第2章:祭りと巫女と、白い少女
「うわああああああああッッッッ!!!」
自分の叫び声で飛び起きた。
喉はカラカラ、全身は滝のような冷や汗。
慌てて自分の手を見る。
……煤だらけの子供の手じゃない。スマホのブルーライトに照らされた、見なれた17歳の自分の手だった。
「……夢、か?」
思わず呟く。
窓の外からは、遠くから大蛇山祭りの太鼓が響いていた。
ドンドンドン。
ドドンガドン。
「ヨイサーー!」
「ヨイヤサーー!」
あの声だ。さっきまで地の底で聞いていた、あの不気味な声。
「いや……待て待て待て」
本当に夢か?
あの湿った空気、肺に入り込んだ炭の粉、足元の泥の感触。
そして――あの女。
あまりにもリアルすぎた。
震える手で顔を拭った、その時。
鼻の奥に、妙な臭いを感じた。
(……メタンガス?)
……は?
(いや違う、二酸化炭素濃度が若干高い。単に蔵の換気が悪いだけだ)
「……え?」
僕は固まった。
今、自分は何を考えた?
「なんで俺、ガスの成分が分かるんだよッ!!」
慌てて周囲を見回すと、蔵の柱や天井、床板のすべてが、なぜか「情報」として脳内に流れ込んでくる。
(右側の柱:腐食率30%)
(床板:あと120キロ程度で崩落危険)
(脱出口:左斜め後方)
「待て待て待て待て待て!!」
頭を抱えた。
どうやら僕は、あの顔のないお化けに遭遇した代償として、ひいじいちゃんの『安全灯係』としての【異常な危険察知能力】だけを綺麗に引き継いでしまったらしい。
しかし、戦闘能力は完全にゼロ。
もし今あいつが出てきても、「すみません、ここ空気悪いですよ」とアドバイスして逃げることしかできない。
なんの役にも立たない!
ガラッ!!
「灯真ーーー!!」
蔵の戸が勢いよく開いた。現れたのは、ジャージ姿の親父。
「何ば騒ぎよるか!」
「親父!」
僕はすがりつくように立ち上がった。
「聞いてくれ!俺は今、めっちゃ昔の炭鉱に行って――」
「はっ?……暑さで頭ばやられたな」
「最後まで聞けよ!!」
親父は大きなため息をついた。
「はよ支度せんか。祭り始まるぞ」
「祭りどころじゃないって!」
「祭りの後はBBQにすっぞ。肉ばい」
その瞬間。僕の脳内で、100年前のひいじいちゃんの食欲が爆発した。
(ご馳走は人生の喜びである!)
(肉は偉大である!)
(牛肉は神である!)
「……身体が……猛烈に肉を求めている……!」
「よし、元気になったな」
「いや待て!俺はそんな安い男じゃ――」
「おじさーん!!」
突然、蔵の外からよく知る女の子の声がした。
「灯真、まだー?」
親父がニヤリと笑う。
「来たぞ」
「何が?」
「みこっちゃんたい!」
ガラガラ、と蔵の戸が開く。
夕焼けを背に立っていたのは、浴衣姿の少女。
神崎美琴。
僕の幼馴染だ。
「……何で祭りの日に蔵に引きこもっとると?」
その瞬間、僕の脳内に謎のテキストが浮かび上がった。
【ターゲット詳細】
神崎美琴
親密度:★★★★☆
怒り度:32%
呆れ度:41%
心配度:27%
隠し情報:
髪のセットと飾りを選ぶのに42分かかった。
灯真が浴衣を褒めなかったら殴る予定。
(いや、なんで危険対象が人間だと、こんな意味不明な情報まで流れ込んでくるんだよ!?)
「うわぁぁぁ!?」
「何!?」
「お前、俺を殴る気だろ!」
「はぁ!?」
「あと髪のセットに42分――」
パシィィィン!!
「いったぁぁぁ!!」
「なんで知っとると!?」
「俺が聞きたいわ!!」
親父が腕を組んで感心している。
「仲良かねぇ」
「「良くない!!」」
10分後。僕は半ば強制的に、美琴と二人で祭り会場を歩いていた。
ドンドンドン。
ドドンガドン。
「ヨイサーー!!」
「ヨイヤサーー!!」
その時だった。
ドクン。
心臓が跳ねた。頭の中に、あの青い炎、地下坑道、そしてフンドシ姿のあの女のビジョンがフラッシュバックする。
僕は凍りついた。
人混みの向こう。白い浴衣姿の少女が立っていた。
誰も彼女を見ていない。気づいてもいない。その少女だけが、真っ直ぐに僕を見つめている。
あの坑道で見た女だと、灯真は瞬時に気がついた。
そして女は、ゆっくりと首を傾げた。
(……見つけた)
確かに、その唇がそう動いた。
その瞬間、僕は理解した。あの時、地下であいつが見ていたのは、100年前のひいじいちゃんじゃない。
――僕だ。
「ふ、ふんどしおばけぇぇぇぇぇぇッ!!」
パシィィィィン!!!
視界が思いきり横に吹っ飛んだ。
「誰がふんどしおばけだってぇぇぇ!!」
「いったぁ!!」
振り返ると、そこには鬼の形相の美琴。
「祭りの真ん中で女の人指さして何言いよると!!」
「いや!今そこに!」
もう一度振り返るが……誰もいない。
完全に消えていた。
「ほら!」
「何が!」
「裸にふんどしの女が!」
「はぁぁ!」
「違う!本当にいたんだ!」
「白い浴衣着て!」
周囲の参拝客がざわつき始める。
「あらぁ……暑さでやられとるね」
「救護所連れていかんね」
その時だった。
美琴の顔が、ほんの一瞬だけ、見たこともない表情になった。
懐かしそうな、どこか悲しそうな。
そして、僕の耳元で、美琴ではない「誰か」の声が確かに囁いた。
『……あの時、逃げろと言うたろうが』
全身の血の気が引いた。
「……え?」
次の瞬間には、美琴はいつもの怒り顔に戻っていた。
「何?」
「……今、何か言った?」
「は? 何も言ってないけど」
美琴は本気で首を傾げている。本当に何も覚えていないらしい。
いつも通りの美琴だ。夕焼けに照らされた浴衣、少し乱れた髪、頬の汗。
なのに、さっきの地を這うような低い声は、間違いなく彼女の口から出た。
「……ちょっと聞いていい?」
「何?」
「お前の家って、神崎神社やろ。大牟田で一番古い……」
「そうやけど……それがどうかした?」
僕は一瞬躊躇したが、意を決して尋ねた。
「お前、神社に伝わる大牟田の昔の話、どこまで知ってる? ……炭鉱や大蛇の話だけど」
沈黙。
太鼓の音が夜空に響く。
「……なんで、それを知っとると」
美琴の声のトーンが、ガラリと変わった。
「やっぱり何かあるんだ」
「……おばあちゃんから、少しだけね」
美琴は大蛇山の山車に目を向けた。
巨大な張りぼての大蛇が、提灯の明かりに照らされ、ゆらりゆらりと首を左右に振り練り歩いている。
その眼光は妙にリアルだ。
花火に火が付けられ、大蛇の口から火花が散る!
盛り上がる観客をよそに、灯真は静かに話を聞く。
「……あの祭りは、ただの踊りじゃないって」
美琴がぽつりと言った。
「鎮めるための、祈り。地の底で眠ってる、本物の大蛇を」
ドクン。
また地面が脈打った。いや、僕の心臓が、地の底の何かとシンクロして鼓動している。
「……美琴。俺、あの場所へ潜らんとでけんかも、何か分からんばってん、呼れてる気がする」
美琴は僕を見た。
その顔には、呆れも怒りもなかった。
「……やっぱりね。おばあちゃんが言いよった。いつか『運命に導かれた者』が地下へ呼ばれる。その子が潜る時は、一緒についていきなさいって」
「……え? じゃあ」
「だから、私も行く」
「はぁ!? 危ないって! お前が来ても何も――」
「あんたこそ、何ができると?」
「……換気の悪い場所を見抜ける。それだけ」
「役に立たんね」
「知ってる!」
美琴はため息をつくと、浴衣の袖をまくり上げた。
その白い手首に、木の根のような、古い文字のような【紋様】が刻まれていた。
「これが光り出したら行く時だって。あんたが蔵から出てきた瞬間から、ずっと光っとる」
紋様は、かすかに青白く発光していた。
「……やっぱ、やめとかん?」
「嫌。あんた一人で行かせたら、絶対迷子になるやろ」
「否定できない……」
「それに、スケベなあんたのこっちゃけん、あのふんどしおばけに付いて行くっちゃなかと?」
「えっ!!」
一瞬、あのふんどし姿のしなやかな体のラインが頭をよぎる。
「ハァ〜……これだからスケベは! やっぱ私が行かんとダメね!」
「なんば言よっとか!」
ドクン!!!
地面が、さっきより激しく脈打った。
大蛇山の大きな目が、ゆっくりとこちらを向く。
気のせいじゃない。
張りぼての瞳が、確実に僕たちを捉えていた。
そして地の底から、あの声が響く。
『……ヨォイサァ……』
「……行くか」
「……行くか」
二人の声が重なった。
祭りの夜。安全灯係の子孫と、巫女の子孫は、運命に導かれ地底へと続く入り口を探し始めた。
(第2章 終わり)




