書いていて甘酸っぱい
第百十四話 覚えていた人たち
佐伯から届いた書簡には、すでに会議の日程が三つ並んでいた。
参加予定の同盟。
話し合う項目。
同席を避けたい相手がいる場合の、個別の聞き取り時間。
俺がこれから作ろうと思っていたものだった。
『巌様が先に人へ声をかけるので、こちらも動かざるを得ません』
いつもの調子だった。
だが、その下に小さく追記があった。
『今回は、揉めてから書類が回ってくる前に始められそうです』
俺はその一行を、少し長く見た。
佐伯には、何度も後始末を任せてきた。
表で話がまとまったあと、土地の返還を確認し、約束の抜けを拾い、相手が不満を抱えない形へ直してくれた。
今回は最初から一緒に考えられる。
ありがたい、と返事を書いた。
それだけでは足りない気がして、条件案を全部添えた。
*
湊からは、人の名が届いた。
大きな同盟を離れ、数人で暮らしている者。
戦争の知らせを読むのがつらくなり、外とのやりとりを減らしていた者。
砦攻略には参加しないが、周囲の道や城の事情をよく知っている者。
『勝手に協力者として数えるなよ。話を聞いてもいいと言っていた人だけだ』
そこは、湊らしかった。
俺は一人ずつ連絡した。
すぐには返事の来ない相手もいた。
何日か経ってから、短い書簡だけが届くこともあった。
『兵は出せない』
『だが、南の二つの同盟なら知っている』
『互いに相手が攻めると思って、守備を集めているだけだ。一度に同じ内容の書簡を送ってほしい』
俺はその提案を受け、文面を作った。
どちらか一方だけに譲歩を求めない。
双方が合意した時刻に、境界へ出した部隊の一部を戻す。
残す守備と、戻す部隊を事前に知らせる。
小さな取り決めだった。
世界へ向けた大きな宣言より、具体的だった。
返事をくれた城主は、両方の同盟へ確認を取ってくれた。
約束の時刻。
地図の二か所で、部隊が動いた。
互いの城へ近づく動きではなかった。
それぞれの土地へ戻っていった。
宗吾が報告を閉じる。
「止まったな」
「ああ」
俺は、その城主へ礼を書いた。
返事は翌日だった。
『昔、こちらの返還確認を最後まで待ってくれたことを覚えている』
『今度は、こちらが間に合ってよかった』
俺は記録を探した。
名前に覚えはあった。
だが、そのやりとりを、すぐには思い出せなかった。
相手は覚えていた。
*
真木は、直接来た。
以前より少ない人数で暮らしていると聞いていた。
外の戦争へは、なるべく関わらないようにしていたらしい。
「もう少し、見ていようと思ってたんだけどな」
茶を受け取りながら言った。
「無理に動かなくても――」
「そう言うと思った」
途中で遮られた。
真木は笑っていたが、次の言葉は真面目だった。
「お前が名を出したのを見て、まだ黙ってるのも違うと思ったんだ」
俺は返事に困った。
「そこまで期待されるほどのことは、まだ何もしてない」
「今度の話だけじゃない」
真木は湯呑みを置いた。
「あの時、助けに行って、それで終わりにならなかっただろ。土地のことも、残った相手のことも、ずっと話してた」
戦争のあとを思い出した。
勝てば、もっと簡単になると思っていた頃がある。
実際には、勝ってから届く書簡も多かった。
俺にとっては、片づいていない問題が残っていたから続けた仕事だった。
「あれを見てた人はいるよ」
真木が言った。
「だから、今回も最後まで話ができる相手だと思った」
胸の奥が、少し苦しくなった。
自分では、何度も迷い、返事を遅らせ、周りに直してもらった記憶の方が強かった。
それでも誰かには、最後まで席に残っていたことが見えていた。
「……何を頼める?」
俺が聞くと、真木は頷いた。
「近いところを回る。書簡じゃ、何を怖がってるのか分からない相手もいるからな」
俺は地図を開いた。
今度は、遠慮せずに頼んだ。
*
すべてが好意的な返事ではなかった。
『結局、北西の猫を作り直すつもりか』
『他同盟を配下にした者が、今回は合併だと言うのか』
『盟主が替わっただけで、過去の戦争を忘れたわけではない』
読めば、腹が立つ文面もあった。
だが、こちらが説明すべきことも含まれていた。
猫の再結成を決めたわけではない。
以前の戦争について、評価を変えてくれと頼むつもりもない。
今回提示する条件を読んで、その上で判断してほしい。
そう返した。
葉が書簡を仕分けている間、晴は届いた協力の申し出を読んでいた。
「思ったより、たくさん来たね」
「ああ」
「びっくりしてる?」
「かなり」
正直に答えた。
晴は紙を揃えた。
「私が頼んだのも、似た理由だよ」
俺は顔を上げた。
「できないことはできないって言うけど、そのあとも一緒に考えてくれるから」
「いつも、うまくできたわけじゃない」
「知ってる」
返事が早く、少し笑ってしまった。
晴も笑った。
「私も、その場にいたし」
*
最初の合併協議には、予定より多くの人が来た。
参加を考えている盟主だけではない。
今の同盟員の意見を持ってきた代表。
近隣同士の事情を説明するために来た者。
合併そのものには加わらないが、話がこじれそうなら間に入ると言ってくれた者。
椅子が足りなくなり、俺は廊下へ取りに出た。
向こうから、律が二脚持ってきた。
「こっちにもあった」
「ありがとう」
一脚を受け取る。
部屋の中では、巌が声の大きい二人の間へ座っていた。
佐伯が資料を配り、千景が名前を確かめている。
晴は、初めて来た人へ茶を勧めていた。
俺は入口で足を止めた。
「こんなに手伝ってもらえるとは思わなかった」
律も部屋を見た。
「あなたが覚えてないことを、覚えてる人もいるんだと思う」
「そうらしいな」
「だからって、期待どおりに全部やろうとしないでね」
俺が顔を向けると、律は椅子の背を軽く叩いた。
「今日、手伝いに来た人たちなんだから。ちゃんと手伝ってもらって」
俺は頷いた。
二人で椅子を運び入れた。
席につく前に、俺は集まった人たちへ頭を下げた。
「来てくれて、ありがとう」
部屋が静かになった。
「今日は、どの同盟を誰の配下へ入れるかを決める場ではありません。合併して一緒にやれることと、今のまま残したいことを、両方聞かせてほしい」
奥にいた城主が手を上げた。
「話を聞いて、入らないと決めてもいいんだな?」
「いい」
「それでも、隣との道の相談には乗ってくれるのか」
「乗る。ただ、俺だけでは手が回らないこともある」
言い終える前に、真木が手を上げた。
「その辺りなら、俺が聞ける」
佐伯が紙へ名前を書き込んだ。
俺はそれを見てから、もう一度部屋を見渡した。
俺の返事を待つ人だけが、集まっているわけではなかった。
「じゃあ、道の話も今日聞こう」
空白だった記録に、最初の議題が書き込まれた。
第百十五話 古くからある話
「古来、婚姻外交というものがあってだな」
巌が言った。
俺は茶を飲むのをやめた。
卓の向こうで、律も動きを止めていた。
会議は終わっている。
合併を考えている同盟から持ち寄られた条件を整理し、残った数人で遅い食事を取っていたところだった。
佐伯が、巌の皿へ料理を取り分けた。
「食事中ですので」
「食事中だから言ってるんだ。会議じゃ言わん」
「できれば、そのまま忘れていただきたかったのですが」
玄が笑った。
俺は湯呑みを置いた。
「合併の条件に、そんなものは入れないぞ」
「分かっとる」
巌はあっさり頷いた。
「お前らが隣に座っとるのを見て、思い出しただけだ」
律が俺を見た。
俺も律を見てしまった。
それを見た玄が、さらに笑った。
「二人とも、こっちを見ればいいのに」
「お前は食べろ」
「食ってる」
晴が不思議そうに尋ねた。
「二人が結婚すると、合併の話は進むの?」
「進まない」
俺と律の声が重なった。
卓が笑いに包まれた。
*
食後、巌は俺を廊下へ呼び止めた。
律は杏たちと片づけをしていた。
「悪かったな」
「今さらか」
「嫌そうなら、途中でやめた」
「どこで判断したんだ」
「顔だ」
頼りになるのかならないのか、分からない返事だった。
巌は窓の外を見た。
門を出ていく馬車がある。
今日の会議へ来た、北の小同盟の使者だった。
「真面目な話、縁が増えりゃ、簡単には兵を出しにくくなる」
今度は笑っていなかった。
「顔も知らん相手なら、土地の色だけ見て取れる。知った顔が住んどるとなれば、その先を考える」
「知っているから揉めることもある」
「ある。だから、結婚すりゃ戦争がなくなるなんて話じゃない」
巌はこちらを向いた。
「ただな。次に会う約束がある相手へ、今夜、兵を出すのは難しくなる。そういうものも、使えるうちは使えばいい」
俺は黙って聞いた。
「会議だけで二百人を集めても、また散るぞ。飯でも訓練でも市でもいい。顔を覚える機会を作れ」
さっきの冗談より、ずっと重い話だった。
俺は頷いた。
「それは、晴に相談してみる」
「向いとるな」
巌が笑った。
そして歩き出しかけ、振り返った。
「お前らのことは、自分らで決めろ。俺が先に祝うくらいは許せ」
「まだ何も決まってない」
「だから、先にと言っとる」
*
帰り際、律と少し歩いた。
城門の灯りが背中へ遠ざかる。
見送るだけのつもりだったが、道の分かれ目まで来ても、どちらも足を止めなかった。
「さっき、ごめんな」
俺が言うと、律は首を振った。
「あなたが言ったんじゃないでしょ」
「でも、人前でああいう話は」
「びっくりはした」
律は足元を見た。
しばらく歩いてから、続けた。
「嫌だったわけじゃないよ」
返事ができなかった。
律がこちらを見た。
「そこは、何か言って」
「……俺も」
ようやく出た声が、それだった。
律は笑った。
その顔を見て、俺も少し笑えた。
だが、今度は笑って済ませたくなかった。
「合併のためには、したくない」
「うん」
「周りが安心するからとか、まとまりやすくなるからとか。そういう理由で、律と一緒になるのは違うと思う」
律は黙って聞いていた。
俺は立ち止まった。
「でも、俺は律が好きだ」
道の先で、馬の鈴が鳴った。
自分の声が、ちゃんと届いたのか分からなくなるほど、耳が熱かった。
「これからも会いたいし、できれば、一緒に暮らしたいと思ってる」
律はすぐには答えなかった。
視線を落とし、息を吸った。
「……私も好きだよ」
俺は彼女を見た。
律は顔を上げた。
「だから、嬉しい」
それから少し笑って、付け足した。
「もうちょっと、上手に隠してるつもりだった?」
「そんなに分かってたのか」
「分からない時もあった。仕事の話ばかりになると」
「それは、ほかに何を話したらいいか」
「知ってる」
律の手が、俺の袖に触れた。
「一緒に暮らす話も、したい。でも、お互いの城とか、仕事とか、決めたいことはある」
「ああ」
「今日は、好きって言ってもらえたところを、ちゃんと覚えて帰りたい」
俺は頷いた。
繋いだ手は、思っていたより温かかった。
その夜、俺たちは婚姻の日を決めなかった。
次に会う日だけを、決めた。




