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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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【▲season1】 第26章 : 消えた美琴


「休憩して、お昼にでもしましょうか」


おばあさんが、重くなった空気を振り払うように席を立った。


すると、親父が携帯電話を取り出す。


「古谷さん、大牟田のラーメンでも出前で頼みましょうか」


「ラーメンって……」


おばあさんが親父の頭を、ぽんっと叩いた。


「あんた、ラーメンって……。遠くから来てもろたとに、寿司ぐらいご馳走せんね!」


「いやいや」


古谷さんが慌てて手を振る。


「一度、大牟田のラーメンを食べてみたかったんです」


「美味しいって聞いてたんで」


その言葉に、おばあさんが少し笑った。


「そうね。それならラーメンにしましょうか」


張り詰めていた社務所の空気が、ほんの少しだけ和らいだ。


「灯真とみこっちゃんも、ラーメンでよかね?」


父親が二人に声をかける。


「……」


美琴は返事をしなかった。


「みこっちゃん?」


「あ……」


美琴が顔を上げる。


「ごめん……」


少しだけ笑おうとする。


けれど、その笑顔はすぐに消えた。


「私は……いらないです」


「どうしたと?」


おばあさんが心配そうに尋ねる。


「ちょっと……頭が痛くなったんで」


美琴は椅子から立ち上がった。


「部屋で休みます」


「大丈夫ね?」


「うん。大丈夫」


そう答えたものの、その声には力がなかった。


古谷さんが申し訳なさそうに美琴を見る。


「ごめんね」


「つい熱が入ってしまって……突然、いろんな話をしてしまったから」


「一週間くらいは大牟田に滞在しているからね」


古谷さんは胸ポケットから名刺を取り出した。


「もし、あとで聞きたいことがあったら、いつでも電話してください」


美琴は名刺を受け取った。


「……ありがとうございます」


小さく頭を下げる。


そして、そのまま社務所を出ていった。


「……」


俺は、美琴の後ろ姿をじっと見つめていた。


どこかおかしい。


さっきから、ずっとそうだった。


両親の話を聞いている間も、美琴は何度も自分の手首を見ていた。


そして今も――。


「灯真」


親父に呼ばれて我に返った。


「何ぼーっとしとるとや?」


「あ……いや」


俺は立ち上がりかける。


「俺、ちょっと美琴のところに――」


父親が俺の肩に手を置いた。


「ちょっと一人にさせてやれ。いろいろ混乱しとるとやろ」


俺は椅子へ座り直した。


「……わかった」


美琴のことが心配で、出て行った先をずっと見つめていた。



古谷さんとの話し合いは夕方まで続いた。


「長いことすみません。そろそろホテルへ帰りますね」


古谷さんが席を立つ。


「大したお構いも出来ませんで、今日はありがとうございました」


おばあさんが頭を下げる。


「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました」


古谷さんも頭を下げた。


みんなで社務所を出る。


「灯真、俺たちも帰ろうか」


「俺は……美琴の様子を見てから帰る」


「わかった。遅なるなよ!」


親父は、おばあさんに挨拶をすると神社を後にした。



コンコン。


「美琴」


返事はない。


俺は、もう一度扉を叩いた。


コンコンコン。


「大丈夫か?」


しばらくして、部屋の中からガサガサと物音が聞こえた。


「……開けるぞ」


俺は、そっと扉を開けた。


そこには、美琴が机に向かい、宿題のプリントをひたすら解いていた。


「あ……灯真」


「もう話し合いは終わったと?」


「今、終わった……」


美琴は、俺のほうを見ようともしない。


少しの沈黙。


俺は、何か声をかけようとした。


けれど、何を言えばいいのか分からない。


美琴も、しばらく黙っていた。


そして――


「ごめん……」


小さな声だった。


「今は……一人にさせて」


俺の胸が、ずきりと痛んだ。


今まで、美琴にこんなふうに言われたことはなかった。


「……分かった」


それだけ言うのが精一杯だった。


俺は、静かに扉を閉めた。


その直後。


部屋の中で――


――コン。


美琴は、ゆっくり顔を上げた。


「……また?」


けれど、俺には聞こえなかった。


俺は、廊下を歩きながら、何度も振り返りそうになる。


後ろ髪を引かれる思いで、神社を出た。


夏の午後の空気が、やけに重く感じられた。


――美琴は、大丈夫だ。


きっと、少し一人になりたいだけだ。


俺はそう自分に言い聞かせながら、自宅へ向かった。



家に帰ると、親父はすでにビールを片手に、テレビで野球を見ていた。


「おかえり。みこっちゃん、どげんやった?」


「……一人にさせて欲しいって」


俺は靴を脱ぎながら答えた。


「あぁ……」


親父はテレビから目を離し、少し心配そうな顔をする。


「そりゃ、いろいろ聞かされたけんね……」


俺は何も答えなかった。


美琴に言われた言葉が、頭から離れない。


――ごめん。今は……一人にさせて。


今まで、美琴にあんなふうに拒絶されたことはなかった。


「……大丈夫かね」


母親が台所から顔を出す。


「分からん」


俺は短く答えた。


「しばらく、そっとしとくしかなかろう」


親父がビールを一口飲む。


「それより……」


親父がテレビの音を少し下げた。


「今日の話、えらいことになったな」


「うん」


俺も椅子に腰を下ろす。


「まさか、あの歌が地下のことを示しとったなんて思わんかった」


「俺も、そこまでは考えとらんかった」


親父は腕を組む。


「進さんたちが、あそこまで調べとったとはな」


「しかも、美琴の手首の印まで……」


俺は自分の手首を見る。


「『朱持つ者』……」


「あれは、まだ古谷さんたちの仮説たい」


「分かっとる」


俺は頷いた。


「でも……」


言葉が止まる。


頭の中に、甘木山で見たものが蘇った。


巨大な木。


その根元から溢れていた、あの不思議な光。


そして、あのとき感じた――何かに呼ばれているような感覚。


「……何か、繋がっとる気がする」


「何が?」


「今日聞いた話と、今まで俺たちが見たもの」


父親は黙って俺を見る。


「甘木山の人影も、あのコンコンって音も……」


「……」


「全部、地下への入口に関係しとるんじゃないかって」


親父は、すぐには答えなかった。


やがて、低い声で言った。


「考えすぎるな」


「でも――」


「灯真」


親父が遮る。


「今日はもう、頭を休めろ」


「……うん」


俺は頷いた。


けれど、胸の奥に残った嫌な感覚は消えなかった。


美琴のことも。


両親のことも。


そして――


あの地下のことも。



それから数時間後――。


午後十時を回った頃。


境家の玄関に、激しいチャイムの音が鳴り響いた。


ピンポン、ピンポン、ピンポン――。


「こんな時間に誰やろ?」


母が玄関へ向かう。


「はぁい、すぐ開けます」


ガラガラ――。


玄関を開けると、そこには美琴のおばあさんが立っていた。


息を切らし、顔は青ざめている。


しのぶさん? どうしたんですか?」


「美琴ちゃんは……」


おばあさんは、息を整えることもできないまま尋ねた。


「美琴ちゃんは、こっちに来とらんね?」


「美琴ちゃんなら来てませんけど……」


母が不安そうに答える。


その瞬間。


おばあさんの膝から力が抜けた。


「どげんしたと!」


母が慌てて支える。


俺と父親も玄関へ駆けつけた。


おばあさんは、震える手で親父の腕を掴んだ。


そして――


「美琴ちゃんが……」


声が震えている。


「美琴ちゃんが、おらんごとなった!」


「……えっ?」


俺の頭が真っ白になった。


昼間、最後に聞いた言葉が蘇る。


――今は……一人にさせて。


胸の奥が、嫌な音を立てた。


「……美琴?」


誰も答えなかった。


ただ、玄関に立ち尽くす全員の顔から、血の気が引いていった。


そして俺は、ようやく気づいた。


――俺は、あいつを一人にして帰ってしまった。



(第26章、終わり)




『黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―』


【 Season 1 完 】


【 Season 2 制作中 】


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


『黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―』は、第26章をもってSeason 1完結となります。


Season 2の制作のため、しばらくお休みします。


フォロー、ブックマーク等をしてお待ちいただけましたら、制作の励みになります。



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