第4章:記録の層
地下への入り口は、まだ見つけられなかった。
大牟田のどこかにあるはずなのに、見えていないだけなのか、最初から歴史から消されているのかすら分からない。
ただ一つ確かなのは、この街の資料は、何かがおかしいってことだ。
「なぁ美琴。お前のその手首の紋様、ナビ機能とか付いとらんと? スマホのマップみたいにさ」
「あるわけなかろうが。だいたい、あんたのその『安全灯係の目』は何のためにあると? 役に立たんね」
「いや、換気の悪い場所なら一発で分かる。例えば、ほら……」
言いかけた瞬間、美琴が少しだけ眉をひそめた。
「今、ここちょっと空気重い気がする」
「え?」
「気のせいかもしれんけど」
その“気のせい”が、妙に引っかかった。
美琴の手首の紋章が微かに光ってすぐ消えた。
気になりながらも僕たちがまず向かったのは、大牟田市立図書館の郷土資料室だった。
夏の日差しから逃れて入った室内は、冷房がガンガンに効いていて超快適。
【安全灯センサー】
二酸化炭素濃度:正常。
ステータス:極めて安全。
推奨アクション:ここで昼寝をすべき。
だけど、ひいじいちゃんの記憶を受け取ってしまった僕にとって、そのあまりの“安全さ”が逆に不気味だった。
「ほら灯真、ぼーっとせんで手伝って」
美琴が大きな机の上に、三池炭鉱の公式記録や古い坑道図、労働者の証言集を山積みにした。
二人で並んで、端から順にページをめくっていく。
最初はただの地味な調べ物のはずだった。
だけどすぐに、紙の隙間から小さな違和感が混ざり始める。
「……なぁ灯真。これ、なんか変じゃなか?」
「どこが?」
美琴が古い坑道図の端を指さした。
のぞき込もうとして、僕は一瞬、息が詰まった。
「ここ」と図面を示す美琴の顔が、思ったよりもすぐ近くにあったのだ。
フワリと、夏の日差しを吸った女の子の髪の匂いが鼻をくすぐる。
普段は乱暴な幼馴染の、白い鎖骨のラインがTシャツの隙間から覗いていて、17歳の僕の心臓が怪異とは違う理由で「ドクン」と跳ねた。
(いかんいかん、俺は何ば見よっとか……!)
慌てて脳内の安全灯センサーを働かせる。
【危険察知】
対象:神崎美琴
現在、調査に全集中。
灯真の視線に気づいた場合、『呆れ』が限界突破し、分厚い資料集でゴツンとされる確率:92%。
「危ねぇ……」
心の中で冷や汗をかきながら、僕は彼女の指先にある図面へと視線を無理やり固定した。
「……あ、本当だ。線が途中で“消えとる”」
図面を窓の光に透かしてみる。経年劣化の破れじゃない。
線が途切れているのではない。
最初から、その部分だけ存在すること自体を拒まれているような、明確な「消失」だった。
「印刷ミスとかじゃ……」
「違う気がする」
美琴の声は妙に静かだった。
さらに別の分厚い資料を開く。めくればめくるほど、歴史の“歪み”は増していった。
「……なぁ、美琴。これ見てくれ。ページ番号が飛んどる。123の次が、125や」
「それこそ印刷ミスやろ?」
「いや、別冊のインデックスを確認したけど、124ページそのものが最初から存在してない」
抜け落ちた形跡もない。まるで、最初から“許されていない”みたいに。
美琴が顔を強張らせながら、別の古い炭鉱夫の手記をめくる。
「……灯真。これ、さっきも読んだ気がする」
「どれ? 『坑道が呼吸する』ってやつか?」
「うん。さっきは『地底が息を吐く』って別の言葉で書いとったはずなのに……」
彼女は不思議に思い、もう一度そのページを凝視した。
次の瞬間、美琴の短い悲鳴が静かな資料室に響いた。
「……あれ!? 内容、変わっとる!」
「は?」
「さっきまで“戻ってくる坑道”って書いとったのに……今は“帰ってこない坑道”になっとる……!」
僕は息を止めた。鳥肌が腕に広がる。
記録が固定されていない。
僕たちが読んだ瞬間に、意味ごとリアルタイムで揺れている。
この街の歴史は、誰かによって都合よく書き換えられているか、あるいは歴史そのものが“生きて”変化しているのだ。
次に向かったのは、三池カルタ・歴史資料館だった。
ここには、お役所が残した公的記録ではなく、この土地に生きた人々が残した“言葉にならなかった民衆の記憶”がある。古いカルタ、俗謡、土地の言い回し。
だけど、それらはどれも完全には読めなかった。
意味は個別に分かるのに、全体としてつながらない。まるでパズルのピースが意図的に削られているようだ。
その時だった。
「おーっ! 美琴、これ見てん!」
僕は思わず声を上げていた。
「なん?」
美琴が呆れ顔で振り返る。
「これ! 善徳長者埋蔵金伝説の歌って書いてある!」
古びた資料の片隅に、かすれた文字で歌が書いてあった。
『旭さす夕日てりこむ木の下に 油千杯朱千杯 座頭の杖の飛ぶ飛ばぬ』
「美琴……櫟野の善徳長者って大牟田やん。オカルト調査やめて、埋蔵金探しに変更すっか!」
「馬鹿じゃなかと! あんたがそんな謎ば解けるわけなかろうもん」
「わからんばい?」
「あんたが分かるぐらいなら、もう誰かが見つけとるたい。ほら、真面目に探して」
美琴は呆れた顔で僕をあしらうと、奥の方から古びた郷土玩具の箱を取り出し、その裏に書かれた一節の俗謡を指さした。
『塞がれた口』
『戻ってくる坑道』
『呼吸する谷』
『大蛇の眠る線』
「意味は分からんけど……」
美琴が手帖にその奇妙な言葉を書き写しながら、ぽつりと言った。
「これ、全部同じ方角を指しとる気がする」
「方角?」
「うん。うちの神崎神社から見て、南西。それに……この『大蛇の眠る線』って、大蛇山祭りの山車が練り歩くルートと、さっき図書館で見た主要な坑道の網の目が、ぴったり重なっとる気がするとよ」
その瞬間、僕の中に強烈な嫌悪感と、妙な引っかかりが跳ね上がった。
説明できない。
でも、僕はその『重なり』の形を“知っている気がする”。
ひいじいちゃんの記憶が、頭の奥で小さく蠢いた。
それが一番気持ち悪かった。
資料館を出ると、一気に蒸し暑い空気が押し寄せる。
なぜか足元がずっしりと重い。アスファルトの隙間から、何かが一緒に揺れている気がした。
(ここはただの産業遺産の街じゃない)
(でも、何が“ある”のかは、まだ分からない)
緊迫した考えがそこまでまとまったところで――
ぐぅぅぅ。
お腹が、盛大に鳴った。
あまりにも大きな音が、静まりかけた街に響き渡る。一気に現実へ引き戻されるマヌケな音だった。
「……あぁーー!」
僕は自分の腹をさすりながら頭を抱えた。
「頼むから空気を読んでくれ俺の胃袋! 頭使ったら猛烈に腹減ったぁー! 美琴、駅前のあそこ、ラーメンでよかね?」
「よかよ。うちもちょっと小腹空いた」
その言葉で、僕たちの奇妙な歴史調査の前半戦は終わり、僕たちは大牟田の街へ歩き出した。
誰もいない道路。
高い空。
遠くで鳴る踏切。
いつもと変わらない街。
だからこそ、誰も気づかなかった。
僕たちのすぐ足元で、何かが静かに脈打っていることに。
(第4章 終わり)




