第3章:灯守りと巫女
街には、まだ祭りのお囃子が響いていた。
僕――境灯真は、自宅の庭先で炭火のいい匂いに包まれていた。
「ほれ、肉焼けたぞ!」
親父が豪快に網の上のカルビをひっくり返す。
炭が爆ぜ、パラパラと火花が夜空へ舞い上がった。
「うわっ、熱っ!」
「逃げるな逃げるな。若いもんは肉を食え!」
「いや、さっきからめちゃくちゃ食ってるだろ!」
向かい側では、美琴が呆れた顔で紙皿を持っていた。
「灯真はさっきから三人前は食べとるよ」
「脳を使ったからな」
「脳はそんなに肉を欲しがらん」
「欲しがるの!」
言い返した瞬間、頭の奥で誰かが呟いた。
『肉は偉大である。牛肉は神である』
……またひいじいちゃんだ。
こういうどうでもいい記憶だけは妙に鮮明に流れ込んでくる。
「ほら、美琴ちゃんも食べんね」
「ありがとうございます」
母さんからタレを受け取る美琴。
祭りの時の浴衣じゃなくて、いつものTシャツにジーンズ姿だ。なのに、さっきから妙に落ち着かない。
(いやいや、ただの幼馴染だぞ俺……!)
脳内の安全灯センサーが即座に反応した。
> **【警告】**
> **対象:神崎美琴**
> * 不必要な意識過剰を検知。
> * 今後の人間関係悪化率:78%
>
「うるさい……!」
「え? 何が?」
「あ、いや、なんでもない!」
美琴が怪訝そうにこっちを見る。危ない。
最近この能力、空気の成分だけじゃなく、僕自身の精神状態まで勝手に分析し始めている気がする。
やがて肉も野菜も完食し、美琴を家まで送る時間になった。
「じゃあ、お邪魔しました」
「またいつでも来んね」
門の前で、美琴がふと振り返った。
「灯真」
「ん?」
「……今日はありがとね」
少しだけ照れたように笑う。
その笑顔を見た瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。
> **【危険度:急上昇】**
>
うるさいって。
僕は無理やり視線を逸らした。
「じゃ、また明日な」
「うん」
美琴は夜道を歩いていった。
その後ろ姿が闇に消えるまで、なぜか僕はその場から動けなかった。
「……おい」
背後からの声にビクッとする。
振り返ると、親父が缶ビール片手にニヤニヤしながら立っていた。
「好きなんか?」
「違う!!」
「ほうか」
絶対信じてない顔だ。
親父はもう一本ビールを開けた。
「……そういやお前、みこっちゃん所のこと、なんか聞いとったか?」
「何を?」
「神崎神社と、うちの家の話たい」
僕は首を振った。
「いや、何も」
親父は少し意外そうな顔をして、ぽつりと話し始めた。
「昔からな。うちの家は、神崎神社の巫女さんを守る役目やったと」
「……守る?」
「神崎神社の祭りの朝。まだ夜も明けきらん頃、神崎の巫女は膝まで有明海に入る。そこで剣を持って舞う。神への祈りか、何かを鎮めるためか、詳しくは昔の事やけん、はっきりした事はもう分からん」
炭火がパチリと鳴った。
「その時、巫女を先導するのが、うちの家やった」
「先導……?」
「灯を持ってな」
僕は息を呑んだ。
「……安全灯?」
「いや、もっと昔は提灯やろうな。でも役目は同じたい。灯を持って暗い道を照らす。その後、神社に戻って最初にかまどへ火を入れるのも、うちの役目やった」
頭の奥で、何かがカチリと音を立てた。
灯。
巫女。
地下。
そして――ひいじいちゃん。
「……なんで今まで教えてくれんかったと?」
「聞かれんかったけん」
「……はぁ?」
理不尽すぎる。
親父は少しだけ真面目な顔になった。
「神崎のばあちゃんが詳しかけん。明日、行ってみれ」
その夜。僕は居ても立ってもいられず、再び蔵へ向かった。
懐中電灯で照らす、古い木箱。
埃と煤の匂い。
そして、ひいじいちゃんの遺品。
「……あった」
そこには、黒ずんだ古い安全灯が置かれていた。
そっと手を伸ばす。
その瞬間――ふわり、と安全灯の中で小さな「青い火」が揺れた。
燃えたというより、あの地下で見た青い炎が、もう一度そこに現れたみたいだった。
「……え?」
次の瞬間だった。
カチ、カチ、カチ……。
隣に置いてあった、長い間使われず止まったままだった懐中時計が動き始めた。
針がゆっくりと、時を刻んでいく。
背筋がゾクゾクと震えた。
慌てて、足元に落ちていた炭鉱日記を開く。
昨日まで白紙に見えたページに、じわっと新しい文字が浮かび上がっていた。
『灯を持つ者は、巫女と共に進め』
『一人では辿り着けない』
『記録は、二つの灯が揃った時に開く』
僕はしばらく、息をすることすら忘れて日記を見つめていた。
翌日昼過ぎ。僕は神崎神社を訪れた。
石段の上で待っていたのは、美琴と美琴のおばあちゃんだった。
「来ると思っとったよ」
優しく笑うけれど、その目は「ずっとこの時を待っていた」という強い光を宿していた。
本殿の奥。おばあちゃんは一本の刀を見せてくれた。
鞘から抜かれた刀身は、まるで水そのもののように透き通っていた。
「……綺麗」
美琴が息を漏らす。
「この刀の名は『光世』(みつよ)」おばあちゃんが言った。
「神崎の巫女が代々受け継いできた刀たい。
潮に浸けても錆びん、欠けん。昔から何も変わらん。
祭りの日の朝、この刀で舞う」
「……剣舞」
「そう。大石神影流の流れを汲む型たい」
思えば、美琴が小さい頃から、巫女になるために体に叩き込まれてきた動きだ。
おばあちゃんが立ち上がる。
そして、狭い部屋の中で――音もなく、刀が走った。
速い。
いや、速いというより「無駄が一切ない」。
狭い場所で。
暗い場所で。
人一人分の空間で、確実に命を守るための動き。
それは美しい舞であり、同時に、実戦のための戦いだった。
「……昔はね」
おばあちゃんは静かに刀を納めた。
「灯を持つ者と、剣を持つ者は、いつも一緒やったと。」
「何をしよったかは……さあねぇ。ばあちゃんも昔話として聞いただけやけん。」
「そして、その神事は灯守りと巫女だけで、ひっそりと執り行う。」
「それが昔からの決まりやった。」
「今は毎年、有明海で祈りの舞を奉納するだけになったばってん、それでも神事は途切れとらん。」
「だから、まだ二人には教えとらんやった。」
「まだ、その時じゃなかったけんね。」
僕と美琴は顔を見合わせた。
おばあちゃんの部屋を出たあと、僕たちは初めて、お互いに起きた異変について詳しく話し合った。
「……なぁ、美琴。俺がこの力を
持ったの、たぶん祭りの日の夕方なんだ」
「祭りの日?」
「うん。蔵でひいじいちゃんの日記を見つけて……開いた瞬間、頭の中に何かが流れ込んできた。気づいたら、周りの危険が『情報』として分かるようになってた。ひいじいちゃんの記憶と繋がったんだと思う」
美琴はしばらく黙って聞いていたが、ゆっくりと自分の手首を持ち上げた。
「……実を言うとね。私も、あの時なんよ」
「え?」
「あんたが蔵から出てきた瞬間――憶えとる? この紋様、あの時から光り始めた」
心臓が大きく跳ねた。
祭りの太鼓。蔵の中の青い炎。
そして、まったく同じ瞬間に光り始めた、美琴の手首の紋様。
「……同じ時間だったのか」
「うん。あんたが目覚めた時に、私も目覚めた……そういうことなんかもしれんね」
全部繋がっていた。
僕の安全灯センサーも、美琴の紋様も、祭りで見たあの女も、地の底の声も。
話し終えた頃には、夕日が本殿を真っ赤に染めていた。
「……つまり」美琴が口を開いた。
「あんたは危ない場所が分かる」
「うん」
「私は変な紋様が光る」
「うん」
「……やっぱ役に立たんね」
「知ってる」
二人で顔を見合わせて笑った。
でも、笑いながらも、僕たちはちゃんと分かっていた。
これは、終わりじゃなくて始まりなんだってこと。
僕の家が受け継いだ「灯」。
美琴の家が受け継いだ
「剣」。
二つの運命が再び交わった時、止まっていた時計は、もう一度時を刻み始めた。
(第3章 終わり)




