【第二部への序章】 第29章:池に映るもの
「……」
俺は足を止めた。
何かいる。
そんな気配を感じた。
腰の安全灯を掲げる。
淡い光が、暗闇の中を照らしていく。
木々。
草むら。
そして――。
「……?」
光の先に、ぼんやりと白いものが浮かび上がった。
人影。
誰かが立っている。
「……美琴か?」
声をかける。
白い人影は、ゆっくりと振り返った。
そして――。
スッ……。
暗闇の奥へ、逃げるように消えていった。
「待ってくれ!」
慌てて追いかける。
木々の間を抜ける。
草をかき分ける。
「美琴!」
白い影は、少し先で立ち止まった。
近づく。
すると――。
スッ……。
また、暗闇の奥へ消えていく。
「待ってくれ!」
追いかける。
また、止まる。
近づく。
そして――消える。
何度、繰り返しただろう。
気がつけば、山のかなり奥まで来ていた。
「……はぁ……はぁ……」
息を切らしながら、前を見る。
白い影が、今度は動かない。
そのすぐそばに、小さな建物があった。
「……社?」
ゆっくり近づいていく。
古びた小さな社。
その上に書いてある文字を、安全灯で照らす。
「……三池宮?」
その文字を見た瞬間――。
「うわっ!」
思わず後ずさった。
いた。
社の前に――。
あの女が立っていた。
口が耳まで裂けた、あの白い女。
「……あいつ!」
身構える。
白い女は、何も言わない。
ただ、じっと俺を見ている。
次の瞬間――。
スッ。
女の姿が消えた。
「……え?」
周囲を見回す。
いない。
どこにもいない。
けれど――。
「……?」
何かが、そこにいる。
白い女が立っていた場所を見つめる。
すると――。
「……美琴?」
そこには、美琴が座り込んでいた。
肩を震わせて泣いている。
「美琴!」
慌てて駆け寄り声をかけた。
「美琴、大丈夫か!」
美琴が顔を上げた。
涙で濡れた顔。
「……灯真?」
「良かった……」
大きく息を吐き胸を撫で下ろす。
「なんで……ここに?」
「お父さんも……お母さんも……」
美琴の声が震えている。
「おらんやった……」
「……」
「どげん探しても……何も見つからん」
また、涙がこぼれた。
「大丈夫、大丈夫やけん」
必死に声をかける。
「きっと、どこかにおらすはずやけん」
「……どこかって……」
美琴が顔を上げる。
「どこ……?」
「……」
答えられなかった。
俺だって分からない。
「……うぅぅ……」
美琴は泣きながら、俺の腕を強く掴んだ。
その手を、握り返した。
◇
しばらくして――。
美琴が、ゆっくり立ち上がった。
そして、社の奥へ歩き出す。
「……美琴?」
答えはない。
その先には――。
小さな池があった。
「……あの日」
美琴が池を見つめる。
「あの日、ここから……」
俺は隣に立ち、二人で池を覗き込む。
安全灯を掲げると、淡い光が水面を照らした。
そこに――。
俺と美琴の姿が、ぼんやりと映り込んだ。
「……お父さん」
美琴が呟く。
「お母さん……」
その瞬間だった。
安全灯の光が移ったように、池が青白く淡い光を放ち始めた。
「……え?」
思わず息を呑む。
――コン。
――コン。
「あの音……」
あの音だ!
地面の下から何度も聞こえていた、あの音。
すると――。
池の周囲に、無数の小さな光が浮かび始めた。
まるで、ホタルのように。
「なんだ……?」
光が水面を飛び交う。
――コン。
――コン。
――コン。
音に反応するように、池に波紋が広がっていく。
「美琴……」
もう一度、池を覗き込む。
すると――。
水面に映っていた俺たちの姿が、ゆっくりと変化していった。
目が大きく見開かれる。
「……え?」
そこに映っていたのは――。
「お父さん……」
美琴の声が震える。
「お母さん……」
間違いない。
美琴の両親だった。
「お父さん!」
美琴が叫ぶ。
――コン。
――コン。
池の中の父親が、岩を叩いている。
「お父さん!」
美琴は、さらに身を乗り出した。
すると――。
「美琴……?」
池の中から、声が聞こえた。
「美琴なの?」
「お母さん!」
美琴が池へ手を伸ばす。
バシャ……。
指先が水面に入る。
見えている。
確かに、そこにいる。
けれど――。
届かない。
美琴の母親も、こちらへ手を伸ばしている。
「お母さん!」
美琴は、さらに手を伸ばした。
バシャバシャッ。
「もう少し……!」
けれど、届かない。
掴めるのは、冷たい水だけだった。
その時――。
池の周囲を飛んでいた無数の光が、中央へ集まり始めた。
「……?」
青白い光が、どんどん小さくなっていく。
池の明かりも、少しずつ暗くなっていく。
「いや……」
美琴が呟いた。
「お父さん……お母さん……」
二人の姿が、薄れていく。
「消えないで!」
「美琴……」
最後に母親が、名前を呼んだ。
そして――。
二人の姿は消えた。
「……!」
池の中央に、光の粒が残っている。
その光が、ゆっくりと人の形になっていく。
「……あの女!」
思わず叫んだ。
そこに現れたのは――。
さっきの白い女。
口が耳まで裂けた、あの女だった。
しかし――。
次の瞬間。
人影は無数の光の粒へと変わり――。
空へ吸い込まれるように消えていった。
「……何なんだ、あいつ……」
そう呟いた、その時だった。
バッシャン!
「お父さん!」
美琴が池へ飛び込んだ。
「美琴!」
ジャバ……ジャバ……。
「お父さん! お母さん!」
美琴は池の底を探している。
「美琴、やめろ!」
俺も池へ飛び込んだ。
「お父さんも、お母さんも……!」
美琴は泣きながら叫ぶ。
「この下におる!」
「美琴!」
腕を掴む。
「落ち着け!」
「でも!」
「そこにはおらん!」
美琴を強く抱きしめる。
「……上がろう」
「……」
「今は、上がろう」
美琴はしばらく動かなかった。
やがて――。
小さく頷いた。
◇
二人で池から上がった。
服はびしょ濡れだった。
震えながら、池を見つめる。
「……あの音」
美琴が呟いた。
「コンコンって……」
「うん」
「私……怖がっとった」
美琴は自分の胸元を握る。
「ずっと聞こえとったのに……」
「……」
「何で……気が付いてあげれんやったとやろ」
何も言わず、美琴の肩を強く抱き寄せた。
「大丈夫」
静かに言う。
「二人は、生きとらす」
美琴が顔を上げる。
「……本当に?」
「うん」
池を見る。
「さっき、確かに見えた」
そして、美琴を見る。
「だから――諦めるな」
「絶対、俺が見つけ出す!」
美琴は池を見つめたまま、震える声で言った。
「灯真……お願い」
「……」
「手伝って」
少しだけ笑った。
「……何言っとるとや」
美琴を見る。
「俺が、そばにおるって言ったやろ」
美琴の目から、また涙がこぼれた。
ゆっくり安全灯を掲げる。
淡い光が、二人を包んだ。
「今度は……一人にせん」
美琴は何も言わなかった。
ただ、俺の肩にそっと寄り添った。
暗闇の中で、安全灯だけが静かに揺れていた。
(第29章、終わり)
黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―
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