた者たちが、荷を受け取りに出てくる。
守備を引き受けてくれた城主から、変わりはないと報告された。
俺は礼を言った。
何度も言った。
その夜、卓には温かい汁物が置かれた。
俺と律は、向かい合って座った。
しばらく、食器の音だけがした。
一口飲む。
温かかった。
飲み込んでから、急に手が止まった。
律が顔を上げた。
「どうしたの」
「帰ってきたんだな」
自分で言って、ようやく実感した。
律は頷いた。
「うん」
卓の端には、明日読むべき書簡がある。
助かった城。
失ったもの。
これから調べる記録。
全部、残っている。
俺は匙を取り直した。
もう一口、飲んだ。
扉の向こうで、カイの声がした。
「腹減った」
レンが何か言い返す。
そのあと、聞き慣れない女の声が続いた。
「寝て起きて最初がそれ?」
律が笑った。
俺も笑った。
周が、三人分の器を運んでいく。
その音を聞きながら、俺はようやく、背もたれへ身体を預けた。




