第46章 : 古谷学
「灯真、その話は家に帰ってからたい」
「……その前に」
親父の声が、少し低くなった。
親父はゆっくりと古谷さんへ視線を向ける。
さっきまでの笑顔は、もう消えていた。
「……あんた、誰ね?」
「え?」
古谷さんが、驚いたように顔を上げる。
「何ですか、急に?」
「いや……」
親父は古谷さんをじっと見つめた。
「妙に詳しかね」
「……」
古谷さんの表情が、わずかに固まった。
「神社の記録も、巨木様のことも。俺たちが知らんことまで、よう知っとる」
「それは……調べているからですよ」
「それだけね?」
親父は一歩、古谷さんへ近づいた。
「ばってん――」
その目が鋭くなる。
「ただの研究者が、そこまで知っとるもんね?」
「…………」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、古谷さんが小さく息を吐く。
「先に言っておきますが……私は、アイツらの仲間じゃないです」
「それは分かっとる」
親父は即答した。
「さっき、試させてもろたけん」
「えっ?」
古谷さんの表情が変わる。
「試したって?」
「アイツらの仲間なら、光世ば触ったりできんけん」
「あ……」
古谷さんが、さっき見せてもらった刀へ目を向ける。
「だから、あの刀を私に見せたんですか」
「そうたい」
親父は頷いた。
「そやけん、悪か人間じゃなかとは分かっとる」
「……なるほど」
古谷さんは少し困ったように笑った。
だが、親父の表情は変わらない。
「ばってん……」
親父が腕を組む。
「調べてるからってだけじゃ、いくらなんでも説明がつかんばい」
「…………」
古谷さんの顔から、笑みが消えた。
親父は静かに続ける。
「神社の記録。巨木様。大蛇。黒い影……」
一つずつ、確かめるように口にする。
「それば、あんたはどうしてそこまで知っとる?」
「……」
「それに――」
親父の目が細くなる。
「進さんのことも、何か知っとるっちゃろ?」
「……!」
古谷さんの肩が、ほんのわずかに揺れた。
その反応を、親父は見逃さなかった。
「……やっぱりな」
俺は思わず古谷さんを見る。
「古谷さん……?」
古谷さんはしばらく黙っていた。
そして――
「……分かりました」
小さく息を吐く。
「全部ではありません」
古谷さんは、静かに顔を上げた。
「私が知っていることを……話します」
「ですが、私が知っていることは、ほとんど話しました」
古谷さんは、静かに美琴を見る。
「進さんに……以前、頼まれていたんです」
「何を?」
美琴が尋ねる。
「自分に何かあったら、娘の力になってくれ、と」
「……お父さんが?」
美琴の声が小さくなる。
古谷さんは頷いた。
「はい」
「じゃあ、何で最初から言わんやったとね?」
親父が尋ねる。
「私の家系には、山伏になった人間が多くいました」
「……」
「それを先に言ったら……追い返されると思いまして」
「追い返される?」
「ええ」
古谷さんは少し苦笑する。
「私自身は、山伏ではありません。ですが、家には代々、山伏として修行してきた者が大勢いました」
「それで?」
「その家系に伝わっている話があるんです」
古谷さんの表情が、少しだけ険しくなる。
「昔……山伏の中に、妙な者たちが入り込んだ、と」
「妙な者?」
俺が聞き返す。
「はい」
古谷さんは一度、言葉を選ぶように間を置いた。
「さっきの話とほとんど一緒ですが、普通の人間には使えないような術を使い、黒い影を操り……そして、歳を取らない」
「……」
誰も口を開かなかった。
「私は大学時代から、その話を調べていました」
古谷さんは続ける。
「その調査の中で、進さんと知り合ったんです」
「お父さんと……」
美琴が呟く。
「ええ。進さんも、同じものを追っていました」
古谷さんは懐かしそうに目を細める。
「それから、二人で調べるようになりました」
「……」
「私と進さんですが……話した通り、大学時代からの親友でして」
そこで古谷さんは、美琴を見る。
「だから、進さんとの約束だけは……どうしても守りたかった」
美琴は何も言わなかった。
ただ、膝の上で握った手に、少しだけ力が入っていた。
「ただの研究者として来たのも、嘘ではありません」
古谷さんは苦笑した。
「ですが……それだけでもなかった、ということです」
「それだけじゃないって?」
親父が聞き返す。
「進さんが私に送ってくれた資料の他に、もっと詳しい資料を、どこかに集めていたはずです」
「資料……」
おばあさんが、何かを思い出したように声を上げた。
「あっ!」
「どうしたと?」
「ちょっと待っとかんね!」
そう言うと、おばあさんは慌てたように社務所の奥へ消えていった。
「……?」
俺たちは顔を見合わせる。
しばらくして――。
「灯真君、ちょっと手伝ってくれんね」
「……はい」
呼ばれて奥へ行く。
そこにあったのは、いくつもの古びたダンボール箱だった。
「これ……?」
「そうたい」
おばあさんが、そのうちの一つを指差す。
俺が蓋を開ける。
中には、黄ばんだ紙や古い本、何かを書き写したらしいノートが、ぎっしり詰め込まれていた。
紙の端は茶色く変色し、ところどころ破れている。
「……こんなに?」
思わず声が漏れた。
「昔から神社に残っとったものもあるし、進が持ってきたものもあるとよ」
「親父さんたちが……?」
後ろから古谷さんの声がした。
振り返る。
古谷さんは、箱の中を見た瞬間――言葉を失っていた。
「……これは」
「知っとるとね?」
親父が聞く。
古谷さんは一枚の古びた紙を、そっと持ち上げた。
「……見覚えがあります」
「どこで?」
「進さんと一緒に、昔調べていた資料の一部です」
「じゃあ……」
美琴が箱を覗き込む。
「お父さんが、ここに残してたってこと?」
古谷さんは答えなかった。
ただ、紙に書かれた文字をじっと見つめていた。
「……いや」
やがて、小さく呟く。
「すごい」
「え?」
「以前、進さんが持っていた資料より……ずっと古い物が」
俺は箱の中を見た。
一体、何が書かれているんだ。
そして――。
その中から一冊の古いノートが、俺の目に入った。
表紙には、かすれた文字でこう書かれていた。
『三池山 山伏記録』
「……これ、何ですか?」
古谷さんの顔から、血の気が引いた。
(第46章、終わり)




