調整
第十一話 東の土地
カイが広間へ戻ってきたとき、俺はまだ窓のそばに立っていた。
「もう少しって、どのくらい?」
「今、用意してもらってる」
「じゃあ、座って待つ」
カイはいつもの椅子を引いた。腰を下ろす前に一度だけ足を止め、ゆっくり座る。朝よりは動きやすそうだったが、腿の痛みがなくなったわけではないらしい。
俺も机の上を片づけた。
昨日の出兵について書いた紙を重ね、その下へ地図をしまう。東側に付けた印が、紙の端から少しだけ見えていた。
「そこ、次の候補?」
カイが聞いた。
「うん。石が取れるみたいだから」
「石、足りないんだっけ」
「次の建物にも使う。倉庫を大きくするのにも」
食料と木材は、少しずつ増えている。
石材も全く増えないわけではない。ただ、何かを建てようとするたびに必要量を見て、その数字が貯まるまで待つことになった。
東の土地を取れれば、それが少し楽になる。
今朝は、それだけで行き先を決めかけた。
「今日は決めないんじゃなかった?」
「決めない。場所を見ただけ」
カイは頷いた。
運ばれてきた椀を受け取り、両手で包む。
「じゃあ、明日だな」
「明日、考える」
そう言って、地図を紙の下へ押し込んだ。
*
翌朝、最初に届いたのは募集完了の知らせだった。
補充した二人を加え、兵数は二十に戻っていた。
続いてカイの状態を確かめる。昨日より回復しているが、今日はまだ遠くへ歩かせたくなかった。
畑への配置ならどうかと思い、勤務の内容を周に確認する。
その途中で、表示の隅に小さな印が付いた。
書簡。
最初に送った手紙の返事だろうか。
少し急いで開いた。
差出人は、玄。
見覚えのない名前だった。
『東隣の城の玄です。近くまで土地を広げているようなので、先に連絡します。両城の間にある石材の取れる土地は、こちらで取得を予定しています。そちらは北側へ進んでもらえると助かります』
下に、土地の位置が添えられていた。
開く。
昨日、俺が印を付けた場所だった。
「……先に言われた」
思わず呟くと、周がこちらを向いた。
「何かございましたか」
「この土地、取る予定だって」
書簡を見せる。
周は内容を確認した。
「現時点では、所有者は設定されておりません」
「予約できるわけじゃないんですよね」
「土地を取得する機能とは別の、書簡によるご連絡です」
つまり、まだ誰の土地でもない。
そのはずなのに、急に触ってはいけない場所になった気がした。
玄の城を探す。
俺の城より東にあった。
周囲にいくつか、玄のものらしい土地が並んでいる。こちら側へ一列に伸ばしているわけではなかったが、問題の土地まで遠くはない。
城同士が隣というだけなら、もっと距離があると思っていた。
一つの土地を欲しがるところまで、もう近づいていたらしい。
*
返信の欄を開いた。
『こちらでも取得を予定しています』
書いて、止まる。
これだけでは、同じことを言い返しただけだった。
『石材が不足しているため、できればこちらで取得したいです』
続けてみる。
そちらも不足していると言われたら、どうすればいいのだろう。
俺は指を止めたまま、地図を見た。
玄の示した北側にも土地はある。
ただ、石材が取れる場所へ行くには、途中の土地を一つ余分に取らなければならなかった。守備情報も、東の候補より重い。
簡単に北へ行けるなら、最初からそちらを選んでいる。
そう思った途端、腹が立った。
『北側は、今の兵力では負担が大きいです。まだ所有されていない土地なので、一方的に行き先を決められると困ります』
最後の一文を書いて、読み返す。
少し強いかもしれない。
けれど、困っているのは本当だった。
「送らないのか?」
カイが入口に立っていた。
いつからいたのか分からなかった。
「隣の城から手紙が来た」
「へえ」
「東の土地を取るから、俺は北へ行ってくれって」
カイが机の横へ来る。
俺は書簡を見せた。
カイは読み終えてから、地図に顔を寄せた。
「北って、ここ?」
「もう少し先。ここを通らないといけない」
「遠いな」
「だろ」
同意してもらえて、少し勢いがついた。
返信を送る。
送信済みの文字が出てから、最後の一文が急に気になった。
もう遅かった。
*
返事を待つ間、兵舎へ行った。
補充された兵も、ほかの兵と同じように並んでいた。
誰が新しく来た二人なのか、すぐには分からない。名簿を開けば分かるのだろうが、俺はそこまでしなかった。
カイが簡単な号令を出す。
二十人が向きを変え、止まる。
昨日休ませた分、カイの動きも落ち着いて見えた。
「今日は出るのか?」
「まだ決まってない」
「土地の返事待ち?」
「うん」
俺は地図を開いた。
東の土地は、まだ誰の色にもなっていなかった。
玄が今から出兵している可能性もある。
そう思ったら、兵がここにいることまで遅れに感じた。
「こちらが先に着けば、取れるんですか」
周へ尋ねた。
「守備兵との戦闘に勝利し、占領が完了すれば、ご自身の土地になります」
「相手が向かってても?」
「他の部隊の行動によって、状況が変わる場合がございます」
詳しく聞こうとして、やめた。
俺は昨日、次を急がないと決めたばかりだった。
今は土地を取れるかどうかより、玄に先を越されたくないという気持ちで、出兵の項目を探している。
それでも、相手が先に動いたらどうする。
待っているだけで、こちらだけ損をするのではないか。
表示を閉じることもできずにいると、カイが言った。
「歩かせるなら、先に言ってくれよ。装備を着けるから」
槍を持っている手を見た。
画面の中で早い遅いを考えている間に、こいつをまた出すつもりになっていた。
「今日は、まだ着けなくていい」
俺は出兵の欄を閉じた。
*
返事は昼前に来た。
『一方的に決めたつもりはありません。こちらはその土地へ向かうために、手前の土地を取得しています。そちらにも別の進路があるので、調整できないかと思って連絡しました』
もう一通、続いていた。
『こちらも石材が足りません。そちらが先に取った場合、今まで使った兵と資源が無駄になります』
読み終え、机に肘をついた。
言われてみれば、玄の土地の並びは、問題の場所へ向かっているようにも見えた。
俺は地図を広げ直した。
こちらからなら、今ある土地に続けて進める。
玄は、そのために途中の土地を取ったのかもしれない。
けれど、それを俺が知っているはずはない。
先に準備したと言われても、どこまで本当なのか分からなかった。
『そちらの予定は知りませんでした。こちらも昨日から候補にしていて、別の土地へ向かうには追加の負担が掛かります』
送る前に一度読んだ。
嘘は書いていない。
相手を罵っているわけでもない。
それでも、さっきより少し硬い文章になっていた。
送信する。
待っている間、昼食を取った。
カイが何か話したが、一度聞き返すことになった。
「だから、午後は畑に戻るのかって」
「ああ。ごめん。今日は短い時間だけで頼める?」
「分かった」
それきり食事が静かになった。
俺は書簡の印が出ていないか、何度も目を向けた。
*
午後の返事は短かった。
『そちらの都合だけでは決められません』
俺は椅子の背にもたれた。
こちらも同じことを言いたかった。
文章を打つ。
『それはこちらも同じです』
たったそれだけなのに、送るともう引き返せない気がした。
指を止める。
机の上には、昨日書いた紙が残っていた。
補充に使った食料。
カイを畑から外した時間。
二人の兵の損失。
土地を一つ取るだけで、あれだけ確かめることがあった。
隣の城と揉めたら、何を使うことになるのだろう。
まだ会ったこともない玄が、頭の中では嫌なやつになっていた。
そのくせ、顔すら知らない。
「周さん」
「はい」
「この人と、直接話すことはできますか」
「お互いに場所と時刻を決めていただければ」
できるらしい。
書簡を送り合うより、余計にこじれるかもしれない。
相手が兵を連れてきたらどうする。
そもそも会いに来るだろうか。
考えていると、畑から戻ったカイが入口で靴の土を落としていた。
「返事来た?」
「来た。話が進まない」
「何て?」
見せると、カイは眉を寄せた。
「その前は?」
一つ前も見せる。
「最初から見せて」
結局、全部開くことになった。
カイは順番に読んだ。途中で俺の顔を見ることも、相手を悪く言うこともなかった。
「これ、二人とも同じこと言ってない?」
「……どっちも欲しいってこと?」
「うん」
俺は返しかけた言葉を飲み込んだ。
自分の事情は、十分に説明したつもりだった。
相手の事情も書いてある。
どちらも、それで相手が引いてくれるのを待っている。
「会ってみようかと思う」
「いいんじゃない」
「簡単に言うな」
「俺は手紙より、その方が分かる」
カイは空いている椅子に座った。
「俺も行く?」
少し迷ってから、頷いた。
*
未送信の一文を消した。
代わりに、会って話したいと書いた。
問題の土地の近くに道が分かれる場所がある。双方の城から離れすぎていないところを、地図で選んだ。
同行者は一人。
兵の部隊は連れていかない。
話が済むまでは、問題の土地へ双方とも出兵しない。
最後の条件を書いたところで、手が止まった。
こちらがそう書いたからといって、相手が守る保証はない。
けれど、その保証を求め始めたら、会う前にまた書簡が増えるだけだった。
俺は送信した。
返事が来たのは、夕方になってからだった。
『明日の昼でお願いします。こちらも一人連れていきます。話が終わるまでは、その土地へは出兵しません』
文末に、短く付け足されていた。
『こちらも、隣と揉めたいわけではありません』
俺はその一文を二度読んだ。
返信を書く。
『分かりました。明日、向かいます』
今度は、すぐに送れた。
地図の東側には、まだ誰のものでもない土地がある。
朝から一つも形は変わっていない。
ただ、その向こうにある城を見たとき、初めて玄がそこで返事を待っている様子を考えた。




