第43章:光世
「古谷さん」
親父が声をかけた。
「はい?」
「光世、見てみるね?」
古谷さんが、少し驚いた顔をした。
「……いいんですか?」
「ああ」
「ぜひ」
おばあさんが立ち上がった。
「ちょっと待っとき」
そう言って、社務所の奥へ消えていく。
しばらくして戻ってきたおばあさんの手には、布に包まれた細長いものがあった。
それを机の上に置く。
ゆっくりと布が解かれていく。
現れた刀を見て、俺は息をついた。
あのときと同じ刀だ。
美琴も、黙って刀を見つめている。
けれど、古谷さんは違った。
「……これが、光世」
思わず漏れたような声だった。
古谷さんは、しばらく刀から目を離さなかった。
「触れても?」
「よかよ」
おばあさんが頷く。
古谷さんは慎重に刀を手に取った。
鞘を眺め、銘を確認する。
「……三池典太光世」
その名前を聞いた瞬間、俺の中で何かが引っかかった。
三池典太。
そうだ。
以前、図書館で見た話。
――茂作の鎌。
大蛇に襲われた農夫を、ひとりでに動いた鎌が救ったという話。
あの鎌を作ったのも、三池典太だと伝えられていた。
俺は美琴を見る。
美琴も同じことを思い出したらしい。
目が合う。
「……あ」
小さく声を漏らした。
「どうした?」
古谷さんが顔を上げる。
「いえ……」
美琴は光世を見た。
「前に、図書館で見つけた話があって」
「図書館?」
「茂作の鎌の話です」
「ああ」
古谷さんが頷いた。
「その話ですか」
「知っとると?」
おばあさんが尋ねる。
「はい。三池典太が作ったと伝えられている鎌が、大蛇を斬ったという話ですね」
「そうたい」
おばあさんが笑う。
俺は机の上の光世を見た。
刀と鎌。
形はまるで違う。
それでも、どちらにも三池典太という名前が残っている。
「昔の鍛冶師って、刀だけを作ってたわけじゃないんですよね?」
美琴が尋ねた。
「そうですね」
古谷さんが答える。
「農具や生活に必要な道具を作ることもあったでしょう。三池の鍛冶師も、そうやって暮らしを支えていたのかもしれません」
「三池典太も、若い頃には農具や生活道具を作っていた、という話が残っとるけんね」
おばあさんが言った。
俺は、もう一度光世を見る。
ただの刀には見えなかった。
茂作の鎌。
大蛇を斬ったという鎌。
そして、目の前にある光世。
どちらも、この土地で語り継がれてきたものだ。
「それにしても……」
古谷さんが呟いた。
「三池典太にまつわる伝承は、不思議なものが多いですね」
「病魔の話もあるたい」
おばあさんが言った。
「はい」
古谷さんが頷く。
「有名なのは、大典太光世ですね」
古谷さんは刀を見つめたまま続けた。
「天下五剣の一つとして知られています。そして、病を退ける刀としての伝承も残っています」
「病気まで?」
美琴が尋ねる。
「ええ。前田家の豪姫が病に伏した際、大典太を枕元に置いたところ快方に向かった、という話があります」
「……刀が病気を治したってこと?」
「伝承では、そうなっています」
古谷さんは慎重に答えた。
「史実として証明された話ではありません。ただ、昔からそういう力を持つ刀として語られてきたのは確かです」
俺は光世を見つめた。
さっき親父が言っていた。
――光世なら、もっと楽に片付いた。
そして、おばあさんが胸を押さえていたことを思い出す。
「だったら……」
美琴が言った。
「おばあちゃん、どうして使わなかったの?」
おばあさんが、ちらりと美琴を見る。
「……そりゃ」
「そりゃ?」
「美琴ちゃんに、見せたかったけんたい」
「何を?」
「戦い方たい」
美琴が黙った。
親父が吹き出す。
「みこっちゃんに良かとこば見せたかったとやろ……バカばい」
「なんね!」
おばあさんが睨む。
「違うとね?」
「……まあ、少しは」
「ほら」
親父が笑う。
「やっぱりたい」
おばあさんも、つられて笑った。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しだけほどける。
美琴がおばあさんのそばへ歩いていった。
「ありがとう、おばあちゃん」
「なんね、急に」
「……いろいろ」
おばあさんは少し照れたように笑って、美琴の頭をぽんと叩いた。
「よかよ」
その光景を見ながら、俺は思った。
守るだけじゃない。
自分で立てるようにする。
それもまた、受け継ぐということなのかもしれない。
おばあさんが、光世を布で包み始めた。
そのとき――。
「……あっ!」
突然、お母さんが声を上げた。
みんなが一斉に振り向く。
「どうしたと?」
親父が尋ねる。
「大変!」
お母さんは、何かを思い出したように立ち上がった。
「忍さんから、お弁当頼まれとったとを忘れとった!」
「ああ?」
親父が目を丸くする。
「車にあるけん、お父さん、取りに行って!」
「俺が?」
「そうたい。早く!」
「はいはい」
親父は苦笑しながら立ち上がると、社務所の外へ出ていった。
「……急に弁当になったね」
美琴が笑う。
「だな」
俺も笑った。
しばらくすると、親父が戻ってきた。
「ほら、持ってきたばい」
両手にいくつかの弁当を抱えている。
「ありがとうございます」
古谷さんが受け取る。
そのとき、ふわっと香ばしい匂いが広がった。
「……あ!」
俺は思わず声を上げた。
「イカタル弁当だ」
「匂いでわかるとね?」
お母さんが笑う。
「わかるくさい」
弁当を受け取り、蓋を開ける。
白いご飯の上に海苔が敷かれている。
その上に、小さく切られたイカゲソの唐揚げ。
さらに、その上にはタルタルソースがたっぷり乗っていた。
「うわ……」
思わず顔が緩む。
「ちょうど食べたかったとやん」
「そんなに好きとね?」
美琴が笑う。
「だって、うまそうじゃん」
俺は箸を手に取った。
古谷さんも弁当を覗き込んでいる。
「こんなお弁当、初めてです」
「大牟田の味ですよ」
お母さんが嬉しそうに言った。
「よかったら食べてみてください」
「はい。いただきます」
古谷さんが箸を伸ばす。
イカゲソを一つつまみ、口に運ぶ。
「……あ」
少し驚いた顔をした。
「おいしいですね」
「でしょう?」
俺が笑う。
「タルタルが合うんですよ」
「確かに」
古谷さんは、もう一口食べた。
美琴も箸を伸ばす。
「いただきます」
俺もイカゲソを口に入れる。
香ばしい衣とイカの歯ごたえ。
そこにタルタルの濃厚な味が重なる。
「うん。うまい」
思わず声が出た。
親父も弁当を開ける。
「こりゃ、うまかね」
「でしょう?」
お母さんが嬉しそうに笑う。
おばあさんも箸を取った。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
社務所の中に、自然と笑い声が広がった。
さっきまで、黒い影と戦っていた。
剣を持った影。
茂みに隠れていた誰か。
そして、その背後にいるかもしれない存在。
そんなものが、今は少し遠く感じる。
窓から差し込む昼の光。
その中で、俺たちは弁当を食べていた。
こういう時間が、なんだか妙に落ち着く。
俺は箸を動かしながら、ふと考えた。
光世。
茂作の鎌。
大蛇。
そして、黒い影。
まだ何も分からない。
ただ、それぞれ別々の話だったものが、少しずつ一つの線に繋がり始めている。
そんな気がしてならなかった。
「灯真くん」
古谷さんに呼ばれた。
「はい?」
「どうかしましたか?」
「いえ」
俺は首を振った。
「ちょっと考え事をしてました」
「そうですか」
古谷さんは、それ以上は聞かなかった。
俺は、もう一度弁当に箸を伸ばした。
今は、これでいい。
分からないことは、これから調べればいい。
黒い影のことも。
逃げた人間のことも。
その先にいる何かのことも。
焦る必要はない。
そう思いながら、俺はイカゲソを口に運んだ。
社務所の中には、昼の穏やかな空気が戻っていた。
(第43章、終わり)




