第40章:蛇の記憶
古谷さんは、机の上に並べた資料を一枚ずつ確認していた。
「……やっぱり」
小さく呟く。
「何か分かったんですか?」
美琴が尋ねる。
「まだ、分かったというほどじゃないよ」
古谷さんは、古い資料を一枚持ち上げた。
「ただ……蛇という存在について、少し気になることがあるんだ」
「蛇……?」
「うん」
古谷さんは資料を机の上に置いた。
「日本では、蛇は昔から単純な『悪い生き物』として扱われてきたわけじゃない」
「そうなんですか?」
「むしろ逆だよ」
古谷さんは、別の資料を開く。
「家を守る蛇。水を守る蛇。土地を守る蛇。そして、神そのものとして祀られている蛇もいる」
「……大蛇も?」
「もちろん」
古谷さんは頷いた。
「それは日本だけじゃない」
次の資料を広げる。
「インドでは、ナーガという蛇神がいる。仏教の伝承では、悟りを開こうとする釈迦を、大蛇が嵐から守ったという話もある」
「大蛇が……守った?」
美琴が資料を覗き込む。
「そう。大きな蛇が身体を巻きつけて、釈迦を守ったとされている」
俺は、これまで見てきた大蛇の姿を思い出した。
池にいた大蛇。
山で見た大蛇の像。
そして――あの白い姿。
「それだけじゃない」
古谷さんは続けた。
「世界を見渡すと、蛇は『道を示すもの』として登場することもある」
「道案内?」
「そう」
古谷さんは頷いた。
「地下、水、森……人間が簡単には入れない場所を移動する。その姿から、蛇は昔の人たちにとって、人の世界と別の世界を行き来できる存在だと考えられたんだろうね」
「……別の世界」
俺が呟く。
「そう。神々の世界だったり、地下の世界だったり、死者の世界だったり」
古谷さんは少し間を置いた。
「だから蛇は、異界への入り口を守る者として描かれることもある」
美琴が顔を上げる。
「じゃあ……蛇がいたからって、悪いものとは限らない?」
「その通り」
古谷さんは静かに答えた。
「むしろ、『境界にいるもの』なんだと思う」
「境界……」
「人間の世界と、それ以外の世界。その間に立つ存在だよ」
俺は、さっきまで聞いていた話を思い返した。
世界樹。
異なる世界。
地の底。
そして――蛇。
「……じゃあ、大蛇や白蛇が何度も出てきたのも」
俺は尋ねた。
「偶然じゃない?」
古谷さんは、すぐには答えなかった。
机の上に置かれた資料へ目を落とす。
「それは、まだ分からない」
そして、ゆっくり顔を上げた。
「でもね。君たちがこれまで見てきた蛇が、もし『守る者』や『導く者』だったとしたら……」
「……」
「今まで、君たちが大蛇を『恐ろしいもの』として見ていたこと自体、考え直す必要があるかもしれない」
社務所の中が静かになった。
美琴を見る。
美琴も、何かを考えるように資料を見つめている。
大蛇は、本当に俺たちを襲おうとしていたのか。
それとも――。
俺たちが進もうとしている場所を、ずっと見ていたのか。
俺は、あることに気づいた。
思わず、美琴を見る。
「……美琴」
「ん?」
「もしかして……二月の新月まで待たなくても、お父さんたちのところへ行けるかもしれない」
「えっ?」
美琴が驚いた顔で俺を見る。
「どういうこと?」
その声に、古谷さんもこちらへ顔を向けた。
「古谷さん……前に言ってましたよね」
「何を?」
「入り口は、ひとつじゃないって」
古谷さんの表情が変わった。
「……ああ」
「さっきの話を聞いてて、思ったんです」
俺は、机の上の資料を見る。
「もし……大蛇が、本当に守る者や導く者だったとしたら」
「……」
「俺たちが今まで見てきた大蛇や白蛇は、俺たちを襲おうとしてたんじゃなくて……」
一度、言葉を切る。
「入り口を教えてたんじゃないかって」
美琴が息を呑む。
「入り口を……?」
「そう」
俺は頷いた。
「そう考えたら……あそこも」
頭の中に、ひとつの場所が浮かんだ。
「三川坑」
「三川坑……」
美琴が呟く。
「……確かに、あれも入り口だったのかもしれない」
古谷さんが、ゆっくり立ち上がった。
「……三川坑」
その名前を繰り返す。
俺は頷いた。
「あの時は、何が何だか分からなかった。でも……今なら、少し違って見える」
大蛇。
白蛇。
水。
そして、入り口。
バラバラだったものが、一本の線になっていく。
「もし……」
俺は、美琴を見る。
「大蛇が俺たちを導いていたんだとしたら」
美琴の目が大きく開く。
「お父さんたちのところへ行く道も……」
「どこかに、別にあるかもしれない」
社務所の中に、静かな緊張が走った。
二月の新月。
それまで待つしかないと思っていた。
でも――。
もしかしたら、俺たちはもう一度、あの入り口を探すことができる。
そして今度は――。
自分たちの意思で、潜ることができるのかもしれない。
その時だった。
おばあさんが、ふと外へ目を向けた。
「……?」
何かを感じ取ったように、境内の方を見る。
「どうしたと?」
美琴が尋ねる。
おばあさんは答えず、しばらく庭を見つめていた。
「……何か、おる」
その言葉に、俺も外へ目を向ける。
――ッ。
背中に、あの感覚が走った。
耳の奥で、かすかに音がする。
嫌な感じ。
ただ――。
ここに、何かいる。
それだけは、はっきり分かった。
「……また、あの嫌な感覚だ」
俺が呟く。
おばあさんが立ち上がった。
「美琴ちゃん、灯真君。ここにおらんね」
「おばあちゃん?」
おばあさんは答えず、御神体の前へ向かう。
そして、そこに置かれていた刀の1本を手に取った。
鞘を握りしめる。
「……」
そのまま、ゆっくりと境内へ出ていった。
俺と美琴は、顔を見合わせる。
何がいるのか。
おばあさんには、分かっているのだろうか。
――俺たちは、黙ってその背中を見つめていた。
(第40章、終わり)




