婚姻
第百十七話 同じ家へ
婚姻の話をしたのは、会議のない夜だった。
律と二人で夕食を取り、皿を下げたあとも、そのまま卓に残っていた。
合併は一段落している。
明日にはまた書簡が届くだろうが、今夜中に決めなければならないことはなかった。
律が空の皿を見た。
「こういう日、増えるといいね」
「ああ」
俺は湯呑みを置いた。
何度か考えていた言葉を、今度は仕事の話で隠さなかった。
「律。俺と結婚してほしい」
彼女の指が止まった。
顔を上げる。
俺は続けた。
「会いに来てもらって、帰っていくのを見送るのも好きなんだけど、最近は、帰らなくてもいい日を考える」
律が少し笑った。
俺も、ようやく息を吐けた。
「一緒に飯を食って、そのあと別々に仕事をしててもいい。何も話さない日があっても、一緒の家へ戻りたい」
律は黙って聞いていた。
「そういう暮らしを、律としたい」
彼女はゆっくり頷いた。
「うん」
それから、もう一度。
「私も、したい」
俺は手を伸ばした。
律の手が重なった。
握ると、彼女も握り返した。
用意していたはずの言葉が、もう出てこなかった。
律が笑った。
「さっきまで、ちゃんと話してたのに」
「返事をもらった先を、あまり考えてなかった」
「そこ、大事じゃない?」
「かなり」
笑い合ってから、俺は彼女の隣へ座り直した。
肩を抱くと、律は少し身体を預けた。
顔を近づける前に目が合った。
彼女が顎を上げた。
口づけは短かった。
離れたあと、どちらもすぐには話さなかった。
*
知らせを受けた七人の反応は、揃わなかった。
杏は嬉しそうに手を叩いた。
葉は笑って、おめでとうと言った。
岳は頷き、二人の住まいと城の行き来が大変にならないか聞いた。
朔は、祝いの費用を同盟の資源から出す話になっていないか確認した。
「なってない」
「ならいい。俺からは別で出す」
玄はしばらく俺を見ていた。
「そうか」
「ああ」
「じゃあ、今度から律を誘う時、お前もついてくるのか?」
「毎回ではない」
律がすぐに言った。
皆が笑った。
俺も笑ったが、少しだけ残念そうな顔をしていたらしい。
「ほら、そういう顔する」
玄に言われ、何も返せなくなった。
*
巌は盛大に笑った。
「俺の助言が効いたな」
「違う」
「違うそうです」
佐伯がすぐに追い打ちをかけた。
巌は気にせず、俺の肩を叩いた。
「めでたいものは、めでたい」
それから律へ向き直り、今度は丁寧に頭を下げた。
「二人とも、おめでとう」
律も頭を下げた。
晴は、知らせを聞いたあと、何度も頷いた。
「そっか。そっかあ」
そして、俺たちを交互に見た。
「よかったね」
それ以上の言葉がないのに、胸へ届いた。
千景はすでに、当日の予定表を見ていた。
「二人へ仕事を回さない日を作るから、先に日を決めて」
「半日くらい空けば――」
「一日」
俺は口を閉じた。
「盟主が自分の婚姻の日まで仕事をする前例は、作らないで」
律が隣で頷いていた。
*
正臣は、祝いの席へ持ってくる箱を抱えて現れた。
受け取ろうとすると、少しだけ引いた。
「先に言わせろ」
「何だ」
「羨ましい」
「ああ」
「前より、ずっとだ」
律が笑いを堪えた。
正臣はそちらを見て、少し照れたように目を逸らした。
「……おめでとう。二人とも」
「ありがとう」
俺たちが礼を言うと、ようやく箱を渡してくれた。
中には、普段より少し上等な茶が入っていた。
弥平が横から覗いた。
「ちゃんと選んだんですね」
「当たり前だろ」
「ずっと悔しいって言ってたので」
「悔しいのと、祝わないのは別だ」
そう言ってから、正臣は俺の腕へ触れた。
「そのうち、俺にもいい話があったら聞けよ」
「もちろん」
彼は頷き、料理を運ぶ側へ回った。
*
祝いは、俺の城の庭で行った。
律と相談して、大きくしすぎないつもりだった。
それでも、椅子は足りなくなった。
合併の会議で顔を合わせた者たちが、料理や花を届けに来た。
長く残れないからと、祝いの言葉だけ置いて帰る人もいた。
誰かが出席を数えることはなかった。
周は朝から忙しく動いていた。
俺が手伝おうとすると、着替えてくるように言われた。
部屋へ戻ると、カイとレンが待っていた。
「変じゃないか」
上着を着た俺が聞くと、カイは真面目に見た。
「いつもより、かなりいい」
「いつもが悪いみたいに言うな」
「悪い時もある」
レンが襟を直した。
「今日はこれでいい。もう触るな。さっきから同じところを直してる」
沈烈は扉のそばに立っていた。
「守備の報告は、急変がない限りこちらで預かる」
「頼む」
「今日は、向こうへ行け」
窓の外から、声が聞こえた。
律が来たらしい。
俺は廊下へ出た。
*
律は杏と一緒にいた。
落ち着いた色の衣に、小さな花を添えている。
俺を見つけると、少し姿勢を正した。
しばらく、その場から動けなかった。
「何か言ってあげて」
杏に促され、ようやく声が出た。
「綺麗だ」
律が笑った。
「ありがとう」
杏は満足そうに頷き、先に庭へ出た。
二人だけになった廊下で、律が俺の袖を見た。
「ちゃんと着られたね」
「三人に確認された」
「それは安心」
俺は手を差し出した。
律が取った。
庭へ出ると、晴が真っ先にこちらへ手を振った。
巌の大きな声が響く。
玄が何か言い、朔がたしなめ、葉が笑っていた。
人前で言葉を交わす時、俺は一度だけ詰まった。
律の手を握り直した。
彼女がこちらを見たので、その顔に向かって言った。
「これから、よろしく」
「こちらこそ」
思っていたより短い言葉で、十分だった。
*
夕方になると、客は少しずつ帰っていった。
最後まで残った者たちが片づけを手伝い、周へ礼を言って門を出た。
庭の灯りを減らす。
皿の音が遠ざかる。
律は窓辺に立っていた。
俺が隣へ行くと、彼女は振り返った。
「今日は、楽しかったね」
「ああ」
「明日、声が枯れてそう」
「巌は確実だな」
律が笑った。
俺は窓を閉めた。
北西の外では、今も争いが続いている。
届いている書簡も、明日には読まなければならない。
それでも今夜は、律を門まで送らなくてよかった。
廊下へ出ると、周がこちらを見た。
「お茶は、お二人分でよろしいですか」
俺は律と顔を見合わせた。
「うん」
彼女が答えた。
「二人分、お願いします」




