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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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第3章:灯守りと巫女


街には、まだ祭りのお囃子が響いていた。


僕――境灯真さかい とうまは、自宅の庭先で炭火のいい匂いに包まれていた。


「ほれ、肉焼けたぞ!」


親父が豪快に網の上のカルビをひっくり返す。


炭が爆ぜ、パラパラと火花が夜空へ舞い上がった。


「うわっ、熱っ!」


「逃げるな逃げるな。若いもんは肉を食え!」


「いや、さっきからめちゃくちゃ食ってるだろ!」


向かい側では、美琴が呆れた顔で紙皿を持っていた。


「灯真はさっきから三人前は食べとるよ」


「脳を使ったからな」


「脳はそんなに肉を欲しがらん」


「欲しがるの!」


言い返した瞬間、頭の奥で誰かが呟いた。


『肉は偉大である。牛肉は神である』


……またひいじいちゃんだ。


こういうどうでもいい記憶だけは妙に鮮明に流れ込んでくる。


「ほら、美琴ちゃんも食べんね」


「ありがとうございます」


母さんからタレを受け取る美琴。


祭りの時の浴衣じゃなくて、いつものTシャツにジーンズ姿だ。なのに、さっきから妙に落ち着かない。


(いやいや、ただの幼馴染だぞ俺……!)


脳内の安全灯センサーが即座に反応した。


> **【警告】**

> **対象:神崎美琴**

> * 不必要な意識過剰を検知。

> * 今後の人間関係悪化率:78%

>


「うるさい……!」


「え? 何が?」


「あ、いや、なんでもない!」


美琴が怪訝そうにこっちを見る。危ない。


最近この能力、空気の成分だけじゃなく、僕自身の精神状態まで勝手に分析し始めている気がする。


やがて肉も野菜も完食し、美琴を家まで送る時間になった。


「じゃあ、お邪魔しました」


「またいつでも来んね」


門の前で、美琴がふと振り返った。


「灯真」


「ん?」


「……今日はありがとね」


少しだけ照れたように笑う。


その笑顔を見た瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。


> **【危険度:急上昇】**

>


うるさいって。


僕は無理やり視線を逸らした。


「じゃ、また明日な」


「うん」


美琴は夜道を歩いていった。


その後ろ姿が闇に消えるまで、なぜか僕はその場から動けなかった。


「……おい」


背後からの声にビクッとする。


振り返ると、親父が缶ビール片手にニヤニヤしながら立っていた。


「好きなんか?」


「違う!!」


「ほうか」


絶対信じてない顔だ。


親父はもう一本ビールを開けた。


「……そういやお前、みこっちゃん所のこと、なんか聞いとったか?」


「何を?」


「神崎神社と、うちの家の話たい」


僕は首を振った。


「いや、何も」


親父は少し意外そうな顔をして、ぽつりと話し始めた。


「昔からな。うちの家は、神崎神社の巫女さんを守る役目やったと」


「……守る?」


「神崎神社の祭りの朝。まだ夜も明けきらん頃、神崎の巫女は膝まで有明海に入る。そこで剣を持って舞う。神への祈りか、何かを鎮めるためか、詳しくは昔の事やけん、はっきりした事はもう分からん」


炭火がパチリと鳴った。


「その時、巫女を先導するのが、うちの家やった」


「先導……?」


「灯を持ってな」


僕は息を呑んだ。


「……安全灯?」


「いや、もっと昔は提灯やろうな。でも役目は同じたい。灯を持って暗い道を照らす。その後、神社に戻って最初にかまどへ火を入れるのも、うちの役目やった」


頭の奥で、何かがカチリと音を立てた。


灯。


巫女。


地下。


そして――ひいじいちゃん。


「……なんで今まで教えてくれんかったと?」


「聞かれんかったけん」


「……はぁ?」


理不尽すぎる。


親父は少しだけ真面目な顔になった。


「神崎のばあちゃんが詳しかけん。明日、行ってみれ」


その夜。僕は居ても立ってもいられず、再び蔵へ向かった。


懐中電灯で照らす、古い木箱。

埃と煤の匂い。


そして、ひいじいちゃんの遺品。


「……あった」


そこには、黒ずんだ古い安全灯が置かれていた。


そっと手を伸ばす。


その瞬間――ふわり、と安全灯の中で小さな「青い火」が揺れた。


燃えたというより、あの地下で見た青い炎が、もう一度そこに現れたみたいだった。


「……え?」


次の瞬間だった。


カチ、カチ、カチ……。


隣に置いてあった、長い間使われず止まったままだった懐中時計が動き始めた。


針がゆっくりと、時を刻んでいく。


背筋がゾクゾクと震えた。


慌てて、足元に落ちていた炭鉱日記を開く。


昨日まで白紙に見えたページに、じわっと新しい文字が浮かび上がっていた。


『灯を持つ者は、巫女と共に進め』


『一人では辿り着けない』


『記録は、二つの灯が揃った時に開く』


僕はしばらく、息をすることすら忘れて日記を見つめていた。


翌日昼過ぎ。僕は神崎神社を訪れた。


石段の上で待っていたのは、美琴と美琴のおばあちゃんだった。


「来ると思っとったよ」


優しく笑うけれど、その目は「ずっとこの時を待っていた」という強い光を宿していた。


本殿の奥。おばあちゃんは一本の刀を見せてくれた。


鞘から抜かれた刀身は、まるで水そのもののように透き通っていた。


「……綺麗」


美琴が息を漏らす。


「この刀の名は『光世』(みつよ)」おばあちゃんが言った。


「神崎の巫女が代々受け継いできた刀たい。


潮に浸けても錆びん、欠けん。昔から何も変わらん。


祭りの日の朝、この刀で舞う」


「……剣舞」


「そう。大石神影流おおいししんかげりゅうの流れを汲む型たい」


思えば、美琴が小さい頃から、巫女になるために体に叩き込まれてきた動きだ。


おばあちゃんが立ち上がる。


そして、狭い部屋の中で――音もなく、刀が走った。


速い。


いや、速いというより「無駄が一切ない」。


狭い場所で。


暗い場所で。


人一人分の空間で、確実に命を守るための動き。


それは美しい舞であり、同時に、実戦のための戦いだった。


「……昔はね」


おばあちゃんは静かに刀を納めた。


「灯を持つ者と、剣を持つ者は、いつも一緒やったと。」


「何をしよったかは……さあねぇ。ばあちゃんも昔話として聞いただけやけん。」


「そして、その神事は灯守りと巫女だけで、ひっそりと執り行う。」


「それが昔からの決まりやった。」


「今は毎年、有明海で祈りの舞を奉納するだけになったばってん、それでも神事は途切れとらん。」


「だから、まだ二人には教えとらんやった。」


「まだ、その時じゃなかったけんね。」


僕と美琴は顔を見合わせた。



おばあちゃんの部屋を出たあと、僕たちは初めて、お互いに起きた異変について詳しく話し合った。


「……なぁ、美琴。俺がこの力を

持ったの、たぶん祭りの日の夕方なんだ」


「祭りの日?」


「うん。蔵でひいじいちゃんの日記を見つけて……開いた瞬間、頭の中に何かが流れ込んできた。気づいたら、周りの危険が『情報』として分かるようになってた。ひいじいちゃんの記憶と繋がったんだと思う」


美琴はしばらく黙って聞いていたが、ゆっくりと自分の手首を持ち上げた。


「……実を言うとね。私も、あの時なんよ」


「え?」


「あんたが蔵から出てきた瞬間――憶えとる? この紋様、あの時から光り始めた」


心臓が大きく跳ねた。


祭りの太鼓。蔵の中の青い炎。


そして、まったく同じ瞬間に光り始めた、美琴の手首の紋様。


「……同じ時間だったのか」


「うん。あんたが目覚めた時に、私も目覚めた……そういうことなんかもしれんね」


全部繋がっていた。


僕の安全灯センサーも、美琴の紋様も、祭りで見たあの女も、地の底の声も。


話し終えた頃には、夕日が本殿を真っ赤に染めていた。


「……つまり」美琴が口を開いた。


「あんたは危ない場所が分かる」


「うん」


「私は変な紋様が光る」


「うん」


「……やっぱ役に立たんね」


「知ってる」


二人で顔を見合わせて笑った。


でも、笑いながらも、僕たちはちゃんと分かっていた。


これは、終わりじゃなくて始まりなんだってこと。


僕の家が受け継いだ「灯」。


美琴の家が受け継いだ

「剣」。


二つの運命が再び交わった時、止まっていた時計は、もう一度時を刻み始めた。


(第3章 終わり)




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