EP 9
奇跡の物資輸送と、確信に変わる想い
「全ポイント放出! これで、絶対に戦線を支え切って見せるわ!」
私は、血と泥で汚れた指で『エンジェルすまーとふぉん』の画面を力強くタップした。
これまでの領地改革、ポポロ村との交易、村人たちからの感謝の念によって積み上がった天文学的な【善行ポイント】。それを、いざという時の領地発展のために貯蓄しておくなんていうケチ臭い考えは、私の辞書にはない。
今、目の前で流れている血を止められないトップに、未来を語る資格などないのだ。
「【善行通販】、限界突破!!」
私の声に呼応するように、すまーとふぉんの画面がかつてないほど眩い黄金の光を放った。
そして、広場の中央に巨大な魔法陣が展開されたかと思うと、光の粒子とともに山のような物資が出現したのだ。
「ええっ!? なんだこれは!?」
「山のようなポーションに、見たこともない機械が……!」
驚く村人たちをよそに、私は声を張り上げた。
「タローマン製『広域展開型・魔導防壁発生装置』よ! 自警団の皆はこれを前線に運んで、三メートル間隔で起動させて! 魔法陣のスイッチを押すだけで、死蟲機の進行を物理的に遮断できるわ!」
「は、はいっ!」
「それから、こっちはポポロ村の『月光薬』の原液と、陽薬草ドリンクを濃縮した『超回復エナジードリンク』よ! 箱ごと前線の兵士たちに配って! 飲めば闘気が一瞬で全回復するわ!」
前世で徹夜明けの社畜がキメていたエナジードリンクの、異世界ファンタジー超強化版である。味は極限まで苦いが、背に腹は代えられない。
「セリア! 貴女はあの防壁発生装置を持って、ユリウス様の元へ走って! 私の全財産を注ぎ込んだ絶対防衛線よ、絶対に突破させないで!」
「……ええ、任せてください。我が主の気高き覚悟、しかと前線に届けてみせます」
セリアは私の意図を即座に汲み取り、両手に重い魔導防壁発生装置を抱え、文字通り風となって前線へと駆け出していった。
私は残された膨大な包帯と医療キットを広げ、再び怪我人たちの治療へと没頭した。
その頃、国境の最前線では、ユリウス・フォン・アルトハウスが限界を迎えつつあった。
「はぁっ……! 砕け散れ!」
愛剣である魔闘氷剣から絶対零度の斬撃を放ち、迫り来る『死甲虫機』を両断する。だが、敵の数は一向に減る気配がない。
部下の兵士たちも闘気を使い果たし、膝を突く者が増え始めていた。
(ここまでか……。いや、私が倒れれば、あの村が、リゼロッテ嬢が蹂躙される!)
ユリウスが己の命を削って最後の広域氷結魔法を放とうとした、その瞬間だった。
「――どきなさい、堅物騎士。うちの主からの特別ボーナスよ!」
頭上から降ってきた銀色の影。セリアが、巨大な金属の杭のような『魔導防壁発生装置』を、最前線の地面に次々と突き立てていった。
彼女がスイッチを蹴り飛ばすと、装置から強烈な青白い光が天に向かって立ち昇り、それらが連結して巨大な『絶対防衛フィールド』を形成したのだ。
ガガガガガガッ!!!
防壁に激突した無数の死蟲機たちが、強烈な魔力弾き飛ばされ、次々とショートして崩れ落ちていく。
「な、なんだこれは……!? 規格外の魔導障壁だと!?」
「驚くのはまだ早いわ。ほら、飲んで戦線を押し返しなさい!」
セリアがユリウスと兵士たちに向けて、小瓶の入った箱を蹴り飛ばす。
ユリウスがそれを受け取り、一気に飲み干した瞬間――。
「……っ!!」
凄まじい苦味とともに、体の奥底から爆発的な闘気と魔力が湧き上がってくるのを感じた。
疲労が嘘のように消え去り、かつてないほどの力が全身を駆け巡る。
「これは、リゼロッテ嬢が……?」
「ええ。彼女は村の復興のために貯めていたすべての資産を、貴方たちを死なせないために使い切ったのよ」
セリアの言葉に、ユリウスは雷に打たれたような衝撃を受けた。
公爵家を追放され、何もない辺境で、泥にまみれて少しずつ積み上げてきた彼女の財産。それを、自らの保身のためではなく、見ず知らずの兵士たちの命を守るために、一瞬の躊躇いもなく投げ打ったというのか。
「……ああ、なんと愚かで、尊い人だ」
ユリウスは歓喜するように笑みをこぼした。
これほどの愛と覚悟を受け取って、ここで敵を逃すようなら、帝国最強の騎士など辞めてしまえ。
「全軍、聞け!! これより反転攻勢に出る!」
ユリウスの号令とともに、エナジードリンクで闘気を全回復させた兵士たちが、怒号を上げて一斉に防壁の中から反撃を開始した。
セリアの圧倒的な武力と、ユリウスの広域殲滅魔法が合わさり、形勢は完全に逆転する。
およそ一時間後。辺境の森を埋め尽くしていた死蟲機の群れは、ただの一匹残らずスクラップと化していた。
「……終わった、のね」
広場の集会所で、私は最後の患者の傷に包帯を巻き終え、ほうっと息を吐き出した。
遠くから、自警団や兵士たちの勝利の歓声が聞こえてくる。どうやら、タローマン製の魔導防壁がしっかりと役割を果たし、戦線を支え切ったらしい。
「よかった……誰も、死なせずに済んだ……」
緊張の糸が、ぷつんと切れた。
徹夜の治療と、全ポイントを放出した精神的な疲労が、一気に全身にのしかかってくる。
視界がぐらりと揺れ、立っていることすらできなくなった。
(あ、ダメ。体が……動かない)
硬い地面に倒れ込む。そう覚悟して、きつく目を閉じた瞬間。
ふわり、と。
強い冷気と、かすかな血と硝煙の匂い。そして、それを上回る安心感のある温もりに、私の体はすっぽりと包み込まれていた。
「……リゼロッテ」
耳元で、ひどく甘く、震えるような低い声がした。
ゆっくりと目を開けると、泥と敵の返り血で軍服を汚したユリウス様が、私を落とさないように、両腕でしっかりと抱き留めていた。
「ユ、ユリウス様……。怪我は、ありませんか……?」
「ああ。君が信じられないほどの奇跡を起こしてくれたおかげで、部下も村人も、誰一人欠けることなく勝利できた。……だが、君自身はどうだ」
ユリウス様は、私の泥と血で汚れた頬を、大きな手でそっと、壊れ物に触れるように撫でた。
「こんなにボロボロになって……。すべてを投げ打ってまで、なぜそこまで他人のために尽くせるんだ。君は、自分のことが大切ではないのか?」
痛みを堪えるような彼の表情に、私はふふっと小さく笑ってしまった。
何を言っているのだ、この人は。
「自分のためですよ。……私、ブラック企業は嫌いなんです。領民も、兵士の皆さんも、私にとっては大切な『従業員』で『パートナー』ですから」
重い瞼を必死に開けながら、私はユリウス様を見上げて、精一杯の笑顔を作った。
「健康な職場は、健康な体から……よ。みんなが元気で、美味しいご飯を食べて笑ってくれないと、私の思い描くホワイト領地は作れないもの。だから、安い投資です」
その言葉を聞いた瞬間、ユリウス様の碧眼が大きく揺らいだ。
これほどの自己犠牲を払っておきながら、彼女はそれを「安い投資」だと、屈託のない笑顔で言い切ったのだ。
『エチカ』の説く理性的義務など、とうの昔に彼の中から消え去っていた。
今、ユリウスの胸を支配しているのは、ただ一つ。
この泥にまみれた、不器用で、底抜けに優しくて、世界中のどんな宝石よりも尊い輝きを放つ女性を――自分の生涯のすべてを懸けて愛し、守り抜きたいという、確固たる決意だった。
「……君には敵わないな」
ユリウス様は、抱きしめる腕の力を少しだけ強め、私の額に己の額をこつんと合わせた。
彼の体温が直接伝わってきて、心臓が跳ね上がる。
「私はもう、君という光から目を逸らすことはできない。私の剣も、命も、心も……すべては君のためにある。君の描く未来の隣に、私を立たせてくれ」
「ゆ、ユリウス、様……っ」
「今はゆっくり眠るといい。君の安息は、私が守る」
その低く優しい子守唄のような声を聞いた途端、私の抗えない強烈な睡魔が襲ってきた。
帝国最強の騎士の腕の中という、信じられないほど安全で贅沢なベッドで、私は完全に意識を手放した。
薄れゆく意識の中で、彼が私の髪に優しくキスを落としたような気がしたが、それは夢の中の出来事だったのか、今でも分からない。
ただ、この日を境に。
私たち辺境領と、ユリウス様率いる北の国境守備隊の絆は、文字通り『死線』を越えた絶対的なものへと変わったのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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