戦争
第百六話 待ってはくれない
会議の机に、三種類の書類が並んでいた。
大城の偵察。
倉庫の利用。
同盟員同士の揉め事。
千景はそれを見て、最後の束を自分の前へ引き寄せた。
「大城は延期したい」
晴が顔を上げた。
楽しみにしていたのは知っていた。
誰かの土地を奪うためではなく、仲間と一緒に攻略へ向かう。装備が出れば相談し、足りないところを埋める。
そういう時間が、ようやく戻ってくるはずだった。
「どのくらい?」
「今は決められない」
千景は眠そうだった。
髪はきちんとまとめている。服も乱れていない。
ただ、頁をめくったあと、同じところへ視線を戻すことが増えていた。
「昨日だけで、部屋を替えたいという相談が四件。会いたくない相手がいるという相談が二件。共同倉庫の当番を別にしてほしいというのが三件」
「同じ人の相談もある?」
杏が聞いた。
「ある。だから人数より、組み直す仕事の方が多い」
晴は偵察の書類に目を落とした。
「……延期しよう。向こうには私から謝る」
「事情は、俺から伝える」
そう言って紙を取った時、宗吾が入ってきた。
扉を閉める前に、俺たちの顔を見た。
「南で、攻撃があった」
*
攻められたのは、倉庫へつながる道の途中にある土地だった。
持ち主は、晴の同盟を抜けたばかりの城主である。
今は近隣の四人と小さな同盟を作っていた。
退盟したあとも、通行の取り決めは残している。
俺たちの荷車も通る道だった。
「相手は?」
「灰橋同盟。今朝、二つ取った。三つ目へ向かっている」
知らない名ではなかった。
王城の公開後、周囲の土地を急いで集め始めた同盟だ。
装備を探すための足場が欲しい、と近隣に説明していた。
俺はすぐに書簡を送った。
交戦の経緯を確認したい。
進軍を止め、話をする時間が欲しい。
返事が来るまでに、三つ目の土地が落ちた。
晴は地図を見ていた。
冬馬の名が守備候補の欄にある。
そこへ指を置きかけ、宗吾へ向き直った。
「今、無理なく出せる部隊は?」
「岳の組が一つ。昂生も出せる。ただし北の守備が薄くなる」
「北は岩成を置く。巨嶽も動かさない」
宗吾が頷いた。
晴は続けようとして、口を閉じた。
全員を出せば早い。
以前なら、その考えが先に立っていたかもしれない。
「まず道を守って。相手の城までは行かない」
俺はその指示を聞きながら、別の書簡を開いた。
被害を受けた城主からだった。
『こちらからは攻撃していません』
『昨夜、道の件で口論にはなりました』
『今朝になって、もう許可は要らないと言われました』
最後に、小さな文字があった。
『抜けたばかりなのに、頼ってすみません』
そこまで読んで、腹が立った。
誰に対してか、自分でも少し分からなかった。
頼みにくくしてしまった俺たちにか。
この時期を選んで攻めた相手にか。
助けたいと思った途端、また戦争の準備をしていることにか。
*
灰橋からの返事は、昼前に来た。
『当事者間で解決する問題です』
『貴同盟には関係ありません』
俺は、通行契約が残っていることを示した。
その土地が奪われれば、こちらの輸送も止まる。
相手から、すぐ次の返事が来た。
『晴の同盟は、退盟者の土地まで自領と見なすのですか』
文面を見た葉が、俺の前へ空の紙を置いた。
「一度、そっちに書いて」
「分かってる」
「分かってる時ほど、そうして」
俺は言い返しかけて、筆を持ち直した。
相手を屈服させる文章ではなく、何をすれば止まるのかを書かなければならない。
奪取した土地への追加進軍停止。
輸送路の確保。
当事者を交えた協議。
途中まで書いた時、岳から連絡が入った。
『こちらの守備部隊へ攻撃あり』
葉が目を閉じた。
宗吾が立ち上がった。
晴は、俺の手元の紙を見た。
「まだ、送れる?」
「送る。ただ、守備は続けないといけない」
「うん」
晴は自分の机へ戻った。
宣戦の文面を開く。
その手は止まっていた。
「また、これを書くんだね」
誰も励ませなかった。
*
夕方、戦争が始まった。
大きな戦争ではなかった。
少なくとも、その時点では。
守るべき道は短く、敵の数も見えていた。
だからこそ、つらかった。
勝てる見込みはあっても、今日使える兵と時間は限られている。
偵察は延期。
倉庫の移転も延期。
杏が予定していた、退盟者たちとの話し合いも一部を延期した。
ひとつの戦争が、ほかの問題の上へ覆いかぶさっていく。
千景は新しい予定表を作り直した。
消す線が増え、紙が汚れた。
その隣で、晴が一通の相談を読んでいた。
戦争とは関係のない書簡だった。
相手の城主と、二人きりで会うのが怖い。
前に断ったあとも、何度も誘いが届く。
共同作業の担当から外してほしい。
晴は読み終えて、紙を伏せた。
「杏、これ、今日話せる?」
「話す」
「ごめん。南も忙しいのに」
杏が首を振った。
「その人にとっては、今日の問題だから」
晴は黙って頷いた。
窓の外では、兵が出発していた。
廊下では、相談に来た城主が誰にも会わないよう、別室へ案内されていた。
戦争が起きたからといって、それ以外の苦しさが待ってくれるわけではなかった。




