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黒坑日記 ― 三池大迷宮譚 ―  作者: 8時20分のたれまゆ


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第16章 : 雨のあと、真実を探して



夏休みが始まってからというもの。


朝早く起きて神崎神社へ向かう。


美琴と木刀を振り、祖母から稽古をつけてもらう。


そのあと子どもたちとラジオ体操をして、美琴の家で朝ご飯をごちそうになる。


そんな毎日が、いつの間にか僕の夏休みの日課になっていた。



ある日の夜。


父さんは缶ビールを片手にテレビを見ながら、不意に僕へ声をかけた。


「おい、灯真」


「最近、珍しく朝早う起きて、毎日どっか行きよるやろ。何しよっとや?」


少しだけ迷った。


でも、父さんになら話してもいい気がした。


「実はさ……」


僕は神社へ通っていること。


美琴と木刀の稽古をしていること。


そして、あの日から頭の中で警報みたいなものが鳴って、危険が分かるようになったこと。


でも最近は、その警報がまったく鳴らなくなったこと――。


全部話した。


父さんは黙って聞いていたが、やがてビールを一口飲み、吹き出した。


「あー、それな」


「お前くらいの歳じゃ、ようあることたい」


「え?」


「何ちゅうかな、自分だけ特別な力がある気がする時期」


「世間じゃ、中二病って言うとる」


「ぶははははっ!」


腹を抱えて笑い出した父さんを見て、僕は思わずため息をついた。


「なんやそれ……」


「青春たい、青春!」


もう話すだけ無駄だ。


「あのクソ親父……」


そう呟きながら、自分の部屋へ戻り布団に潜り込んだ。



翌朝。


いつもののように神崎神社へ向かい、美琴と木刀を振る。


祖母の指導も少しずつ厳しくなり、昨日より今日、今日より明日と、少しずつ形になっていくのが自分でも分かった。


昼過ぎ。


社務所から祖母が顔を出した。


「今日はそうめんば湯がこうかね。よかね、灯真君」


「あ、ありがとうございます!」


その瞬間だった。


ドクン――。

地面が、一度だけ脈を打ったような気がした。


ガタガタガタガタ……。


世界が揺れた。


……いや。


世界が揺れたんじゃない。


僕だけが、そう感じただけなのかもしれない。


「おばあちゃん!」


美琴の悲鳴が境内に響く。


振り向くと、祖母がその場に崩れ落ちていた。


「おばあさん!」


僕は慌てて駆け寄る。


美琴は震える手でスマートフォンを取り出した。


「救急車! 救急車呼ぶね!」


「待たんね……」


祖母は苦しそうに息をしながら、美琴の手をそっと押さえた。


「大丈夫やけ……」


「ちょっと目眩がしただけやけん……心配せんでよか」


「少し横になっとけば……ようなるけん」


僕と美琴は祖母をゆっくりと畳の部屋へ寝かせた。


「ありがとう。後は私がおばあちゃんについてくけん、よかよ」


美琴が僕を見て言った。


「でも……」


心配で仕方がない。


すると祖母も優しく笑った。


「うん。今日は帰りなっせ、心配せんでよかよ大丈夫やけん」


その言葉に、僕は小さく頷くしかなかった。


神社を出た頃には、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めていた。


最初は夕立かと思った。 しかし雨はみるみる激しさを増し、そのまま翌日の夜まで降り続いた。


稽古は中止。


神社へ行くこともできず、僕たちはそれぞれ家で過ごすしかなかった。



ようやく雨が上がった。


蒸し暑い夏の朝。


僕は急ぐように神崎神社への石段を駆け上がる。


ブンッ。


ブンッ。


木刀を振る音が聞こえた。


その音だけで、胸のつかえが少し軽くなる。


「あ、灯真」


木刀を肩に担いだ美琴が笑った。


「おばあさん、大丈夫やった?」


「うん。もう元気になったよ」


その一言に、僕は大きく息をついた。


社務所から祖母も顔を出した。


「灯真君、この前はごめんね。心配かけたね」


「いえ……元気になられて、本当によかったです」


「ありがとう。さあ、今日も始めようか」


いつもの朝。


いつもの稽古。


……のはずなのに。


雨が上がったあとの境内は、どこか少しだけ違って見えた。



稽古を終え、境内の掃除も終わると、灯真は木陰で休んでいた美琴に声をかけた。


「美琴」


「ん?」


「昼から、図書館に行かん?」


「図書館?」


「うん。返さんといかん本もあるし……ちょっと調べ物がしたか」


美琴は少しだけ灯真の顔を見つめ、何かを察したように微笑んだ。


「うん。よかよ。一緒に行こうか」


二人は神社をあとにし、図書館へ向かって歩き始めた。


雨上がりの町は、強い日差しを浴びて湯気が立ち上っている。


しばらく歩くと、美琴が口を開いた。


「何ば調べると?」


灯真は少し考えてから答えた。


「今までは炭鉱の歴史ばっかり調べよった」


「ばってん、それだけじゃ何か足りん気がするとたい」


「もっと昔……大牟田そのものの歴史ば調べんといかんごたる気がして」


美琴は静かに頷いた。


「……うん」


「おばあちゃんが話してくれた巨木様の神話」


「あれにも、きっと何か意味がある」


灯真も頷いた。


「今日は、炭鉱じゃなくて、大牟田の始まりば探してみよう」


二人は並んで歩きながら、静かな図書館へ向かった。


そして、図書館に入ると、二人は郷土資料の棚へ向かった。


古びた郷土史や民俗資料が並ぶ棚を眺めながら、灯真がぽつりと口を開く。


「この前、親父に話したんよ」


美琴が本を手に取ったまま振り返る。


「何を?」


「今までのこと全部。神社のことも、安全灯センサーのことも」


「へぇ。それで?」


灯真は肩を落としてため息をついた。


「親父、何て言うたと思う?」


「うーん……何て?」


「爆笑しながら、『それ、中二病たい』って」


少し間を置いて、


「……あのクソ親父」


「ぶっ!」


美琴は思わず吹き出し、慌てて口を押さえた。


「ちょっ……灯真、笑わせんで!」


「はぁー!? 美琴まで笑わんでもよかやん!」


「だって……ふふっ……」


笑いをこらえながら肩を震わせる。


「何か、お父さんの言いたいこと、分かる気がする」


「何それ!」


「だって、灯真やもん」


「バカにすんな!」


灯真がむっとした顔をすると、美琴はくすっと笑いながら一歩近づいた。


そして周りを気にするように少し身を寄せると、そっと灯真の耳元で囁いた。


「……でもね」


「私は頼りにしとるよ、灯真」


「えっ!?」


思わず大きな声が出てしまう。


静かな図書館の中。


周りの視線が一斉に二人へ集まった。


「あっ……」


灯真の顔がみるみる真っ赤になる。


美琴は一瞬だけ同じように頬を赤くしたが、すぐにくるりと振り返ると、


「べーだ!」


いたずらっぽく舌を出して笑った。


「お、おい! 美琴!」


そのまま美琴は楽しそうに郷土資料の棚の奥へ走っていく。


「待てって!」


静かな図書館に響かないよう小声で叫びながら、灯真も慌ててそのあとを追いかけた。


図書館の郷土資料コーナー。


灯真と美琴は並んで本棚を見上げながら、一冊ずつ資料を探していた。


背表紙を目で追う美琴は、少しだけ顔を上に向けている。


その横顔に、灯真は思わず見とれてしまった。


……本当は。


僕は、大牟田がどうとか。


世界がどうとか。


炭鉱や剣術なんて、どうでもいい。


でも。


全部やめてしまえば、美琴とこうして一緒にいる時間もなくなってしまう。


一緒に笑って。


一緒に悩んで。


一緒に何かを探して。


そんな時間が、僕は好きなんだ。


怖いことは山ほどある。


それでも、このことに関わり続ける理由は、きっとそれだけだった。


ふと、美琴が視線に気づいて振り向く。


「……なんね?」


「な、なんもなか!」


慌てて目を逸らし、手近にあった一冊の本を引き抜く。


「あっ、『大牟田の民話』げな」


表紙を眺めながら、灯真が笑う。


「小さか頃、よう読んでもらいよったなぁ」


「『ぐりとぐら』とか、『はらぺこあおむし』とか」


美琴は一瞬きょとんとしたあと、呆れたように笑った。


「それ、童話やろもん」


「えっ?」


灯真は首をかしげる。


「……なんか違うと?」


美琴は額に手を当て、大きくため息をつく。


「はい?」


「そういうとこ」


「えっ、何が?」


「ねぇ、何?」


美琴はくすっと笑った。


「やっぱ灯真は灯真やね」


そう言うと、本棚の奥へ歩いていく。


灯真は一人取り残されたまま首をかしげる。


「……結局、何が違うと?」



(第16章 終わり)


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