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正臣モテる

第百二十二話 本人だけが知らない


 正臣が、机の前で腕を組んでいた。


 書簡は三通。


 装備の受け渡しにしては、考え込む時間が長い。


「何か揉めたか」


 俺が尋ねると、正臣は顔を上げた。


「いや。棚の相談が増えてる」


「棚?」


「奈緒さんに図を送っただろ。あれを見た人からも、うちの倉庫を見てほしいって」


 彼は一通をこちらへ向けた。


 物資の整理について、都合のよい日に相談したい。


 そのあとに、よければ夕食も、と続いている。


 俺は最後まで読んだ。


「……そうか」


「何だ、その間は」


「夕食にも誘われてるな」


「見てもらった礼だろ」


 正臣は次の書簡を開いた。


 こちらは市場の道具屋へ付き合ってほしいという内容だった。


 使いやすい棚を選びたいが、自分では判断しにくい。


 都合が合えば二人で、と書かれている。


「これも、買い物か」


「そう書いてある」


 間違いではない。


 俺は返事に困った。


 正臣は、ため息をついた。


「奈緒さんと行く日には重ねたくないから、先に聞いておこうと思って」


「それは、そうした方がいいな」


「最近、仕事以外の予定を決める方が難しい」


 俺は廊下へ出た。


 少し離れたところで、杏がこちらを見ていた。


 目が合うと、彼女は口元を押さえた。


 知っている顔だった。


     *


「いつからだ」


 小声で尋ねると、杏は首を傾げた。


「何が?」


「正臣」


「少し前から」


 杏は窓際へ寄った。


 広場では、正臣が倉庫の鍵を確かめていた。


「合コンで話したあと、仕事を一緒にする機会が増えたでしょ。頼んだことを忘れないし、できない時はちゃんと言うから」


 忙しいから、今日は無理だ。


 ここまではできるが、その先は別の人に聞いた方がいい。


 以前より、そういう返事ができるようになっていた。


 引き受けたことは覚えている。


 終わったあとには、使いにくいところがないか確認する。


「あと、自分が役に立った話を、あまりしないんだよね」


「倉庫の話は長いぞ」


「倉庫が便利になった話は長いけど、自分が頑張った話にはならないの」


 言われてみれば、そうだった。


 正臣の説明に出てくるのは、箱と棚と、使う人の動きだ。


「その真面目さを、いいなと思う人がいる」


「本人は、棚の相談だと思ってる」


「本当に棚の相談の人もいるから、全部そうだとは言わないけど」


 杏は笑った。


「少なくとも、相談が終わったあとも会いたい人はいるよ」


     *


 紗良と話したのは、その日の午後だった。


 今は倉庫全体の配置を見直していて、彼女の担当場所でも意見を集めていた。


 正臣が作った図も、一つの候補として回っている。


「この高さなら、私でも上の物を取れます」


 紗良が図へ印をつけた。


「前は、踏み台がいると言っていたな」


「はい。覚えていてくれたみたいです」


 俺は頷いた。


 彼女は少し間を置いて、紙を揃えた。


「正臣さん、最近、よく頼まれていますね」


「ああ。本人は忙しくなったと思ってる」


「そうでしょうね」


 紗良が小さく笑った。


 その表情を、俺は久しぶりに見た気がした。


「前から、仕事は丁寧でしたから」


 彼女は図の端を指で押さえた。


「だから、私も話しやすかったんです」


 あの時のことが、その場に戻ってきた。


 俺は返事を急がなかった。


「今も、連絡は決めた通りですか」


「はい。用件は担当の人を通してくれます。会っても、無理に話を続けようとはしません」


「そうか」


「最初だけかもしれないと、思っていました」


 正直な言葉だった。


 紗良は目を落とした。


「でも、私が普通に挨拶しても、それを理由に距離を詰めてこなくて」


 俺は黙って聞いた。


「それで、少し安心しました。最近は、ああ、こういう真面目なところのある人だったなって、また思います」


 その言葉を、正臣へ伝えようとは思わなかった。


 彼女は俺に、今の仕事場について話している。


 俺が持っていけば、違う意味を持ってしまう。


「この案、使えそうか?」


 俺が図へ視線を戻すと、紗良も頷いた。


「はい。ここだけ直してもらえれば」


 彼女は、以前より落ち着いた手つきで筆を取った。


     *


 次の市場の日、正臣は約束より早く城を出た。


 理由を聞くと、道が混んでいたら困るからだと言った。


 俺にも覚えがあったので、笑えなかった。


 午後、律と買い物へ出ると、器の店の前に二人がいた。


 奈緒が小さな鉢を見ている。


 正臣はその隣で、似た形のものを二つ持ち、重さを比べていた。


「こっちの方が軽いですね」


「でも、色はこっちが好きなんです」


「ああ……そうか」


 正臣は手の中の鉢を見直した。


「毎日見るものですからね」


 奈緒が顔を上げた。


「はい」


「じゃあ、こっちですね」


「そんなに簡単に変えていいんですか」


「俺が使うわけじゃないので」


 奈緒が笑った。


 俺は足を止めかけたが、律に袖を引かれた。


「向こうへ行こう」


「声をかけなくていいか」


「今は、いいと思う」


 離れる前に、奈緒が別の棚を指すのが見えた。


 正臣は鉢を店主へ預け、また隣へついていった。


     *


 二人と顔を合わせたのは、そのあとだった。


 広場の茶屋で席を探していると、奈緒が先に気づいて手を振った。


「よかったら、こちらへ」


 正臣が、少しだけ困った顔をした。


 俺は断ろうかと思った。


 だが、律が自然に挨拶し、奈緒が椅子を寄せたので、短い時間だけ同席することにした。


 卓には、器の包みが置かれていた。


「いいものが見つかった?」


 律が尋ねると、奈緒は嬉しそうに頷いた。


「予定より買ってしまいました」


「一つずつ、ちゃんと選んでいましたよ」


 正臣が言った。


「最初の店に戻る時も付き合ってもらって」


「気になっていたなら、戻った方がいいですから」


 奈緒が正臣を見た。


 彼は茶を飲んでいて、その視線に気づかなかった。


 俺は律を見た。


 律も俺を見た。


 何も言わなかった。


 奈緒は包みへ手を添えた。


「棚のことも、助かりました。今度、お礼に何か作りますね」


「いや、あのくらいなら」


「私が作りたいんです」


 正臣が口を閉じた。


 奈緒は少し笑った。


「何が好きですか?」


「……煮込みです」


「じゃあ、そうします」


 正臣は耳まで赤くなっていた。


 それを見て、奈緒も少し俯いた。


     *


 帰り際、正臣が水を買いに席を立った。


 律は器の包み方を見せてもらっている。


 その合間に、奈緒が俺へ小さな声で聞いた。


「正臣さんって、誰にでもあんな感じですか?」


「どんな?」


「頼まれると、一生懸命考えてくれるところです」


「ああ。それは、そうだと思う」


「そうですか」


 少し残念そうに聞こえた。


 だが、すぐに奈緒は頷いた。


「でも、今日、一緒に来てもらえてよかったです」


 正臣が戻ってくる。


 奈緒は顔を上げた。


 俺の返事を待つより、その姿を見る方が早かった。


     *


 翌朝、正臣がまた俺の机へ来た。


「聞いていいか」


「何だ」


「奈緒さんが、料理を作ってくれるって言ってたんだが」


「聞いてた」


「棚の図のお礼としては、もらいすぎじゃないか」


 俺は筆を置いた。


 しばらく考えた。


 軽々しく、好かれていると言い切るわけにはいかない。


 それでも、棚の寸法ばかり考えていていい場面でもなかった。


「奈緒さんは、作りたいって言ってたぞ」


「うん」


「お前と、また会いたいんじゃないか」


 正臣が黙った。


 返事を考えているというより、初めてそこへ思い至った顔だった。


「……そういうことか?」


「少なくとも、嫌なら誘わないだろ」


「いや、でも、礼儀として」


「お前は、誰にでも煮込みを作って招くか」


 正臣は口を閉じた。


 それから椅子を引き、座った。


 立っているのが難しくなったらしい。


「俺、何を返せばいい」


「楽しみにしてるって、言えばいいんじゃないか」


「それだけで?」


「本当に楽しみなんだろ」


 彼は頷いた。


 その顔が、嬉しそうに崩れた。


     *


 正臣が帰ったあと、玄が入ってきた。


 扉の方を振り返り、にやりと笑う。


「あいつ、最近もててるな」


「お前も知ってるのか」


「だって、会のあとに正臣が次も来るか聞かれたぞ」


 俺は顔を上げた。


「誰に」


「何人かに。勝手に話していいか分からんから、名前は言わない」


 その辺りは、妙にしっかりしていた。


 玄は椅子へ座った。


「で、本人は?」


「棚の相談が増えたと思ってる」


 玄が卓へ突っ伏した。


 肩が揺れている。


 俺も笑ってしまった。


「前はあんなに羨ましがってたのにな」


「自分のことになると、分からないんだろ」


 俺が言うと、玄が顔を上げた。


「お前が言うと、説得力あるな」


 そこは否定できなかった。


 窓の外では、正臣が書簡を持って立ち止まっていた。


 一度開き、読み返し、丁寧に畳む。


 それから、いつもより少し速く歩き出した。


 たぶん今、ようやく気づき始めていた。

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