第49章:仮説
俺は、机の上に残っていた古い記録に手を伸ばした。
最後に残っていた一冊。
表紙には、何も書かれていない。
ゆっくりと開く。
そこには、今まで調べてきたことが、いくつもの項目に分けて書かれていた。
『黒い影』
『封印』
『三池山』
『山伏』
『大蛇・白蛇』
『境界』
『各地に残る闇と影の伝承』
ページをめくるたびに、見覚えのある言葉が出てくる。
その一つ一つは、これまで俺たちが調べてきたものだった。
けれど、このノートでは、それらが別々に書かれているわけではない。
黒い影について調べた記録。
封印についての記録。
三池山の山伏についての記録。
そして、大蛇や境界についての伝承。
二人は、それぞれを調べながら、何度も同じところへ戻ってきていた。
途中から、二人の筆跡が交互に残っている。
進さんの文字。
美咲さんの文字。
同じページに、二人の考えが書き足されている。
二人で調べ、二人で話し合い、二人でまとめていったノートなのだろう。
そのページの上に、少し大きな文字で書かれていた。
『仮説』
その下には、何度も書き直した跡がある。
『ここから先は、確認された事実ではない』
『現時点で得られた資料と伝承をもとにした、私たちの推測である』
俺は、ゆっくりと読み進めた。
『黒い影は、単なる怪異ではない可能性がある』
『古くから各地に残る「闇」「影」「地下」「境界」の伝承には、共通する何かが存在するのではないか』
『蛇や大蛇は、その境界を守る存在として語られてきたのではないか』
その下には、少し間を空けて書かれていた。
『黒い影そのものが、善悪を持つ存在なのか』
『それとも、人間がその力を利用してきたのか』
俺は、そこでページを止めた。
「……進さんたちも、同じことを考えとったんだ」
美琴が、俺の横からノートを覗き込む。
「何が?」
「黒い影とか、三池山とか……全部、別々のことじゃないんじゃないかって」
美琴は、ページをじっと見つめた。
「……うん」
親父も黙って頷いた。
「俺たちも、薄々そう思っとった」
「最初から……?」
「いや」
親父は首を横に振った。
「最初からじゃなか」
そして、少し考えるように続けた。
「ばってん、調べれば調べるほど、同じところに行き着くとたい」
おばあさんも、静かに口を開いた。
「昔から残っとる記録も、最近起きたことも……どこかで繋がっとるような感じは、ずっとあったからね」
古谷さんもノートを見ながら頷く。
「進さんたちも、同じように感じていたんでしょうね」
俺は、もう一度ページを見る。
そこには、さらに一文が書かれていた。
『強き力を持つ者を生贄とし、境界の力を我がものとする者がいる』
美琴の表情が変わる。
「……生贄」
親父が、その文字を見つめた。
その下には、さらに一つの言葉。
『巫女』
赤い丸で囲まれている。
「……巫女」
美琴が、小さく呟いた。
俺は、その赤い丸を見つめた。
なぜ、ここだけ赤く囲まれているのか。
理由は書かれていない。
ただ、その文字だけが妙に強く目に残った。
俺はページをめくった。
そこには、古い記録から拾い上げた言葉が並んでいた。
『闇を崇める者』
『影を恐れぬ者』
『人の命を捧げ、異なる力を得ようとする者』
そして、その横には二人の筆跡で短く書かれていた。
『同一の集団、あるいは同じ目的を持つ者たちか』
俺は、その文字を見つめた。
「……やっぱり」
思わず呟いた。
「全部、同じところから始まってるって考えとったんだ」
親父が頷く。
「そういうことだろうな」
「俺たちが今まで考えてきたことと、ほとんど同じだ」
「そうたい」
親父は、少しだけ苦笑した。
「俺たちが後から追いかけてきたもんを、進さんたちもずっと追いかけとったんだろう」
そこには、妙な安心感があった。
進さんたちが残した記録が、俺たちの考えていたことを裏付けてくれている。
まだ答えではない。
でも、向かっている方向は間違っていない。
俺は、さらにページをめくった。
今度は、召喚についての記録だった。
『山中にて、夜ごと異様な儀式を行う者あり』
『何かを呼び寄せようとしているように見える』
『しかし、何を呼んでいるのかは不明』
その下には、
『黒い影との関連を疑う』
と書かれている。
さらに、その下。
少し小さな文字で、『もし、この推測が正しいのであれば――』と続いていた。
俺は、息を止めた。
『彼らは、こちらの世界へ来たのではない』
その下には、
『こちらの世界へ、何かを呼び込もうとしている』
と書かれていた。
「……呼び込む?」
美琴が呟く。
「何を?」
誰も答えなかった。
それは、進さんたちにも分からなかったのだろう。
俺たちも、これまで考えたことはなかった。
黒い影の正体。
三池山で行われていた儀式。
境界を守る大蛇。
そして、巫女。
すべてが一つの出来事から始まっている。
そこまでは、なんとなく分かってきていた。
でも――。
その「何か」が、実際には何なのか。
それについては、誰も答えを持っていなかった。
俺は、その文章の続きを探した。
そして。
ページの端に、小さな文字があることに気づいた。
そこにも、二人の筆跡が残っていた。
進さんの文字の横に、美咲さんが書き足したような形になっている。
その中の、ひとつの言葉。
『悪魔』
「……悪魔」
俺が声に出す。
親父も、その文字を見る。
「そうか」
美琴も、黙ってその言葉を見つめている。
古谷さんも、しばらく何も言わなかった。
「そう考えれば……」
親父が、ゆっくりと口を開いた。
「分かることもあるな」
「……うん」
俺も頷いた。
今まで俺たちは、黒い影が何なのかを考えていた。
怪異なのか。
異界のものなのか。
人間が生み出したものなのか。
でも、もし――。
昔の人が、『黒い影』と呼んでいたものが『悪魔』だとしたら。
三池山で行われていた召喚の儀。
黒い影を使おうとしていた者たち。
境界を越えようとする存在。
人の命を使って力を得ようとした者たち。
そして、巫女に向けられた赤い丸。
今まで説明できなかったことが、少しずつ理解できる。
もちろん、まだ確定ではない。
ノートにも、そう書かれている。
これはあくまで、進さんと美咲さんの仮説だ。
それでも――。
「……悪魔、か」
親父が、もう一度その言葉を呟いた。
俺は返事をしなかった。
ただ、その一文字を見つめていた。
(第49章、終わり)




