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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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第53章:黒坑日記


境内に、ようやく静けさが戻っていた。


親父が、こちらへ近づいてくる。


そして、俺の手にある鎌を見るなり、ニヤリと笑った。


「しかし、ひいじさんも、えらいもん隠しとったな」


「……え?」


「こんなんがあるって分かっとったら、俺が使っとったのに」


親父は、豪快に笑い飛ばした。


俺は思わず、鎌を身体の後ろへ隠した。


「ちょっ……親父!」


「はははっ! 冗談たい」


親父は笑いながら、俺の肩を叩いた。


「それは、お前が使え」


「俺が?」


「ああ。ひいじちゃんも、お前に使ってもらいたいんやろ」


俺は、手元の鎌に目を落とした。


ひいじいちゃんが使っていた鎌。


そして、あの男も、この鎌を知っていた。


――また、お前か。


あの言葉が頭に浮かぶ。


「……俺に、使いこなせるんかな」


「何言いよるとや」


親父は、あっさりと言った。


「さっき、ちゃんと使いよったやないか」


「いや……あれは」


言いかけて、口をつぐんだ。


あのときは、考えるより先に身体が動いていた。


まるで、ずっと前から知っていたような動きだった。


「まあ、これからたい」


親父が笑う。


「大事に使えよ」


「……うん」


俺は鎌の柄を握り直した。


そのとき、ふと視線を感じた。


顔を上げる。


美琴と目が合った。


美琴は、なぜか誇らしげな顔をしていた。


そして、胸の前に手を差し出すと、片手でVサインを作った。


その二本の指を、ちょき、ちょき、と動かしている。


「……?」


俺はキョトンとした。


何だ?


美琴は、さらに得意げな顔をする。


「美琴?」


声をかけると、美琴は慌てて手を下ろした。


「何でもなか!」


「いや、今の何なん?」


「何でもなかって!」


そう言って、美琴はそっぽを向いた。


けれど、口元は少し笑っている。


俺には、さっぱり意味が分からなかった。


そのときだった。


親父が、ふと思い出したように口を開いた。


「……そういや、灯真」


「ん?」


「お前、前に『黒坑』って呟いとらんかったか?」


「……黒坑?」


俺は一瞬、固まった。


「なんで親父が……」


「いや、あの男が言ってた『黒坑』って、前に聞いた気がしたとたい」


親父は首を傾げる。


「何かの名前かと思っとったばってん」


「ああ……」


俺は思い出した。


あのとき。


ひいじいちゃんの炭鉱日記を見ていたときだった。


一瞬だけ、表紙の文字が別のものに見えた。


「いや、あれは……」


俺は言葉を選びながら説明した。


「ひいじいちゃんの炭鉱日記の文字が、一瞬だけ『黒坑日記』って見えたんだ」


「黒坑日記?」


「うん。でも、次に見たときには普通に『炭鉱日記』って書いてあった」


親父が眉をひそめる。


「……そんなことがあったんか」


「俺も、見間違いだと思ってた」


古谷さんが、少しだけ表情を変えた。


「その日記は……」


「ああ」


俺が答える。


「まだ社務所に置いたままだったはず」


親父が社務所の方を見る。


「なら、ちょっと見てみるか」


「今?」


「気になるやろ」


古谷さんも頷いた。


「確認しておいた方がいいでしょう」


美琴も槍を持ち直した。


「行こう」


俺たちは、揃って社務所へ向かった。


中へ入る。


机の上には、資料や古い記録がまだ広げられていた。


その端に、一冊の古い日記が置かれている。


ひいじいちゃんが残した――炭鉱日記。


俺は手を伸ばした。


表紙を見る。


「……え?」


手が止まった。


親父も、古谷さんも、美琴も黙った。


そこに書かれていた文字。


俺たちが知っているはずの題名は――


『炭鉱日記』


だった。


……はずなのに。


今、目の前にある表紙には、はっきりと別の文字が刻まれている。


『黒坑日記』


「…………」


誰も、声を出さなかった。


俺は表紙から目を離せない。


「灯真……」


美琴の声が、すぐ横から聞こえた。


「これ……」


「ああ」


俺は答えた。


「俺が前に見たのと……同じだ」


親父が、日記を覗き込む。


「……黒坑日記?」


古谷さんも、じっと表紙を見つめている。


「いつから……」


その言葉の先は、誰にも分からなかった。


俺は、ゆっくりと表紙に手を置いた。


その瞬間――


背中を、冷たいものが走った。


これは、ただの見間違いじゃなかった。



(第53章、終わり)




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