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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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【第二部への序章】 第27章:安全灯



「美琴ちゃんがおらんごとなった!」


その言葉を聞いた瞬間――。


頭の中が、真っ白になった。


「……え?」


玄関に立っていたおばあさんは、息を切らしている。


「さっきまで部屋におったとよ」


「でも、いつの間にかおらんごつなって……」


「神社の中も、周りも探したばってん」


「自転車もなかし、どこにもおらん」


「美琴が……?」


胸が、大きく脈打った。


さっきまで、そこにいた。


「一人にさせて」


そう言って、背中を向けていた美琴。


その姿が頭に浮かんだ。


「……親父、美琴を探そう!」


玄関へ向かおうとした、その時だった。


「車出して!」


振り返る。


親父が、ばつが悪そうな顔で立っていた。


その手には、さっきまで飲んでいたビールの缶。


「……親父?」


「……悪い」


親父が困ったように頭を掻く。


「ビール飲んだ」


「……」


一瞬、言葉が出なかった。


「じゃあ、俺が探してくる」


「灯真!」


母さんが声を上げた。


「こんな時間に一人で危なかよ」


「でも、美琴がおらんとやろ!」


「分かっとる」


親父が低い声で言った。


「俺は車を出せんけん、神社の周りを探すけん」


それから、おばあさんを見る。


「忍さんは神社で待っとってください」


「母さんは忍さんに付いとってくれ」


そして、俺を見る。


「灯真は――」


親父の目が真剣だった。


「絶対に無茶すんな」


「……分かった」


そう答えた。


けれど、俺の足はもう動き始めていた。


「懐中電灯……」


玄関の棚を探す。


「これ……」


母さんが近くにあった懐中電灯を手渡してくれた。


スイッチを入れる。


カチッ。


……。


もう一度。


カチッ。


「……電池切れとる」


「もう……」


母さんが別の場所を探し始める。


その時、ふと奥にある蔵が目に入った。


「……」


何かが、頭の中に浮かんだ。


ひいじいちゃんの日記。


そして――。


あの安全灯。


「ちょっと蔵ば見てくる!」


「灯真!」


母さんの声を背中に聞きながら、俺は蔵へ走った。



蔵の中は真っ暗だった。


スマートフォンの明かりを頼りに、棚を探す。


「どこや……」


古い道具。


箱。


布でぐるぐる巻きにされた長細いもの。


その奥に――。


「あった」


古びた安全灯。


ひいじいちゃんが残したものだった。


手に取る。


ずっしりとした重さ。


冷たい金属の感触。


何度も見てきたはずなのに、今日は妙に違って見えた。


安全灯を持ち上げる。


「……美琴」


気づけば、その名前を呟いていた。


「どうやって使うんだ?」


スイッチを探す。


けれど、見つからない。


安全灯をじっと見つめる。


何も起こらない。


明かりもない。


音もない。


それでも――。


なぜか、これを持って行かなければならない。


そんな気がした。


俺は安全灯を腰に下げた。


そして、自転車を引っ張り出す。


玄関先で振り返る。


「見つけたら電話する」


「灯真、気をつけて!」


母さんの声。


「無茶すんなよ!」


親父の声。


俺は振り返らなかった。


ペダルを踏み込む。


自転車が、夜の道へ飛び出していった。



夏の夜。


昼間の暑さが、まだ道路に残っている。


街灯の下を通り過ぎる。


コンビニ。


スーパー。


駅。


公園。


いつもなら人の気配がある場所も、夜になるとどこか違って見えた。


「美琴……」


自転車を走らせながら、周囲を見回す。


「どこにおるとや……」


電話をかけようとして、やめた。


美琴の携帯が鳴れば、すぐに分かる。


けれど――。


なぜか、美琴は電話に出ない気がした。


そもそも、携帯を持っていない可能性もある。


俺は歯を食いしばった。


その時だった。


「……」


自転車のブレーキを握る。


キィィ……。


「……今の」


耳を澄ます。


夜の静けさ。


遠くを走る車の音。


虫の声。


そして――。


――コン。


背筋に、冷たいものが走った。


「……」


もう一度。


――コン。――コン。


あの音。


間違いない。


最近、何度も聞いていた音だ。


甘木山でも聞いた。


神社でも聞いた。


そして、古谷さんが話していた。


――地面の下から音がする。


――何もない場所で、人の声を聞く。


――動物の鳴き声が聞こえる。


俺は、ゆっくりと自転車を降りた。


「……まさか」


耳を澄ます。


――コン。――コン。


音は、どこか遠くから聞こえている。


いや。


遠いような、近いような。


方向が分からない。


周囲を見回す。


「美琴……?」


返事はない。


その時、昼間に聞いた古谷さんの話が頭をよぎった。


――地下への入口はいくつもある。


――特定の条件が揃った時にだけ、入口が現れる。


――二月の新月の夜。


――三つの池の一つ。


――有明海と繋がっている池。


「……!」


ハッとした。


美琴は、あの話を聞いたあとから、ずっと様子がおかしかった。


そして、突然いなくなった。


「……美琴」


視線が、暗闇の先へ向く。


「美琴は……あの池を探しに行った?」


そう思った瞬間だった。


頭の中で、いくつもの情報が繋がった。


大蛇。


三池。


地下。


入口。


そして――。


「三つの池……」


俺は、すぐに携帯電話を取り出した。


親父へ電話をかける。


プルルル……。


「もしもし!」


親父の声が聞こえた。


「みこっちゃん、見つかったか!」


「ごめん、まだ分からん」


「じゃあ、今どこにおる!」


「それより親父!」


声が大きくなる。


「大蛇の池……」


「三つの池の一つって、どこにある!」


電話の向こうが、一瞬静かになった。


「……池って」


親父の声が低くなる。


「まさか、あそこか?」


「知っとると?」


三池山みいけざんの山ん中にあるばってん……」


「女の子一人で行けるようなとこじゃなかぞ!」


「でも……」


俺は腰に手をやった。


そこには、安全灯がある。


「俺、そこにおる気がするとやん」


「……」


電話の向こうで、親父が黙り込む。


「灯真」


「うん」


「説明するより、ナビが早か」


親父の声が、少しだけ落ち着きを取り戻した。


普光寺ふこうじ三池宮みいけぐうを目指せ」


「お寺の先に登山道がある」


「そこから三池山に登れ」


「山道やけん、絶対に無茶すんなよ」


「分かった」


俺は自転車にまたがった。


「親父」


「なんや?」


「美琴を見つけたら――」


一瞬、言葉に詰まった。


「電話する」


「ああ」


電話が切れた。


俺は、暗い山の方向を見つめた。


遠くに見える山影。


その先に、美琴がいる。


そんな気がしてならなかった。


「待っとれよ、美琴」


ペダルを踏み込む。


安全灯は光らない。


それでも俺は、それを腰に下げたまま――。


夜の大牟田を、三池山へ向かって走り始めた。



(第27章、終わり)


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