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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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第34章:受け継いだもの


「……俺?」


「他に誰がおるとね」


親父が木刀を構え直す。


俺は思わず息を呑んだ。


美琴が立ち上がり、俺を見る。


「灯真、頑張って」


「……分かった」


俺は木刀を握り直した。


そして――親父の前へ歩き出す。


昨日までとは、何かが違う。


美琴も。


俺も。


そして――。


これから始まる戦いも。


そんな気がした。


美琴に見送られながら、俺は親父の前に立った。


木刀を構える。


親父も、静かに木刀を構えた。


「……来い」


その声と同時に――。


ザッ!


親父が動いた。


「!」


速い。


一歩。


たった一歩なのに、距離が一気に縮まった。


カンッ!


木刀がぶつかる。


俺は弾かれた木刀をすぐに戻す。


カンッ!


二撃目。


カン!


三撃目。


親父の木刀が、次々と迫ってくる。


俺は必死に受けた。


右。


左。


上。


また右。


「くっ……!」


一歩下がる。


親父が追ってくる。


ザッ!


また一歩。


俺は木刀を振った。


しかし――。


スッ。


親父の身体が、まるで滑るように横へ移動した。


木刀が空を切る。


「……!」


振り向いた瞬間。


カンッ!


木刀が肩を打った。


「痛っ!」


「まだ終わっとらんぞ」


親父が構え直す。


俺も木刀を握り直した。


今の動き。


やっぱり、あれだ。


親父の足が、ほとんど上がっていない。


地面を滑るように進んでいる。


俺も――。


真似してみる。


ザッ。


足を滑らせる。


一歩。


二歩。


カンッ!


「おっ……」


今度は少しだけ受けられた。


親父の木刀を受け流す。


そのまま前へ。


ザッ。


カンッ!


「……!」


今度は親父も少しだけ下がった。


いける。


そう思った。


俺は親父の動きを見ながら、同じように足を滑らせていく。


右。


左。


前。


後ろ。


カン!


カン!


カン!


しばらく、木刀の音が境内に響き続けた。


「……なんか、さっきより動けとる」


美琴が呟く。


おばあさんも、じっと二人を見ていた。


けれど――。


「灯真君は、まだ真似しとるだけたい」


美琴が首を傾げる。


「真似?」


「そうたい」


おばあさんは、親父の足元を見る。


「お父さんは足で動いとるように見えるばってん、本当は足で動いとらん」


「……どういうこと?」


「身体の重心ば、滑らせとるとよ」


美琴が目を凝らす。


「だから、足があんまり上がらんと?」


「そう。足を先に動かそうとすると、どうしても身体に予備動作が出る」


「予備動作……?」


「動こうとする気配たい」


美琴は親父の動きを見る。


「だから、相手に動きを読まれにくい……」


「そういうこと」


その間にも――。


カンッ!


カン!


ザッ!


親父と俺の打ち合いは続いていた。


俺は必死だった。


親父の動きを真似る。


足を上げない。


身体を揺らさない。


地面を滑るように――。


けれど。


「……なんでだ」


動けない。


親父と同じようにやっているはずなのに、どこか違う。


「くそっ!」


ザッ!


踏み込んだ。


その瞬間だった。


「ちょっと待て」


親父が突然、動きを止めた。


「え?」


親父は俺を見たまま、何かを考えている。


「……」


そして、木刀を下ろした。


「そこで待っとけ」


「え?」


親父は、そのまま境内の端にある物置小屋へ歩いていった。


「親父、何するんだ?」


「……」


答えない。


ガラッ。


物置の戸が開く。


しばらくして――。


親父が戻ってきた。


その手には、バケツ。


そして――。


おばあさんが普段使っている杖。


「……なんだ、それ」


「まあ、見とけ」


親父はバケツを持ち上げた。


そして――。


ザァァァッ!


「うわっ!」


大量のゴルフボールが境内にぶちまけられた。


ゴロゴロゴロ……。


ゴロゴロ……。


境内いっぱいに、白いボールが転がっていく。


「ちょ、親父!」


「今度は、これでやる」


「え?」


親父は杖を俺に投げてよこした。


「お前は木刀じゃなく、それ使え」


「これ……?」


杖を握る。


「……持ちにくっ」


握る部分がL字になっている。


どうにも手に馴染まない。


「なんだこれ。邪魔になるな……」


ぶつぶつ言いながら握り直す。


「構えろ!」


「はいはい……」


「嫌なら枝でもよかぞ」


仕方なく木刀を置き、杖を構えた。


「来い!」


親父が踏み込む。


俺も――。


ザッ!


前へ出ようとした。


その瞬間。


コロッ。


「……え?」


足の下に、ゴルフボール。


グラッ。


「うわっ!」


ゴロン!


「痛てててて!」


尻もちをついた。


美琴が思わず吹き出す。


「灯真……!」


「笑うな!」


親父は笑っていない。


ゴルフボールを避けながら、すでにこちらへ向かっている。


ザッ!


カンッ!


「うわっ!」


杖で受ける。


また一歩。


コロッ。


「うわっ!」


身体が傾く。


「なんで俺はできないんだ……!」


親父は、まるで何もない地面を歩くように動いている。


ゴルフボールを踏まない。


避けない。


ただ、自然に足元を抜けていく。


「……」


俺は親父の足を見た。


違う。


やっぱり、何かが違う。



その時だった。


ふと――。


昔の親父の言葉が頭に浮かんだ。


『四つん這いになれ』


『地面を感じろ』


「あ……」


俺は杖を握ったまま、動きを止めた。


親父の真似をしてるだけじゃ勝てない。


あの時の感覚だ。


四つん這いになって、手のひらで地面に触れた。


地面の硬さ。


小さな石。


凹凸。


そこにあるものを感じた。


「……そういうことか」


俺はゆっくり腰を落とした。


杖を構える。


そして――。


足を出す。


コロッ。


ゴルフボールが足元に入ってくる。


けれど、今度は分かる。


「……そこだ」


身体をずらす。


ボールが足の横に触れ転がっていく。


もう一つ。


コロッ。


それも避ける。


親父が踏み込んできた。


カンッ!


杖で受ける。


そのまま身体を滑らせる。


ザッ。


「……!」


親父の木刀が空を切った。


俺の動きが、少し変わった。


美琴が目を見開く。


「灯真……」


おばあさんも、小さく頷いた。


「ようやく、自分で掴み始めたね」


俺は親父だけを見ていた。


地面を感じる。


足の裏。


身体の重心。


ゴルフボールの位置。


さっきまで邪魔だったものが、少しずつ見えるようになってきた。


「いける……!」


杖を握り直す。



(第34章、終わり)


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