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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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第18章 : 闇が語るもの



二人は再び机に向き直り、一冊ずつ資料を開いていく。


静かな資料室には、ページをめくる音だけが響いていた。


真実は、まだ遠い。


けれど、散らばっていたパズルのピースは、確かに少しずつ形を作り始めていた。


大蛇。


光世。


古墳。


石炭。


ひいじいちゃんの日記。


どれも別々の話のように見えて、その奥では一本の見えない糸で繋がっているような気がする。


「……まだ何か足りんね」


美琴が小さく呟いた。


「うん。あと一つ、何か分かれば全部繋がる気がするとたい」


灯真も頷いた。


その時だった。


ふっ――。


まるで誰かが息を吹きかけたように、資料室の空気が揺れた。


「……ん?」


灯真は顔を上げる。


ガタ。


どこかで椅子が軋んだような音がした。


だが、資料室には二人しかいない。


美琴も同じ音を聞いたのか、不安そうに辺りを見回している。


「今……何か聞こえた?」


「……ああ」


返事をした瞬間だった。


ドクン。


胸の奥が大きく脈打った。


ドクン。


ドクン。


鼓動ではない。


もっと大きな何かが、世界そのものを震わせているようだった。


ガタ……。


ガタガタ……。


ガタガタガタガタガタ――。


机が震え始める。


積み重ねられた資料が細かく揺れ、ページが勝手にめくれていく。


「灯真!」


美琴が思わず腕を掴んだ。


次の瞬間。


世界から色が消えた。


窓から差し込んでいた夏の日差しも。


本棚も。


机も。


資料も。


何もかもが、音もなく闇へ溶けていく。


二人だけが、底の見えない暗闇に立っていた。


足元も見えない。


なのに、不思議と落ちることはない。


まるで闇そのものが、二人を受け止めているようだった。


美琴が震える声で言う。


「……また、ここ」


灯真は周囲を見回した。


「三川坑とは違う……」


そう呟いた途端。


二人の前に、青白い炎が一つ灯った。


ドクン……。


ドクン……。


心臓のように脈打ちながら、その炎は静かに揺らめいている。


美琴が、そっと灯真の手を握りしめた。


「……我を恐れるか」


男とも女ともつかない、不思議な声だった。


「あなたは……誰ですか?」


灯真は炎を見つめたまま問いかける。


ククク……。


低い笑い声が、闇の中に響いた。


「――何に見える」


灯真は首を横に振る。


「分からない」


「そうか」


青白い炎が、ゆっくりと揺れる。


「我は、お前が望む者」


「そして、お前が望まぬ者」


「えっ……?」


灯真が眉をひそめる。


炎の向こうから、声が続く。


「人は、自らの理解できぬものに名を付ける」


「神」


「鬼」


「龍」


「蛇」


「悪」


「善」


一つ一つの言葉が、暗闇の中へ落ちていく。


「だが、それはすべて――」


炎が大きく揺らめいた。


「人が、自らの都合で付けた名にすぎぬ」


……しばらくの沈黙。


灯真は炎を見つめたまま、口を開いた。


「じゃあ……あなたは、何なんですか?」


返事はない。


ただ、青白い炎だけが、ドクン……ドクン……と脈打っている。


やがて――。


「理解できぬか」


「……まぁ、よい」


炎が、わずかに細くなる。


「そのうち、会えるだろう」


「会える?」


美琴が思わず声を上げる。


「そうだ」


「すべてが重なる日は、近い」


その声が響いた瞬間。


青白い炎の奥に、一瞬だけ何かが浮かんだ。


巨大な蛇。


その背後にそびえる、一本の巨大な樹。


そして――。


その根元で、赤々と燃え続ける石。


「真実を知りたければ、会いに来い」


美琴が息を呑む。


「今の……何?」


しかし、炎はもう何も映していなかった。


「お前たちに残された時間は――」


低い声が、闇の底から響く。


「もう、多くはない」


ドクン……。


最後に炎が大きく脈打った。

そして――。


闇が崩れた。


眩しい光が、一気に二人を包み込む。


気が付くと、二人は図書館の資料室に座っていた。


窓からは夕日が差し込み、館内には静かな空気が流れている。


机の上には読みかけの資料。

何事もなかったかのような景色だった。


「……美琴」


「うん」


「聞こえたよね」


「全部」


しばらく沈黙が続いた。


夢ではない。二人とも同じ言葉を聞いていた。


やがて閉館を知らせる放送が流れた。


「まもなく閉館時間です。本の返却忘れのないようお願いいたします」


灯真は深く息を吐いた。


「片付けようか」


「うん」


二人は資料を一冊ずつ元の棚へ返していく。


静かな資料室には、本を戻す音だけが響いていた。


最後の資料を戻そうとした、その時だった。


「あれ……?」


灯真の目が、本棚の一番奥で止まる。


薄暗い棚の隅に、一冊だけ古びたノートが、ほかの資料とは違う向きで置かれていた。


「どげんしたと?」


「……何か、見たことある」


引き寄せられるように、そのノートを手に取る。


表紙には、かすれた文字で書かれていた。


『炭坑日記』


「あっ……」


灯真の鼓動が速くなる。


「ひいじいちゃんだ……」


その瞬間だった。


パララララララララララ――。


誰も触れていないページが、猛烈な勢いでめくれ始めた。


「灯真!」


美琴が叫ぶ。


ページをめくる風が灯真を包む。


暗い坑道。


石炭を積んだ炭車。


汗まみれの坑夫たち。


石炭の匂い。


響く警鐘。


地鳴り。


そして。


ひいじいちゃんが見ていた景色。


忘れかけていた記憶が、一つ、また一つと灯真の頭の中へ流れ込んでいく。


まるで、失われていた時間が戻ってくるようだった。


やがて最後のページが閉じられる。


静寂。


灯真は恐る恐る表紙を見た。


「……え?」


『炭坑日記』の文字は消えていた。


中を開く。


真っ白だった。


一文字も書かれていない。


ただの白紙のノート。


「さっきまで……」


美琴も呆然と見つめている。


灯真は静かにノートを閉じた。


あれは幻ではない。


ひいじいちゃんは、今も自分へ何かを伝えようとしている。


その時だった。


頭の奥の、どこか遠くから。


本当に小さな声が聞こえた。


『――安全灯センサー、再起動』


灯真は思わず辺りを見回した。


しかし、聞こえたのは自分だけだった。


窓の外では、茜色に染まった空を一羽のカラスが横切っていく。


灯真は静かに拳を握った。


「行こう」


美琴が頷く。


「うん」


二人は資料室をあとにした。


真実を求める旅は、今ようやく動き始めたのだった。



(第18章 終わり)


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