守備と恋愛感情
第百七話 断った、そのあと
杏に呼ばれたのは、翌朝だった。
「相手の城への連絡をお願いしたい」
部屋には晴と千景がいた。
窓際に、一人の女性が座っている。
紗良という城主だった。
統合後に晴の同盟へ入り、倉庫の整理や物資の受け渡しを手伝っていた。
何度か顔を合わせている。
会うたび、相手より先に挨拶をする人だった。
今日は、俺が入ってきても顔を上げなかった。
「どこまで聞いている?」
杏に尋ねられ、俺は答えた。
「繰り返し誘われていることと、担当を替えてほしいことだけ」
「じゃあ、連絡に必要なところを、ここで確認したい。紗良、それでいい?」
紗良が頷いた。
膝の上で、指を組み直していた。
*
相手は、同じ同盟の城主だった。
名前は正臣。
輸送の仕事で何度も紗良と組んでいた。
意識統制の解除前から、話をすることは多かったという。
「嫌な人だとは思っていなかったんです」
紗良は言った。
「一緒に食事をしたこともあります。仕事が終わったあとに」
その一言を、釈明するように付け足したことが気になった。
晴も気づいたらしかった。
だが、口を挟まず続きを待った。
解除のあと、誘い方が変わった。
夜、城へ来てほしい。
二人で過ごしたい。
ほかの者には言わなくていい。
最初は遠回しに断った。
仕事がある。
疲れている。
すると、仕事がない日を聞かれた。
休めば会えるかと聞かれた。
「だから、そういうつもりでは会えないと、書きました」
紗良は一枚の書簡を出した。
返事には、今は皆が不安定なのだから、考えすぎない方がいいとあった。
自分も苦しい。
会えば分かる。
以前はあんなに笑ってくれたのに。
晴の眉が動いた。
千景が、机の下で彼女の腕に触れた。
「昨日、倉庫へ来たんです」
紗良の声が小さくなった。
「当番ではなかったのに」
「何かされた?」
杏が聞いた。
「帰ろうとしたら、入口に立たれて。話だけだからって」
直接、身体に触れられたわけではない。
それでも通れなかった。
ほかの当番が来たことで、ようやく帰れた。
「もう、二人になるのが嫌です」
晴が頷いた。
「分かった。同じ担当にはしない」
紗良は、それでも安心した顔にならなかった。
「私が仕事を外れた方が、早いでしょうか」
「あなたが続けたいなら、続けてほしい」
晴は今度はすぐに答えた。
「城へ来ないようにする連絡も、こっちで出す」
紗良の肩が少し下がった。
泣きはしなかった。
代わりに、机の端に置かれていた茶を初めて飲んだ。
*
正臣との面会には、俺と千景が出た。
晴は同席を望んだが、途中で、自分は怒りすぎるかもしれないと言った。
任せる、と口にするまでに時間がかかった。
正臣は疲れた顔をしていた。
何日か、よく眠れていないらしい。
「大ごとにするつもりはなかった」
最初の言葉が、それだった。
「俺だって、自分が急におかしくなって困っている。前は、こんなに頭から離れなかったわけじゃない」
俺は頷いた。
欲求が強まっていること自体は、ほかの相談でも聞いていた。
眠れない者もいる。
親しい相手を意識してしまい、仕事にならないという者もいる。
「その相談は別に聞ける」
千景が言った。
「今は、断られたあとも接触を続けたことを確認している」
「嫌われているとは思わなかったんだ」
「会えないとは言われたでしょう」
「でも、前は――」
そこで千景が書簡を置いた。
紗良が、そういうつもりでは会えないと伝えた文面だった。
正臣はそれを見た。
見覚えがないとは言わなかった。
俺は聞いた。
「倉庫の入口に立ったのは?」
「話を聞いてほしかった」
「通してほしいとは言われたか」
返事が遅れた。
「……言われた」
「それで、すぐに退いたか」
正臣は首を振った。
千景が条件を伝えた。
当面、紗良への直接の書簡を止める。
城や担当場所を訪れない。
業務上の用件は別の担当を通す。
輸送の組み合わせも変更する。
「謝りたいんだが」
「謝罪を受け取りたいかは、こちらから確認する。直接会いに行かないで」
正臣は不満そうだった。
同時に、恥ずかしそうでもあった。
「俺だけ、罰を受けるのか」
千景の指が止まった。
俺は先に答えた。
「断った側が仕事を辞める形にはしない」
正臣は何も言わなかった。
*
話は、その一件だけではなかった。
互いに好意があり、二人で過ごす時間を取りたいという相談もあった。
以前から一緒に暮らしていたのに、今は触れられたくないという人もいた。
逆に、相手に求められなくなったことを、自分への拒絶だと受け止めて苦しむ人もいた。
欲求の強さも、戻り方も揃っていなかった。
晴は報告の数を聞き、椅子に深く座り直した。
「同盟って、こんなことまで決めるものなのかな」
「二人がどう付き合うかまでは、決められない」
杏が答えた。
「でも、断ったあとに仕事へ来られなくなるなら、そこは私たちの問題」
千景が頷いた。
共同作業の組み合わせを変える。
私的な誘いへの返答を、役職や物資の便宜と結びつけない。
相談の中身を、本人の承知なく広めない。
必要なことを書き出すと、また仕事が増えた。
しかも、紙を出せば終わるものではなかった。
「うちに、全部話さなきゃいけないみたいにはしたくない」
晴が言った。
「好きな人ができたからって、私の許可なんか要らないし」
「そこも書こう」
杏が筆を取った。
俺はその横で、南の戦況報告を読んでいた。
守備は持ちこたえていた。
灰橋からは、晴の同盟による過剰介入だという書簡が周辺へ送られている。
返事を書かなければならない。
だが、隣の部屋では、紗良が明日の仕事へ行けるかを確かめていた。
どちらかが済むまで、もう片方を置いておくことはできなかった。
*
夜、晴が岩成に城門の守りを頼んでいた。
敵が迫っているわけではない。
相談に来た人が、帰りたくなるまで安心していられるようにしたいのだという。
岩成は理由を聞き、静かに頷いた。
「承った」
晴は礼を言い、こちらへ戻ってきた。
「URが出てよかった」
ぽつりと言った。
俺は城門を見た。
大きな盾を持った武将が、灯りの下に立っていた。
「本当にな」
机には、まだ未処理の書簡がある。
戦争も終わっていない。
正臣が約束を守るかも、明日から確かめていかなければならない。
それでも、その夜、紗良は一人で帰る必要がなかった。
迎えに来た友人と並んで門を出る時、彼女は岩成に会釈した。
岩成は道を開け、二人が角を曲がるまで立っていた。




