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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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第37章:消された記憶


コン、コン、コン。


「古谷さん、俺達も一緒にいいですか?」


「どうぞどうぞ」


ドアを開けると、古谷さんが顔を上げた。


「ちょうど忍さんに、君たちが体験したことを聞いてたんだ」


「えっ!……俺達の?」


「ああ。大蛇の池でのこととかね」


おばあさんが俺たちを見て、ゆっくりと頷く。


美琴が古谷さんを見る。


「古谷さんは、私と灯真が体験したこと……信じてもらえますか?」


「もちろん。君たちが嘘をついているなんて思ってないよ」


古谷さんは、机の上に広げられた古い資料へ目を落とした。


「ただね……」


一枚の古びた紙を指で押さえる。


「信じる、信じないという話だけじゃないんだ」


「……?」


俺と美琴は顔を見合わせる。


「君たちが話してくれたことと、この記録を照らし合わせてみると……妙に重なるところがある」


「重なる?」


美琴が身を乗り出す。


「うん」


古谷さんは、別の資料を手に取った。


「まず、大蛇の池」


その言葉を聞いた瞬間、あの光景が頭に蘇った。


池。 水面に映った白い姿。


そして――。


美琴の両親。


俺は無意識に手を握りしめた。


「池については、昔の記録にもいくつか出てくる」


古谷さんが紙をめくる。


「ただ、大蛇が棲んでいたという話だけじゃない」


「じゃあ、何が?」


「……『映るもの』についてだ」


「映るもの?」


古谷さんは頷いた。


「池を覗いた者が、そこに自分ではないものを見る――そんな記述がある」


美琴の表情が変わった。


「……私たちが見たものと同じ?」


「まだ、同じだとは言えない」


古谷さんは慎重に答える。


「記録が古すぎるからね」


そして、もう一枚の紙を俺たちの前へ置いた。


そこには、かすれた文字が並んでいた。


「でも……これを見てほしい」


俺と美琴は、同時に紙へ顔を近づけた。


そこに書かれていたのは――。


『灯を持つ者、巫女とともに地の底へ入り――』


「……」


俺は言葉を失った。


美琴も、じっとその文字を見つめている。


古谷さんは、資料を何枚か並べ直した。


「この記録だけを見ても、何のことなのかは分からない」


「……」


「だから、少し範囲を広げて調べてみたんだ」


古谷さんは、一枚の資料を指で叩いた。


「君たちの神社に残っている伝承だけじゃない」


「世界中の神話とかですか?」


俺が尋ねる。


「そう」


古谷さんは頷いた。


「世界中の神話や昔話を調べていくと、似たような話が驚くほど出てくるんだ」


「似たような話?」


美琴が尋ねる。


「天と地をつなぐ巨大な木。地下へ続く迷宮。人の世界とは別の場所へ通じる入口。そして、そこを行き来する者たち」


俺は、神社に伝わる話を思い出した。


「……それって、俺たちの話と似てる」


「そうなんだ」


古谷さんは頷いた。


「もちろん、全部が同じものだとは言えない。でも、遠く離れた土地で、似たような伝承が残っているのは面白い」


「世界樹っていうのも、その一つなんですか?」


「そう。世界と世界をつなぐものとして語られている場合もある」


古谷さんは、資料をめくった。


「それに、こういう話は場所だけじゃなく、時期にも出てくる」


「時期?」


「お盆のような、季節の境目だよ」


「境目……」


「昔の人は、そういう時期には普段とは違うものが現れると考えた。先祖が帰ってくるという話も、その一つだね」


「じゃあ……」


美琴が小さく呟く。


「死んだ人が帰ってくるっていうのも、本当は別の意味だった可能性がある?」


「可能性としてはね」


古谷さんは頷いた。


「今の言葉で言えば、異世界とか、別の世界とか……そういう考え方もできるかもしれない」


俺は、机の上の資料を見つめた。


世界樹。


地下。


迷宮。


境界。


どれも別々の話だと思っていた。


けれど――。


「……水も、ですか?」


美琴が尋ねた。


古谷さんが顔を上げる。


「水も昔から境界として扱われることが多いんだ」


「境界……」


「川の向こう。湖の底。そして、水面に映る景色」


「水鏡……」


「そう」


古谷さんは静かに頷いた。


「世界中の神話や昔話には、水を越えた先に別の世界があるという話も残っている」


俺は、あの池を思い出した。


水面に映っていた――。


美琴の両親。


「じゃあ……池に映っていたものも?」


俺が尋ねる。


「それは、まだ分からない」


古谷さんは首を横に振った。


「水鏡が本当に別の世界を映しているなんて、科学的に証明されたわけじゃないからね」


「……ですよね」


「ただ」


古谷さんは、資料の上に指を置いた。


「君たちが見たものを考えるなら、昔から残っているこうした伝承は、何かの手掛かりになるかもしれない」


俺は、美琴を見る。


美琴も、俺を見ていた。


大蛇の池で見たもの。


あれは一体、何だったのか。


まだ答えは出ていない。


でも――。


神社に残る伝承。


世界中に残る、似たような物語。


そして、あの池。


バラバラだったものが、少しずつ近づいているような気がした。


古谷さんは、しばらく黙ったまま資料を見つめていた。


「……」


何かに気づいたように、古谷さんの表情が変わった。


「いや、待てよ……」


古谷さんが、小さく呟く。


「進さん達が……危ない」


「お父さん達が危ないって、どういう事ですか!」


美琴が身を乗り出した。


「あっ……いや、ごめん」


古谷さんが慌てたように手を上げる。


「考えもなしに、ふと思っただけなんだ。気にしないでください」


「気にしないでって、無理です!」


美琴の声が社務所に響く。


「何かあるなら、ちゃんと話してください!」


「……」


古谷さんは下を向いたまま、しばらく黙っていた。


おばあさんが静かに口を開く。


「古谷さん、お願いします」


「大丈夫ですから。何か気になることがあるんでしたら、教えてください」


古谷さんは顔を上げた。


「……すみません。軽率でした」


そして、机の上に広げられた資料へ目を落とす。


「忍さんから、巨木様の話を聞いたんですが……」


「巨木様?」


美琴が首を傾げる。


「えぇ。その伝承では、昔、この土地で幾つもの戦いがあったとされています」


古谷さんが一枚の古い資料を指で押さえる。


「でも……妙なんです」


「何がですか?」


俺が尋ねる。


「これだけ大きな出来事だったというのに、この土地には、その痕跡や言い伝えがほとんど残っていない」


「でも、あまりにも昔の話だからじゃないですか?」


「もちろん、それもあると思います」


古谷さんは頷いた。


「ただ……大牟田に巨大な木が存在したという話そのものは、かなり古い記録にも残っているんです」


「……」


「それほど古い時代から知られていたものなら、その後の時代にも何らかの記録が残っていてもおかしくない」


古谷さんは、別の資料を取り出した。


「ところが、そこから先が妙に途切れているんです」


「途切れてる?」


「えぇ」


古谷さんは資料を並べながら続けた。


「こういうことは、実は世界中で珍しくありません」


「世界中?」


美琴が尋ねる。


「歴史上、大きな出来事が起きた時、その出来事そのものだけじゃなく、そこに関わった人々の記憶や記録まで、なぜか残っていないことがあるんです」


「……なんで?」


「理由はいろいろ考えられます。災害で失われた。戦争で焼かれた。後の時代に書き換えられた。あるいは、そもそも記録することを禁じられた」


古谷さんは一度言葉を切った。


「でも……中には、それだけでは説明しにくいものもある」


俺は資料を見る。


古い文字。


欠けた記録。


途切れた歴史。


「つまり……」


俺はゆっくり口を開いた。


「最初から、なかったみたいになってるってことですか?」


古谷さんは、俺を見る。


「そういう可能性もある、ということだね」


「……」


社務所の中が静まり返る。


美琴が、資料に目を落とした。


「それが……お父さん達と、どう関係するんですか?」


「そこなんです」


古谷さんの表情が変わった。


「まだ確かなことは言えません。でも、君たちが話してくれたことと、この土地に残る伝承を合わせて考えると……」


古谷さんは、机の上の一枚の資料を指で押さえた。


「巨木様に関する話が、ただの昔話ではない可能性がある」


「……」


「そして、もしそうなら――」


古谷さんは言葉を止めた。


「進さん達が、今どこにいるのか」


美琴の顔から、笑みが消えた。


「でも……」


古谷さんが、別の資料を手に取った。


「神社の記録には、こうあるんです」


古谷さんが、古い文字を指でなぞる。


「『御神の恵みを荒らし、戦いとなった』と」


「……戦い?」


俺は資料を覗き込む。


「これって、人間同士の戦いじゃないんですか?」


「そこなんです」


古谷さんは、ゆっくり顔を上げた。


「普通なら、そう考えるでしょう。でも……もし違ったとしたら?」


「違う?」


「そもそも、誰と誰が戦ったのか。その記録が残っていないんです」


「……」


「神社の伝承だけが、戦いがあったということを伝えている」


古谷さんは、しばらく資料を見つめていた。


「そして、もう一つ気になることがあります」


「何ですか?」


美琴が尋ねる。


「進さん達のことです」


美琴の表情が固くなる。


「三年以上です」


古谷さんが静かに言った。


「三年以上も、あの場所に迷い込んでいる。それなのに、今も生きている」


「……」


俺も息を呑む。


「普通に考えれば、おかしいんです」


古谷さんは少し考えるように言葉を選んだ。


「食べ物や水だけじゃない。あれだけ長い時間、誰にも見つからずに生きているということ自体が……」


「何かに守られていた?」


俺が言うと、古谷さんは頷いた。


「そう……」


一度、言葉を止める。


「守られていた、と言っていいのかもしれない」



(第37章、終わり)





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