↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
110/200

うえい

第百八話 帰ってくる声


 南の戦争が終わったのは、雨の朝だった。


 灰橋同盟が、奪った土地のうち二つを返す。


 残る一つは、元の持ち主が別の土地への交換を希望したため、取得に必要な道を灰橋側が用意する。


 こちらの輸送路へは攻撃しない。


 晴の同盟も、相手の城へ向けた進軍を止める。


 取り決めを読み終え、俺は末尾に日付を入れた。


 向こうから届いた確認の書簡には、謝罪の言葉がなかった。


 こちらの事情を理解したとも、やりすぎたとも書かれていない。


 ただ、条件を履行するとあった。


「これで、いいのかな」


 晴が尋ねた。


 納得していないというより、確かめたい顔だった。


「土地の持ち主は、この条件で止めたいと言っている」


「うん」


「道も使える。これ以上続けて取るものを考えると、俺は止めた方がいいと思う」


 晴はもう一度書類を読んだ。


 宗吾の前には、今も部隊の配置図が開かれている。


 命令を出せば、戦争は続けられる。


 勝ち切ってから終わることも、たぶんできた。


 だからこそ、晴の返事を待った。


「分かった。止めよう」


 宗吾が筆を取った。


 帰還命令が送られていく。


 俺は、そこでようやく背もたれに身体を預けた。


 肩が痛かった。


 何日も同じ姿勢で書簡を書いていたことに、今さら気づいた。


     *


 昼前には、倉庫へ向かう荷車が動き始めた。


 恭介が道の状態を確認し、朱音が護衛の人数を減らしてもよい区間を示した。


 二人はまだ、必要なことから話していた。


 以前の戦争に触れれば、朱音の声が硬くなることもある。


 それでも今日の仕事は進んだ。


 紗良は、別の組で物資の受け取りに戻っていた。


 正臣からの直接の連絡は、止まっている。


 晴はその報告を聞き、何か言いかけてから、ただ頷いた。


 もう大丈夫だと決めてしまわないようにしているのだと思った。


 少しずつ片づいている。


 そう言っていい日だった。


 だが、葉が開いた世界地図から、交戦の印が消えることはなかった。


「南東、また増えた」


 彼女が言った。


 大連合の解散時に分けた砦を巡って、争いが再開していた。


 北東では、停戦のあとに戻らなかった部隊が別の同盟を攻撃している。


 中央へ近い地域では、装備を探すための進路が重なり、昨日まで協力していた者同士が衝突したという。


 すべてが意識統制の解除だけで説明できるわけではない。


 資源が足りない。


 相手に先を越されたくない。


 前から嫌っていた。


 仲間が攻撃された。


 理由を読むと、見覚えのあるものも多かった。


 ただ、以前なら一晩置いたかもしれない返事が、その日のうちに出撃へ変わっていた。


「全部に返事はできないね」


 晴が言った。


 助けを求める書簡だけで、机の一角が埋まっていた。


 千景が頷いた。


「できることを伝える返事と、引き受ける返事は分けましょう」


 晴はつらそうだったが、反対しなかった。


 俺は自分の担当分を引き寄せた。


 その中に、律の書簡があった。


 指が、そこで止まった。


     *


 律の同盟の近くでも、小さな戦闘が続いていた。


 直接攻められてはいない。


 ただ、二つ隣の同盟が割れ、どちらが道の許可を出せるのか分からなくなっている。


 その確認を手伝ってほしいという用件だった。


 文面の最後に、こうあった。


『南はどうなった? まだ忙しいなら、こちらは待てる』


 俺は先に、その返事を書いた。


 南は止まった。


 今日なら話せる。


 送ってから、ほかの書簡より先に返したことに気づいた。


 理由はある。


 道の問題は広がる前に整理した方がいい。


 律は余計な情報を混ぜずに持ってくる。短い時間で話せる相手だ。


 そう考えたところで、葉が俺を見ているのに気づいた。


「何だ」


「少し休んだら」


「今から律と話す」


「うん。じゃあ、お茶を入れてから」


 それ以上は何も言わなかった。


     *


 面会の表示に現れた律は、髪を後ろでまとめていた。


 何本かほどけて、頬にかかっている。


 机の上には地図と、小さな皿があった。


「食事中か?」


「食べろって言われたから」


「麻緒に?」


「うん。話しながらでもいいからって」


 律は少し困った顔で笑った。


 俺も笑った。


 その顔を見た途端、南の戦争が終わったことを、さっきよりはっきり感じた。


「そっちは、眠れてる?」


 尋ねられ、返事が遅れた。


「昨日は少し」


「それ、私が言ったら怒るでしょ」


「怒りはしない」


「じゃあ、長く説明する」


「……するな」


 律が笑った。


 その声を、もう少し聞いていたかった。


 用件は短く済んだ。


 道の持ち主に確認すべきことを揃え、所属が変わっても以前の通行許可が続くのか、当人に聞くことにした。


 軍を出す約束はしない。


 返事が来るまでの輸送は、少し遠いが安全な道を使う。


 話が片づくと、律は地図を畳んだ。


「助かった」


「このくらいなら、いつでも」


 言ってから、少し言いすぎたと思った。


 律は皿へ手を伸ばした。


 焼いた芋らしかった。


 一口食べて、まだ熱かったのか、口元を押さえる。


 俺は地図ではなく、その手を見ていた。


「何?」


「いや」


「そっちも食べてないんじゃない?」


「あとで食べる」


「今、取ってきてもらえばいいのに」


 何でもない会話だった。


 前にも、似たことを話している。


 なのに、今日は相手の声が終わる前から、次に何を言おうか考えていた。


 仕事の話を増やせば、もう少しつながっていられる。


 そう思ってしまい、口を閉じた。


 律は皿を置いた。


「じゃあ、また返事が来たら送るね」


「ああ」


 表示が閉じる。


 机の向こうが空になった。


 俺はしばらく、そこを見ていた。


     *


 自分の城へ戻ったあと、周に夕食を頼んだ。


 待っている間に、律から追加の書簡が届いた。


 通行の件の補足。


 最後に一行。


『ちゃんと食べてね』


 俺はその一行を、二度読んだ。


「返事、そんなに難しいのか?」


 カイが椅子の向こうから覗いた。


 反射的に紙を伏せた。


 カイは俺の手を見て、それから顔を見た。


「何だよ」


「何でもない」


「じゃあ、そんな勢いで隠すな」


 彼は卓上の果物を一つ取り、窓辺へ行った。


 俺は伏せた紙へ手を置いたまま、動けなかった。


 律が無事なら安心する。


 疲れていたら、休んでほしいと思う。


 それはほかの仲間にも同じだった。


 けれど、用件が終わっても話を続けたかった。


 ほかの誰かと笑っているところを想像すると、その場に自分もいたいと思った。


 声だけでなく、隣で顔を見たかった。


 そこまで考えて、ようやく認めた。


 俺は律が好きなのだ。


 いつからかは分からない。


 解除の前からあったものが強くなったのか、今まで別の名前で考えていただけなのか。


 今すぐ答えは出なかった。


 ただ、さっきの顔を思い出すと、また会いたいと思った。


 俺は紙を表へ返した。


 夕食は今からだと書く。


 それから、もう一文足しかけて、筆を止めた。


 次に会いたい。


 それだけの言葉が、戦争を止める書簡より書きにくかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。