よくあるやつ
第百二十八話 最上級兵によるお迎え
「付き合いだからな」
玄が言った。
「顔を出すだけだ」
巌が続いた。
「新しい商いの確認も、副盟主の仕事ですから」
真砂が頷いた。
俺は三人を見た。
店へ入る前から、誰も聞いていない説明が多かった。
*
夜会処、月灯り。
扉の向こうから、柔らかな音楽が聞こえる。
料理と酒を楽しみながら、店の女性たちと話ができるらしい。
開店祝いに各地の幹部を招いたので、ぜひ顔を出してほしい。
届いた書簡には、そうあった。
「一杯だけにしよう」
俺が言うと、全員が頷いた。
この時の頷きだけなら、同盟はかつてないほどまとまっていた。
*
中は、男だらけだった。
交易の会で見た顔。
攻略へ参加した顔。
少し前に、妻へ贈る器を選んでいた顔。
皆、俺たちを見ると、ほっとした。
「盟主殿も、お付き合いで?」
「ええ、まあ」
答えてしまった。
その瞬間、この店にいる全員が、誰かに付き合って来たことになった。
最初に言い出した者は、どこにもいなかった。
席へ案内される。
巌の前へ酒が置かれ、玄の横へ店員が座る。
真砂は料金表を読んでいた。
俺も読もうとしたが、料理を勧められて後回しにした。
カイは菓子を食べている。
レンは店内を一周見回し、小声で尋ねた。
「律は?」
「城だ」
「いや、場所を聞いてるんじゃなくて」
「新しい店へ行くとは言った」
レンは少し考え、菓子の皿を自分の方へ寄せた。
「早めに食っとくか」
*
一杯は、なかなか減らなかった。
飲み終わる前に注がれるからだ。
料理も、次々に来た。
「皆様、お忙しいんですね」
そう言われた巌が、大きく頷いた。
「まあな。近頃は道の相談が多くて――」
話が始まった。
いつもなら佐伯が止める。
今日は佐伯がいなかった。
玄は、辛い肉料理をもう一皿頼んでいた。
真砂は会場の配置を褒めていた。
俺は、そろそろ帰ろうと言う時機を探していた。
探しているだけだった。
そこで、別の案内が卓へ置かれた。
「お隣の別館では、さらにゆっくりお過ごしいただけます」
俺は読んだ。
裏返した。
もう一度、表へ戻した。
読み間違いではなかった。
詳しい説明は省く。
ただ、茶を飲んで話をするだけの部屋ではなかった。
「真砂」
「初めて見ました」
まだ何も聞いていなかった。
巌の話が止まる。
玄の箸が止まる。
カイだけが菓子を噛んでいた。
「帰ろう」
俺が言った。
全員が頷いた。
この夜、二度目の見事な一致だった。
その時、鐘が鳴った。
*
ごうん。
一度。
ごうん。
二度。
続いて、石畳を踏む足音。
揃っていた。
重かった。
聞き覚えのある、上級兵よりさらに重い軍靴だった。
窓際の男が外を見た。
「最上級兵……?」
店中が静かになった。
俺は窓へ寄った。
表の道に、盾の列。
裏の通路にも、槍を持った兵。
武器は構えていない。
だが、どの出口へ行っても、きちんと挨拶を受ける配置だった。
「包囲されてるな」
レンが言った。
「まだ分からない」
俺は答えた。
その時、表を巨嶽が横切った。
岩成もいた。
少し遅れて、沈烈が現れた。
「俺の武将がいる」
思わず言うと、カイが窓から顔を出した。
「おーい、沈烈!」
沈烈は見上げた。
俺と目が合う。
静かに一礼された。
助けに来た顔ではなかった。
*
入口が開いた。
晴。
千景。
杏。
朱音。
ほかの同盟の女性たち。
そして律。
赤い飾り灯りが、彼女たちの目へ映り込んでいた。
目が光っている。
いや、灯りだ。
そういう仕組みだ。
俺は自分へ説明した。
律は笑っていた。
「楽しそうだね」
俺は何も言えなかった。
巌が立ち上がった。
「いや、これは付き合いで」
玄も立った。
「俺も、付き合い」
真砂が料金表を閉じた。
「商いの視察を兼ねておりまして」
千景が一同を見た。
「では、皆さん同じ用件なんですね」
なぜか、逃げ道が一つ減った気がした。
*
店の女性たちは、杏が別室へ案内した。
働く内容が説明と同じだったか、困っていることはないか。
店主には、届出と別館の案内を持ってきてもらう。
その間、俺たちには空いた広間で待つように言われた。
卓と椅子は、端へ寄せられていた。
敷物だけが、広々と残っている。
俺はその光景を見て、嫌な予感がした。
晴が言った。
「はい。皆、座って」
玄が椅子へ向かいかけた。
千景が見た。
玄は戻った。
巌が敷物の上へ腰を下ろした。
膝を揃える。
真砂も続いた。
俺も座った。
正座だった。
各同盟の幹部が、一列に並んだ。
見事に高さが揃っていた。
カイが俺の後ろを通り抜けようとした。
「俺たちは護衛だから」
律が言った。
「菓子、おいしかった?」
カイが止まった。
「……うまかった」
「座ろうか」
カイが座った。
レンも、諦めたように隣へ座った。
*
「まず、聞きます」
千景が紙を開いた。
「今日は何の集まりですか」
「付き合いで」
端の城主が答えた。
その隣も頷く。
「付き合いで」
さらに隣。
「私も付き合いで」
晴が首を傾げた。
「誰の?」
沈黙した。
俺は玄を見た。
玄は巌を見た。
巌は真砂を見た。
真砂は店主を見た。
店主は入口を見た。
入口には岩成がいた。
「なるほど」
千景が何かを書いた。
何を記録されたのか、知りたくなかった。
*
「俺は、飯が出ると聞いて」
玄が言った。
「食べた?」
杏が尋ねた。
「食べた」
「おいしかった?」
「おいしかった」
「じゃあ、その部分は自分の意思だね」
「……はい」
巌が咳払いをした。
「俺は、知った者へ挨拶を」
朱音が尋ねた。
「何人に?」
「何人だったかな」
「お酒は?」
「少し」
晴が空いた瓶を一本持ってきた。
巌が見た。
晴がもう一本持ってきた。
「分かった。多かった」
返事が早かった。
*
真砂は姿勢を正した。
すでに正座だったが、さらに背が伸びた。
「私は、運営の仕組みを確認しようと」
「何が分かりましたか」
千景が聞いた。
「席の配置と、接客の人数、それから――」
「別館の営業内容は?」
「到着後に知りました」
「確認の仕事は、まだ終わっていないんですね」
「はい」
「では、届出の整理をお願いします」
真砂は目を閉じた。
「承知しました」
巌が少し肩を揺らした。
千景がそちらを向いた。
「巌は、土地の持ち主と周辺の同盟への説明を」
肩が止まった。
「……分かった」
*
律が俺の前へ来た。
しゃがんで、目の高さを合わせる。
怒鳴られるより、ずっと逃げにくかった。
「夕食、待ってたよ」
「ごめん」
「遅くなるって、送れたよね」
「送れた」
「何で送らなかったの?」
俺は考えた。
忙しかったわけではない。
書簡が使えなかったわけでもない。
少し後ろめたくて、あとで説明すればいいと思った。
「説明しにくくて、後回しにした」
律はしばらく俺を見ていた。
「うん」
それから、俺の前へ紙を置いた。
「今度の説明は、後回しにしないでね」
各同盟へ出す会議の案内だった。
俺は受け取った。
「はい」
後ろから、カイの小さな声がした。
「これ、守備の補正は効かないのか?」
レンが答えた。
「姿勢には効いてるんじゃないか」
俺は振り返らなかった。
*
話し合いの結果、店の問題は俺たちの夕食の話だけでは済まなかった。
飲食店として届け出た店が、説明のない別館まで営業しようとしていた。
働く者の中にも、その別館の仕事内容を聞いていない人がいた。
各同盟の幹部が来店することを、勝手に営業のお墨つきとして使った看板もある。
千景が店主へ告げた。
「別館は開けられません。こちらの店も、届出と料金、働く人への説明を確認するまで、営業を止めてください」
店主は、正座の列の端で頷いた。
いつの間にか増えていた。
俺は横を見た。
男たちは皆、真面目な顔だった。
そのうち半分ほどは、足の感覚とも戦っているようだった。
*
「それでは、今日はここまで」
千景が紙を閉じた。
救われたと思った。
玄が勢いよく立とうとした。
膝が伸びなかった。
「待っ」
俺の肩を掴んだ。
俺も立ちかけていた。
二人で傾く。
巌が支えようとした。
巌も動けなかった。
三人で、ゆっくり元の正座へ戻った。
晴が口元を押さえた。
律は顔を背けた。
杏は、もう笑っていた。
カイが立ち上がった。
「俺は平気だ」
一歩進んだ。
妙な声を出した。
レンの肩へ倒れ込む。
レンも一緒に座った。
入口で待っていた沈烈が、深く息を吐いた。
「帰還に介助が要るとは聞いていない」
*
翌日の会議は、異様に静かだった。
夜の営業。
接客を伴う店。
性的なサービスを扱う店。
それぞれを同じ飲食店の届出で済ませない。
料金と営業内容を事前に示す。
働く者へ、説明していない仕事をさせない。
同盟の名や幹部の来店を、勝手な推薦に使わない。
別の地域へ移れば同じ営業ができる、という抜け道も作らない。
各同盟の代表が、一つずつ確認した。
昨日の店にいた者が多かった。
「異論は?」
誰も手を上げなかった。
真砂が、ゆっくり手を上げた。
全員の視線が集まる。
「申請の窓口は、地域ごとに残し、記録を共有した方がよいかと」
「では、その案を」
「はい」
玄が視線を逸らした。
すぐに説明会の会場手配を任された。
俺は全同盟の回答を取りまとめ、巌は店主たちへの説明へ回る。
昨日、付き合いで来た男たちは、今日から正式な担当者になった。
*
決まりは、驚くほど早く整った。
交易でも通行でも、何度も文面を直してきた。
今回は、返事が速かった。
訂正も具体的だった。
誰も、いつまでも話を持ち帰らなかった。
「初めてじゃないか」
玄が、書類の束を見ながら言った。
「何が」
「同盟を越えた決まりが、ここまで完全にまとまったの」
真砂が筆を置いた。
「共通の課題が、よく理解されていましたから」
巌が鼻を鳴らした。
「足の痛みもな」
俺たちは、しばらく黙って作業した。
*
夜、律と食事をした。
今日は、帰る時刻を先に伝えた。
遅れなかった。
食べ終わったあと、俺は気になっていたことを聞いた。
「兵は、少し多くなかったか」
「近くで合同訓練をしてたから、晴が迎えを頼んだんだって」
「武将まで?」
「客が逃げて道に溢れたら危ないからって」
「逃げる前提だったのか」
律は俺を見た。
「裏口、見た?」
俺は黙った。
律が笑い出した。
少しして、俺も笑った。
翌朝、机に新しい書類が積まれていた。
真砂の字で、紙が一枚添えられている。
『付き合いでお集まりの皆様へ。本日の作業は午前からです』
その下に、巌の字があった。
『椅子はある』
俺は、その一文に深く安堵した。




