第16章 : 雨のあと、真実を探して
夏休みが始まってからというもの。
朝早く起きて神崎神社へ向かう。
美琴と木刀を振り、祖母から稽古をつけてもらう。
そのあと子どもたちとラジオ体操をして、美琴の家で朝ご飯をごちそうになる。
そんな毎日が、いつの間にか僕の夏休みの日課になっていた。
◇
ある日の夜。
父さんは缶ビールを片手にテレビを見ながら、不意に僕へ声をかけた。
「おい、灯真」
「最近、珍しく朝早う起きて、毎日どっか行きよるやろ。何しよっとや?」
少しだけ迷った。
でも、父さんになら話してもいい気がした。
「実はさ……」
僕は神社へ通っていること。
美琴と木刀の稽古をしていること。
そして、あの日から頭の中で警報みたいなものが鳴って、危険が分かるようになったこと。
でも最近は、その警報がまったく鳴らなくなったこと――。
全部話した。
父さんは黙って聞いていたが、やがてビールを一口飲み、吹き出した。
「あー、それな」
「お前くらいの歳じゃ、ようあることたい」
「え?」
「何ちゅうかな、自分だけ特別な力がある気がする時期」
「世間じゃ、中二病って言うとる」
「ぶははははっ!」
腹を抱えて笑い出した父さんを見て、僕は思わずため息をついた。
「なんやそれ……」
「青春たい、青春!」
もう話すだけ無駄だ。
「あのクソ親父……」
そう呟きながら、自分の部屋へ戻り布団に潜り込んだ。
◇
翌朝。
いつもののように神崎神社へ向かい、美琴と木刀を振る。
祖母の指導も少しずつ厳しくなり、昨日より今日、今日より明日と、少しずつ形になっていくのが自分でも分かった。
昼過ぎ。
社務所から祖母が顔を出した。
「今日はそうめんば湯がこうかね。よかね、灯真君」
「あ、ありがとうございます!」
その瞬間だった。
ドクン――。
地面が、一度だけ脈を打ったような気がした。
ガタガタガタガタ……。
世界が揺れた。
……いや。
世界が揺れたんじゃない。
僕だけが、そう感じただけなのかもしれない。
「おばあちゃん!」
美琴の悲鳴が境内に響く。
振り向くと、祖母がその場に崩れ落ちていた。
「おばあさん!」
僕は慌てて駆け寄る。
美琴は震える手でスマートフォンを取り出した。
「救急車! 救急車呼ぶね!」
「待たんね……」
祖母は苦しそうに息をしながら、美琴の手をそっと押さえた。
「大丈夫やけ……」
「ちょっと目眩がしただけやけん……心配せんでよか」
「少し横になっとけば……ようなるけん」
僕と美琴は祖母をゆっくりと畳の部屋へ寝かせた。
「ありがとう。後は私がおばあちゃんについてくけん、よかよ」
美琴が僕を見て言った。
「でも……」
心配で仕方がない。
すると祖母も優しく笑った。
「うん。今日は帰りなっせ、心配せんでよかよ大丈夫やけん」
その言葉に、僕は小さく頷くしかなかった。
神社を出た頃には、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めていた。
最初は夕立かと思った。 しかし雨はみるみる激しさを増し、そのまま翌日の夜まで降り続いた。
稽古は中止。
神社へ行くこともできず、僕たちはそれぞれ家で過ごすしかなかった。
◇
ようやく雨が上がった。
蒸し暑い夏の朝。
僕は急ぐように神崎神社への石段を駆け上がる。
ブンッ。
ブンッ。
木刀を振る音が聞こえた。
その音だけで、胸のつかえが少し軽くなる。
「あ、灯真」
木刀を肩に担いだ美琴が笑った。
「おばあさん、大丈夫やった?」
「うん。もう元気になったよ」
その一言に、僕は大きく息をついた。
社務所から祖母も顔を出した。
「灯真君、この前はごめんね。心配かけたね」
「いえ……元気になられて、本当によかったです」
「ありがとう。さあ、今日も始めようか」
いつもの朝。
いつもの稽古。
……のはずなのに。
雨が上がったあとの境内は、どこか少しだけ違って見えた。
◇
稽古を終え、境内の掃除も終わると、灯真は木陰で休んでいた美琴に声をかけた。
「美琴」
「ん?」
「昼から、図書館に行かん?」
「図書館?」
「うん。返さんといかん本もあるし……ちょっと調べ物がしたか」
美琴は少しだけ灯真の顔を見つめ、何かを察したように微笑んだ。
「うん。よかよ。一緒に行こうか」
二人は神社をあとにし、図書館へ向かって歩き始めた。
雨上がりの町は、強い日差しを浴びて湯気が立ち上っている。
しばらく歩くと、美琴が口を開いた。
「何ば調べると?」
灯真は少し考えてから答えた。
「今までは炭鉱の歴史ばっかり調べよった」
「ばってん、それだけじゃ何か足りん気がするとたい」
「もっと昔……大牟田そのものの歴史ば調べんといかんごたる気がして」
美琴は静かに頷いた。
「……うん」
「おばあちゃんが話してくれた巨木様の神話」
「あれにも、きっと何か意味がある」
灯真も頷いた。
「今日は、炭鉱じゃなくて、大牟田の始まりば探してみよう」
二人は並んで歩きながら、静かな図書館へ向かった。
そして、図書館に入ると、二人は郷土資料の棚へ向かった。
古びた郷土史や民俗資料が並ぶ棚を眺めながら、灯真がぽつりと口を開く。
「この前、親父に話したんよ」
美琴が本を手に取ったまま振り返る。
「何を?」
「今までのこと全部。神社のことも、安全灯センサーのことも」
「へぇ。それで?」
灯真は肩を落としてため息をついた。
「親父、何て言うたと思う?」
「うーん……何て?」
「爆笑しながら、『それ、中二病たい』って」
少し間を置いて、
「……あのクソ親父」
「ぶっ!」
美琴は思わず吹き出し、慌てて口を押さえた。
「ちょっ……灯真、笑わせんで!」
「はぁー!? 美琴まで笑わんでもよかやん!」
「だって……ふふっ……」
笑いをこらえながら肩を震わせる。
「何か、お父さんの言いたいこと、分かる気がする」
「何それ!」
「だって、灯真やもん」
「バカにすんな!」
灯真がむっとした顔をすると、美琴はくすっと笑いながら一歩近づいた。
そして周りを気にするように少し身を寄せると、そっと灯真の耳元で囁いた。
「……でもね」
「私は頼りにしとるよ、灯真」
「えっ!?」
思わず大きな声が出てしまう。
静かな図書館の中。
周りの視線が一斉に二人へ集まった。
「あっ……」
灯真の顔がみるみる真っ赤になる。
美琴は一瞬だけ同じように頬を赤くしたが、すぐにくるりと振り返ると、
「べーだ!」
いたずらっぽく舌を出して笑った。
「お、おい! 美琴!」
そのまま美琴は楽しそうに郷土資料の棚の奥へ走っていく。
「待てって!」
静かな図書館に響かないよう小声で叫びながら、灯真も慌ててそのあとを追いかけた。
図書館の郷土資料コーナー。
灯真と美琴は並んで本棚を見上げながら、一冊ずつ資料を探していた。
背表紙を目で追う美琴は、少しだけ顔を上に向けている。
その横顔に、灯真は思わず見とれてしまった。
……本当は。
僕は、大牟田がどうとか。
世界がどうとか。
炭鉱や剣術なんて、どうでもいい。
でも。
全部やめてしまえば、美琴とこうして一緒にいる時間もなくなってしまう。
一緒に笑って。
一緒に悩んで。
一緒に何かを探して。
そんな時間が、僕は好きなんだ。
怖いことは山ほどある。
それでも、このことに関わり続ける理由は、きっとそれだけだった。
ふと、美琴が視線に気づいて振り向く。
「……なんね?」
「な、なんもなか!」
慌てて目を逸らし、手近にあった一冊の本を引き抜く。
「あっ、『大牟田の民話』げな」
表紙を眺めながら、灯真が笑う。
「小さか頃、よう読んでもらいよったなぁ」
「『ぐりとぐら』とか、『はらぺこあおむし』とか」
美琴は一瞬きょとんとしたあと、呆れたように笑った。
「それ、童話やろもん」
「えっ?」
灯真は首をかしげる。
「……なんか違うと?」
美琴は額に手を当て、大きくため息をつく。
「はい?」
「そういうとこ」
「えっ、何が?」
「ねぇ、何?」
美琴はくすっと笑った。
「やっぱ灯真は灯真やね」
そう言うと、本棚の奥へ歩いていく。
灯真は一人取り残されたまま首をかしげる。
「……結局、何が違うと?」
(第16章 終わり)




