あのてこのてようじ
第百十話 用事がなくても
市場から戻る途中、律が小さな包みを俺に渡した。
「これ、レンに」
「俺が頼まれてたんだぞ」
「装備のお礼。使ってくれて嬉しかったから」
干し果物だった。
自分でも買うつもりでいたのに、気づかなかった。
俺が武器屋で短剣の説明を聞いている間に、買っていたらしい。
「ありがとう。伝える」
「カイにも分けてね」
「あいつら、その辺は勝手に分けると思う」
「取り合う方?」
「たぶん」
律が笑った。
道の分かれるところで足を止める。
ここから先は、それぞれの城へ戻る道だった。
もう少し話したかった。
何か確認し忘れたことはないかと考えて、やめた。
「また、来ないか」
律がこちらを見た。
俺は続けた。
「今度、装備を試した結果も――」
そこまで言って、口を閉じた。
それなら書簡で済む。
律は待っていた。
「……いや。用事がなくても」
言い終えると、道を走る荷車の音が、やけに大きく聞こえた。
律は少し目を伏せた。
それから頷いた。
「じゃあ、今度はそっちから来て」
「ああ」
「うちの方にも、見てない店があるでしょ」
「ある」
たぶん、店がなくても行ったと思う。
それはまだ、言わなかった。
*
会う回数は、少しずつ増えた。
毎日ではない。
律には律の同盟があり、俺にも仕事があった。
予定していた日に、どちらかが行けなくなることもある。
そんな時は理由を伝え、次に空く日を聞いた。
最初は装備の交換に合わせて会った。
次は律の城で昼を食べた。
その次は、俺が近くまで行った帰りに寄った。
「近くって、どこ?」
律に聞かれて答えると、彼女は地図を見た。
「それ、結構遠回りじゃない?」
「道はつながってる」
「それは、そうだけど」
笑われた。
俺も笑ってしまった。
帰りに寄ったという言い方を、次からやめた。
*
同盟の中で最初に気づいたのが誰だったかは、分からない。
少なくとも、葉は早かった。
「明後日の打ち合わせ、午前にまとめていい?」
俺が尋ねると、彼女は予定表から顔を上げた。
「午後は律?」
「ああ」
「分かった」
それだけだった。
安心して書類へ戻ると、少し間を置いて聞かれた。
「服、買ったの?」
俺は顔を上げた。
「……一枚」
「うん。似合ってる」
葉は真面目な顔で記録を続けた。
その横で、杏が口元を押さえていた。
晴には、もっと直接聞かれた。
「今度は二人で何するの?」
「まだ決めてない」
「決めてないのに会うんだ」
そう言ってから、晴は自分で嬉しそうな顔になった。
俺は書類を揃えた。
「悪いか」
「全然」
返事が早かった。
「いいなと思っただけ」
それ以上聞かれなかったのが、かえって恥ずかしかった。
*
正臣がその話を知ったのは、共同倉庫の仕事が終わったあとだった。
彼は、以前とは別の組で働いていた。
紗良への直接の連絡はしていない。
担当場所へ訪れることもなかった。
顔を合わせれば、まだ少し気まずそうにする。
ただ、頼まれた仕事はこなし、分からないことは確認するようになっていた。
その日は弥平と一緒に、装備の箱を整理していた。
俺が受け取りの確認に行くと、弥平が言った。
「明日の午後なら、この防具も試せます」
「明日は、午前だけなんだ」
「ああ、律さんと」
正臣の手が止まった。
ゆっくり、こちらを向く。
「……何?」
弥平が俺を見る。
俺は弥平を見る。
なぜ俺に説明をさせるのかと思ったが、逃げるほどのことでもなかった。
「会う約束をしてる」
「仕事か?」
「いや」
正臣はしばらく黙った。
箱の蓋を閉める。
留め具をかける。
それから、もう一度こちらを見た。
「羨ましい」
あまりにも正面から言われて、返事ができなかった。
「すごく、羨ましい」
弥平が咳払いをした。
笑いを堪えたのだと分かった。
正臣はそれにも気づいたらしく、眉を寄せた。
「笑うな。俺は今、かなり悔しい」
「いや、すみません」
「しかも何だ、その服。前よりちゃんとしてるじゃないか」
俺は袖を見た。
「普通だろ」
「普通じゃない。前は肘が擦れてた」
そこまで見られていたのか。
今度は弥平が完全に笑った。
正臣も、怒る相手を失ったように息を吐いた。
*
片づけが終わると、弥平が茶を持ってきた。
正臣は帰らず、箱を裏返して腰掛けた。
俺も隣の椅子に座った。
「何を話すんだ」
正臣が聞いた。
「律と?」
「ほかに誰がいる」
「装備とか、城のこととか。食べ物の話もする」
「それは俺もしてた」
言ってから、正臣の顔が変わった。
湯呑みへ視線を落とす。
「……同じじゃないのは、分かってる」
俺は黙って待った。
「前に笑ってくれたから、次も会ってくれると思ってた。断られたあとも、うまく話せば戻ると思った」
倉庫の外を、荷車が通った。
正臣はその音が遠ざかるまで口を閉じていた。
「今なら、帰りたいって言われた時に退けばよかったって思う」
「ああ」
「でも、その時は自分が何を言うかばっかり考えてた」
俺には、気の利いた返事が見つからなかった。
だから、聞かれたことだけに答えた。
「俺も何を話すか、考えて行くよ」
正臣が顔を上げた。
「そうなのか」
「でも、だいたい考えていた話にはならない」
「……お前でもか」
「俺を何だと思ってる」
「書簡を無限に書けるやつ」
弥平がまた笑った。
俺も笑った。
正臣は少し遅れて、口元を緩めた。
*
翌日の夕方、正臣は同盟の食卓へ来た。
ここしばらく、食事を受け取ると自分の城へ戻っていた。
入口で立ち止まっているところへ、昂生が椅子を引いた。
「そこ、空いてるぞ」
正臣が座る。
弥平が、昨日の装備の話を振った。
普通の夕食が始まった。
俺が少し遅れて入ると、正臣はすぐに気づいた。
「どうだった」
「何が」
「その顔で、何がはないだろ」
卓の向こうで、杏が笑った。
晴までこちらを見た。
俺は空いている席へ座り、汁の椀を取った。
「普通に会ってきただけだ」
「くそ。普通に会えるのが羨ましいって言ってるんだ」
正臣が大きく息を吐く。
昂生が彼の皿へ肉を一つ置いた。
「食え」
「肉で済むか」
そう言いながら、正臣は食べた。
今度は本人も笑った。
それで、前のことが消えたわけではない。
紗良の担当を戻す話は出なかったし、彼女にこの輪へ加わってもらおうとする者もいなかった。
ただ、正臣の隣には人が座り、明日の仕事の相談が始まっていた。
俺が律と何を食べたかまで聞かれたので答えると、正臣はまた悔しがった。
晴が肩を揺らした。
千景は笑いながら、明日の集合時刻を二度言った。
*
城へ戻ると、律から書簡が届いていた。
『今日はありがとう。次は私が行くね』
短い文だった。
俺は返事を書くために座った。
日程を確かめる。
来てくれるのを楽しみにしていると書く。
少し考えて、そのまま送った。
窓辺で、レンが干し果物を食べていた。
「今度はいつだ?」
俺は顔を上げた。
「どうしてお前が聞く」
「菓子を買っておこうと思って」
「俺が用意する」
「そうか」
レンはそれ以上言わなかった。
隣でカイが手を伸ばし、残りの一つを取った。
小さな言い合いが始まる。
俺は次に律が来る日を、予定表へ書き込んだ。
用件の欄は、空けておいた。




