黒幕的な
第百二十一話 該当なし
報告を読み終え、男は指先で頁を戻した。
第三世界と第四世界。
統合から情動制限の解除まで、その経過を並べた記録だった。
戦争の件数。
同盟の分裂。
土地の移動。
城主同士の書簡。
数値は揃っている。
だが、予測と結果の間に、無視できない差が生じていた。
「うーん」
男は北西の地図を拡大した。
広い範囲が、一つの色で塗られている。
「ここまで早く落ち着くとは、見ていなかったな」
部屋の向こうにいる記録担当が、別の資料を開いた。
「解除直後の推移は、想定の範囲内でした」
「そうだね。問題は、そのあとだ」
第三世界には、闘争衝動と怒りの持続を抑える調整が施されていた。
第四世界では、身近な集団への帰属意識が強められていた。
その状態で、長い時間を過ごさせた。
相手を許せると思っていた者が、許せなくなる。
仲間のためなら耐えられた者が、自分の負担へ目を向ける。
恐怖や欲求も戻る。
以前と同じ関係を続けようとするほど、互いの変化に傷つく。
混乱は、もっと長引くはずだった。
「実際、関係の破綻は起きています」
記録担当が言った。
「現在も、すべての地域が沈静化したわけではありません」
「分かっている。穏やかになったと、一括りにはできない」
男は北西の一角を指した。
「ただ、ここを起点に、変化が広がっている」
*
二百人という条件が公表された時、周辺の緊張は明確に高まった。
小同盟の城主数が、軍事的な価値を持った。
配下を含める。
その一文によって、相手を従わせることが兵種の解放へ直結する。
すでに多くの場所で、土地や砦を理由に戦争が起きていた。
そこへ新たな動機が加われば、どうなるか。
予測は難しくないはずだった。
「北西では、その経路を通らなかった」
男が言った。
記録担当が頷いた。
「今回の再編において、人数条件を満たすための強制的な配下化は確認されていません。合併による拡大です」
「単に言葉を替えただけでは?」
「少なくとも、参加を断った同盟への攻撃はありません。既存の通行契約も継続しています」
別の記録が開く。
交渉の席。
条件の修正。
参加を見送った者への返事。
男は順に眺めた。
上手く隠しているだけではないか。
不利益をちらつかせ、相手から望んだ形にしていないか。
そうした可能性も調べられていた。
圧力をまったく感じなかった者ばかりではない。
大きなまとまりが隣にできれば、それだけで判断は変わる。
しかし、相手を追い込むために、その不安を積極的に利用した形跡は薄かった。
むしろ、加入しない者の道を残すために手間をかけている。
「面倒なやり方だ」
男は呟いた。
「もっと簡単に人数を集められる」
「本人も、それは理解していたようです」
「その上でか」
男は、最初の呼びかけの書簡を開いた。
かつて北西の猫で盟主を務めた者として。
その一文を読んで、目を細めた。
*
始まりを一人に求めるなら、その城主になる。
自ら表へ出て、合併の条件を提示した。
だが、それだけで北西がまとまったわけではない。
動きを見ていた元盟主たちが、次々に連絡を取り始めていた。
活動を縮小していた者まで、近隣の調整へ戻っている。
兵を動かすためではない。
兵を動かさずに済ませるために。
記録担当が、関係する人物を並べた。
「巌、佐伯、湊、真木。ほかにも複数の旧有力同盟関係者が動いています」
「命令を受けたのか」
「いいえ。最初の接触は、相手側からのものも多くあります」
男は椅子へ座り直した。
突出した一人が大勢を従わせるなら、まだ分かりやすい。
その一人の権限と能力を見ればいい。
今回は、少し違っていた。
呼びかけを受けた者が、自分の知る相手へ話をし、自分の判断で問題を拾う。
中心の城主が把握する前に、紛争が片づいていることさえある。
「第三世界の帰属意識を増幅したわけではないよね」
「該当する調整はありません」
「解除後の再介入は」
「ありません」
男は、同じ報告を別の角度から見直した。
協力した者たちは、中心人物を無条件に肯定していない。
案に反対し、条件を書き換え、引き受けない仕事を伝えている。
それでも、席を離れなかった。
「……傑物と評して、差し支えはないか」
口にしてから、男は評価欄へ手を伸ばさずに止めた。
「ただ、何が優れているかを、一つに絞りにくいな」
軍事的な成果はある。
外交上の実績もある。
しかし、それぞれの仕事だけを見れば、同等以上の城主はいる。
本人が迷い、周囲から促されて動いた記録も残っている。
強い言葉を送ろうとして止められたこともある。
すべてを見通した人物には見えなかった。
それでも、彼が名を出すと、止まっていた人間が動いた。
かつて受け取った返事や、終わるまで付き合ってもらった小さな揉め事を、相手が覚えていた。
評価資料としては、ひどく扱いにくい。
戦果のように、数を足せば済むものではなかった。
*
次の頁には、婚姻件数の推移があった。
男は少し眉を上げた。
「これは?」
「友好関係の変化に関連する指標として追加しました」
婚姻。
祝いの席への参加。
共同の食事会。
装備取引。
それらを介した書簡が増えた地域では、争いが始まっても、当事者以外が早い段階で接触していた。
性的欲求の回復は、混乱を起こした。
望まない接触や、関係の破綻も生じた。
その一方で、新たな関係が結ばれている。
共同生活を望む者が増え、それを支える交流の場まで作られ始めた。
「都合よく、幸福になったという話ではありません」
記録担当が言った。
「問題は引き続き発生しています。ただ、その処理を担う者が増えています」
「なるほど」
男は一件の噂を開いた。
結婚のために北西をまとめた盟主。
しばらく読んで、笑った。
「本人の目的が、ずいぶん分かりやすくなっている」
「実際の経緯とは一致しません」
「だろうね」
だが、広まった話が無意味というわけでもない。
巨大同盟へ集まる理由が、戦争の準備だけではなくなる。
少なくとも、住人たちの間では。
男は評価欄へ戻った。
数値の入力を見送り、文章を一行足した。
『当該城主の行動を起点とした、他城主の自発的な協力に注目』
*
「もう一件、未処理の報告があります」
記録担当の声が変わった。
男が顔を上げる。
表示されたのは、二人の武将だった。
カイ。
レン。
どちらも、低位のランクが付されている。
装備を替え、城の庭で打ち合っている記録だった。
片方が足を叩かれ、もう片方が笑う。
そのあと、二人は同じ皿から干し果物を取っていた。
「会話の深度に異常がある、という件か」
「それだけではありません」
記録担当が検索結果を開いた。
武将の原簿。
登用対象の一覧。
実装済みの個体情報。
名前を変え、識別情報を変え、条件を広げて照合している。
結果は、同じだった。
該当なし。
男は画面へ近づいた。
「二人とも?」
「はい」
「非公開の登録では」
「そちらにも存在しません」
部屋が静かになった。
住人が知り得ない武将はいる。
まだ解放していないものも、条件を隠してあるものもある。
しかし、これは違った。
調べる側の一覧に、存在していない。
「では、何を登用した?」
記録担当は答えず、別の資料を開いた。
*
デュアル武将。
未実装の機能に関する資料だった。
二体を組み合わせることで、一組として固有の働きを持つ。
単独の能力だけでは完結しない。
役割を分け、条件を満たした時に連動する。
男は仕様を読み、カイとレンの戦闘記録へ視線を戻した。
同じ対象に接し、一方が副将としてついた時、格上殺しの働きが強まっている。
「……枠は、これか」
「構造上は一致する部分があります」
「投入した覚えはない」
「予定されていた個体とも一致しません。名称、外見、会話情報のいずれも不明です」
男は黙った。
機能の受け皿はある。
だが、そこへ入るはずのない二人がいる。
低いランクのまま、最高位の相手へ特異な補正を示す。
互いを知っているように話し、その一方で記憶は曖昧だという。
所有する城主さえ、仕組みを理解していない。
「代行の異常では?」
「城主機能の自動代行とは、別系統です」
「では、こちらの想定していない個体が、未実装の枠を使って動いている、と」
「現時点では、その説明が最も近いかと」
男は二人の映像を止めた。
カイが何かを言い、レンが振り返るところだった。
無害に見える。
それが、判断を容易にはしなかった。
*
「削除処理を行いますか」
記録担当が尋ねた。
男はすぐには答えなかった。
一覧にない。
投入した記録もない。
それだけなら、取り除く理由としては十分だった。
だが、発生の経路が分からないまま消せば、分からないままになる。
同じものが再び現れるのか。
二人が対になった理由は何か。
なぜ、この城主のもとへ来たのか。
分かっているのは、すでに世界へ影響を与えているということだけだった。
「削除はしない」
男が言った。
「観察を続ける。直接の干渉も、今は控えて」
「承知しました」
「所有する城主の評価と、この二体の異常は分けて記録しておいて。すべてを武将の影響として片づけないように」
記録担当が頷いた。
男は映像を再開した。
城の庭へ、一人の女性が出てきた。
律だった。
カイが皿を持ち上げて見せる。
レンが何か言い、城主が笑う。
特別なことは起きなかった。
四人は食べ物を分け、しばらく話し、それぞれの仕事へ戻っていった。
男は最後まで見てから、表示を閉じた。
資料には二つの未確定が残った。
予測より早く、人々の協力を引き出した城主。
そして、原簿に存在しない二人の武将。
同じ城にあるという事実だけでは、まだ何も説明できなかった。




